サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
翌朝の町は、妙に静かだった。
昨日まで目についた落書きの濃さが、少しだけ引いている。電柱の根元に残っていた赤も、ブロック塀の継ぎ目に這っていた黒も、まだ消え切ってはいないが、もう“今にも歩き出しそうな色”じゃない。
持ち主の手に、少しずつ戻り始めてる。
「静かです」
登校中、絶花が言った。
「そうだな」
「新条さん、昨日ちゃんと掴んだんだと思います」
こいつの言う通りだろう。完全に収めたわけじゃない。だが、勝手に漏れ出していたものが、昨日の一件で初めて“持たれた”。その差は大きい。
「掴んだだけじゃ足りねえけどな」
「はい」
絶花は少しだけ間を置いてから、続けた。
「次は、入るかどうか……ですか」
「そうだ」
俺は前を見る。
「力を持つだけなら個人でもできる。問題は、それをどこに置くかだ」
それで終わる力もある。自分一人で握って、自分一人で振って、それで済む類のものだ。
だが、新条アカネの力は違う。
広い。濃い。形を持つ。盤面を変える。そういうやつは、ただ持ってるだけだと、またいずれ溢れる。
必要なのは、居場所だ。
放課後、美術室へ行くと、昨日までより先に、紙の違いが目に入った。
描きかけの山はまだある。塗りかけで投げた紙も、輪郭だけで終わった怪獣も、そのまま積まれている。けど、その横に一枚だけ、小さな紙が置いてあった。
鳥だ。
白い線で輪郭を取り、薄い青をひと撫でしただけの簡単なスケッチ。派手じゃない。だが、最後まで描き切ってある。
それだけで、昨日までとは話が違う。
「……その顔、何」
窓際の席に座っていたアカネが言った。
「別に」
「嘘。見た瞬間ちょっと満足したでしょ」
「百億分の一くらいはな」
「少な」
アカネが鼻で笑う。
昨日より顔色はいい。劇的に、じゃない。けど、目の奥にずっとあった濁りが少し薄い。疲れてはいるが、完全に呑まれてはいない顔だ。
絶花が机の上の鳥を見て、小さく言う。
「でも、ちゃんと最後まであります」
「はいはい。そこは自分でも分かってる」
アカネは肘をつき、白紙の上で指を遊ばせた。
「昨日みたいに、勝手に外へ出る感じは減った」
「だろうな」
「……白堊が、手の中に残る感じがある」
その言い方は、まだ半信半疑だ。けど嫌悪だけではない。
「嫌じゃないですか」
絶花が訊くと、アカネは少しだけ視線を逸らした。
「まだ慣れない。でも、前ほど気持ち悪くはない」
それで十分だ。
俺は机に寄って、アカネを見た。
「新条」
「何」
「お前の力は前に出て斬るもんじゃない」
「それ昨日も聞いた」
「今日はその先だ」
アカネの顔つきが少しだけ変わる。分かってるんだろう。この先に来る話を。
「線を引く。色を置く。形を決める」
言いながら、昨日描き切られた鳥を見る。
「敵を壊すんじゃなく、盤面そのものを描き直す。お前の力は、そういう側だ」
「盤面、ね」
「後ろから全体を変える。怪異も、空気も、見え方も、意味もだ」
アカネは白紙へ目を落としたまま聞いている。
「そういうやつは、一人で抱えるより、王の戦場の中にいた方が強い」
そこで、アカネがようやく俺を見た。
「……それって勧誘?」
「半分」
「もう半分は?」
「定義だ」
アカネが少しだけ眉を上げる。
「お前がどういう役かを、俺はもう見てる」
しばらく、アカネは何も言わなかった。
自分が必要とされていると分かる言葉に、まだ慣れていない顔だった。嬉しいとも、嫌だとも、すぐには決めきれない。そういう沈黙だ。
その時だった。
校舎裏に面した壁の方から、ぬるりとした音がした。
絶花の顔つきが変わる。
「残りが、動きます」
昨日、一昨日と町に散った怪異の残滓だろう。最後まで持ち主へ戻りきれなかった古い色が、壁の中でまだ燻っていたらしい。
窓の向こう、薄汚れた外壁に描かれていた古い怪獣の顔が、浮き上がる。だが前みたいな濃さはない。形になりきれず、輪郭だけが歪んでいる。
「来るぞ、新条」
アカネが一瞬だけ壁を見る。
昨日までなら、ここで固まった。嫌悪と怖さで、自分の手ごと引っ込めていた。
今は違う。
「……うん」
小さく息を吸って、アカネは白堊を出した。
迷いがない、とまでは言わない。だが、躊躇の向きが昨日までと違う。筆が現れるまでの流れが自然だ。手の中に戻ってくるものとして呼んでいる。
「描け、白堊」
白い筆が、すぐに形を取る。
速い。
昨日より、ずっと。
