サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
門前まで出たところで、八坂がふと足を止めた。
「宮本はん。少しだけ、太郎はんをお借りしてもよろしい?」
柔らかい声だった。断る余地がないほど強くはない。だが、逆らう前提でもない声だ。
絶花が俺を見る。
空気を読んでる顔だった。嫌そうでもない。完全に平気そうでもない。まあ、いつも通りだ。
「……分かりました」
短く頭を下げて、絶花は一歩引いた。
引いたあとで、ほんの少しだけ言い添える。
「太郎さん。あまり、遅くならないでください」
「善処する」
「それ、たぶん、しない時の言い方です」
小声だったが、ちゃんと聞こえた。思わず口元が緩む。
八坂もおかしそうに笑ってから、渡りの方へ視線を流す。
「そんなに長うは取りませんえ。こっちへ」
案内されたのは、さっき通された座敷ではなかった。庭に面した細い渡りの先、小さな灯りだけが置かれた半ば私室みたいな場所だ。障子は少しだけ開いていて、夜気が入っている。香が薄く残っていた。
強くない。だが、近くで吸えば分かる程度には、ちゃんとそこにある。
なるほど。
公の話をする場じゃない。
八坂は座り、向かいじゃなく、俺の斜め横を示した。
「そこへ」
「正面じゃなくていいのか」
「正面やと、長の顔ばかりしてしまいますやろ」
そう言われると、まあ、そうかもしれない。
言われた通り腰を下ろす。距離は近い。肩が触れるほどじゃない。だが、一人分きっちり空けるには少し狭い、その程度の近さだった。
月の光が、庭石の端だけ白くしている。
静かだった。静かすぎて、衣擦れの音まで届く。
「こうして二人きりで話すんは、少し不思議どすな」
「そっちが残したんだろ」
「ええ」
八坂は否定しない。茶を一つ、こちらへ差し出してくる。受け取る時、指先がわずかに近い。触れたわけじゃない。だが、避けるつもりもない距離だった。
やり方が上手い。
距離を詰めてるのに、下品にならない。意図は見えるのに、押しつけがましくない。長年、人の上に立ってきた女の間合いだ。
「何の話だ」
「その聞き方、ほんに可愛げがあらへん」
「必要な前置きがあるなら聞く。ねえなら本題に入れ」
そう返すと、八坂は肩を揺らして笑う。
「そうやって真っ直ぐ返してくるから、困ってしまうんどす」
「困ってる顔には見えねえな」
「困らせてる方に、よう言われますえ」
声が近い。
距離のせいだけじゃない。八坂は少しだけ、こっちへ体を寄せていた。寄り添う、というほど露骨じゃない。だが、同じ方角を向いて座っている分、正面よりよほど近く感じる。
香が少しだけ濃くなる。
なるほど、そう来るか。
試してるのか、気に入ってるのか。その両方だろう。たぶん。
「で?」
急かすと、八坂は庭を見たまま言った。
「今日のこと。うちは、長としてちゃんと見ました」
「そりゃ知ってる」
「せやから、その先の話をしたいんどす」
そこで、八坂がほんの少しだけこちらへ顔を向ける。目が合った。
柔らかい。だが、逃がす気もない目だ。
「あんたさん、ほんに不思議な子やね」
「よく言われる」
「無茶をする。危うい。若いくせに、妙に引かへん。せやのに、ほんまに踏んではいけない線は見落とさへん」
「見落としたら終わるからな」
「それを、若い子がちゃんと分かってるんが珍しいんどす」
八坂の袖が、わずかに畳へ落ちる。手首の白さが少しだけ見えた。ほんの一瞬だ。見せるための動きじゃない。そう見えてしまうだけの所作だった。
「長として見ても、あんたさんは面白い」
「前にも聞いたな」
「今日はもう一歩、先どす」
八坂の声が落ちる。
「面白いだけやあらへん。近くで見ていたいと思うくらいには、気に入ってます」
直球だった。
ごまかすでも、からかうでもない。さらりと置くくせに、軽くない。
「そいつはまた、厄介な評価だな」
「厄介どすか?」
「そっちが長で、こっちが外の人間って前提がある以上な。単純に喜んで終わる話じゃねえ」
「よろしい」
八坂は満足そうに笑った。
「そこで浮かれへんから、余計に好ましいんどす」
言いながら、今度は少しだけはっきり近づく。袖が、俺の腕に触れそうな位置まで来た。
触れない。まだ、触れない。
けれど、こっちが一歩引けば、負けたみたいに見える距離だった。
「近いな」
「嫌どすか」
「嫌とは言ってねえ」
「では、このままで」
そう言って、八坂は本当にそのままでいた。
夜気が細く入る。香が近い。肩の辺りに、柔らかい熱がある気がした。実際に触れてるわけじゃない。だが、近いだけで、人の体温は分かる。
To LOVEるじみた事故みたいに転んでどうこう、って話じゃない。もっと厄介だ。大人が、分かったうえで距離を詰めてきてる。
しかも、理を崩さないまま。
「長として見ても、女として見ても、目が離れへんのです」
「そういう顔で言われると、さすがに意味を考えるな」
「考えてよろし」
「で、答えは?」
