サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
静かな帰り道だった。
こういう日は嫌いじゃない。
騒がしくもなく、妙に間が抜けているわけでもなく、ただ夕方の空気だけが町に薄く溜まっている。商店街を抜けたあとの道は人通りもまばらで、車の音も遠い。風が運んでくるのは、焼きたてのパンの匂いじゃなくて、湿った土と、どこかの家の夕飯の匂いだった。
そのくらいがちょうどいい。
……ろくでもないことが起きる前なら、だけどな。
「太郎さん」
隣を歩いていた絶花が、ふいに足を緩めた。
声が少し低い。嫌な時の声だ。
「どうした」
「少し、変です」
「何が」
絶花はすぐには答えなかった。視線だけが、通学路の先をなぞる。右。左。電柱の影。自販機の横。高架下へ続く坂道の入り口。
「見られてる感じがします」
「人か」
「……違います」
その返事が一番面倒だ。
俺は立ち止まって、周囲を見た。人影はない。下校中の学生も、犬の散歩も、この時間には珍しく切れている。あるのは道端の雑草と、薄汚れたガードレールと、高架下のコンクリ壁に描かれた落書きくらいだ。
そこで、ようやく違和感の正体が視界に引っかかった。
絵だ。
落書きにしては妙に色が生きている。チョークやスプレーの雑な線じゃない。何度も塗り重ねたみたいな厚みがあって、輪郭に妙な執着がある。怪獣みたいな顔。鋭い爪。犬にも蜥蜴にも見える半端な四肢。正直、趣味がいいとは言えない。
「……昨日までこんなのあったか?」
聞くと、絶花が首を振った。
「ここまで大きいのは、なかったと思います」
「だろうな」
俺も覚えてる。通るたびに見る壁だ。見慣れた汚さと、見慣れない汚さの違いくらい分かる。
高架下へ一歩踏み込む。
空気が少しだけ冷たかった。夕方だから、じゃない。コンクリの下で気温が落ちている感覚とも違う。もっと薄くて、嫌な冷え方だ。
絶花が小さく息を呑む。
「太郎さん」
「ああ」
「います」
言った直後だった。
壁の絵の輪郭が、ぬるりと揺れた。
錯覚じゃない。色の濃い部分が水面みたいに歪んで、そこから何かが這い出してくる。黒と赤が混ざった塊。平面だったものが厚みを持ち、爪だけが先に前へ出た。
近くを歩いていた制服姿の女子が悲鳴を上げる。
「きゃっ……!」
「下がれ!」
叫びながら、その子の前へ出た。
怪物、ってほど完成してない。粘土細工が途中で動き出したみたいな形だ。目の位置も曖昧だし、口らしい裂け目も歪んでる。だが爪だけは妙に現実的だった。あれで引っかかれたら、ただじゃ済まない。
そいつが跳ねた。
速い。
だが、直線だ。
踏み込んで、腕ごと横へ流す。軽くはない。生ぬるい絵の具の塊に、鉄骨が一本通ってるみたいな感触だった。普通の怪異の手応えじゃない。重さの出方が、妙に歪だ。
「絶花!」
「はい!」
天聖が抜かれる音は短い。
絶花は逃げ遅れた通行人を壁際へ押しやりながら、怪物の二撃目を斜めに受けた。真正面から止めず、刃先をわずかにずらす。そのまま流れに乗せて切り返す。
銀の線が走る。
怪物の胴が裂けた。
なのに、血は出ない。
絵の具だ。どろりとした色が飛び散って、床と壁を汚す。けれど飛び散ったはずの色はすぐに重力を忘れて、壁の方へ吸い戻されていく。
裂けた怪物は、呻く代わりに紙を引き裂くみたいな音を立てた。
気持ち悪い。
「……戻ってます」
絶花が言う。
「壊れてません」
「見りゃ分かる」
斬月までは抜かず、蹴りで距離を取る。怪物は一度だけ俺たちを見た――ように見えて、次の瞬間にはそのまま壁へ溶けた。色が流れ、線に戻り、最後にはまた落書きの怪物がそこに残るだけになった。
静かになった高架下で、通行人の足音だけが遠ざかる。
悲鳴を上げた女子は礼も言う暇なく走っていった。正しい。ああいう時はそれでいい。
絶花が刀を下げきらずに、壁を見ていた。
「普通の怪異じゃないです」
「だろうな」
