サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
翌日の駒王は、昨日より静かだった。
静か、というより、表面だけが落ち着いたと言うべきかもしれない。駅前の人通りはいつも通りだし、商店街の呼び込みも、踏切の音も、店先の安っぽいBGMも、聞こえるものは昨日と変わらない。けど、その下にまだ薄く残っている。
耳じゃなく、気分の方に引っかかるざらつきだ。
「街の方は、だいぶ静かです」
歩きながら、絶花が言った。
「一時的にな」
俺は前を見たまま返す。
「はい。でも、後藤さんの方は、まだ全然静かじゃない感じがします」
こいつのそういう見立ては、だいたい外れない。
昨日、高架下であそこまで漏れたなら、本人の中はむしろ悪化しているはずだ。街へ出たぶん、少し軽くなったなんて都合のいい話にはならない。持ち主の手を通らずに外へ漏れた音は、残り方まで歪む。
「行くぞ」
「はい」
「次は異音を止める話じゃねえ」
そこで絶花が少しだけこっちを見た。
「本人の方、ですね」
「そうだ。あいつに、自分の音の話をする」
絶花は頷く。
それで十分だった。
絶花のバンド縁を頼りに辿った先は、駅から少し離れた細い路地だった。表通りの喧騒が背中側に引いて、代わりに壁の近さだけが目立つ。古い看板のかかった小さな音楽スタジオ。派手さはないが、入口の横に雑多なフライヤーが何枚か貼ってある。いかにも、そういう場所だ。
そして、その入口の前に、後藤ひとりはいた。
ギターケースを背負ったまま、ドアノブへ手を伸ばしかけては止める、を繰り返している。入る気はある。けど、入って音を出すところまで気持ちが届いていない。立っているだけで、内側から引っ張る力と、今すぐ逃げたい力が綱引きをしてるのが分かった。
分かりやすい。
「後藤さん」
絶花が呼ぶ。
ひとりの肩が跳ねた。
「あっ」
振り向く。俺と絶花を見て、一拍遅れて目が大きくなる。
「あっ、え、あの、なんで……」
「相変わらず分かりやすいな」
言うと、ひとりは露骨に困った顔をした。
「い、いや、別に、偶然ここにいただけで……」
「ギターケース背負ってスタジオ前でか」
「……すみません」
そう言って視線を落とす。謝るのがあまりにも早い。
絶花が訊いた。
「入らないんですか」
「入るつもりでは、あったんです……でも、その……」
ひとりの指がケースの肩紐をいじる。癖なんだろう。言葉に詰まるたび、そこへ逃げる。
「昨日のあとだと、鳴らしたらまた変になる気がして」
「だろうな」
俺は即答した。
ひとりが顔を上げる。
「否定しないんですか……」
「する理由がない。実際、変になる可能性は高い」
「うっ」
見事に詰まった。
こういうところだ。慰めから入らない。けど切り捨てもしない。事実だけ置く。
「ただ、そこで外に立ってても何も進まねえ」
スタジオのドアへ目を向ける。
「入るぞ」
「えっ」
「何だ」
「……ほんとに入るんですか」
「お前がいるのに、ここまで来て帰る理由がない」
「ひどい」
「知ってる」
ひとりはもう一度だけ逃げるか迷う顔をしたが、結局、俺たちより先にドアを開けた。
小さな受付を抜けて、空いていた個室へ入る。狭い。アンプ、マイク、折りたたみ椅子、壁の吸音材。外よりは静かだが、完全な無音ではない。こういう場所の沈黙は、音を出す前提で待っている沈黙だ。
ひとりはドアの近くの椅子を選んだ。今にも逃げられる位置だ。徹底してる。
「……ほんとに話すんですか」
座るなり、ひとりが言った。
「話す」
「昨日あれだけやっといて?」
「だからだ」
「普通、距離置きません……?」
「置いたら余計に歪むだろ」
ひとりが言葉を失う。
絶花が静かに言う。
「たぶん、そうです」
「宮本さんまで……」
声に力がない。けど、完全に閉じてはいない。昨日のあとで、ここに来ている時点でそうだ。怖い。けど、音を捨てる気もない。その矛盾の中にいる。
「後藤」
「あっ、はい」
「お前の音は単純だ」
「……は?」
「感情が音に乗る」
ひとりの顔を見る。逃げたそうだ。けど聞いている。
「乗った音が、霊力を伴って外へ出る。それをお前が持たずに押し込める。だから歪んだ不協和音として漏れる」
「そ、そんな簡単に……」
「簡単だからだ」
「全然簡単じゃないです!」
ひとりが思わず声を上げた。ああ、そこは出るんだな、と少しだけ思う。
