サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
八坂の背を追って、北へ向かう。
屋敷を出てからもしばらくは、人の町とそう変わらない景色だった。石畳が続き、灯籠の火が道を薄く照らしている。だが、歩いているうちに、何かが少しずつずれていく。
音だ。
遠くで水が鳴っている。風もある。木の葉も揺れているはずなのに、耳に入るものの輪郭が妙に薄い。町の夜にある雑多さが、最初から削ぎ落とされていた。
「言葉で聞くより、足を運んだ方がよう分かりますえ」
前を歩く八坂が、振り返りもせずに言う。
「見せる気があるなら、最後まで見せてもらう」
そう返すと、八坂は袖を重ねたまま、少しだけ肩を揺らした。
「見せますえ。ただし、触れ方は選んでもらいます」
隣の絶花が、わずかに息を詰めた。
「……さっきより濃いです。水の下で何か動いてます」
「もう拾ってるのか」
「はい。まだ遠いですけど、嫌な感じがします」
短い返事だった。けれど、声は細く張っている。怖がっているのは分かる。それでも目は逸らしていなかった。
やがて道が折れ、視界が開ける。
古い石橋が一本、細い川にかかっていた。幅は広くない。人が二、三人並べばいっぱいになる程度だ。橋のたもとには小さな祠。柳が一本、川面へ影を落としている。
ただ、それだけの場所に見えた。
見えた、だけだ。
川は静かだった。流れはある。音もある。なのに自然な水の気配が抜けている。冷えた水の匂いに混じって、もっと古い、湿った空気が底でよどんでいた。
背の斬月が、布越しに重みを変える。
水に反応しているんじゃない。水の下だ。
八坂が橋の手前で足を止めた。
「ここどす」
絶花の視線が、橋の下と石垣の際を行き来する。
「中心はここじゃないです。でも、ここが一番薄いです」
「切れそうだ。だが、水ごと割る気はない」
俺が言うと、八坂はようやくこちらを見た。
「ここは川ではなく、道でもある場所どす」
柔らかい声だった。だが、その一言で場の意味が変わる。
「乱せば流れだけやのうて、通る理まで崩れますえ」
「なら、切るのは水じゃなく、その下の綻びか」
「はい。そこだけなら、まだ間に合います」
絶花は橋の下を見たまま言う。声は小さいが、迷いはなかった。
橋の向こうに、二つ三つ、人影があった。地元の妖怪だろう。誰も前へ出ていない。出られない、の方が正しい顔をしていた。
八坂は祠へ目をやる。
「手ぇを出していないわけやあらへんのです。ただ、触れ方を違えると、これ以上に薄なります」
その時だった。
川面が、ふっと膨らんだ。
波立ったわけじゃない。水の下から何かが押し上げて、面だけが不自然に盛り上がる。次の瞬間、橋の影から黒いものが伸びた。
腕にも見える。獣の前脚にも見える。だが、どちらでもない。形が半端だった。水と影の境が曖昧なまま、ずるりと這い上がってくる。
「来ます。影じゃないです、流れに乗ってきてます」
絶花の声が鋭くなる。
「本体を斬るな。綻びに噛んでる部分を探せ」
「よう見なはれ。暴れてるようで、引かれてるだけどす」
八坂の声が、少しだけ低くなった。
影が石橋の欄干へ噛みつくように伸びる。もう一つ、水面の下で何かが揺れた。
「左下です。石の際に一本、ひっかかってます」
「分かった。なら、そこだけ断ち切る」
斬月を掴む。
抜いた瞬間、川の空気が張った。だが、屋敷の社前と違って、今度は拒むだけじゃない。切るべき場所を探るような重みだった。
橋へ踏み込む。
影が跳ねた。正面から叩き切るのは簡単だ。だが、それをやれば下の筋まで裂ける。
「右じゃないです。下、もっと下を切ってください」
「了解だ。なら、半歩ずらして通す」
足を滑らせるように踏み位置を変える。斬月の切っ先を、水面ではなく、その下にひっかかった細い感触へ合わせた。
振る。
重い一閃だった。水そのものじゃない。影の奥、石際に噛みついていた見えない筋だけを断つ。
黒いものがぶれる。橋の影へ引き戻されるように形を崩した。
だが、それで終わらない。
今切った場所とは別に、川の中央が薄く裂けた。
「まだ終わってません。奥にもう一つ残ってます」
「上等だ。それごと片づけてやる」
言って橋の中央へ出る。川面の下で、ぬらりと何かが身を起こす。今度は獣に近い輪郭だ。目も鼻もないのに、こちらを見ている気配だけがある。
斬れば消える。だが、消すだけでは足りない。
絶花の呼吸が短くなる。
「今です。そこなら広がりません、通せます」
声に従って刃を返す。右じゃない。左でもない。真下だ。
斬月を落とすように振り下ろす。水しぶきは上がらない。代わりに、底を引っかいていたものが切れ、獣じみた影が細かく砕けた。
橋が軋む。
違う。橋じゃない。場そのものが一瞬、沈んだ。
「……太郎さん」
絶花の声が変わった。焦りが乗る。
「だめです。そのままだと下まで裂けます」
「なら、どこだ。通せる筋を寄越せ」
「まだ……」
絶花が言い終わる前に、川筋が一段深く歪んだ。
水の色が夜の中でさらに黒くなる。裂ける。そう直感した。
このまま押し切れば、たぶん断てる。だが同時に、ここ一帯の筋ごと傷める。
踏み込みかけた足を止める。
その横を、八坂が一歩だけ前へ出た。
「崩すのは簡単どす。でも、戻す方が難しい」
袖が静かに揺れる。派手な動きは何もない。八坂は橋の欄干へ指先を置いただけだった。
それだけで、川の暴れ方が変わる。
押し寄せていた濁りがほどける。ほどけながら、一筋だけ、まっすぐな細い流れが浮かんだ。
「今、一本だけ整えます。切るなら、その刹那どす」
絶花が息を飲む。
「見えました。まっすぐです、今なら通ります」
「十分だ。そこへ通して終わらせる」
迷わない。
斬月を握り直し、整えられた一筋へ踏み込む。重い。だが、今なら切れる。切っていい。
振り抜いた。
音は小さかった。何かが派手に砕けたわけじゃない。細い膜を裂くような感触だけが手に残る。
次の瞬間、川面の黒がすっと薄れた。
橋の下にまとわりついていた影も、水へ溶けるように消えていく。柳の葉が揺れ、ようやく普通の水音が耳へ戻った。
しばらく誰も動かなかった。
絶花が大きく息を吐く。
「……まだ全部じゃないです。でも、さっきより分かります」
斬月を下ろしたまま、俺は川を見る。さっきまであった引っかかりは消えていた。完全に終わったわけじゃない。だが、今夜の綻びは閉じた。
八坂が欄干から指を離す。
「無茶に壊す手合いやないことは、よう分かりました」
「そっちの理も、少しは見えた。それで十分だ」
俺が言うと、八坂は小さく目を細めた。
「それで結構どす。最初から分かる方が怖い」
絶花が橋の下を見下ろしたまま、静かに頷く。
「まだ、知らないことばかりです。でも……勝手に踏み込んじゃだめな線は、少し分かりました」
「よう見てはる」
八坂の声には、さっきまでよりわずかに熱があった。褒めるというほどでもない。ただ、見込みなしではなくなったと分かる程度の温度。
橋の向こうで見ていた妖たちが、ようやく息をつく気配を見せる。
俺は斬月を背へ戻した。
「なら次は、そっちが何を守るか聞かせろ」
八坂はすぐには答えなかった。川面を一度だけ見てから、こちらへ向き直る。
「ええでしょう。見た者には、話す筋があります」
風が吹く。今度はちゃんと、柳が鳴った。
さっきまでの張りつめた気配は薄れている。だが、消えたわけじゃない。俺たちは客のままじゃなくなった。その代わり、完全に内側へ入ったわけでもない。
絶花が小さく袖を引く。
「……終わり、ではないですね」
「当たり前だ」
「はい。そう思いました」
声は少し疲れていたが、芯はあった。さっきよりも、ここの空気を読めている顔をしている。
八坂が橋を離れ、来た道へ歩き出す。
「参りましょか。ここまで見たうえで、話したいことがあります」
俺は川を一度だけ振り返った。
水は静かに流れている。何もなかったような顔だ。だが、その下に道があり、理があり、間違えれば裂ける線があることを、もう俺たちは知っている。
なら、それでいい。
見せるというなら見た。次は聞く番だ。何を守るための理で、何を通し、何を拒むのか。
そのうえで、必要なら掴む。
不要なら切る。
俺は絶花と並んで、八坂の背を追った。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア