サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
翌日、町の色は露骨に増えていた。
昨日の高架下だけじゃない。通学路の電柱、シャッターの端、古いブロック塀の継ぎ目。ふと目に入る場所に、妙な線が増えている。濃い赤。沈んだ青。黒に近い紫。落書きにしては色の置き方が妙に本気で、雑に見えるくせに、どこかだけ執拗に生々しい。
面倒だな、と思う。
こういうのは大抵、本人が気づかないうちに手癖が広がっている時の痕だ。偶然ならもっと散る。これは散ってるようで、ちゃんと同じ方向を向いている。
「昨日より、多いです」
隣を歩く絶花が言った。
「見りゃ分かる」
「……嫌な感じも、濃いです」
「敵意か」
絶花は少し考えるみたいにして、首を横に振った。
「違います。もっと、苦しい感じです」
苦しい、か。
絶花はたまにこういう言い方をする。敵か味方か、危ないか危なくないか、そういう二つで切れない時ほど、こいつの言葉の方が正確だ。
「新条の方で何かあったな」
「そう思います」
そう返す声も、昨日より硬い。
仕方ない。昨日の時点で、あの女はもう“ただの通りすがり”では済まなくなっている。こっちがそう見たというより、向こうがそういう顔をした。
高校の校門が見えてくる頃には、ざわめきも増えていた。
正門前で立ち話をしていた女子二人が、妙にひそひそと何かを言い合っている。中庭の方では、壁を指して笑っているやつと、本気で気味悪がっているやつが半々くらい。こういう空気は広がるのが早い。
「見た?」
「だから動いてたって」
「いや、壁の模様でしょ」
「でも、あれ絶対――」
話の切れ端が耳に入る。
まだ噂で済んでいる。だが、済んでいるのは今だけだ。こういう時に放っておくと、次は本当に誰かが怪我をする。
校舎沿いの通路を抜け、少し奥へ入る。高校の方へここまで平然と入っていく中学生もどうかと思うが、今さらだ。
絶花が足を止めた。
「いました」
視線の先を追う。
窓際の廊下。新条アカネが立っていた。
昨日と同じ制服。けど、印象は違う。顔色が悪い。隠しているつもりなんだろうが、隠し方が追いついていない。視線が落ち着かないくせに、平気な顔だけは崩さない。そのせいで余計に不自然だった。
「……また来たの」
気づいたアカネが、最初にそう言った。
声は平坦だ。だが、昨日みたいな余裕だけじゃない。刺を出しておかないと、自分の立ち位置がもたない時の調子だった。
「そっちの方が面倒そうだからな」
そう返すと、アカネは眉をひそめる。
「嬉しくない」
「だろうな」
絶花が一歩だけ前へ出た。
「新条さん、大丈夫ですか」
「見て分からない?」
アカネの返しはすぐだった。
年上の余裕を保とうとしてる。けど、保てていない。絶花もたぶん、それは分かっている。
「分かるから聞いてます」
絶花がそう言うと、アカネはほんの少しだけ言葉に詰まった。
「……平気だよ。別に、何も」
「その“何も”のせいで、壁が増えてる」
俺が言うと、アカネの目が一瞬だけ細くなる。
「知らないって言ってるでしょ」
「昨日まではな。今日はもう無理だ」
「何が無理なの」
「誤魔化しがだ」
ぴたりと止まる。
廊下の向こうで、誰かが笑っていた。窓から入る風がカーテンを揺らす。平和そのものの放課後だ。だから余計に、こいつの顔色の悪さが浮く。
「……ほんと、何なのあんた」
「こっちの台詞だ」
アカネが、わずかに鞄を抱き寄せる。そこまで見れば十分だ。何かを隠しているというより、鞄の中身と自分の境目が薄くなっている人間の持ち方だった。
「ここじゃ邪魔だ」
俺が言うと、アカネはあからさまに嫌そうな顔をした。
「は?」
「人が多い。出るならここが一番まずい」
「出るって、何が」
「お前が一番分かってるやつだよ」
アカネは黙る。
そこへ、絶花が静かに重ねた。
「……昨日、怖かったですか」
アカネがそっちを見る。
「何それ」
「壁から出たのを見た時」
「意味分かんない」
「でも、そう見えました」
アカネは返さなかった。
その沈黙で十分だった。本人も、分かっている。少なくとも、自分の周りで“普通じゃないこと”が起きているのは。
しばらくしてから、アカネはため息をつく。
