サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
翌日の駒王は、昨日より少しだけ機嫌が悪かった。
人通りはいつも通りだ。店も開いてる。駅前のざわつきも、夕方の帰り道も、見た目だけなら何も変わらない。なのに、街全体の噛み合わせが半歩ぶんずれている。
電柱の影で肩が触れただけで、男が舌打ちした。店先で買い物袋をぶつけた女同士が、必要以上に睨み合う。たいした理由もない苛立ちが、薄く広く撒かれていた。
音が、残ってる。
「昨日より、広いです」
隣を歩く絶花が言った。
「そうだな」
「音そのものは大きくないのに、こっちへ残ってる感じがします」
「壁に噛んでるんだろ」
「人にも、少し」
その言い方が一番正確だった。
深く壊してるわけじゃない。人間の中身をひっくり返すほどの強さじゃない。ただ、神経の合わせ目だけを小さく狂わせる。だから逆に厄介だ。本人にも周囲にも、原因が分からないまま不快感だけが積もっていく。
「来るな」
俺が言うと、絶花はすぐ頷いた。
「はい」
昨日の時点で、後藤ひとりの音はもう街へ出始めていた。だったら今日が安く済むはずがない。
駅裏の高架沿いへ回る。人の流れを避けるような道だ。本人もたぶん、こっちを選ぶ。
案の定だった。
薄暗い壁際に、ギターケースを背負ったひとりがいた。昨日と同じだ。違うのは、立ち方がもっと浅くなってることだった。今にも逃げたいくせに、どこへ逃げればいいか分からない人間の立ち方だ。
「いたな」
声をかける。
肩が跳ねた。
「あっ」
ひとりが振り向く。目が合って、それだけで分かる。かなり限界に近い。
「な、なんでいるんですか……いや、いるのは別に道なので自由なんですけど、でも今じゃなくても……」
「雑な拒否だな」
「すみません……」
早い。
謝るのが癖になってるやつの速さだった。
絶花が一歩だけ前へ出る。
「後藤さん」
「あっ、はい」
「息、浅いです」
ひとりの目が一瞬だけ泳いだ。
「そ、そうですか……?」
「はい」
「や、やっぱり分かりますよね……」
言いながら、ケースの肩紐を握る手が強くなる。
そこだ。
「最近、勝手に鳴るな」
俺が言うと、ひとりは露骨に黙った。
「……違うか」
「ち、違わなくは、ないです」
「便利だな、その言い方」
「すみません……」
「それも便利だ」
ひとりは壁の方へ少し寄った。逃げるでもなく、詰められた分だけ自分を薄くしようとしている。
「どのくらいだ」
「えっと……そんなに前じゃ、ないです。あっ、でも、前から少し変だったのは変で……最近、その、前よりひどいというか」
「どうひどい」
訊くと、ひとりはすぐに答えられなかった。
こういう時、この子は言葉を探す前に、自分で潰す。けど、今回は潰しきれないくらい、もう近い。
「人前、だと」
そこで一度止まる。喉が動いて、やっと続きが出た。
「変に鳴るんです。弾いてなくても、ケースの中で弦が響いたり……あと、音が、変なふうに伸びたり、返ってきたり」
「返る?」
「頭の中に、です」
悪くない説明だった。
「自分で出したはずなのに、自分のじゃないみたいな感じで……あっ、すみません、意味分かんないですよね」
「いや、分かる」
ひとりが顔を上げる。
「え」
「自分で持ててないだけだ」
その一言で、表情が止まった。
たぶん、そう言われたことがないんだろう。危ないとか、気味悪いとか、その手の言葉なら慣れてるはずだ。だが“持ててないだけ”は違う。
絶花が静かに言う。
「後藤さんの音、外へ出る前に詰まってる感じがします」
ひとりの視線が絶花へ移る。
「……たぶん、それです」
認めた直後だった。
ケースの中で、弦がびり、と鳴った。
短い音。だが昨日よりずっと近い。
「あっ」
ひとりが息を呑む。
次の瞬間、歪んだ一音が高架沿いの空気を裂いた。
ジャァン――
街灯が明滅する。標識の支柱が細かく震える。通りを歩いていたサラリーマンが顔をしかめ、近くの女子高生が耳を押さえてしゃがみ込んだ。
「……っ、なに」
「頭、変……」
空気そのものがざらつく。怒りとも不安ともつかない感情が、浅く雑に掻き立てられる。鋭い。だが、向きがない。
壊したい音じゃない。
押し込めたまま外へ漏れた音だ。
「絶花!」
「はい!」
絶花がすぐに人のいる方へ走る。刀は抜かない。声だけで下がらせる。こういう時はそれで十分だ。
「耳を押さえて、離れてください!」
俺はひとりの前へ出る。
「謝るな。押さえ込むな」
「む、無理ですって……!」
ひとりの声が震える。ケースを抱え込む力がさらに強くなる。
それがまずい。
抑え込むほど、音が行き場をなくす。
ケースの中で、今度は連続して弦が鳴った。
ジャ、ギィ、ン――
コードにも旋律にもならない破片。それが空間へ散って、壁へ、金網へ、ガラスへ噛みつく。高架下の壁面に、細いひびが一本走った。
ひとりの顔から血の気が引く。
「……私、だ」
小さく、けどはっきり言った。
「私の、せいで……」
「そうだな」
俺は即答する。
ひとりの目が揺れた。痛いのは分かる。けどここで曖昧に濁しても意味がない。
「原因ではある」
「……っ」
「だが、お前が街を壊したくて鳴らしてるわけじゃない」
ひとりが顔を上げる。
「え……」
絶花が戻ってくる。周囲の人はだいたい下がった。
「怖いです。かなり」
絶花はそう言った。
「でも、やっぱり最初から壊したい音ではないです」
ひとりは言い返せなかった。
返せないまま、ケースを抱えた腕だけが震えている。
「これは“壊したい音”じゃねえ」
俺は言い切る。
「危険なのは事実だ。街を傷つける。人も乱す。そこは否定しない」
ケースの中の気配を読む。跳ね方、広がり方、残り方。どれも攻撃としては歪すぎる。
「だが、出方が違う」
「……でも、傷ついてる」
ひとりが絞るみたいに言う。
「そうだ。けど、まっすぐ狙ってるならもっと一点へ来る。これは向きが定まってない。引っ込めたまま歪んで、勝手に漏れてるだけだ」
絶花も頷く。
「後藤さん自身が、いちばん押されてます」
「……っ」
「お前は今、音を出してるんじゃない」
言葉を重ねる。
「持ててない音に、外へ出られてるだけだ」
ひとりの顔が大きく揺れた。
その瞬間、また音が跳ねる。今度は怒りじゃない。もっと混ざった、追い詰められた音だ。
「だったら、どうすればいいんですか……!」
ひとりが初めて、まともに前へ声を出した。
震えている。けど逃げていない。
「鳴らしたいわけじゃないし、人前とか無理だし、静かにしててほしいのに勝手に鳴るし、私だってもう意味分かんなくて……!」
言葉が止まらない。普段、自分の中で潰してきた分がそのまま出ている。
「だったら、どうしろっていうんですか……! 持てって言われても、そんなの、できるわけ……!」
ケースの中の音がさらにざわつく。空気がまた軋む。
「後藤さん!」
絶花が呼ぶ。
「いい。そのまま聞け」
俺はひとりから目を逸らさない。
「今すぐ答えは出さねえ」
そう言って、一歩だけ踏み込む。
「だが一つだけ言える」
ひとりが息を止める。
「それは壊れた音じゃない」
ケースの中で、弦がびり、と鳴った。けどさっきまでみたいな乱れ方じゃない。言葉へ反応したみたいに、一瞬だけ音の輪郭が定まる。
「持ててないだけだ」
ひとりは何も言わなかった。
言えないんだろう。否定したいのに、できない顔だった。
今はこれでいい。
俺はケースへ手を当てる。広がりだけを押さえる。絶花が周囲に残った残響の線を、見えない糸でも切るみたいに捌いていく。
音は消えない。だが、街へ広がる勢いは止まった。
「……ひとまず、止まりました」
絶花が言う。
「一時的にな」
ひとりはその場に立ち尽くしていた。泣きはしない。けどかなり限界だ。無理もない。自分の音が街を傷つけるところまで見てしまった。
「……私、やっぱり、駄目で」
「違う」
遮る。
ひとりが顔を上げる。
「駄目なんじゃない。お前がまだ、自分の音を持ててないだけだ」
返事はない。
だが、否定もない。
絶花が静かに続けた。
「次は、後藤さんの方です」
「……私の」
「街の異音を追うのはここまでだ」
俺は言う。
「次は、お前自身に触る」
ひとりが小さく息を呑んだ。
それで十分だった。
後藤ひとりの音は危険だ。街を傷つける。人を乱す。そこはもう否定できない。
だが、それでも切り方は違う。
あれは壊したい音じゃない。引っ込めすぎて、持ち手を失った音だ。
だったら次にやることは決まってる。
止めるんじゃない。あいつ自身に、自分の音として掴ませる。
女王は誰にする?
-
アルファ
-
ララ·サタリン·デビルーク
-
エミリア