※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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怪獣じゃなく、私の絵

 翌朝の町は、妙に静かだった。

 

 昨日まで目についた落書きの濃さが、少しだけ引いている。電柱の根元に残っていた赤も、ブロック塀の継ぎ目に這っていた黒も、まだ消え切ってはいないが、もう“今にも歩き出しそうな色”じゃない。

 

 持ち主の手に、少しずつ戻り始めてる。

 

「静かです」

 

 登校中、絶花が言った。

 

「そうだな」

 

「新条さん、昨日ちゃんと掴んだんだと思います」

 

 こいつの言う通りだろう。完全に収めたわけじゃない。だが、勝手に漏れ出していたものが、昨日の一件で初めて“持たれた”。その差は大きい。

 

「掴んだだけじゃ足りねえけどな」

 

「はい」

 

 絶花は少しだけ間を置いてから、続けた。

 

「次は、入るかどうか……ですか」

 

「そうだ」

 

 俺は前を見る。

 

「力を持つだけなら個人でもできる。問題は、それをどこに置くかだ」

 

 それで終わる力もある。自分一人で握って、自分一人で振って、それで済む類のものだ。

 

 だが、新条アカネの力は違う。

 

 広い。濃い。形を持つ。盤面を変える。そういうやつは、ただ持ってるだけだと、またいずれ溢れる。

 

 必要なのは、居場所だ。

 

 放課後、美術室へ行くと、昨日までより先に、紙の違いが目に入った。

 

 描きかけの山はまだある。塗りかけで投げた紙も、輪郭だけで終わった怪獣も、そのまま積まれている。けど、その横に一枚だけ、小さな紙が置いてあった。

 

 鳥だ。

 

 白い線で輪郭を取り、薄い青をひと撫でしただけの簡単なスケッチ。派手じゃない。だが、最後まで描き切ってある。

 

 それだけで、昨日までとは話が違う。

 

「……その顔、何」

 

 窓際の席に座っていたアカネが言った。

 

「別に」

 

「嘘。見た瞬間ちょっと満足したでしょ」

 

「百億分の一くらいはな」

 

「少な」

 

 アカネが鼻で笑う。

 

 昨日より顔色はいい。劇的に、じゃない。けど、目の奥にずっとあった濁りが少し薄い。疲れてはいるが、完全に呑まれてはいない顔だ。

 

 絶花が机の上の鳥を見て、小さく言う。

 

「でも、ちゃんと最後まであります」

 

「はいはい。そこは自分でも分かってる」

 

 アカネは肘をつき、白紙の上で指を遊ばせた。

 

「昨日みたいに、勝手に外へ出る感じは減った」

 

「だろうな」

 

「……白堊が、手の中に残る感じがある」

 

 その言い方は、まだ半信半疑だ。けど嫌悪だけではない。

 

「嫌じゃないですか」

 

 絶花が訊くと、アカネは少しだけ視線を逸らした。

 

「まだ慣れない。でも、前ほど気持ち悪くはない」

 

 それで十分だ。

 

 俺は机に寄って、アカネを見た。

 

「新条」

 

「何」

 

「お前の力は前に出て斬るもんじゃない」

 

「それ昨日も聞いた」

 

「今日はその先だ」

 

 アカネの顔つきが少しだけ変わる。分かってるんだろう。この先に来る話を。

 

「線を引く。色を置く。形を決める」

 

 言いながら、昨日描き切られた鳥を見る。

 

「敵を壊すんじゃなく、盤面そのものを描き直す。お前の力は、そういう側だ」

 

「盤面、ね」

 

「後ろから全体を変える。怪異も、空気も、見え方も、意味もだ」

 

 アカネは白紙へ目を落としたまま聞いている。

 

「そういうやつは、一人で抱えるより、王の戦場の中にいた方が強い」

 

 そこで、アカネがようやく俺を見た。

 

「……それって勧誘?」

 

「半分」

 

「もう半分は?」

 

「定義だ」

 

 アカネが少しだけ眉を上げる。

 

「お前がどういう役かを、俺はもう見てる」

 

 しばらく、アカネは何も言わなかった。

 

 自分が必要とされていると分かる言葉に、まだ慣れていない顔だった。嬉しいとも、嫌だとも、すぐには決めきれない。そういう沈黙だ。

 

 その時だった。

 

 校舎裏に面した壁の方から、ぬるりとした音がした。

 

 絶花の顔つきが変わる。

 

「残りが、動きます」

 

 昨日、一昨日と町に散った怪異の残滓だろう。最後まで持ち主へ戻りきれなかった古い色が、壁の中でまだ燻っていたらしい。

 

 窓の向こう、薄汚れた外壁に描かれていた古い怪獣の顔が、浮き上がる。だが前みたいな濃さはない。形になりきれず、輪郭だけが歪んでいる。

 

「来るぞ、新条」

 

 アカネが一瞬だけ壁を見る。

 

 昨日までなら、ここで固まった。嫌悪と怖さで、自分の手ごと引っ込めていた。

 

 今は違う。

 

「……うん」

 

 小さく息を吸って、アカネは白堊を出した。

 

 迷いがない、とまでは言わない。だが、躊躇の向きが昨日までと違う。筆が現れるまでの流れが自然だ。手の中に戻ってくるものとして呼んでいる。

 

「描け、白堊」

 

 白い筆が、すぐに形を取る。

 

 速い。

 

 昨日より、ずっと。

 