「ちょっとだけ」
「何だ」
「静かなところ、行く」
それでいい。
高校の裏手、河川敷へ抜ける細い道まで出る。人気は少ない。古いベンチと、自販機と、色の褪せたフェンス。夕方の終わりかけで、空はまだ明るいが、下りた影は長い。
そこでアカネは立ち止まった。
「ここならいいでしょ」
「そうだな」
「で、何が聞きたいの」
「色々だ」
「雑だなあ」
「お前が隠し方下手だからだ」
アカネは呆れたように息を吐いたが、本気で帰る気配はない。昨日と違って、完全に逃げ切れないのも分かってるんだろう。
「昨日の紙」
俺が言う。
「お前のだろ」
「見たんだ」
「拾った」
「勝手に」
「落ちてたからな」
アカネは一瞬だけ眉を寄せて、それから肩を竦めた。
「じゃあ、もういいや」
そう言って、鞄からスケッチブックを出した。
投げやりな動きに見える。実際半分はそうだろう。だが、もう半分は違う。見せてしまえば、逆に自分でも何か分かるかもしれない。そういう投げ方だった。
「そんなに見たいなら見れば?」
ページをめくる。
線。色。怪物。街角。半端な建物。犬みたいなもの。翼の生えた骨みたいなもの。人の顔に見えかけてやめたもの。
上手い、という言い方は外してる。
描写が正確とか、構図が整ってるとか、そういう話じゃない。紙の上に通ってるものが濃い。頭の中の像を写すんじゃなくて、もう少し手前から紙へ移してる。下手なやつは線を作るが、こいつは線に“そこにある感じ”を混ぜている。
筆圧だけじゃない。霊力の流れだ。
「……これ」
絶花が小さく言う。
開かれたページの一つ。昨日の高架下にいた怪物と、輪郭がひどく似ている。背中の突起、口元の裂け方、足の付き方。似ているというより、途中まで同じ流れで描かれている。
「昨日のに、似てます」
絶花が言う。
アカネは口を尖らせた。
「怪獣なんて似るでしょ」
「似てるんじゃない」
俺が言う。
「同じ流れだ」
アカネが顔を上げる。
「……だから何」
「だから、お前の中で繋がってるってことだ」
「知らないって言ってるじゃん」
その時だった。
ページの端が、ひくりと揺れた。
アカネの指が止まる。
「……え」
線が脈打つ。
紙の上に描かれた小型の獣が、まるで呼吸するみたいに薄く膨らんだ。色の境目が滲み、赤と青が端からにじみ出す。紙の上に収まっているはずのものが、平面のままではいられなくなっている。
絶花の声が硬くなる。
「太郎さん」
「見えてる」
アカネの顔から血の気が引く。
「なに、これ」
「こっちが聞きたい」
「私、何もしてない」
「してる。無意識にな」
アカネが慌ててページを閉じようとする。だが、その前に色が紙面から漏れた。青い染みが空中へにじみ、そこで形を持ちかける。羽虫みたいな輪郭。だが、爪だけが妙に明確だ。
「下がって!」
絶花が間に入る。
俺はその前に、アカネの手首を掴んだ。
「……っ!」
「閉じるな。今は逆だ」
「は?」
「押さえ込むから漏れる。見ろ」
「何言って――」
「いいから見ろ」
手首越しに、こいつの震えが伝わる。怖いんだろう。気持ち悪いんだろう。自分で描いたものが、自分の目の前で息をし始める。普通なら、それだけで全部投げたくなる。
だが、ここで閉じればもっと悪くなる。そういう流れだ。
アカネは息を詰めたまま、ページを見た。
色のにじみは、しばらく空中で揺れたあと、ゆっくり紙へ戻っていく。完全に消えたわけじゃない。けれど、今みたいに外へこぼれ出る感じは止まった。
絶花が小さく息を吐いた。
「……戻りました」
アカネの肩が強く上下する。
「意味分かんない」
その声はかすれていた。
「なんで、こんなの……なんで私の絵が、こんなふうに」
「前からあったんだろ」
俺が言うと、アカネの目が揺れる。
「描いたものが妙に残るとか、見られてる感じがするとか、たまに変に生っぽいとか」
アカネは答えない。
答えないくせに、否定もしない。
そこまで見れば十分だ。
絶花が静かに言う。
「新条さん」
「……なに」
「怖いですよね」
アカネが笑った。
笑ったというより、自分を馬鹿にするみたいに口元を歪めた。
「今さら優しくしないで」
「優しくしてるわけじゃないです」
「じゃあ何」
「見えてるだけです」
絶花の返しは短い。短いくせに、逃がさない。
アカネは少しだけ絶花を見た。年下の中学生に真正面からそう言われるのは、たぶん慣れてないんだろう。苛立つより先に、戸惑っている顔だった。
俺はスケッチブックを見る。
「お前のそれは、壊れた力じゃない」
アカネが眉を寄せた。
「は?」
「扱えてないだけだ」
「簡単に言うね」
「簡単な話だからな」
「簡単なわけないでしょ!」
そこで初めて、アカネの声がはっきり割れた。
怒りだけじゃない。怯えも混じってる。追い詰められて、どうしていいか分からなくなったやつの声だ。
「気持ち悪いし、勝手に出るし、私だって嫌なのに……! こんなの、意味分かんないし、見たくもないし、なのに出るし――」
言葉が止まらない。止めていた分が一気に漏れてる。
「だったらどうしろっていうの」
河川敷の風が、一瞬だけ止まった気がした。
ここで下手に慰めるのは違う。こいつが欲しいのは「かわいそうだな」じゃない。欲しいというか、それを渡した時点で終わる。
「確かめろ」
俺が言うと、アカネは顔を上げた。
「……は?」
「お前の中で何が漏れてるのか、自分で見ろ」
「分かるわけないでしょ、そんなの」
「分からないまま逃げる方が無理だ」
即答する。
アカネの目が揺れる。反発したいのに、できない顔だ。自分でも分かってるんだろう。もう“知らない”“関係ない”で押し通せる段階じゃない。
「これは壊れた力じゃねえ」
俺は続ける。
「お前の感情と、描く力と、通るものの量が噛み合ってないだけだ」
「噛み合ってないって……」
「才能があるってことだ」
そこで、アカネが完全に言葉を失った。
絶花も横で少し驚いた顔をする。だが、否定はしない。
「こんなのが?」
アカネの声は低い。
「勝手に怪物が出るのが?」
「そうだ」
「気持ち悪いだけじゃん」
「使い方が決まってないからそう見えるだけだ」
アカネはしばらく黙っていた。
スケッチブックを抱える手が少し強くなる。
「……変な人」
「よく言われる」
答えると、アカネはほんの少しだけ笑った。
泣く手前みたいな笑い方だったが、それでも笑いは笑いだ。
そこへ、校舎の方から生徒の声が聞こえてきた。ここへ誰かが来る。もう長くは話せない。
アカネもそれに気づいたらしく、スケッチブックを閉じる。今度は乱暴じゃない。まだ少し震えているが、さっきみたいに全部を拒絶する閉じ方ではなかった。
「……今日は帰る」
「そうか」
「止めないんだ」
「今止めても、固まるだけだ」
アカネが、少しだけ目を細める。
「最悪」
「よく言われる」
「それ便利だね」
「便利じゃない。事実だ」
アカネは鞄へスケッチブックをしまって、立ち上がる。
「新条さん」
絶花が呼ぶ。
アカネは振り向かない。
「……何」
「逃げないでください」
少し間があった。
アカネの肩が、わずかに強張る。
「命令しないで」
「命令じゃないです」
絶花はまっすぐ言った。
「放っておけないだけです」
アカネは返さなかった。
ただ、否定もしない。そのまま歩き出す。制服の背中が夕方の終わりに溶けていく。
追わない。
今日はまだそこじゃない。
絶花が隣へ来る。
「追いますか」
「今日はいい」
「でも、また漏れます」
「ああ」
空を見上げる。夜が近い。色は薄く残っているのに、町の輪郭はもう暗くなり始めていた。
「だから次で拾う」
「新条さんを、ですか」
「怪物じゃなくて、描いてる本人の方だ」
それが一番厄介で、一番早い。
アカネは怪物を作ってるんじゃない。感情の置き場が紙に寄って、そのまま外へ漏れているだけだ。だから描けば出る。押さえれば歪む。認めないほど、余計に形になる。
面倒な仕組みだ。
だが、仕組みが見えれば対処はできる。
俺は河川敷を離れる。
「次はもっと近くまで行く」
「はい」
絶花の返事は短い。
短いが、もう迷っていなかった。あいつも見たんだろう。新条アカネが怪物そのものじゃないことを。危ないのは間違いない。だが、危ないから切れば済む話でもない。
だったら、やることは一つだ。
次は、あいつ自身の中身に踏み込む。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア