※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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白堊

 放課後の美術室は、静かなくせに落ち着かなかった。

 

 絵具の匂いがする。紙の乾いた匂いもする。窓際に寄せられたイーゼル、洗いきれていない筆、新聞紙の上で固まりかけた白。そういう、いつもなら創作のために整っているはずのもの全部が、今日は逆に張りつめて見えた。

 

 理由は一つだ。

 

 新条アカネが、白い紙の前で止まっていたからだ。

 

 描きかけのスケッチは増えている。昨日より多い。けど完成したものは一枚もない。線は入っている。色も乗っている。なのに、どれも途中で折れている。怪獣の顔の輪郭だけで終わったもの。空を塗って、その下を白く残したもの。何かを出そうとして、出る前に自分で止めた紙ばかりだ。

 

 つまり、描けていない。

 

 描けないんじゃない。描こうとして、途中で止めてる。

 

「来ると思ってた」

 

 俺たちに背を向けたまま、アカネが言った。

 

「そうか」

 

「思ってたけど、実際に来るとやっぱりうるさいね」

 

 振り向いた顔は昨日より幾分ましだった。ましだが、よく見れば眠れていないのは分かる。目の下が少し重い。髪もきちんと整えているくせに、指先だけが落ち着いていない。

 

 絶花が教室の中を見回して、小さく言う。

 

「紙、増えてます」

 

「見れば分かるでしょ」

 

「はい。だから言いました」

 

 アカネが少しだけ口を引いた。年下相手にやり込められたような、でも本気で苛立つほどでもない顔だ。

 

 俺は一番手前の机へ寄った。怪獣の頭部らしいラフ。背びれ。口元。眼窩。どの線にも力が入っている。紙の上に留まりたがっていない線だ。

 

「昨夜、描こうとしたな」

 

 聞くと、アカネは黙ったまま白い紙へ視線を落とした。

 

「……したよ」

 

「で、止めた」

 

「止めたっていうか、止まった」

 

 その言い方は正確だった。

 

「線を引いた瞬間に、紙の上じゃなくなる感じがして。外に出るっていうか、こっちに来るっていうか」

 

 アカネが右手を見た。

 

「筆持ってるだけなのに、持ってる感じがしないの。先に向こうが動くから」

 

 なるほど。

 

 だったら、やることは単純だ。

 

「逆だ」

 

 言うと、アカネが顔を上げた。

 

「は?」

 

「出る前に、お前が先に決めろ。形も、線も、意味も」

 

「簡単に言わないで」

 

「簡単だとは言ってねえ。必要だって言ってる」

 

 アカネは何か言い返しかけたが、その前に、絵具皿の白がひとりでに揺れた。

 

 絶花の指先が刀の柄にかかる。

 

「太郎さん」

 

「ああ」

 

 机の端に落ちていた色の染みが、ゆっくり這い出した。昨日みたいに大きな怪獣じゃない。もっと細かい。未完成の断片が、そのまま動き始める。脚だけの獣、嘴だけある鳥、尾の長い何か。美術室に散っていた“途中”が、勝手に形を取り出した。

 

「……また」

 

 アカネが一歩引く。

 

「またじゃねえ。まだ、だ」

 

 俺は斬月を抜かず、近くまで来た色の塊を靴先で蹴り飛ばした。軽い。軽いが、その分だけ厄介だ。一つを崩しても、別の途中がすぐに起き上がる。

 

 絶花が前へ出る。刀を抜くが、斬り込まない。横薙ぎに一閃。輪郭の向きだけをずらして、窓際へ流す。いい。今日はそれで十分だ。

 

「新条さん」

 

 絶花が、怪異から目を離さず言った。

 

「前より、怪獣じゃないです」

 

「何それ」

 

「バラバラです。だから、まだ間に合います」

 

 アカネが息を呑む。

 

 机の上に置いた手が、白紙の端を掴んだままだ。

 

 そこへ、天井近くから黒と青の混じった塊が落ちてくる。俺は腕で払う。散った色が床を走る。走って、机の脚へまとわりつく。

 

「太郎さん、増えます」

 

「見えてる」

 

 増える前に締めるしかない。

 

 俺はアカネを見る。

 

「今だ」

 

「無理」

 