怪異なら、もっと匂いがある。悪意でも、飢えでも、害意でもいい。生き物としての輪郭がある。今のは違う。描かれたものが、描かれた通りに動いただけだ。
問題は、その“描いたやつ”が誰かって話になる。
「太郎さん」
絶花の声がまた少し低くなる。
「人、います」
振り向いた。
高架下の出口。歩道橋へ上がる手前に、ひとり立っていた。
高校の制服だ。ブレザーの上からカーディガンを羽織って、鞄を片方の肩にかけている。年上だとすぐ分かる。こっちより落ち着いて見えるし、顔つきにも余裕がある。
けど、その余裕は完璧じゃなかった。
目が、壁に残った怪物の絵へ吸われている。見覚えのあるものを見た時の目だ。驚いているくせに、完全には初見じゃない目。
「……何、今の」
その女が言った。
平静を装う声だった。装ってる時点で、だいぶ怪しい。
「こっちが聞きたい」
そう返すと、彼女はようやく俺たちを見た。
視線が一瞬だけ俺に来て、次に絶花へ止まる。絶花の抜いた刀、荒れていない呼吸、制服。そこまで一息で見ていた。頭の回転は悪くない。
「中学生?」
「見れば分かる」
「言い方」
「そっちが先に訊いた」
女は少しだけ口元を歪めた。笑ったようにも見えるが、余裕だけで作った表情じゃない。
絶花が一歩だけ前へ出る。
「ここ、よく通るんですか」
女が目を細める。
「何、その聞き方」
「答えられますか」
「答えられるけど、なんで私が尋問されるの」
「さっきのを見てたからです」
絶花は言い切った。
年上の相手でも、こういう時はあまりぶれない。逆に普段の方が不器用なくらいだ。
女は少しだけ肩を竦める。
「見てたよ。見てたけど、それが何?」
「見て驚いてる人の顔じゃなかった」
絶花がそう言った瞬間、女の目がわずかに揺れた。
いいところを突いたな。
俺はその顔を見逃さない。
「名前」
言うと、女はこっちを見た。
「は?」
「聞いてる」
「いきなりだね」
「さっきのがいきなり壁から出てきたんだ。これくらい普通だろ」
彼女は一瞬だけ黙って、それから小さくため息をついた。
「……新条アカネ」
名乗り方に無駄がない。嘘ではない気がする。
「太郎」
俺は自分だけ答えた。絶花の方を見ると、こいつも少し遅れて頭を下げる。
「宮本絶花です」
「へえ」
アカネは絶花を見たまま言う。
「あなたがやったんだ。今の」
「やった、というか……斬りました」
「見てた。変な斬り方」
絶花の眉がわずかに動く。
「悪かったですか」
「悪くない。むしろ綺麗だった」
そこで、アカネの声が少しだけ柔らかくなった。
好きなものを見た時の声だ。人を見るより先に、現象として興味が動いている感じ。
だが次の瞬間には、また壁の方を見て、表情が戻る。
「……でも、気持ち悪いね。今の」
「他人事みたいに言うな」
俺が言うと、アカネは少しだけ目を細めた。
「どういう意味?」
「そのままだ。あんた、あれに見覚えあるだろ」
「ない」
「嘘だな」
今度ははっきり言った。
アカネの目が、わずかに険しくなる。
「決めつけるんだ」
「決めつけてるわけじゃない。見たものを言ってるだけだ」
「何を見たの」
「あんたの目」
アカネは黙った。
風が抜ける。高架下の空気だけが、夕方から少し取り残されているみたいだった。
絶花が壁を見る。
「太郎さん」
「ああ」
「まだ少し、残ってます」
「分かってる」
絵が完全に死んでいない。色の奥に、妙な湿り気が残ってる。
その時だった。
アカネの鞄の中で、何かがかすかに鳴った。
紙が擦れる音。
ほんの小さな音だったのに、三人とも同時にそっちを見た。
アカネだけが、明らかに反応を遅らせた。
「……何」
「こっちの台詞だ」
俺が言うと、アカネは鞄の口を押さえるように持ち直した。
「別に、何でもない」
「何でもないものを、そんな持ち方するかよ」
「うるさいな」
その言い方は、少しだけ年上らしさが消えていた。
図星を突かれた時の反応だ。
「見せてください」
絶花が言う。
アカネは即座に首を振る。
「嫌」
「嫌って言われても」
「嫌なものは嫌」
その返しは子どもっぽい。だが、感情が出た分だけ本音に近い。
俺はため息をついた。
「今すぐ取り上げる気はない」
「なら何」
「ただ、放っといて済む話じゃないってだけだ」
「……」
「さっきのが、あんたと無関係とは思えねえ」
アカネは少しだけ唇を噛んだ。
怒ったわけじゃない。困った時の顔だった。
「知らないよ」
小さい声で言う。
「私だって、知らない」
それは、嘘というより、半分だけ本当みたいに聞こえた。
全部は分かっていない。だが、何かあることだけは自分でも知っている。そういう声だった。
絶花がわずかに目を伏せる。
たぶん、同じことを感じたんだろう。
「……でも」
絶花が言う。
「知らないままにしておくと、また出ます」
アカネの肩が、小さく震えた。
怒りか、苛立ちか、あるいは別の何かか。判別はまだつかない。
それでも、こいつが“完全な他人事”でいられないことだけは分かった。
「帰る」
アカネが急に言った。
「は?」
「今日はもう帰る。別に、あんたたちとここで話す理由ないし」
「逃げる気か」
「逃げるっていうか、付き合う義理がないってだけ」
その言い方は強い。だが、足の向きはもう半歩ぶん後ろへ逃げている。
絶花が何か言おうとして、やめた。
代わりに俺が言う。
「新条アカネ」
アカネが足を止める。
「次、また何か出たら」
一拍。
「今度は、あんたごと拾う」
アカネは振り向かなかった。
ただ、鞄を持つ手だけが少し強くなる。
「意味分かんない」
「分かるように言ってる」
「最悪」
「よく言われる」
それだけ返すと、アカネは今度こそ歩き出した。
制服の背中が、夕暮れの向こうへ消える。
絶花がしばらくその方向を見ていた。
「……追いますか」
「今日はいい」
「いいんですか」
「あいつ、今追ったらもっと固まる」
俺は壁の方へ歩き、怪物の絵をもう一度見る。
線が甘い。だが、生きてる。描いた人間の迷いと執着が、そのまま残っている感じだ。
足元に、紙切れが落ちていた。
拾う。
スケッチの切れ端だった。怪物の頭部らしいラフ。太い線と細い線が混ざっていて、色の試し塗りまで入っている。今さっき壁から這い出したやつと、輪郭がほとんど同じだ。
「太郎さん」
絶花が覗き込む。
「さっきの人の、でしょうか」
「断定はしない」
そう言ってから、紙片を裏返す。
裏にも色の試しがあった。赤。黒。白。混ぜた跡。重ねた跡。迷った跡。
そこまで見れば十分だ。
「……偶然じゃねえな」
絶花が小さく息を吐く。
「敵、ですか」
「違う」
即答した。
絶花がこっちを見る。
「違いますか」
「ああ。危ないのは間違いねえ。でも、壊したいから壊してる感じじゃない」
「じゃあ」
「描いたものが漏れてる」
「漏れてる……」
絶花は壁の絵と、手元の紙片を見比べた。
「才能、ですか」
「たぶんな」
そう答える。
「ただし、持ち主が扱い方を分かってないタイプのやつだ」
高架下の空気は、ようやくいつもの夕方へ戻りつつあった。コンクリの湿った匂い。遠くの車。商店街の方から流れてくる音楽。日常はすぐ隣まで戻っているのに、足元の紙切れだけがそれを拒んでる。
俺はそれを折って、ポケットへ突っ込んだ。
「帰るぞ」
「……はい」
絶花が一歩だけついてきて、それから言う。
「新条さん、怖がってました」
「そうだな」
「でも、逃げるだけでもなかったです」
「だろうな」
完全に無関係なら、あんな顔はしない。
自分の中で何かが繋がりかけている。なのに認めたくない。そんな目だった。
面倒だ。
だが、嫌いじゃない。
高架下を抜ける。町はもう夜へ入る手前で、空の色は青から群青へ変わりかけていた。
俺は前を見たまま言う。
「怪物を追うのは後でいい」
絶花が隣で頷く気配。
「はい」
「あいつの方だ」
ポケットの中で、紙切れの角が指に触れる。
「拾うなら、怪物じゃなくて描いてる本人の方だ」
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア