サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
夜は静かだった。
家の中も、海の音も、もう一段深いところへ沈んでいる。障子の向こうを風が撫でるたび、薄い気配だけが揺れて、音らしい音はほとんどしない。
太郎は自室で、斬月の布を巻き直していた。
布の擦れる感触は一定だ。手も迷わない。だが頭の方は、さっきから少しだけ落ち着いていなかった。
原因は分かっている。
襖の向こうだ。
廊下を、かすかに人が歩く気配がする。軽い。絶花とも、ライザとも違う。音を消そうとしているわけじゃないくせに、自然と足音が目立たない。妙に洗練された歩き方だ。
やがて、襖の前で止まる。
「入るよ」
返事を待たずに、襖が開いた。
ランスロットだった。
昼間の服ではない。風呂上がりらしく、髪が少しだけ柔らかく落ちている。部屋着も、村の家には少し似つかわしくないくらいに整っていた。名門育ちの気配ってのは、こういうどうでもいいところで抜けきらない。
「お前な」
太郎が顔を上げる。
「その“入るよ”は確認じゃなくて宣言だろ」
「だって、どうせ駄目って言われる前に入った方が早いし」
「学習の方向が悪い」
「主の近くで育つと、多少はね」
言って、ランスロットは襖を閉めた。
その手つきが妙に自然で、ここがもう他人の家じゃなくなりつつあることを嫌でも思い知らされる。
太郎は斬月を脇へ置いた。
「で」
「うん」
「何だ」
ランスロットはすぐには答えなかった。
部屋の真ん中まで歩いてきて、太郎の前に座るでもなく、少し離れた位置に立つ。距離を測っているみたいだった。
「確認」
「またか」
「大事なことだから」
ランスロットはそう言ってから、少しだけ目を細める。
「太郎って、ほんとに鈍い?」
「喧嘩売りに来たなら帰れ」
「そういう返し、好き」
「安いな」
「安くないよ。私、剣の次にそういうところ見てるから」
そこまで言われて、太郎は小さく息を吐く。
昼間から妙に視線が近いとは思っていた。台所でも、廊下でも、村を歩く時も、ランスロットは隠そうとしているくせに、結局こっちを見る回数が多かった。
剣の主として見る目とも違う。騎士が王を見る目、とも少し違う。
だから分かってはいた。
分かっていて、あえて触れなかっただけだ。
「鈍いわけじゃねえよ」
太郎が言うと、ランスロットは少しだけ口元を緩めた。
「じゃあ、分かってるんだ」
「何がだ」
「そういうところ」
「便利な言い方で逃げるな」
ランスロットは肩を竦めた。
「じゃあ、ちゃんと言う」
一歩、近づく。
畳が小さく鳴る。
「私、太郎のこと好きだよ」
まっすぐだった。
ごまかしも、含ませた言い方もない。剣を抜く時みたいに、最短で芯を出してきた。
太郎は瞬きを一つだけして、それから低く言う。
「急だな」
「そうかな」
「かなりだ」
「でも、私の中では急じゃない」
ランスロットはもう一歩近づく。
「剣を見抜かれた時から、たぶんもう駄目だった。ああ、この人は、私の名前じゃなくて私の中身を見るんだって思ったから」
「それで好意に直結するのか」
「する時はするよ」
ランスロットは笑わない。今の声は、いつもの不敵な調子じゃなかった。もっと低くて、落ち着いていて、それでいて逃げ場のない響きだった。
「太郎、私の剣を押し込めなかった。家から追い出されても、可哀想だからじゃなくて“うちの騎士だから置く”って言った。ああいうこと、さらっとやるの、ずるいんだよ」
「知らん」
「知らない顔してるだけ」
「そうかよ」
「そうだよ」
ランスロットはそこでようやく、少しだけ笑った。
ただ、その笑い方は昼間までのものと違う。もっと静かで、熱がある。部屋の空気を、自分の方へ引き寄せる笑い方だった。
「ねえ、太郎」
「なんだ」
「逃げないんだね」
「何からだ」
「私から」
言いながら、ランスロットはさらに近づいた。
もう立ったままではいられない距離だ。太郎が座っているぶん、視線の高さがずれる。見上げる形になるはずなのに、不思議と押されているのは太郎の方だった。
近い。
