サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
黒歌が「恩があるから」と言ったあと、祠の周りの空気は少しだけ変わった。
敵意が消えたわけじゃない。
むしろ逆だ。
今までこちらを試すみたいに遠巻きで揺れていた影妖たちの気配が、その一言を合図にしたみたいに、周囲の木々の根元や石灯籠の影へ一斉に沈み直した。
潜った。
潜って、今度は本気で噛みに来るつもりだ。
そういう沈み方だった。
「来るにゃ」
黒歌が立ち上がる。
軽い。
あれだけ昔のことを口にしたあとだというのに、感傷へ寄らずに切り替える速さが、かえって長く生きてきたものの癖みたいに見えた。
金色の瞳が、祠の奥よりさらに暗い林の方を真っ直ぐ射抜く。
絶花もすぐに胸元へ手を添える。
今度は迷いがない。
短く息を吸い、視線を左右へ走らせる。
「正面だけじゃないです、上と、足元と、あと……後ろにもいます」
「わざわざ全部言ってくれて助かるな」
そう返しながら斬月を握る。
柄へ指が馴染む感触だけで、少しだけ呼吸が整った。
この町では抜くだけで空気が張る。
それでも、もう抜かない理由はない。
守るものがある場所で、変な遠慮をしてる場合じゃない。
最初に来たのは足元だった。
祠の前の土が不自然に脈打ち、その下から黒い爪のようなものが何本も突き出る。
影が固まってできた獣の指先。
踏まれたら終わりだと、見た瞬間に分かる嫌さがある。
飛び退く。
同時に、黒歌の爪がその真ん中を斜めに裂いた。
「下はうちが持つ、あんたは前を見とき」
「命令が自然だな」
「今さら何を言うてるんよ」
軽口だ。
軽口なのに、位置取りだけは完璧だった。
俺の足元、絶花の立ち位置、次に逃がす方向まで、全部まとめて見えている。
昔、怪我した身体のくせに、俺の家の台所と縁側だけは妙に詳しかった猫を思い出す。
あの時から、たぶんこいつは“守る時の位置”を知っていたんだろう。
絶花の声が飛ぶ。
「太郎、右上!」
見上げる。
木の枝に溶けていた影妖が、今度は頭上から落ちてきていた。
人の形にも獣の形にもなりきらないまま、喉笛だけを狙う速度で。
斬月を振るう。
刃は影を確かに裂いた。
けれど手応えが浅い。
切れているのに、芯へ届いていない。
こいつらは土地に近すぎる。
この神社町の濃い境界へ半分身体を預けているぶん、単純に斬るだけでは薄いところしか削れない。
「太郎、そのままじゃ駄目です、ここの空気ごと離さないと」
絶花の言葉が、影妖の動きより先に頭へ刺さる。
空気ごと離す。
なるほど。
この場に馴染んだままの影を斬るんじゃなく、一度“ここから引き剥がす”必要があるのか。
黒歌が一瞬こちらを見る。
頷きはしない。
でも、その目の奥に「そこまで分かるならやれるにゃ」と書いてあるのが妙に腹立たしくて、少しだけ笑いそうになる。
「黒歌、こいつらを境界から剥がせるか」
訊くと、黒歌は口元だけで笑った。
「にゃふふ、そこを頼るなら最初から素直に頼っとき」
言い終わるより先に、黒歌の身体が林の縁へ滑る。
猫が音もなく飛び移るみたいな軽さなのに、今の一歩だけは妙に重く見えた。
爪が地面へ触れた瞬間、祠の周りの空気が一度だけ揺れる。
揺れるというより、引っかかる。
この土地に張りついていた影たちの“居心地の良さ”を、こいつは爪でひっかいたんだ。
影妖の動きが鈍る。
一瞬だけ、本当に“影”へ戻る。
「今!」
絶花の声は短い。
短いから、迷わない。
踏み込む。
斬月を振り上げる。
さっきと違って、刃が空気を裂いた瞬間、影妖の輪郭がきちんとこちらの世界へ落ちてきた。
そこへ叩き込む。
鈍い音。
黒いものが木の根元へ叩きつけられ、地面に染みるように崩れる。
一体。
終わりじゃない。
でも、今のは確かに届いた。
「絶花、次はどこだ」
「左の石灯籠、その裏、あと……」
言いかけて、絶花の目が大きくなる。
その変化だけで、ろくでもないものが見えたと分かった。
「太郎、後ろの道!」
振り向く。
さっき通ってきた獣道の出口、つまり人の町へ戻る側だ。
そこへ、今までより大きい影が立っていた。
こいつらの親玉か何かかもしれない。
輪郭が濃い。
牙も爪も、今までの雑な形じゃなく、ちゃんと“狩るための形”へ寄っている。
あれを通したら、この町の表へ流れる。
そうなれば、ここだけの話じゃ済まない。
「……そこは駄目だ」
口にした時には、もう身体が前へ出ていた。
俺の横へ、絶花が並ぶ。
もう一方の横へ、黒歌が立つ。
並び方が自然すぎて、少しだけ胸の奥が熱くなる。
昔拾っただけの猫が、今こうして俺たちの横へ当然みたいに立っていることが、少しだけ反則だった。
「黒歌」
呼ぶ。
黒歌は前を向いたまま返す。
「なににゃ」
「恩返しってのは、ここまで面倒見るもんなのか」
すると、黒歌は肩をすくめた。
軽く。
でも、その声は少しだけ笑っていた。
「借りは返すにゃ、うちはそういう生きもんなんよ」
その返事を聞いた瞬間、不思議と腹が決まる。
なら、こっちも同じだけ返せばいい。
王だ何だと偉そうなことを言ってきたくせに、結局こういうところは昔と変わらない。
手を伸ばされたなら、伸ばし返す。
それだけだ。
親玉の影が、獣道の出口を潰すように口を開く。
風が歪む。
祠の木々が一斉に揺れ、枝先から黒い葉みたいなものが雨のように落ちてくる。
行かせないと言っている。
ここで食うつもりだ。
なら、こっちもここで終わらせる。
「絶花、開けられるか」
「少しだけなら、でも一瞬です」
「十分だ」
「黒歌、お前はその一瞬を作れ」
「使い方が板についてきたにゃん」
文句を言いながらも、黒歌の声にはどこか満足そうな色があった。
絶花が胸元へ強く手を当てる。
空気が一瞬だけ軋む。
この土地とこの影妖の繋がりが、針で刺したみたいに一箇所だけ細くなる。
そこへ黒歌が飛び込み、爪で裂く。
裂け目が生まれる。
そこへ俺が斬月を振り下ろす。
今度は、手応えが違った。
土地でも影でもない。
明確な“核”へ刃が入る。
黒い獣の形が大きく揺れ、その輪郭が一息で崩れていく。
黒は風にほどけ、葉の裏へ潜り損ねた煙みたいに散った。
静かになった。
今度こそ、本当に。
誰もしばらく動かなかった。
動かなかったというより、ようやく息の場所を思い出した、という方が近い。
絶花が最初に肩を落とし、黒歌がその次に爪の先を払う。
俺は斬月を下ろして、獣道の先――人の町へ続く道がもう静かになっているのを確かめた。
「……助かった」
絶花が小さく言う。
その一言が、今日一番重かった。
黒歌はそれを聞いて、いつものように軽く笑う。
でも、今の笑いには、昨日までより少しだけ隠しきれないものが混じっていた。
恩を返しに来た。
その言葉が、今やっと戦いの終わりとして実感へ落ちてくる。
女王は誰にする?
-
アルファ
-
ララ·サタリン·デビルーク
-
エミリア