※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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描いたもの、漏れるもの

 翌日、町の色は露骨に増えていた。

 

 昨日の高架下だけじゃない。通学路の電柱、シャッターの端、古いブロック塀の継ぎ目。ふと目に入る場所に、妙な線が増えている。濃い赤。沈んだ青。黒に近い紫。落書きにしては色の置き方が妙に本気で、雑に見えるくせに、どこかだけ執拗に生々しい。

 

 面倒だな、と思う。

 

 こういうのは大抵、本人が気づかないうちに手癖が広がっている時の痕だ。偶然ならもっと散る。これは散ってるようで、ちゃんと同じ方向を向いている。

 

「昨日より、多いです」

 

 隣を歩く絶花が言った。

 

「見りゃ分かる」

 

「……嫌な感じも、濃いです」

 

「敵意か」

 

 絶花は少し考えるみたいにして、首を横に振った。

 

「違います。もっと、苦しい感じです」

 

 苦しい、か。

 

 絶花はたまにこういう言い方をする。敵か味方か、危ないか危なくないか、そういう二つで切れない時ほど、こいつの言葉の方が正確だ。

 

「新条の方で何かあったな」

 

「そう思います」

 

 そう返す声も、昨日より硬い。

 

 仕方ない。昨日の時点で、あの女はもう“ただの通りすがり”では済まなくなっている。こっちがそう見たというより、向こうがそういう顔をした。

 

 高校の校門が見えてくる頃には、ざわめきも増えていた。

 

 正門前で立ち話をしていた女子二人が、妙にひそひそと何かを言い合っている。中庭の方では、壁を指して笑っているやつと、本気で気味悪がっているやつが半々くらい。こういう空気は広がるのが早い。

 

「見た?」

「だから動いてたって」

「いや、壁の模様でしょ」

「でも、あれ絶対――」

 

 話の切れ端が耳に入る。

 

 まだ噂で済んでいる。だが、済んでいるのは今だけだ。こういう時に放っておくと、次は本当に誰かが怪我をする。

 

 校舎沿いの通路を抜け、少し奥へ入る。高校の方へここまで平然と入っていく中学生もどうかと思うが、今さらだ。

 

 絶花が足を止めた。

 

「いました」

 

 視線の先を追う。

 

 窓際の廊下。新条アカネが立っていた。

 

 昨日と同じ制服。けど、印象は違う。顔色が悪い。隠しているつもりなんだろうが、隠し方が追いついていない。視線が落ち着かないくせに、平気な顔だけは崩さない。そのせいで余計に不自然だった。

 

「……また来たの」

 

 気づいたアカネが、最初にそう言った。

 

 声は平坦だ。だが、昨日みたいな余裕だけじゃない。刺を出しておかないと、自分の立ち位置がもたない時の調子だった。

 

「そっちの方が面倒そうだからな」

 

 そう返すと、アカネは眉をひそめる。

 

「嬉しくない」

 

「だろうな」

 

 絶花が一歩だけ前へ出た。

 

「新条さん、大丈夫ですか」

 

「見て分からない?」

 

 アカネの返しはすぐだった。

 

 年上の余裕を保とうとしてる。けど、保てていない。絶花もたぶん、それは分かっている。

 

「分かるから聞いてます」

 

 絶花がそう言うと、アカネはほんの少しだけ言葉に詰まった。

 

「……平気だよ。別に、何も」

 

「その“何も”のせいで、壁が増えてる」

 

 俺が言うと、アカネの目が一瞬だけ細くなる。

 

「知らないって言ってるでしょ」

 

「昨日まではな。今日はもう無理だ」

 

「何が無理なの」

 

「誤魔化しがだ」

 

 ぴたりと止まる。

 

 廊下の向こうで、誰かが笑っていた。窓から入る風がカーテンを揺らす。平和そのものの放課後だ。だから余計に、こいつの顔色の悪さが浮く。

 

「……ほんと、何なのあんた」

 

「こっちの台詞だ」

 

 アカネが、わずかに鞄を抱き寄せる。そこまで見れば十分だ。何かを隠しているというより、鞄の中身と自分の境目が薄くなっている人間の持ち方だった。

 

「ここじゃ邪魔だ」

 

 俺が言うと、アカネはあからさまに嫌そうな顔をした。

 

「は?」

 

「人が多い。出るならここが一番まずい」

 

「出るって、何が」

 

「お前が一番分かってるやつだよ」

 

 アカネは黙る。

 

 そこへ、絶花が静かに重ねた。

 

「……昨日、怖かったですか」

 

 アカネがそっちを見る。

 

「何それ」

 

「壁から出たのを見た時」

 

「意味分かんない」

 

「でも、そう見えました」

 

 アカネは返さなかった。

 

 その沈黙で十分だった。本人も、分かっている。少なくとも、自分の周りで“普通じゃないこと”が起きているのは。

 

 しばらくしてから、アカネはため息をつく。

 

「ちょっとだけ」

 

「何だ」

 

「静かなところ、行く」

 

 それでいい。

 

 高校の裏手、河川敷へ抜ける細い道まで出る。人気は少ない。古いベンチと、自販機と、色の褪せたフェンス。夕方の終わりかけで、空はまだ明るいが、下りた影は長い。

 

 そこでアカネは立ち止まった。

 

「ここならいいでしょ」

 

「そうだな」

 

「で、何が聞きたいの」

 

「色々だ」

 

「雑だなあ」

 

「お前が隠し方下手だからだ」

 

 アカネは呆れたように息を吐いたが、本気で帰る気配はない。昨日と違って、完全に逃げ切れないのも分かってるんだろう。

 

「昨日の紙」

 

 俺が言う。

 

「お前のだろ」

 

「見たんだ」

 

「拾った」

 

「勝手に」

 

「落ちてたからな」

 

 アカネは一瞬だけ眉を寄せて、それから肩を竦めた。

 

「じゃあ、もういいや」

 

 そう言って、鞄からスケッチブックを出した。

 

 投げやりな動きに見える。実際半分はそうだろう。だが、もう半分は違う。見せてしまえば、逆に自分でも何か分かるかもしれない。そういう投げ方だった。

 

「そんなに見たいなら見れば?」

 

 ページをめくる。

 

 線。色。怪物。街角。半端な建物。犬みたいなもの。翼の生えた骨みたいなもの。人の顔に見えかけてやめたもの。

 

 上手い、という言い方は外してる。

 

 描写が正確とか、構図が整ってるとか、そういう話じゃない。紙の上に通ってるものが濃い。頭の中の像を写すんじゃなくて、もう少し手前から紙へ移してる。下手なやつは線を作るが、こいつは線に“そこにある感じ”を混ぜている。

 

 筆圧だけじゃない。霊力の流れだ。

 

「……これ」

 

 絶花が小さく言う。

 

 開かれたページの一つ。昨日の高架下にいた怪物と、輪郭がひどく似ている。背中の突起、口元の裂け方、足の付き方。似ているというより、途中まで同じ流れで描かれている。

 

「昨日のに、似てます」

 

 絶花が言う。

 

 アカネは口を尖らせた。

 

「怪獣なんて似るでしょ」

 

「似てるんじゃない」

 

 俺が言う。

 

「同じ流れだ」

 

 アカネが顔を上げる。

 

「……だから何」

 

「だから、お前の中で繋がってるってことだ」

 

「知らないって言ってるじゃん」

 

 その時だった。

 

 ページの端が、ひくりと揺れた。

 

 アカネの指が止まる。

 

「……え」

 

 線が脈打つ。

 

 紙の上に描かれた小型の獣が、まるで呼吸するみたいに薄く膨らんだ。色の境目が滲み、赤と青が端からにじみ出す。紙の上に収まっているはずのものが、平面のままではいられなくなっている。

 

 絶花の声が硬くなる。

 

「太郎さん」

 

「見えてる」

 

 アカネの顔から血の気が引く。

 

「なに、これ」

 

「こっちが聞きたい」

 

「私、何もしてない」

 

「してる。無意識にな」

 

 アカネが慌ててページを閉じようとする。だが、その前に色が紙面から漏れた。青い染みが空中へにじみ、そこで形を持ちかける。羽虫みたいな輪郭。だが、爪だけが妙に明確だ。

 

「下がって!」

 

 絶花が間に入る。

 

 俺はその前に、アカネの手首を掴んだ。

 

「……っ!」

 

「閉じるな。今は逆だ」

 

「は?」

 

「押さえ込むから漏れる。見ろ」

 

「何言って――」

 

「いいから見ろ」

 

 手首越しに、こいつの震えが伝わる。怖いんだろう。気持ち悪いんだろう。自分で描いたものが、自分の目の前で息をし始める。普通なら、それだけで全部投げたくなる。

 

 だが、ここで閉じればもっと悪くなる。そういう流れだ。

 

 アカネは息を詰めたまま、ページを見た。

 

 色のにじみは、しばらく空中で揺れたあと、ゆっくり紙へ戻っていく。完全に消えたわけじゃない。けれど、今みたいに外へこぼれ出る感じは止まった。

 

 絶花が小さく息を吐いた。

 

「……戻りました」

 

 アカネの肩が強く上下する。

 

「意味分かんない」

 

 その声はかすれていた。

 

「なんで、こんなの……なんで私の絵が、こんなふうに」

 

「前からあったんだろ」

 

 俺が言うと、アカネの目が揺れる。

 

「描いたものが妙に残るとか、見られてる感じがするとか、たまに変に生っぽいとか」

 

 アカネは答えない。

 

 答えないくせに、否定もしない。

 

 そこまで見れば十分だ。

 

 絶花が静かに言う。

 

「新条さん」

 

「……なに」

 

「怖いですよね」

 

 アカネが笑った。

 

 笑ったというより、自分を馬鹿にするみたいに口元を歪めた。

 

「今さら優しくしないで」

 

「優しくしてるわけじゃないです」

 

「じゃあ何」

 

「見えてるだけです」

 

 絶花の返しは短い。短いくせに、逃がさない。

 

 アカネは少しだけ絶花を見た。年下の中学生に真正面からそう言われるのは、たぶん慣れてないんだろう。苛立つより先に、戸惑っている顔だった。

 

 俺はスケッチブックを見る。

 

「お前のそれは、壊れた力じゃない」

 

 アカネが眉を寄せた。

 

「は?」

 

「扱えてないだけだ」

 

「簡単に言うね」

 

「簡単な話だからな」

 

「簡単なわけないでしょ!」

 

 そこで初めて、アカネの声がはっきり割れた。

 

 怒りだけじゃない。怯えも混じってる。追い詰められて、どうしていいか分からなくなったやつの声だ。

 

「気持ち悪いし、勝手に出るし、私だって嫌なのに……! こんなの、意味分かんないし、見たくもないし、なのに出るし――」

 

 言葉が止まらない。止めていた分が一気に漏れてる。

 

「だったらどうしろっていうの」

 

 河川敷の風が、一瞬だけ止まった気がした。

 

 ここで下手に慰めるのは違う。こいつが欲しいのは「かわいそうだな」じゃない。欲しいというか、それを渡した時点で終わる。

 

「確かめろ」

 

 俺が言うと、アカネは顔を上げた。

 

「……は?」

 

「お前の中で何が漏れてるのか、自分で見ろ」

 

「分かるわけないでしょ、そんなの」

 

「分からないまま逃げる方が無理だ」

 

 即答する。

 

 アカネの目が揺れる。反発したいのに、できない顔だ。自分でも分かってるんだろう。もう“知らない”“関係ない”で押し通せる段階じゃない。

 

「これは壊れた力じゃねえ」

 

 俺は続ける。

 

「お前の感情と、描く力と、通るものの量が噛み合ってないだけだ」

 

「噛み合ってないって……」

 

「才能があるってことだ」

 

 そこで、アカネが完全に言葉を失った。

 

 絶花も横で少し驚いた顔をする。だが、否定はしない。

 

「こんなのが?」

 

 アカネの声は低い。

 

「勝手に怪物が出るのが?」

 

「そうだ」

 

「気持ち悪いだけじゃん」

 

「使い方が決まってないからそう見えるだけだ」

 

 アカネはしばらく黙っていた。

 

 スケッチブックを抱える手が少し強くなる。

 

「……変な人」

 

「よく言われる」

 

 答えると、アカネはほんの少しだけ笑った。

 

 泣く手前みたいな笑い方だったが、それでも笑いは笑いだ。

 

 そこへ、校舎の方から生徒の声が聞こえてきた。ここへ誰かが来る。もう長くは話せない。

 

 アカネもそれに気づいたらしく、スケッチブックを閉じる。今度は乱暴じゃない。まだ少し震えているが、さっきみたいに全部を拒絶する閉じ方ではなかった。

 

「……今日は帰る」

 

「そうか」

 

「止めないんだ」

 

「今止めても、固まるだけだ」

 

 アカネが、少しだけ目を細める。

 

「最悪」

 

「よく言われる」

 

「それ便利だね」

 

「便利じゃない。事実だ」

 

 アカネは鞄へスケッチブックをしまって、立ち上がる。

 

「新条さん」

 

 絶花が呼ぶ。

 

 アカネは振り向かない。

 

「……何」

 

「逃げないでください」

 

 少し間があった。

 

 アカネの肩が、わずかに強張る。

 

「命令しないで」

 

「命令じゃないです」

 

 絶花はまっすぐ言った。

 

「放っておけないだけです」

 

 アカネは返さなかった。

 

 ただ、否定もしない。そのまま歩き出す。制服の背中が夕方の終わりに溶けていく。

 

 追わない。

 

 今日はまだそこじゃない。

 

 絶花が隣へ来る。

 

「追いますか」

 

「今日はいい」

 

「でも、また漏れます」

 

「ああ」

 

 空を見上げる。夜が近い。色は薄く残っているのに、町の輪郭はもう暗くなり始めていた。

 

「だから次で拾う」

 

「新条さんを、ですか」

 

「怪物じゃなくて、描いてる本人の方だ」

 

 それが一番厄介で、一番早い。

 

 アカネは怪物を作ってるんじゃない。感情の置き場が紙に寄って、そのまま外へ漏れているだけだ。だから描けば出る。押さえれば歪む。認めないほど、余計に形になる。

 

 面倒な仕組みだ。

 

 だが、仕組みが見えれば対処はできる。

 

 俺は河川敷を離れる。

 

「次はもっと近くまで行く」

 

「はい」

 

 絶花の返事は短い。

 

 短いが、もう迷っていなかった。あいつも見たんだろう。新条アカネが怪物そのものじゃないことを。危ないのは間違いない。だが、危ないから切れば済む話でもない。

 

 だったら、やることは一つだ。

 

 次は、あいつ自身の中身に踏み込む。

 

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
  • エミリア
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