風呂上がりの石鹸の匂いが、かすかにする。香みたいに強くはない。けれど、剣と潮の匂いばかりしていた女からその匂いがするだけで、妙に現実感が薄くなる。
「逃げる理由がない」
太郎が答えると、ランスロットの目が細くなる。
「そういうとこ」
「何だ」
「好き」
短く言って、ランスロットは膝をついた。
距離が一気に縮まる。
太郎は思わず眉を寄せた。
「お前」
「うん」
「近い」
「近くしてるの」
分かってるに決まってるでしょ、という顔だった。
ランスロットはそのまま、太郎の顔を覗き込む。剣を交える時みたいな鋭さはない。けれど、その代わりに、じわじわと逃げ場を削るような圧があった。
「太郎、たぶん私が何もしないなら、そのまま流すでしょ」
「流すかどうかは知らん」
「でも、自分からは来ない」
「そういう時もある」
「今は?」
「……さあな」
「ずるいなあ」
ランスロットは笑った。
その声が近い。部屋の狭さのせいだけじゃない。近づくことを、こいつがまったく躊躇していないからだ。
「私ね、待つのあんまり得意じゃない」
「知ってる」
「剣でもそうだし、こういうのでもたぶん同じ」
そう言って、ランスロットの手が動く。
いきなり触れるわけじゃない。肩へ行く前に、一度だけ袖口の辺りで止まる。触れていいか、最後の確認をしてるみたいな動きだった。
太郎はその手を見た。
払おうと思えば払える。止めようと思えば止められる。
だが、しない。
それを見て、ランスロットの目がわずかに熱を持った。
「……やっぱり」
「何だ」
「嫌なら、もう止めてる」
その言葉と一緒に、今度こそ肩へ手がかかった。
細い指だ。だが、剣を持つ手でもある。見た目よりずっとしっかりしている。
太郎はその感触を受けたまま、低く言う。
「お前、結構強引だな」
「今さら?」
「昼間まではまだ騎士の顔もしてた」
「今もしてるよ」
ランスロットは少し首を傾ける。
「騎士が主に恋したら駄目?」
「そういう話はしてない」
「じゃあ、どんな話?」
問いながら、ランスロットはもう片方の手も使って、太郎の肩をゆっくり押した。
力任せじゃない。逃がさないように、でも乱暴ではない押し方だった。
太郎の背が、後ろの布団へ沈む。
そこで初めて、視界の向きが変わった。
天井。月明かりの薄い影。その手前に、ランスロットの顔。
「……おい」
「うん」
「分かってやってるだろ」
「もちろん」
ランスロットは太郎の上に手をつき、逃げ道を狭める。
完全に覆いかぶさっているわけじゃない。だが、起き上がろうとしたら、その前に目が合う距離だった。
「太郎って、受け止めるのはうまいのに、自分から踏み込むの下手だよね」
「余計なお世話だ」
「だから、こっちから行く」
「本当に遠慮ないな」
「ないよ。だって、欲しいものを前にして、じっと待つ趣味ないし」
ランスロットの髪が、肩から滑り落ちる。月の光が少しだけそこに引っかかって、柔らかく見えた。
近い。
この距離で見れば、勝ち気な目の奥に、年相応の熱があるのが分かる。剣を欲しがった時と同じ目だ。手に入れたいと決めたものを、ちゃんと取りに来る目。
「太郎」
名前を呼ぶ声が、今までよりずっと低い。
「私、冗談でこんなことしてないからね」
「見れば分かる」
「じゃあ、覚えて」
「何を」
「私が、ちゃんと本気だってこと」
言い終わる前に、ランスロットはさらに身を寄せた。
太郎の胸元へ影が落ちる。肩を押さえる指先に、今度は迷いがない。
太郎はその顔を見上げて、わずかに息を吐いた。
「……面倒な騎士だな」
「知ってる」
ランスロットは笑う。
今度は、昼間みたいな不敵な笑みじゃなかった。もっと満足そうで、少しだけ勝ち誇っていて、そしてどうしようもなく恋をしている女の顔だった。
「でも、嫌いじゃないでしょ」
返事の代わりに、太郎は苦笑した。
その沈黙を肯定だと受け取ったのか、ランスロットの目が細くなる。
次の瞬間、彼女ははっきりと太郎を押し倒した。
女王は誰にする?
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