サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
翌朝、町の色が増えていた。
昨日の高架下だけじゃない。通学路の電柱、商店街のシャッター、古いブロック塀の継ぎ目。視界の端に、妙に濃い線が引っかかる。赤。青。黒。落書きにしては執念があって、雑に見えるくせに、どこかだけやけに生々しい。
ろくでもない。
「昨日より、多いです」
隣を歩く絶花が言った。
「見りゃ分かる」
「……嫌な感じも、濃いです」
「敵意か」
絶花は少し考えてから、首を横に振った。
「違います。もっと、苦しい感じです」
その言い方の方が、たぶん正しい。
敵なら楽だ。斬ればいい。壊せば終わる。だが、苦しさが漏れてるだけのものは面倒だ。出口を塞いだところで、別の場所から滲む。
「新条の方で何かあったな」
「そう思います」
高校の方へ足を向ける。朝から平然と他校の校門を見に行く中学生もどうかと思うが、今さらだ。
正門の辺りは、もう少しざわついていた。
「見た?」
「だから、昨日より増えてるって」
「え、あの変な絵?」
「なんか夜、動いたとか言ってたよ」
まだ噂だ。噂で済んでいるうちに片づけるに越したことはない。
放課後まで待って、校舎の裏手へ回る。絶花の感覚を頼りに歩くと、迷いなく人の少ない通路へ出た。窓際の廊下。そこに、新条アカネはいた。
昨日より顔色が悪い。
隠してるつもりなんだろうが、隠し方が追いついていない。平気そうな顔だけ作って、中身はだいぶ削れてる。そういう立ち方だった。
「……また来たの」
アカネが言う。
「そっちの方が面倒そうだからな」
「嬉しくない」
「だろうな」
絶花が一歩だけ前に出た。
「新条さん、大丈夫ですか」
「見て分からない?」
「分かるから聞いてます」
アカネの口元が少し固まる。年下相手にそれを返されるのは、たぶん予定外なんだろう。
「平気だよ。別に、何も」
「その“何も”のせいで、壁が増えてる」
俺が言うと、アカネの目が細くなった。
「知らないって言ってるでしょ」
「昨日まではな。今日はもう無理だ」
「何が」
「誤魔化しがだ」
しばらく黙り込んだあと、アカネは小さく息を吐いた。
「……ほんと、何なのあんた」
「こっちの台詞だ」
その時、窓ガラスの向こう、校舎の壁に描かれた奇妙な図形がひくりと揺れた。
絶花が即座に振り向く。
「太郎さん」
「ああ、見えた」
アカネもそれを見た。見た瞬間、肩がわずかに強張る。
もう知らないでは通らない。
「場所を変えるぞ」
俺が言うと、アカネは眉をひそめた。
「は?」
「ここじゃ人が多い。出るなら最悪だ」
「出るって、何が」
「お前が一番分かってるやつだよ」
アカネは即答しない。
その沈黙だけで十分だった。
校舎の裏手、倉庫のある脇道まで出る。人通りはほとんどない。夕方の風が抜けるだけの場所だ。逃げ場はある。巻き込む人間も少ない。
アカネは鞄を抱えるみたいに持ち直し、苛立ったように言った。
「で?」
「昨日の続きだ」
「そんなの分かってる」
「なら話が早い。お前の中で何が起きてる」
「知らない」
「嘘だな」
「何でそう決めつけるの」
「顔に出てる」
アカネが何か言い返しかけた、その瞬間だった。
鞄の中で紙が擦れる。
昨日と同じ音だ。
アカネが反応するより先に、鞄の口元から色が滲んだ。赤、青、黒。絵の具を水へ垂らしたみたいに広がって、それが空中で輪郭を持ち始める。
「……っ!」
アカネが息を呑む。
「太郎さん!」
「下がれ、絶花!」
遅い。
色の塊はそのまま膨らみ、四足の異形へ変わった。昨日の高架下のより大きい。背中に棘。長い尾。口の裂け目だけが不自然に広い。怪獣、という言葉が一番近い。完成しきっていないくせに、害意だけはちゃんと形になっている。
倉庫の陰にいた高校生二人が悲鳴を上げる。
「逃げろ!」
怒鳴りながら前へ出る。怪獣が跳ねる。速い。だが、動きはまだ荒い。斬月を抜き、爪の軌道へ合わせて受け流す。
重い。
鉄と泥と、絵の具を混ぜたみたいな感触だ。
その横を絶花が抜ける。天聖が閃く。肩口を斬る。色が飛び散る。だが、飛び散った色は地面へ落ちる前に、糸みたいな線を引いてまた怪物の方へ戻る。
「普通の敵じゃないです!」
「見りゃ分かる!」
もう一撃。今度は尾が来る。しゃがんで避ける。倉庫の扉がへこむ。まともに食らえば骨が折れる程度には実体がある。
絶花が高校生二人を逃がしながら叫ぶ。
「太郎さん、斬るだけだと増えます!」
「だろうな!」
怪獣の前脚を斬る。色が散る。散って、床を這う。這いながら、別の小さな腕の形を取ろうとする。
厄介だ。核が一つじゃない。というより、核になる前の感情そのものが散っている。
「新条!」
怪獣の向こうに立ち尽くすアカネへ怒鳴る。