 壁の怪異が這い出しかける。歪んだ口元、半端な目、色の濁り。だがアカネはもう一歩も引かなかった。

 

 白堊が走る。

 

 白い線が怪異の輪郭を包むように走り、その外側へ青が置かれる。青は冷たく、静かで、怪異の膨張を鎮める色だった。壁から抜けかけていた顔が、急速に平面へ押し戻されていく。

 

「……もう、怖がってません」

 

 絶花が言う。

 

「怖いだろ」

 

 俺は壁を見る。

 

「だが、逃げてねえ」

 

 アカネは最後に、穂先で短く白を置いた。

 

 それだけで十分だった。怪異の輪郭がふっと薄れ、ただの古い落書きへ戻る。それ以上、動かない。

 

「これで、終わり」

 

 アカネが低く言う。

 

 その声には、昨日までみたいな引きつりがなかった。疲れはある。だが、それ以上に、自分で終わらせた側の声だ。

 

 美術室の外へ出る。夕方の風が少し冷たい。校舎裏のベンチのところで、アカネは白堊を見たまま言った。

 

「……これで終わり、ってわけじゃないよね」

 

「そうだな」

 

「力は残るし、描けばまた出るかもしれないし」

 

「今度は“出る”じゃなく“出す”だろ」

 

 アカネが顔をしかめる。

 

「言い方」

 

「事実だ」

 

 少し間があいた。

 

「一人でどうにかできる気は、まだしない」

 

 アカネがそう言った時、絶花がすぐに頷いた。

 

「はい」

 

 アカネがそっちを見る。

 

「そこで即答するんだ」

 

「はい」

 

「ちょっと傷つく」

 

「すみません」

 

「でも、たぶん合ってる」

 

 アカネは白堊を見下ろす。夕陽の残りが穂先に薄く引っかかる。

 

「この力、ちゃんと持ちたい」

 

 その声は、今までよりずっと静かだった。

 

「怪獣を出して終わるんじゃなくて、自分の絵として持ちたい」

 

 なら、言うことは一つだ。

 

「新条」

 

「何」

 

「お前の力を、お前のまま腐らせる気がないなら、うちへ来い」

 

 アカネが顔を上げる。

 

 白堊を持つ手が少しだけ止まる。

 

「白堊は一人で抱えるには広い」

 

 俺は続ける。

 

「だが、王国の中なら役割になる」

 

「役割」

 

「お前は後ろから戦場を変える。描いて、塗って、封じて、支える。そういう僧侶だ」

 

 アカネの瞳が揺れる。

 

「僧侶……」

 

「力を安定させる場所もいる。否定されずに使う場所もいる。だったら、うちで持て」

 

 アカネはすぐには答えなかった。

 

 返事を拒む顔じゃない。言葉の重さを量っている顔だ。

 

 そこへ、絶花が小さく言った。

 

「新条さん」

 

「……何」

 

「私は、アカネさんの絵が嫌いじゃないです」

 

 アカネの目が見開かれる。

 

「今、名前で……」

 

「はい」

 

「そういうの、ずるい」

 

「ずるくないです」

 

「年下にそれ言われるの、結構くるんだけど」

 

「本当なので」

 

 アカネが苦く笑った。

 

 でもその笑いは、もう完全な拒絶のそれじゃない。

 

「……ほんと、ずるい」

 

「何が」

 

「太郎も、絶花も」

 

 アカネは白堊を握り直す。

 

「こっちが断りにくい言い方ばっかする」

 

「断るなら断ればいい」

 

「そういうところだよ」

 

 夕方の風が、校舎裏を抜ける。

 

 アカネはしばらく黙っていた。

 

 白堊の穂先に光が宿る。彼女の手の中で、もう怪物の気配はない。ただ、描くための力だけがそこにある。

 

「でも、断らない」

 

 ようやく出た言葉は、思ったよりまっすぐだった。

 

「この力、ちゃんと持ちたい。怪獣じゃなくて、私の絵として」

 

 俺はポケットから王国の駒を出す。

 

 光は小さい。だが関係を決めるには十分だ。

 

「来い、新条アカネ」

 

 差し出す。

 

「お前の線を、うちの僧侶として使え」

 

 アカネが駒を見る。

 

 白堊を見る。

 

 それから、迷いを切るみたいに一度だけ息を吐いた。

 

「うん」

 

 一拍。

 

「私、行く」

 

 手が伸びる。

 

「太郎の王国で、この力を使う」

 

 駒が、アカネの手の中へ収まる。

 

 光が通る。派手じゃない。静かな光だ。だが確かに、持ち主と王国のあいだに一本、線が引かれたのが分かる。

 

 白堊が、それに応じるみたいに淡く輝いた。

 

「……よろしくお願いします」

 

 絶花が頭を下げる。

 

 アカネが少しだけ笑う。

 

「うん。よろしく」

 

 帰り道、空はもうほとんど暮れていた。

 

 アカネは白堊を消したあとも、ときどき手のひらを見ていた。確かめるように。もう何も勝手に漏れていないことを、自分の指先で確認するみたいに。

 

 新条アカネは、怪獣を生んでいたんじゃない。

 

 行き場のなかった感情が、紙と色へ流れ込んでいただけだ。それがようやく、線になった。白堊になった。役割になった。

 

 怪物じゃなく、あいつの絵として。

 

 うちの僧侶として。

 

 ようやく、置き場が定まった。

 

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
  • エミリア
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