サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
新条アカネを追うなら、放課後の美術室がいちばん自然だと思った。
昨日の感じからして、あいつは人の多いところで本音を出すタイプじゃない。出すとしたら、一人になれる場所。しかも、自分の手が勝手に何かを始めても、まだ言い訳の利く場所だ。
だから、高校の特別棟の端にある美術室まで来た。
ガラス越しに見えたのは、絵を描いている姿じゃなかった。
紙の山だ。
途中で止まったスケッチ。塗りかけで終わってる色。下書きのまま投げられた怪物の頭。手だけ描いて、胴がないやつ。空だけ妙に綺麗で、その下が真っ白なやつ。どれも途中だ。全部、途中で止められている。
机に肘をついて、アカネはその真ん中にいた。
昨日より顔色が悪い。隠す気ももうだいぶ薄れてる。いや、薄れたんじゃない。そこまで回らないだけだろう。
美術室の戸を開ける。
アカネがこっちを見る。
「……ほんとに来るんだ」
「昨日の続きだ」
「しつこい」
「必要だからな」
そう返すと、アカネはあからさまに嫌そうな顔をした。
「その“必要”って言い方、嫌い」
「そうか」
「そこで止まらないんだ」
「止まってほしいのか」
「今それ聞く?」
聞くに決まってるだろ、と言いそうになったがやめた。代わりに、机の上を見た。
散らばった紙の中に、昨日の怪獣と同じ線が何本もある。昨日のより細いもの、もっと露骨なもの、途中で消したもの。描く気があるのに、描き切る前に自分で止めてる痕だ。
絶花が俺の少し後ろから言う。
「……描けてないんですね」
アカネの肩がぴくりと揺れた。
「うるさいな」
「すみません」
「謝るくらいなら言わないで」
「でも、見えたので」
絶花は本気でそう思った時の声だった。遠慮しているようでいて、引く気はない。アカネはそれに返そうとして、結局返せなかった。
その時点で、だいたい終わってる。
俺は近くの机に手をついた。
「新条」
「なに」
「お前の力は単純だ」
アカネの眉が寄る。
「は?」
「感情が強く乗る。乗ったものが紙や色に定着する。定着したものが、実体を持ちかける」
「……そんなの、簡単に言うな」
「簡単だからだ」
「全然簡単じゃない!」
アカネが立ち上がる。椅子の脚が床を鳴らした。
「勝手に出るんだよ! こっちは見たくもないのに、勝手に形になって、人に見られて、気持ち悪がられて……!」
「だから整理する必要がある」
「整理?」
「お前は怪物を生んでるんじゃない」
一拍置く。
「描く力を、まだ自分のものとして持ててないだけだ」
アカネが言葉を失う。
たぶん、予想してた言葉じゃない。化け物とか、危険だとか、やめろとか、その辺ならまだ構えようがある。だが「持ててないだけだ」は、想定の外だったはずだ。
「……それ、才能って言いたいわけ」
「そうだ」
「冗談じゃない」
「冗談でこんな面倒なこと言うか」
「面倒って言った」
「面倒だろ。広いし、濃いし、放っとくと形になる。だが壊れてはいない」
アカネが俺を睨む。年上らしい余裕を取り戻そうとしてる顔だ。けど、もう完全には戻らない。揺れたあとだ。
「勝手に決めないで」
「決めてるんじゃない。見えてる構造を言ってるだけだ」
「構造って……」
「感情が先に出る。手がそれを拾う。拾ったものが紙で止まりきらない。だから外へ漏れる。順番はその程度だ」
「そんな機械みたいに言わないでよ」
「機械じゃないから面倒なんだよ」
言いながら、机の上の絵具を見る。白。青。赤。黒。どれも蓋が開いている。使う気がない人間の机じゃない。使いたいのに、使うのが怖いやつの机だ。
アカネが唇を噛む。
「じゃあ何。私は、これを受け入れろって?」
「そんな綺麗な話じゃない」
「でしょ」
「まずは、これはお前の中のものだって認めろ」
「嫌だよ」
「だろうな」
「だって、気持ち悪いじゃん」
「気持ち悪いからって、他人のものにはならねえ」
アカネが言い返しかけて、止まる。
図星だからだ。
絶花がそこで、静かに口を開く。
「新条さん」
「……何」
「私は、新条さんの絵が全部悪いとは思いません」
アカネが目を見開いた。
「は?」
「怖いです」
「だったら――」
「でも、怖いだけじゃないです」
絶花はまっすぐアカネを見ていた。
「昨日の怪物も、壊したいだけには見えませんでした」
「そんなの、見ただけで分かるわけない」
「分からないこともあります。でも、見えたことは言えます」
絶花の言葉は短い。短いくせに、余計な逃げ道を作らない。
「嫌なだけではなかったです」
アカネは、その返し方を知らない顔になった。
年上だとか、高校生だとか、そういう壁が一瞬だけ消える。年下に説教されたなら反発もできる。けど、ただ“見えた”ことを言われると、そこへぶつける先がない。
「……何それ」
アカネの声は、少しだけ弱かった。
「どう返せばいいの、それ」
「返さなくていいです」
絶花が言う。
「今は、そう見えたって言っただけなので」
そういうところだ。絶花は時々、人の逃げ場を塞ぐくせに、自分では追い詰めてる自覚が薄い。
アカネが机へ片手をつく。
指先が震えている。怒りか、怖さか、その両方か。たぶん、言葉だけじゃなくて、もっと別のところも揺れてる。
見れば分かる。
筆が動いていた。
机の上に置かれた細い筆の穂先が、わずかに震えている。誰も触っていないのに、先だけが水面みたいに揺れ、白い絵具が皿の上でひとりでに薄く広がる。
絶花も気づいたらしい。
「太郎さん」
「ああ」
「来ます」
アカネが自分の手を見る。
「……また」
「待て」
俺は反射で言った。
絶花が刀の柄に手をかけかけて、止まる。
「今度は切るな」
「はい」
アカネの指先に、白い光が集まり始めていた。
昨日までみたいな、赤や黒の濁った漏れ方じゃない。もっと細い。もっと一点へ寄っている。線だ。細い線が、空中で何かの輪郭を探るみたいに揺れている。
「何、これ……」
アカネの声がかすれる。
白い光は、指先から少し浮き、穂先みたいに細く尖った。筆だ。いや、筆になりかけている。まだ不安定で、輪郭も甘い。けど、怪物じゃない。
「そっちだ」
俺が言うと、アカネが息を呑む。
「え?」
「怪物じゃない。描く方だ」
白い光が一瞬だけ、はっきり筆の形を取った。
軸。穂先。細い柄。その全部が、紙の上ではなく、アカネの手の前に浮かびかける。
次の瞬間、散った。
まるで集中が切れたみたいに、光は白い粉になって崩れ、絵具皿の上へ落ちるように消えた。
「消えた……」
アカネが呟く。
「十分だ」
俺が言う。
絶花も頷いた。
「今の、さっきまでと違いました」
「ああ。ようやく出口の形が見えた」
アカネは、自分の手を見ていた。
昨日までとは違う見方だ。怪物を生む手としてじゃない。何かを描くための手として、初めてそこへ視線が落ちている。
まだ信じていない。信じるには早い。
けど、完全に否定もしきれていない。
「……まだ、信じてないから」
アカネが低く言う。
「別に今すぐ信じろとは言わねえ」
「でも、来るんでしょ。また」
「ああ」
「最悪」
「よく言われる」
アカネが少しだけ笑った。
昨日までみたいに、刺で誤魔化す笑い方じゃない。疲れてるのに、少しだけ力が抜けた顔だった。
絶花が言う。
「でも、新条さん」
「何」
「さっきの、怪物じゃなかったです」
アカネがまた、自分の手を見る。
「……分かんないよ、まだ」
「分からないなら、次で掴ませる」
俺が言うと、アカネはこっちを見た。
「勝手」
「今さらだろ」
「そうだけど」
それ以上は言わなかった。
アカネは机の上の散らかった紙を見下ろす。途中で止まった線。塗りかけの色。怪物になりかけたもの。全部が、さっきまでより少し違って見えてるはずだ。
壊れたものじゃない。出口を持てていないだけ。
そう見た瞬間から、もう戻れない。
美術室を出る頃には、夕方はだいぶ沈んでいた。廊下の窓が赤くて、床に長い影が落ちている。
アカネは最後までついてこなかった。だが、追い出しもしなかった。それで十分だ。
絶花が隣で言う。
「新条さん、少しだけ違いました」
「何が」
「昨日より、怖がり方が変わってました」
「そうだな」
「気持ち悪いだけじゃなくなってました」
「そうだろうな」
怪物は、自分の外にある限り楽だ。切るか、逃げるかで済む。だが、自分の手の中にあると分かった瞬間、一番面倒になる。
アカネは今、そこへ入った。
俺は歩きながら、さっき見た白い光を思い返す。
細かった。脆かった。けど、確かに“描くための形”だった。
怪物じゃない。あれが出口だ。
「次で掴む」
俺が言うと、絶花が短く頷いた。
「はい」
アカネは怪物を生んでるんじゃない。
描く力が濃すぎて、感情の出口と直結してるだけだ。だから漏れる。だから形になる。面倒だが、壊れてはいない。
なら次は、その形を本人に持たせる。
怪物じゃなく、描くための力として。
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