「お前、こいつに“なれ”って思ったか!」
「そんなわけ……!」
「じゃあ何を思った!」
アカネは答えられない。
答えられない間にも、怪獣は膨らむ。背中の棘が増え、輪郭が少しずつ濃くなっていく。中途半端に本物になりかけている。
「太郎さん!」
絶花の声が鋭くなる。
「何だ!」
「この人、壊したいんじゃないです!」
一瞬、戦場の中で言う台詞じゃない。
だが、絶花は本気だった。怪獣の線を崩しながら、まっすぐアカネを見ている。
「漏れてるだけです! 感情が、形になってるだけです!」
その通りだ。
悪意がないわけじゃない。苛立ちも、孤独も、嫌悪もある。だが、これは“壊すために作った怪物”じゃない。行き場のないものが勝手に輪郭を持ってるだけだ。
怪獣が飛び込んでくる。斬月を逆手に返し、喉元を払う。色の塊が崩れ、半歩ぶんだけ勢いが鈍る。
「新条!」
アカネがようやくこっちを見る。目が揺れている。
「だったら、どうしろっていうの!」
叫んだ。
怒りだけじゃない。怯えも混じっていた。
「気持ち悪いし、勝手に出るし、私だって嫌なのに……! こんなの、見たくないし、分かりたくもないし、なのに出るし――!」
言葉が途切れない。押さえていた分が、そのまま外へ噴き出している。
「どうしろっていうのよ!」
怪獣の尾がまた来る。絶花がそれを受け流し、壁際へ逸らす。コンクリに色の傷が走る。
「確かめろ!」
俺は一歩踏み込みながら言った。
アカネが息を詰める。
「は?」
「お前の中で何が漏れてるのか、自分で見ろ!」
「分かるわけないでしょ!」
「分からないまま逃げる方が無理だ!」
怪獣が吠える。声というより、絵の具を掻き回したような不快な音だ。
「これは壊れた力じゃねえ!」
絶花が右から怪獣の輪郭を削る。
「扱えてないだけだ!」
アカネの目が見開かれる。
その瞬間、怪獣の動きがわずかに乱れた。本人の感情が直結してる。なら話は早い。
「絶花、右の線を切れ!」
「はい!」
「上は俺が潰す!」
絶花が怪獣の足元へ潜る。二撃、三撃。斬るというより、線をずらす動きだ。輪郭の噛み合いが崩れる。
そこへ斬月を叩き込む。
首じゃない。背中でもない。胸の奥、色が一番濃く溜まっている場所。人間で言えば心臓の位置に近い。
手応えは重い。だが、今までみたいに際限なく増える感触ではない。崩れる。色が飛び散る。赤、青、黒が空中で千切れ、地面へ落ちる前に細くなっていく。
絶花が最後に一閃。残った尾の線を断つ。
怪獣は音もなく崩れた。
完全には消えない。色の痕だけは残る。だが、もう形を保てない。今はそれで十分だ。
静かになった倉庫裏で、アカネだけが立ち尽くしていた。
顔が白い。スケッチブックを抱えたまま、指先だけが震えている。
「……止まりました」
絶花が言う。
「一時的にな」
俺が答える。
そしてアカネを見る。
「新条」
「……何」
「次は、お前の方だ」
「意味分かんない」
「分かるようにする」
アカネはすぐに反発しない。もうその余力がないんだろう。
絶花が静かに言う。
「逃げないでください」
アカネがそっちを見る。
少しだけ傷ついたみたいな顔をした。
「命令しないで」
「命令じゃないです」
絶花は揺れない。
「放っておけないだけです」
アカネは返さなかった。
ただ、スケッチブックを抱きしめる力が少しだけ弱くなる。それで十分だった。
「……今日は帰る」
「そうか」
「止めないんだ」
「今止めても、余計固まる」
アカネは自嘲気味に笑った。
「最悪」
「よく言われる」
「便利だね、それ」
「便利じゃない。事実だ」
アカネはそれ以上何も言わず、倉庫裏を出ていった。
追わない。
今日はまだ、そこじゃない。
絶花が隣に来る。
「追いますか」
「今日はいい」
「でも、また漏れます」
「ああ」
地面に散った色は、まだ乾いていないみたいに生々しかった。けれど、そこに悪意の匂いは薄い。もっと個人的で、もっと厄介なものだ。
「だから次で拾う」
「新条さんを、ですか」
「怪獣じゃなくて、描いてる本人の方だ」
アカネは怪獣を生んでるんじゃない。感情の置き場が紙へ寄って、そのまま形を持ってるだけだ。だから漏れる。漏れたものが勝手に歩く。
面倒だ。
だが、仕組みが見えたなら、今度は止めるだけじゃ足りない。
あいつに、自分の力の輪郭を掴ませる。
倉庫裏を離れながら、俺は空を見る。
夜が近い。色は薄いのに、まだ完全には暗くならない。中途半端な時間だ。
今のアカネも、たぶんそれに近い。怪物でも、ただの被害者でもない。才能が暴れてるだけの、一番扱いが面倒な段階だ。
だからこそ、次で決める。
切るんじゃない。あいつの中にあるものを、ちゃんと名前のある形まで持っていく。
女王は誰にする?
-
アルファ
-
ララ·サタリン·デビルーク
-
エミリア