壁の怪異が這い出しかける。歪んだ口元、半端な目、色の濁り。だがアカネはもう一歩も引かなかった。
白堊が走る。
白い線が怪異の輪郭を包むように走り、その外側へ青が置かれる。青は冷たく、静かで、怪異の膨張を鎮める色だった。壁から抜けかけていた顔が、急速に平面へ押し戻されていく。
「……もう、怖がってません」
絶花が言う。
「怖いだろ」
俺は壁を見る。
「だが、逃げてねえ」
アカネは最後に、穂先で短く白を置いた。
それだけで十分だった。怪異の輪郭がふっと薄れ、ただの古い落書きへ戻る。それ以上、動かない。
「これで、終わり」
アカネが低く言う。
その声には、昨日までみたいな引きつりがなかった。疲れはある。だが、それ以上に、自分で終わらせた側の声だ。
美術室の外へ出る。夕方の風が少し冷たい。校舎裏のベンチのところで、アカネは白堊を見たまま言った。
「……これで終わり、ってわけじゃないよね」
「そうだな」
「力は残るし、描けばまた出るかもしれないし」
「今度は“出る”じゃなく“出す”だろ」
アカネが顔をしかめる。
「言い方」
「事実だ」
少し間があいた。
「一人でどうにかできる気は、まだしない」
アカネがそう言った時、絶花がすぐに頷いた。
「はい」
アカネがそっちを見る。
「そこで即答するんだ」
「はい」
「ちょっと傷つく」
「すみません」
「でも、たぶん合ってる」
アカネは白堊を見下ろす。夕陽の残りが穂先に薄く引っかかる。
「この力、ちゃんと持ちたい」
その声は、今までよりずっと静かだった。
「怪獣を出して終わるんじゃなくて、自分の絵として持ちたい」
なら、言うことは一つだ。
「新条」
「何」
「お前の力を、お前のまま腐らせる気がないなら、うちへ来い」
アカネが顔を上げる。
白堊を持つ手が少しだけ止まる。
「白堊は一人で抱えるには広い」
俺は続ける。
「だが、王国の中なら役割になる」
「役割」
「お前は後ろから戦場を変える。描いて、塗って、封じて、支える。そういう僧侶だ」
アカネの瞳が揺れる。
「僧侶……」
「力を安定させる場所もいる。否定されずに使う場所もいる。だったら、うちで持て」
アカネはすぐには答えなかった。
返事を拒む顔じゃない。言葉の重さを量っている顔だ。
そこへ、絶花が小さく言った。
「新条さん」
「……何」
「私は、アカネさんの絵が嫌いじゃないです」
アカネの目が見開かれる。
「今、名前で……」
「はい」
「そういうの、ずるい」
「ずるくないです」
「年下にそれ言われるの、結構くるんだけど」
「本当なので」
アカネが苦く笑った。
でもその笑いは、もう完全な拒絶のそれじゃない。
「……ほんと、ずるい」
「何が」
「太郎も、絶花も」
アカネは白堊を握り直す。
「こっちが断りにくい言い方ばっかする」
「断るなら断ればいい」
「そういうところだよ」
夕方の風が、校舎裏を抜ける。
アカネはしばらく黙っていた。
白堊の穂先に光が宿る。彼女の手の中で、もう怪物の気配はない。ただ、描くための力だけがそこにある。
「でも、断らない」
ようやく出た言葉は、思ったよりまっすぐだった。
「この力、ちゃんと持ちたい。怪獣じゃなくて、私の絵として」
俺はポケットから王国の駒を出す。
光は小さい。だが関係を決めるには十分だ。
「来い、新条アカネ」
差し出す。
「お前の線を、うちの僧侶として使え」
アカネが駒を見る。
白堊を見る。
それから、迷いを切るみたいに一度だけ息を吐いた。
「うん」
一拍。
「私、行く」
手が伸びる。
「太郎の王国で、この力を使う」
駒が、アカネの手の中へ収まる。
光が通る。派手じゃない。静かな光だ。だが確かに、持ち主と王国のあいだに一本、線が引かれたのが分かる。
白堊が、それに応じるみたいに淡く輝いた。
「……よろしくお願いします」
絶花が頭を下げる。
アカネが少しだけ笑う。
「うん。よろしく」
帰り道、空はもうほとんど暮れていた。
アカネは白堊を消したあとも、ときどき手のひらを見ていた。確かめるように。もう何も勝手に漏れていないことを、自分の指先で確認するみたいに。
新条アカネは、怪獣を生んでいたんじゃない。
行き場のなかった感情が、紙と色へ流れ込んでいただけだ。それがようやく、線になった。白堊になった。役割になった。
怪物じゃなく、あいつの絵として。
うちの僧侶として。
ようやく、置き場が定まった。
女王は誰にする?
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア