※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

336 / 484
その話の行く先は

 八坂の背を追って、北へ向かう。

 

 屋敷を出てからもしばらくは、人の町とそう変わらない景色だった。石畳が続き、灯籠の火が道を薄く照らしている。だが、歩いているうちに、何かが少しずつずれていく。

 

 音だ。

 

 遠くで水が鳴っている。風もある。木の葉も揺れているはずなのに、耳に入るものの輪郭が妙に薄い。町の夜にある雑多さが、最初から削ぎ落とされていた。

 

「言葉で聞くより、足を運んだ方がよう分かりますえ」

 

 前を歩く八坂が、振り返りもせずに言う。

 

「見せる気があるなら、最後まで見せてもらう」

 

 そう返すと、八坂は袖を重ねたまま、少しだけ肩を揺らした。

 

「見せますえ。ただし、触れ方は選んでもらいます」

 

 隣の絶花が、わずかに息を詰めた。

 

「……さっきより濃いです。水の下で何か動いてます」

 

「もう拾ってるのか」

 

「はい。まだ遠いですけど、嫌な感じがします」

 

 短い返事だった。けれど、声は細く張っている。怖がっているのは分かる。それでも目は逸らしていなかった。

 

 やがて道が折れ、視界が開ける。

 

 古い石橋が一本、細い川にかかっていた。幅は広くない。人が二、三人並べばいっぱいになる程度だ。橋のたもとには小さな祠。柳が一本、川面へ影を落としている。

 

 ただ、それだけの場所に見えた。

 

 見えた、だけだ。

 

 川は静かだった。流れはある。音もある。なのに自然な水の気配が抜けている。冷えた水の匂いに混じって、もっと古い、湿った空気が底でよどんでいた。

 

 背の斬月が、布越しに重みを変える。

 

 水に反応しているんじゃない。水の下だ。

 

 八坂が橋の手前で足を止めた。

 

「ここどす」

 

 絶花の視線が、橋の下と石垣の際を行き来する。

 

「中心はここじゃないです。でも、ここが一番薄いです」

 

「切れそうだ。だが、水ごと割る気はない」

 

 俺が言うと、八坂はようやくこちらを見た。

 

「ここは川ではなく、道でもある場所どす」

 

 柔らかい声だった。だが、その一言で場の意味が変わる。

 

「乱せば流れだけやのうて、通る理まで崩れますえ」

 

「なら、切るのは水じゃなく、その下の綻びか」

 

「はい。そこだけなら、まだ間に合います」

 

 絶花は橋の下を見たまま言う。声は小さいが、迷いはなかった。

 

 橋の向こうに、二つ三つ、人影があった。地元の妖怪だろう。誰も前へ出ていない。出られない、の方が正しい顔をしていた。

 

 八坂は祠へ目をやる。

 

「手ぇを出していないわけやあらへんのです。ただ、触れ方を違えると、これ以上に薄なります」

 

 その時だった。

 

 川面が、ふっと膨らんだ。

 

 波立ったわけじゃない。水の下から何かが押し上げて、面だけが不自然に盛り上がる。次の瞬間、橋の影から黒いものが伸びた。

 

 腕にも見える。獣の前脚にも見える。だが、どちらでもない。形が半端だった。水と影の境が曖昧なまま、ずるりと這い上がってくる。

 

「来ます。影じゃないです、流れに乗ってきてます」

 

 絶花の声が鋭くなる。

 

「本体を斬るな。綻びに噛んでる部分を探せ」

 

「よう見なはれ。暴れてるようで、引かれてるだけどす」

 

 八坂の声が、少しだけ低くなった。

 

 影が石橋の欄干へ噛みつくように伸びる。もう一つ、水面の下で何かが揺れた。

 

「左下です。石の際に一本、ひっかかってます」

 

「分かった。なら、そこだけ断ち切る」

 

 斬月を掴む。

 

 抜いた瞬間、川の空気が張った。だが、屋敷の社前と違って、今度は拒むだけじゃない。切るべき場所を探るような重みだった。

 

 橋へ踏み込む。

 

 影が跳ねた。正面から叩き切るのは簡単だ。だが、それをやれば下の筋まで裂ける。

 

「右じゃないです。下、もっと下を切ってください」

 

「了解だ。なら、半歩ずらして通す」

 

 足を滑らせるように踏み位置を変える。斬月の切っ先を、水面ではなく、その下にひっかかった細い感触へ合わせた。

 

 振る。

 

 重い一閃だった。水そのものじゃない。影の奥、石際に噛みついていた見えない筋だけを断つ。

 

 黒いものがぶれる。橋の影へ引き戻されるように形を崩した。

 

 だが、それで終わらない。

 

 今切った場所とは別に、川の中央が薄く裂けた。

 

「まだ終わってません。奥にもう一つ残ってます」

 

「上等だ。それごと片づけてやる」

 

 言って橋の中央へ出る。川面の下で、ぬらりと何かが身を起こす。今度は獣に近い輪郭だ。目も鼻もないのに、こちらを見ている気配だけがある。

 

 斬れば消える。だが、消すだけでは足りない。

 

 絶花の呼吸が短くなる。

 

「今です。そこなら広がりません、通せます」

 

 声に従って刃を返す。右じゃない。左でもない。真下だ。

 

 斬月を落とすように振り下ろす。水しぶきは上がらない。代わりに、底を引っかいていたものが切れ、獣じみた影が細かく砕けた。

 

 橋が軋む。

 

 違う。橋じゃない。場そのものが一瞬、沈んだ。

 

「……太郎さん」

 

 絶花の声が変わった。焦りが乗る。

 

「だめです。そのままだと下まで裂けます」

 

「なら、どこだ。通せる筋を寄越せ」

 

「まだ……」

 

 絶花が言い終わる前に、川筋が一段深く歪んだ。

 

 水の色が夜の中でさらに黒くなる。裂ける。そう直感した。

 

 このまま押し切れば、たぶん断てる。だが同時に、ここ一帯の筋ごと傷める。

 

 踏み込みかけた足を止める。

 

 その横を、八坂が一歩だけ前へ出た。

 

「崩すのは簡単どす。でも、戻す方が難しい」

 

 袖が静かに揺れる。派手な動きは何もない。八坂は橋の欄干へ指先を置いただけだった。

 

 それだけで、川の暴れ方が変わる。

 

 押し寄せていた濁りがほどける。ほどけながら、一筋だけ、まっすぐな細い流れが浮かんだ。

 

「今、一本だけ整えます。切るなら、その刹那どす」

 

 絶花が息を飲む。

 

「見えました。まっすぐです、今なら通ります」

 

「十分だ。そこへ通して終わらせる」

 

 迷わない。

 

 斬月を握り直し、整えられた一筋へ踏み込む。重い。だが、今なら切れる。切っていい。

 

 振り抜いた。

 

 音は小さかった。何かが派手に砕けたわけじゃない。細い膜を裂くような感触だけが手に残る。

 

 次の瞬間、川面の黒がすっと薄れた。

 

 橋の下にまとわりついていた影も、水へ溶けるように消えていく。柳の葉が揺れ、ようやく普通の水音が耳へ戻った。

 

 しばらく誰も動かなかった。

 

 絶花が大きく息を吐く。

 

「……まだ全部じゃないです。でも、さっきより分かります」

 

 斬月を下ろしたまま、俺は川を見る。さっきまであった引っかかりは消えていた。完全に終わったわけじゃない。だが、今夜の綻びは閉じた。

 

 八坂が欄干から指を離す。

 

「無茶に壊す手合いやないことは、よう分かりました」

 

「そっちの理も、少しは見えた。それで十分だ」

 

 俺が言うと、八坂は小さく目を細めた。

 

「それで結構どす。最初から分かる方が怖い」

 

 絶花が橋の下を見下ろしたまま、静かに頷く。

 

「まだ、知らないことばかりです。でも……勝手に踏み込んじゃだめな線は、少し分かりました」

 

「よう見てはる」

 

 八坂の声には、さっきまでよりわずかに熱があった。褒めるというほどでもない。ただ、見込みなしではなくなったと分かる程度の温度。

 

 橋の向こうで見ていた妖たちが、ようやく息をつく気配を見せる。

 

 俺は斬月を背へ戻した。

 

「なら次は、そっちが何を守るか聞かせろ」

 

 八坂はすぐには答えなかった。川面を一度だけ見てから、こちらへ向き直る。

 

「ええでしょう。見た者には、話す筋があります」

 

 風が吹く。今度はちゃんと、柳が鳴った。

 

 さっきまでの張りつめた気配は薄れている。だが、消えたわけじゃない。俺たちは客のままじゃなくなった。その代わり、完全に内側へ入ったわけでもない。

 

 絶花が小さく袖を引く。

 

「……終わり、ではないですね」

 

「当たり前だ」

 

「はい。そう思いました」

 

 声は少し疲れていたが、芯はあった。さっきよりも、ここの空気を読めている顔をしている。

 

 八坂が橋を離れ、来た道へ歩き出す。

 

「参りましょか。ここまで見たうえで、話したいことがあります」

 

 俺は川を一度だけ振り返った。

 

 水は静かに流れている。何もなかったような顔だ。だが、その下に道があり、理があり、間違えれば裂ける線があることを、もう俺たちは知っている。

 

 なら、それでいい。

 

 見せるというなら見た。次は聞く番だ。何を守るための理で、何を通し、何を拒むのか。

 

 そのうえで、必要なら掴む。

 

 不要なら切る。

 

 俺は絶花と並んで、八坂の背を追った。

 

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
  • エミリア
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。