「どちらも本当どす」
八坂はさらっと言い切った。
「見込みのある外の王やと思うてます。同時に、無茶をするのに筋は違えへん男はんやとも思うてます」
「ずいぶん買ってるな」
「安うは見てまへん」
ふ、と八坂の指先が動いた。
次の瞬間、袖の端が俺の手の甲に、かすかに触れる。
本当にわずかだ。偶然でも通る程度の接触。だが、偶然じゃないのは分かる。こっちがどう出るか見るには、それで十分だった。
「……逃げまへんのやね」
「逃げる理由がねえ」
「若いのに、妙に肝が据わってる」
「そっちこそ、寄るなら寄るで分かりやすくしろよ。試されてるのか、口説かれてるのか、判別に手間がかかる」
言うと、八坂は声を立てずに笑った。肩が少し揺れる。その揺れで、香がまた近くなる。
「両方やったら、どうします?」
「面倒だが、嫌いじゃねえ」
我ながら正直だった。
八坂は笑みを深くする。色っぽい、という言葉で片づけるには少し足りない。もっと静かなものだ。静かなのに、目が離れない。
「そういう返しを、さらっとするところがずるいんどす」
「そりゃどうも」
「ほんまに、年上泣かせやこと」
その言い方に、わずかに私的な熱が混じる。
未亡人。
前に自分でそう言っていた。今の一言は、その肩書きをただの情報じゃなくした。
八坂は少しだけ視線を落とし、それからまた俺を見る。
「うちはな、ただ若いだけの子は好きやあらへんのです」
「だろうな」
「守るもんがあって、危うさがあって、それでも前を見る目をしてる子がええ」
そこで一拍。
「そういう意味で、あんたさんは、よう目に残る」
八坂の声は低い。さっきまでより少しだけ、吐息に近い。
ここで下手に照れるのも違う。無視するのはもっと違う。
「好意は受け取る」
そう言うと、八坂がわずかに目を細めた。
「ええ子」
「ただし、そいつで俺が鈍ると思うなら見誤りだ」
「思うてまへん」
即答だった。
「鈍らへんから、寄ってるんどす」
ああ、そういうことか。
甘くして動きを鈍らせたいんじゃない。鈍らないと分かった上で、寄ってきてる。厄介極まりない。だが、筋は通ってる。
「厄介だな、あんた」
「よう言われますえ」
「こっちもだ」
「存じてます」
その返しで、ふっと空気がほどけた。
八坂はそこで、ようやく少しだけ距離を戻した。戻したと言っても、最初よりはまだ近い。だが、これ以上は踏み込まないという線引きが見える。
そこがまた、うまい。
欲しければ取れる距離を見せておいて、自分からは越えない。理も、空気も、どっちも壊さない。
「今日は、これくらいにしときましょ」
「助かる。これ以上寄られると、さすがに考えることが増える」
「もう十分増えた顔してはりますのに」
「否定はしねえ」
八坂は満足そうに頷き、立ち上がる。
俺も腰を上げた。障子の隙間から入る月明かりが、八坂の横顔を薄く照らす。柔らかい。だが、その奥にはちゃんと長の顔が残っていた。
「次に来はる時は」
八坂が振り返る。
「公の話ばかりやのうて、もう少しだけ、近うてええですか」
「必要ならな」
「必要にしてみせますえ」
即答だった。
笑ってるくせに、言葉の芯は真っすぐだ。
そういうところだろう。長としても、女としても、この人が強いのは。
渡りへ出る。夜気がひんやりして、さっきまで近かった熱が少しだけ遠のく。
その時、角の向こうに絶花の気配があった。
待っていたらしい。姿を見せる前から分かった。足音を殺しても、あいつはそういう待ち方をする。
八坂も気づいてるはずだが、何も言わない。ただ、俺にだけ聞こえるくらいの声で置く。
「大事にしなはれ。あの子も、あんたさんも」
「言われなくても分かってる」
「そういう返し、ほんに好きどす」
最後にそれだけ言って、八坂は袖を重ねた。
「では、今夜はここまで。次は、もう少し困らせてみたいですえ」
「百億年早い」
「うふふ。言うようになったこと」
くすぐったそうに笑って、八坂は奥へ引く。
入れ替わるように絶花が出てきた。俺の顔を見て、それから八坂が去った方を見る。
「……遅かったです」
「少し話してただけだ」
「そういう顔じゃないです」
「どういう顔だよ」
「その……ちょっとだけ、面倒そうで。ちょっとだけ、嫌じゃなさそうな顔です」
鋭いな、おい。
「よく見てる」
「見てますから」
絶花は小さくそう言って、少しだけ視線を落とす。だが、すぐ戻した。
「帰りましょう」
「そうだな」
並んで歩き出す。
香はもう遠い。だが、完全には消えていない。袖の端が触れた感触も、わずかに残っていた。
厄介だ。
厄介だが、悪くない。
八坂は長として線を結んだ。今夜、その線に少しだけ、個人の熱が混じった。
次に会う時は、たぶんもう少し面倒になる。
それでも、切る理由にはならない。
むしろ、取れるなら取っておくべき線だ。
俺は夜の空気を吸い込み、前を向いた。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア