※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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月光の狐

 門前まで出たところで、八坂がふと足を止めた。

 

「宮本はん。少しだけ、太郎はんをお借りしてもよろしい?」

 

 柔らかい声だった。断る余地がないほど強くはない。だが、逆らう前提でもない声だ。

 

 絶花が俺を見る。

 

 空気を読んでる顔だった。嫌そうでもない。完全に平気そうでもない。まあ、いつも通りだ。

 

「……分かりました」

 

 短く頭を下げて、絶花は一歩引いた。

 

 引いたあとで、ほんの少しだけ言い添える。

 

「太郎さん。あまり、遅くならないでください」

 

「善処する」

 

「それ、たぶん、しない時の言い方です」

 

 小声だったが、ちゃんと聞こえた。思わず口元が緩む。

 

 八坂もおかしそうに笑ってから、渡りの方へ視線を流す。

 

「そんなに長うは取りませんえ。こっちへ」

 

 案内されたのは、さっき通された座敷ではなかった。庭に面した細い渡りの先、小さな灯りだけが置かれた半ば私室みたいな場所だ。障子は少しだけ開いていて、夜気が入っている。香が薄く残っていた。

 

 強くない。だが、近くで吸えば分かる程度には、ちゃんとそこにある。

 

 なるほど。

 

 公の話をする場じゃない。

 

 八坂は座り、向かいじゃなく、俺の斜め横を示した。

 

「そこへ」

 

「正面じゃなくていいのか」

 

「正面やと、長の顔ばかりしてしまいますやろ」

 

 そう言われると、まあ、そうかもしれない。

 

 言われた通り腰を下ろす。距離は近い。肩が触れるほどじゃない。だが、一人分きっちり空けるには少し狭い、その程度の近さだった。

 

 月の光が、庭石の端だけ白くしている。

 

 静かだった。静かすぎて、衣擦れの音まで届く。

 

「こうして二人きりで話すんは、少し不思議どすな」

 

「そっちが残したんだろ」

 

「ええ」

 

 八坂は否定しない。茶を一つ、こちらへ差し出してくる。受け取る時、指先がわずかに近い。触れたわけじゃない。だが、避けるつもりもない距離だった。

 

 やり方が上手い。

 

 距離を詰めてるのに、下品にならない。意図は見えるのに、押しつけがましくない。長年、人の上に立ってきた女の間合いだ。

 

「何の話だ」

 

「その聞き方、ほんに可愛げがあらへん」

 

「必要な前置きがあるなら聞く。ねえなら本題に入れ」

 

 そう返すと、八坂は肩を揺らして笑う。

 

「そうやって真っ直ぐ返してくるから、困ってしまうんどす」

 

「困ってる顔には見えねえな」

 

「困らせてる方に、よう言われますえ」

 

 声が近い。

 

 距離のせいだけじゃない。八坂は少しだけ、こっちへ体を寄せていた。寄り添う、というほど露骨じゃない。だが、同じ方角を向いて座っている分、正面よりよほど近く感じる。

 

 香が少しだけ濃くなる。

 

 なるほど、そう来るか。

 

 試してるのか、気に入ってるのか。その両方だろう。たぶん。

 

「で?」

 

 急かすと、八坂は庭を見たまま言った。

 

「今日のこと。うちは、長としてちゃんと見ました」

 

「そりゃ知ってる」

 

「せやから、その先の話をしたいんどす」

 

 そこで、八坂がほんの少しだけこちらへ顔を向ける。目が合った。

 

 柔らかい。だが、逃がす気もない目だ。

 

「あんたさん、ほんに不思議な子やね」

 

「よく言われる」

 

「無茶をする。危うい。若いくせに、妙に引かへん。せやのに、ほんまに踏んではいけない線は見落とさへん」

 

「見落としたら終わるからな」

 

「それを、若い子がちゃんと分かってるんが珍しいんどす」

 

 八坂の袖が、わずかに畳へ落ちる。手首の白さが少しだけ見えた。ほんの一瞬だ。見せるための動きじゃない。そう見えてしまうだけの所作だった。

 

「長として見ても、あんたさんは面白い」

 

「前にも聞いたな」

 

「今日はもう一歩、先どす」

 

 八坂の声が落ちる。

 

「面白いだけやあらへん。近くで見ていたいと思うくらいには、気に入ってます」

 

 直球だった。

 

 ごまかすでも、からかうでもない。さらりと置くくせに、軽くない。

 

「そいつはまた、厄介な評価だな」

 

「厄介どすか?」

 

「そっちが長で、こっちが外の人間って前提がある以上な。単純に喜んで終わる話じゃねえ」

 

「よろしい」

 

 八坂は満足そうに笑った。

 

「そこで浮かれへんから、余計に好ましいんどす」

 

 言いながら、今度は少しだけはっきり近づく。袖が、俺の腕に触れそうな位置まで来た。

 

 触れない。まだ、触れない。

 

 けれど、こっちが一歩引けば、負けたみたいに見える距離だった。

 

「近いな」

 

「嫌どすか」

 

「嫌とは言ってねえ」

 

「では、このままで」

 

 そう言って、八坂は本当にそのままでいた。

 

 夜気が細く入る。香が近い。肩の辺りに、柔らかい熱がある気がした。実際に触れてるわけじゃない。だが、近いだけで、人の体温は分かる。

 

 To LOVEるじみた事故みたいに転んでどうこう、って話じゃない。もっと厄介だ。大人が、分かったうえで距離を詰めてきてる。

 

 しかも、理を崩さないまま。

 

「長として見ても、女として見ても、目が離れへんのです」

 

「そういう顔で言われると、さすがに意味を考えるな」

 

「考えてよろし」

 

「で、答えは?」

 

「どちらも本当どす」

 

 八坂はさらっと言い切った。

 

「見込みのある外の王やと思うてます。同時に、無茶をするのに筋は違えへん男はんやとも思うてます」

 

「ずいぶん買ってるな」

 

「安うは見てまへん」

 

 ふ、と八坂の指先が動いた。

 

 次の瞬間、袖の端が俺の手の甲に、かすかに触れる。

 

 本当にわずかだ。偶然でも通る程度の接触。だが、偶然じゃないのは分かる。こっちがどう出るか見るには、それで十分だった。

 

「……逃げまへんのやね」

 

「逃げる理由がねえ」

 

「若いのに、妙に肝が据わってる」

 

「そっちこそ、寄るなら寄るで分かりやすくしろよ。試されてるのか、口説かれてるのか、判別に手間がかかる」

 

 言うと、八坂は声を立てずに笑った。肩が少し揺れる。その揺れで、香がまた近くなる。

 

「両方やったら、どうします?」

 

「面倒だが、嫌いじゃねえ」

 

 我ながら正直だった。

 

 八坂は笑みを深くする。色っぽい、という言葉で片づけるには少し足りない。もっと静かなものだ。静かなのに、目が離れない。

 

「そういう返しを、さらっとするところがずるいんどす」

 

「そりゃどうも」

 

「ほんまに、年上泣かせやこと」

 

 その言い方に、わずかに私的な熱が混じる。

 

 未亡人。

 

 前に自分でそう言っていた。今の一言は、その肩書きをただの情報じゃなくした。

 

 八坂は少しだけ視線を落とし、それからまた俺を見る。

 

「うちはな、ただ若いだけの子は好きやあらへんのです」

 

「だろうな」

 

「守るもんがあって、危うさがあって、それでも前を見る目をしてる子がええ」

 

 そこで一拍。

 

「そういう意味で、あんたさんは、よう目に残る」

 

 八坂の声は低い。さっきまでより少しだけ、吐息に近い。

 

 ここで下手に照れるのも違う。無視するのはもっと違う。

 

「好意は受け取る」

 

 そう言うと、八坂がわずかに目を細めた。

 

「ええ子」

 

「ただし、そいつで俺が鈍ると思うなら見誤りだ」

 

「思うてまへん」

 

 即答だった。

 

「鈍らへんから、寄ってるんどす」

 

 ああ、そういうことか。

 

 甘くして動きを鈍らせたいんじゃない。鈍らないと分かった上で、寄ってきてる。厄介極まりない。だが、筋は通ってる。

 

「厄介だな、あんた」

 

「よう言われますえ」

 

「こっちもだ」

 

「存じてます」

 

 その返しで、ふっと空気がほどけた。

 

 八坂はそこで、ようやく少しだけ距離を戻した。戻したと言っても、最初よりはまだ近い。だが、これ以上は踏み込まないという線引きが見える。

 

 そこがまた、うまい。

 

 欲しければ取れる距離を見せておいて、自分からは越えない。理も、空気も、どっちも壊さない。

 

「今日は、これくらいにしときましょ」

 

「助かる。これ以上寄られると、さすがに考えることが増える」

 

「もう十分増えた顔してはりますのに」

 

「否定はしねえ」

 

 八坂は満足そうに頷き、立ち上がる。

 

 俺も腰を上げた。障子の隙間から入る月明かりが、八坂の横顔を薄く照らす。柔らかい。だが、その奥にはちゃんと長の顔が残っていた。

 

「次に来はる時は」

 

 八坂が振り返る。

 

「公の話ばかりやのうて、もう少しだけ、近うてええですか」

 

「必要ならな」

 

「必要にしてみせますえ」

 

 即答だった。

 

 笑ってるくせに、言葉の芯は真っすぐだ。

 

 そういうところだろう。長としても、女としても、この人が強いのは。

 

 渡りへ出る。夜気がひんやりして、さっきまで近かった熱が少しだけ遠のく。

 

 その時、角の向こうに絶花の気配があった。

 

 待っていたらしい。姿を見せる前から分かった。足音を殺しても、あいつはそういう待ち方をする。

 

 八坂も気づいてるはずだが、何も言わない。ただ、俺にだけ聞こえるくらいの声で置く。

 

「大事にしなはれ。あの子も、あんたさんも」

 

「言われなくても分かってる」

 

「そういう返し、ほんに好きどす」

 

 最後にそれだけ言って、八坂は袖を重ねた。

 

「では、今夜はここまで。次は、もう少し困らせてみたいですえ」

 

「百億年早い」

 

「うふふ。言うようになったこと」

 

 くすぐったそうに笑って、八坂は奥へ引く。

 

 入れ替わるように絶花が出てきた。俺の顔を見て、それから八坂が去った方を見る。

 

「……遅かったです」

 

「少し話してただけだ」

 

「そういう顔じゃないです」

 

「どういう顔だよ」

 

「その……ちょっとだけ、面倒そうで。ちょっとだけ、嫌じゃなさそうな顔です」

 

 鋭いな、おい。

 

「よく見てる」

 

「見てますから」

 

 絶花は小さくそう言って、少しだけ視線を落とす。だが、すぐ戻した。

 

「帰りましょう」

 

「そうだな」

 

 並んで歩き出す。

 

 香はもう遠い。だが、完全には消えていない。袖の端が触れた感触も、わずかに残っていた。

 

 厄介だ。

 

 厄介だが、悪くない。

 

 八坂は長として線を結んだ。今夜、その線に少しだけ、個人の熱が混じった。

 

 次に会う時は、たぶんもう少し面倒になる。

 

 それでも、切る理由にはならない。

 

 むしろ、取れるなら取っておくべき線だ。

 

 俺は夜の空気を吸い込み、前を向いた。

 

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
  • エミリア
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