「無理じゃない。前にお前の手に出た」

 

「あれは一瞬だった!」

 

「一瞬で足りる。今度は逃がすな」

 

 アカネが首を振る。怖いんだろう。気持ちは分かる。だが、ここでまた“勝手に出た”に負けるなら、昨日までと何も変わらない。

 

「私が触ると、余計に――」

 

「余計にならない」

 

 断言する。

 

「昨日、出たのは怪獣じゃなかった。白い筆の形だった。あれが本筋だ」

 

「そんなの」

 

「絶花」

 

「はい」

 

 絶花が怪異を捌きながら、アカネへ向けて言う。

 

「私もそう思います」

 

 アカネがそっちを見る。

 

「何を」

 

「怪物より、あの白い方が新条さんに近かったです」

 

 絶花はいつもの顔だ。淡々としている。だからこそ嘘じゃない。

 

「怖いのはまだ怖いです。でも、あれは嫌な感じじゃなかったです」

 

 アカネの表情が揺れた。

 

 そこだ。

 

「新条アカネ」

 

 名を呼ぶ。

 

「今必要なのは、止めることじゃねえ。お前が自分の力に先に命じることだ」

 

「命じるって……」

 

「描け」

 

 教室の空気が詰まる。

 

「漏れるなら、先に線を引け。勝手に怪物になる前に、お前の形で捕まえろ」

 

 アカネは白紙を見る。震えている。だが目は逸らしていない。

 

 床を這っていた青い色が、椅子の脚から壁へ跳ねた。もう一歩遅ければ、また昨日までの怪獣の輪郭へ戻る。

 

「描け、新条」

 

 白い光が、指先へ集まった。

 

 今度は昨日より早い。けれど乱れていない。細い光の束が、手の中で穂先のようにほどけ、柄の輪郭を伴いながら一本へ収束していく。

 

 アカネが息を止める。

 

「……これ」

 

「握れ」

 

 言うと、アカネは躊躇いながらも、その光へ手を伸ばした。

 

 触れた瞬間、光が逃げなかった。

 

 握られたことを認めるみたいに、白が静かに形を定める。

 

 筆だった。

 

 無駄な装飾のない、白い筆。だが、ただの文房具じゃない。空間そのものへ線を引くための、刃とも違う緊張を持っている。

 

 アカネの目が見開かれたまま、動かない。

 

「名前を呼べ」

 

 俺が言う。

 

 アカネの喉が小さく動く。怖いだろう。だがもう逃げ道はない。いや、逃げ道がないんじゃない。ここで呼ばなきゃ、また向こうが勝手に形を取る。

 

 だから、呼ばせる。

 

「描け――」

 

 一拍。

 

「白堊」

 

 白い光が、一段深く沈んだ。

 

 筆の輪郭が完全に固まる。教室じゅうに散っていた途中の色が、一瞬だけ息を呑んだみたいに静まる。

 

 始解だ。

 

 その瞬間、這い回っていた怪異がいっせいに動いた。逆に言えば、今しかない。

 

「線を引け!」

 

 俺が叫ぶ。

 

 アカネは白堊を持ったまま、一度だけ深く呼吸した。次の瞬間、空中へ一筆。

 

 白い線が走る。

 

 速くはない。だが、迷いがない。怪異の輪郭の外側をなぞるように伸びた線が、そのまま檻みたいに閉じる。床を這っていた黒い塊が止まった。

 

「……止まった」

 

「続けろ!」

 

 絶花が窓際の一体を弾き、こっちへ流す。

 

「新条さん、色も!」

 

 アカネが筆を返す。

 

 今度は白だけじゃない。筆先から淡い青が零れた。青が怪異の胴へ重なる。塗る、というより、意味を上書きしている感じだった。赤黒かった塊が急に輪郭を失う。爪の鋭さが鈍り、怪物としての圧が薄れていく。

 

「塗り替えてる……」

 

 絶花が呟く。

 

「ああ」

 

 俺は笑う。

 

「壊してるんじゃない」

 

 アカネの目の色が変わった。

 

 自分でやってみて、初めて分かったんだろう。これは“出してしまう力”じゃない。線を決めて、意味を変えて、形を定める力だ。

 

「だったら――」

 

 今度はアカネが自分から動く。

 

