サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
帰りの電車は、行きより少しだけ空いていた。窓の外を流れていく山の稜線はもう薄墨みたいに沈みはじめていて、昼に見たあ:contentReference[oaicite:0]{index=0}声が、座席の薄い布越しにまだこっちの胸の奥へ刺さっている。
「……太郎」
隣の席で、絶花が小さく呼ぶ。窓へ映った横顔は、昼の戦いをくぐったあとのわりに、ひどく静かだった。
「なんだ」
「さっきから、同じところばかり見てます」
「見てるというか、思い出してるだけだ」
「黒歌さんのこと、ですか」
その名前が出た瞬間、車窓へ映っていた俺の顔が少しだけ知らないものに見えた。昔拾った猫の影と、今の黒歌の姿が、まだ頭の中でうまく重なりきっていない。重なっているくせに、どこかでまだ信じきれていない自分がいる。
「……まあな」
「不思議ですか」
「不思議だろ。怪我した猫を拾ったと思ったら、何年かして、妖怪になって恩返しに来るんだぞ」
そう言うと、絶花がほんの少しだけ口元を和らげた。笑った、とまでは言わない。けれど、強ばっていた空気が一度だけゆるんだ。
「普通では、ないですね」
「お前、そこはもっと驚いてくれていいんだが」
「お、驚いてます。……ただ、太郎の周りだと、そういうことも起きるんだなって」
「どういう意味だよ」
「変な縁を、引っ張ってくるって意味です」
言い終えてから、絶花は少しだけ視線を逸らした。たぶん、自分でも言い方がきついと思ったんだろう。そういうところまで分かりやすい。
「でも」
少し置いてから、絶花が続ける。
「黒歌さんが来てくれて、よかったです」
短い言い方だった。飾り気がないから、余計にまっすぐ響く。
「私だけだと、あの町の空気は読みきれなかったですし、太郎も、たぶん……」
「たぶん、なんだ」
「たぶん、思ってたより動揺してました」
図星だったので、すぐには返せなかった。窓の外へ流れていく暗い田んぼの水面が、街の灯りを細く映しては切っていく。あの時、黒歌が昔の猫のことを知っている口ぶりで笑った瞬間、胸の奥のどこかがきれいに持っていかれた。戦いの最中なのに、刃を握る力が少しだけ鈍ったのを、自分でも覚えている。
「……そんな顔に出てたか」
「はい。かなり」
「やめろ、そこは濁せ」
「む、無理です」
絶花が言う。無理です、の響きが少しだけ柔らかい。責めているわけじゃない。ただ見えてしまったものを、そのまま置いただけなんだろう。
車内アナウンスが、次の停車駅を平たい声で告げる。都会へ戻る前の、まだ少しだけ田舎の気配が残っている駅名だった。扉の上の表示が白く切り替わるたび、あの神社町で感じた“境目”とは違う、人の世界の整然とした流れがここにはあるのだと分かる。決められた線路があり、時刻表があり、遅れたら文句を言う人間がいる。そういう秩序の中に戻ってきたはずなのに、俺の頭の半分は、まだ山の中の細い獣道の湿った匂いに掴まれたままだった。
「次、会ったらどうするんですか」
絶花の声で、少しだけ意識が戻る。
「次って、黒歌にか」
「……はい」
その答え方に、ほんの少しだけ間がある。俺は横目で絶花を見る。膝の上に置いた両手の指先が、わずかに触れ合ったまま動いている。緊張している時の癖だ。黒歌が怖いわけじゃない。たぶん、黒歌と俺の間にあった“自分の知らない時間”のことを、まだ上手く飲み込めていない。
「どうするって言われてもな」
「また、ごはんをあげるんですか」
「猫扱いに戻すなよ」
「だ、だって、黒歌さんも最後にそういうことを言ってましたし」
たしかに言っていた。今度はもっといいものを食わせろと、屋根の上から、あいつは妙に偉そうに笑っていた。あの言い方を思い出すと、腹が立つのに、少しだけ救われる。再会が全部きれいな感傷だけで終わらなかったのは、きっとあの軽口のおかげだ。
「まあ、会ったら飯くらいは出すだろうな」
「……優しいですね」
「違うな」
口をついて出た言葉は、自分でも思ったより硬かった。絶花がこちらを見る。俺は窓の外へ目を向けたまま続ける。
「借りを返されたなら、こっちも返す。それだけだ」
「それは、優しいって言い方と、そんなに違いますか」
「違う。優しさで片づけると、向こうが持ってきたものまで軽くなる」
恩があるから来た、と黒歌は言った。あれは軽い言葉じゃなかった。昔の俺は、たぶん本当にただの気まぐれで、傷ついた猫を見過ごせなかっただけなんだろう。けれど、向こうにとっては、それで命が繋がった。そんなものを、あとから優しさだったなで丸めるのは、少し違う気がした。
絶花はしばらく黙って、それから小さく頷く。
「……そうですね」
「納得したか」
「全部は、まだ」
「正直だな」
「その、分からないまま分かったふりをするのは、たぶん違うので」
その言い方に、少しだけ笑いそうになる。分からないことを分からないと言える強さは、絶花の中でたぶん一番折れない部分だ。
「でも」
また、少しだけ間がある。
「次に会ったら、ちゃんと話してみたいです」
「黒歌と?」
「はい。太郎のことを、昔から知っていた人ですし……その、私の知らない太郎を知ってるのが、少しだけ、悔しいので」
最後のところだけ、絶花の声がほんの少し速くなる。言ってしまってから、自分で驚いたみたいに視線が泳いだ。けれど、引っ込めない。そこが絶花らしい。
「悔しいのか」
「……はい」
「拗ねてるようにも聞こえる」
「そ、そういう言い方は嫌です」
「でも近いだろ」
「違います。……少し、気になるだけです」
その“少し”が、あまり少しに聞こえない。けれど、それをわざわざ突くほど野暮でもないつもりだ。だから笑いだけを喉の奥で留める。絶花はそれを見て、たぶん笑われたと分かったんだろう、少しだけ頬を膨らませた。
電車が揺れる。夕方と夜の境目みたいな色が窓へ広がり、遠くの山並みが完全に黒へ沈む。その黒さを見ていると、神社町の木立の奥で、影妖が息を潜めていたあの暗さを思い出す。あれは終わった。終わったはずだ。けれど、終わったものの匂いじゃない。もっと大きな何かの端へ、偶然触れただけの気配が残っている。
「絶花」
「はい」
「今回の件、黒歌だけの話で済まない気がする」
言うと、絶花の表情がすぐに引き締まった。戦う前の顔ではない。考える時の顔だ。
「妖怪の、世界ですか」
「それもある。けど、たぶんそれだけじゃない」
駒王の外には、まだ知らない理がある。人の町の裏側に重なって息をしているもの。通っていい道と、踏み込んではいけない道。恩を返しに来る猫と、それを取り巻く獣の掟。あれはたまたま一つの町で見えただけで、本当はもっと広く、もっと深く繋がっているんだろう。
「次に起きるとしたら、たぶんもっと人の多い場所だ」
「……駒王、ですか」
「分からない。でも、ああいうのは一度きりで終わらない」
斬月へ触れた時の、あの土地のざわつきを思い出す。抜かなくても、ただ“外から来たもの”として反応を返してきた。あの感覚は、まだ胸のどこかへ残っている。刃が呼ばれたのか、拒まれたのか、それすらはっきりしないまま。
王国の駒も斬月も、俺の中で一つの国を作るための力だ。だが、外へ出れば出るほど、こっちを勝手に測ってくる理がある。そのことだけは、もう忘れようがない。
「太郎は」
絶花がゆっくり口を開く。
「怖く、ないんですか」
「何が」
「また、そういうところへ触るのがです」
静かな問いだった。
電車の揺れの合間に落ちて、少し遅れて胸へ届く。
怖いかどうかで言えば、怖い。知らないものを知らないまま踏むのは、気分のいいことじゃない。けれど、怖いから退くだけなら、最初から王なんて言わない。
「怖いな」
素直に言うと、絶花が目を瞬かせる。
「で、でも」
「それでも、触らずに済むなら最初から向こうは寄ってこない」
黒歌はたしかに恩を返しに来た。けれど、その再会の裏には、こっちがもう“見える側”へ片足を入れてしまっている現実がある。知らないままでいることは、たぶんもう許されない。
「だから、次に何か来るなら、今度は先に掴む」
「先に……」
「見られるだけで終わるのは性に合わない」
言い切ると、絶花は少しだけ困ったように笑った。呆れと納得が半分ずつ混ざった顔だ。
「やっぱり、太郎らしいです」
「褒めてるのか」
「……褒めてはいません」
「間があったぞ」
「気のせいです」
否定は弱い。弱いくせに、最後にはちゃんとこっちを見る。その目の奥にあるのは、諦めじゃない。付き合う覚悟の方だ。そこまで見えれば十分だった。
駅へ着く。ホームへ降りると、都会の夜気は山の風より乾いていて、光が多いぶんだけ影も濃い。人が多い。学生、仕事帰りの大人、買い物袋をぶら下げた家族連れ。その足元や頭上の看板の縁へ、ふと昨日の町の影の色が重なる。
何も起きない。まだ起きない。けれど、起きないことと、起きないままで終わることは違う。
「絶花」
「はい」
「次に黒歌へ会ったら、飯を食わせる」
「はい」
「で、そのあとで、もう少し詳しく話を聞く」
「……はい」
「お前も一緒に来い」
そう言うと、絶花はほんの少しだけ目を丸くしたあと、すぐに頷いた。
「そのつもりです」
返事は短い。
短いくせに、ちゃんと強い。
俺たちはホームを歩き出す。
夜のガラス窓へ映った自分たちの影が、電車の光に切られて何度も揺れた。
その揺れの向こう側で、まだ名前のつかない次の面倒が、息を潜めている気配がした。
会えば、きっとまた何かが動く。
黒歌との縁も、駒王の外に広がる妖怪の理も、たぶんこれで終わりじゃない。
終わりじゃないなら、今度はこっちから手を伸ばすだけだ。
そう思った時、ホームの端の暗がりを、黒い影がひとつだけ横切った気がした。
猫だったのかもしれないし、ただの見間違いだったのかもしれない。
どちらでもよかった。
次が来る。
その予感だけは、妙に確かだった。
女王は誰にする?
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アルファ
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エミリア