 白堊で円を描く。そこへ赤を一点、鋭く置く。赤は血じゃない。境界だ。そこから先へ出るな、という印だ。囲われた怪異が、その内側で縮み、やがて色のしみに戻る。

 

 残った一体は天井近くへ逃げかけた。絶花が刀で進路を潰す。

 

「上です!」

 

「分かってる!」

 

 アカネが振り向きざまに、今度は黒ではなく白を重ねた。白で怪異の嘴の線を塗りつぶす。輪郭が曖昧になる。飛べなくなった塊が落ちる。

 

 そこへもう一筆。

 

 鳥のような図像が、空中に一瞬だけ描かれる。半実体の白い鳥が怪異へぶつかり、そのまま押し潰す。色の塊が砕けるでも裂けるでもなく、平面へ戻されていった。

 

 静かになった。

 

 美術室に残るのは、乾きかけの色の匂いと、まだ少しだけ熱の残る空気だけだ。

 

 アカネが白堊を持ったまま、その場に立ち尽くす。

 

「……終わった」

 

「はい」

 

 絶花が短く答える。

 

「今度は、戻ってきません」

 

 アカネが自分の手を見る。白堊を見る。その持ち方に、もう昨日までの怯えだけはなかった。

 

「私が」

 

 言葉が切れる。

 

「私がやったんだ」

 

「勝手に出たんじゃない」

 

 俺が言う。

 

「今のはお前が描いた」

 

 アカネはしばらく何も言わなかった。

 

 白堊の穂先に、かすかな光が残っている。それを見ている顔は、怪物を生んでしまった時の顔とはまるで違った。怖さは残っている。だが、それ以上に“自分のものとして触った”実感がある。

 

「今の方が、新条さんらしいです」

 

 絶花が言う。

 

 アカネが苦く笑った。

 

「それ、ほんと何回でも言うんだ」

 

「大事なので」

 

「真面目だね」

 

「はい」

 

 そのやり取りに、ようやく少し空気が緩む。

 

 俺は白堊を見る。

 

「前には出なくていい」

 

 アカネが顔を上げた。

 

「え?」

 

「お前の力は、斬って潰す側じゃない。盤面を変える側だ」

 

「盤面」

 

「線を引く。色を置く。輪郭を決める。怪物を壊すんじゃなく、意味ごと描き直す」

 

 アカネは黙って聞いている。

 

「そういうのは、かなり使える」

 

 前なら、そこで“使えるって何”と噛みついてきただろう。

 

 今は違う。

 

 言葉を嫌がる前に、その中身を考えている顔だった。

 

「……まだ、全部は分かんない」

 

「分かってる」

 

「でも」

 

 アカネが白堊を見下ろす。

 

「さっきのは、勝手に出たんじゃなかった」

 

「そこまで来たなら十分だ」

 

 白堊が、持ち主の言葉に応じるみたいに淡く光る。

 

 アカネがその光を見て、小さく息を吐いた。

 

「私が、描いたんだ」

 

「そうだ」

 

 美術室を出る時、夕方はだいぶ深くなっていた。窓の外が赤い。長く伸びた影が床を渡っていく。

 

 アカネは最後まで同行しなかった。だが、追い出しもしなかった。白堊を消す前に、名残を確かめるみたいに何度も見ていた。

 

 それで十分だ。

 

 廊下を歩きながら、絶花が言う。

 

「前より、手の見方が変わってました」

 

「そうだな」

 

「怪物を出す手じゃなくて、描く手って感じでした」

 

 その通りだ。

 

 新条アカネの力は、怪物を生む呪いじゃなかった。描く力が濃すぎて、感情の出口と直結していただけだ。だから漏れる。だから勝手に形になる。

 

 だが、今は違う。

 

 あいつは初めて、自分で線を引いた。怪物を出したんじゃない。自分の感情に、ちゃんと名前のある形を与えた。

 

 そこまで来たなら、次は一つだ。

 

「次は、その力をどこで使うかだ」

 

 俺が言うと、絶花が短く頷いた。

 

「はい」

 

 始解は出た。白堊は定まった。ならその先に要るのは、場所だ。

 

 新条アカネの描く力が、どこで一番生きるか。

 

 その答えは、もう見えていた。

 

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
  • エミリア
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