「勝手に鳴るし、人に刺さるし、街まで変になるし……そんなの、才能って言葉で片づけないでほしいです……!」
「片づけてねえ」
俺は言う。
「定義してるだけだ」
ひとりの唇が止まる。
怒っている。怖がっている。けど、その両方の奥に、否定されたくない気持ちも見える。じゃなきゃここまで食いつかない。
「危険なのは事実だ」
続ける。
「街を傷つける。人も乱す。昨日見た通りだ」
ひとりの肩が少し縮む。
「だが、壊れてはいない」
その一言で、今度ははっきり反応が変わった。
「……持つって、何を」
かなり小さく、そう返す。
「自分の音だ」
「そんなの、無理です」
「今はな」
「今はって……!」
「逃げ場として鳴るから狂う」
ひとりのケースを見る。布越しでも、まだ浅くざわついているのが分かる。
「なら、自分の意思で鳴らせばいい」
「人前でとか、無理ですって……!」
「人前かどうかは後だ」
俺は椅子の背にもたれたまま言う。
「まずお前が、自分の音を自分のものとして触れ」
ひとりは何も言わなかった。
言い返したい。けど言葉がない。そういう顔だ。
そこへ絶花が口を開いた。
「後藤さん」
「……はい」
「私は、昨日の音、怖かったです」
「ですよね……」
ひとりが目を伏せる。
「でも、後藤さんがギターの弦の話をしていた時の方が、ずっと自然でした」
その言葉で、ひとりがゆっくり顔を上げた。
「……え」
「苦しい音より、そっちの方が後藤さんらしかったです」
「そんなの……」
「嫌なだけではなかったです」
絶花はいつもの調子で言う。余計な飾りがない。だから変に重くなる。
「だから、私はあの変な異音より、後藤さんがちゃんと持ってる方の音を聞きたいです」
ひとりは黙り込んだ。
年下にまっすぐ言われるのは、こいつにとってたぶんかなり効く。反論したくても、その言葉の中に悪意がないからぶつけ先がない。
「……宮本さんって、わりと容赦ないですよね」
「そうですか」
「そうです……」
その返しに、少しだけ空気が緩んだ。
その瞬間だった。
ケースの中で、弦がかすかに鳴る。
びり、ではない。もっと細くて、短い。
ひとりが反射的に身を固くした。
「……っ、また」
「待て」
俺はすぐに言う。
「今は押さえるな」
「え」
「昨日のと違います」
絶花も、同時に気づいたらしい。
今の音は短い。けど、歪んでいない。単音だ。細くて、まだ頼りない。けど芯がある。昨日までみたいに、空気へ棘を撒き散らす鳴り方じゃない。
ひとりの目が、ケースへ落ちる。
「……今の」
「それだ」
「え?」
「昨日までの不協和音じゃない」
俺は言い切る。
「今のが、お前の音の本来の形に近い」
ケースの中の気配が、一瞬だけ一点へまとまった。まだ始解じゃない。斬魄刀の声とも少し違う。だが、見えた。“鳴らされる音”じゃなく、“鳴らせる音”の方向が。
「はい」
絶花が頷く。
「さっきの方が、自然でした」
ひとりはしばらく何も言わなかった。
完全に理解したわけじゃない。受け入れたわけでもない。ただ、自分の中に、昨日までの嫌な音と違う何かがあることだけは、今のでごまかせなくなった。
「……まだ、全然信じてないです」
やがて、ひとりが言った。
「そんな簡単に、“才能”とか言われても困るし……」
「今すぐ受け入れろとは言わねえ」
「でも、また来るんですよね」
「ああ」
ひとりが深く項垂れる。
「最悪……」
「でも、今の音は昨日よりずっとよかったです」
絶花がそう言うと、ひとりは肩を震わせた。
「……そういうの、じわじわ刺さるのでやめてほしいんですけど……」
「やめないだろ、こいつは」
「はい」
絶花が頷く。
ひとりが机へ額をつきそうな勢いでうなだれた。けど、前みたいな完全拒絶じゃない。今のはただの逃げ言葉だ。本気で閉じるやつは、もう少し黙る。
「次は、お前が自分で鳴らす番だ」
俺が言うと、ひとりの身体が小さく止まった。
怖い顔だった。けど、その言葉を全力で拒絶する顔じゃなかった。
それで十分だ。
スタジオを出る時、外はもう夕方の色を濃くしていた。路地の空気は少し冷えて、昼間のざらつきもだいぶ薄くなっている。
歩き出してから、絶花が言った。
「後藤さん、少しだけ変わりました」
「何が」
「昨日は、自分の音を全部嫌がってました」
「今日は違ったか」
「全部ではなくなってました」
それが一番大きい。
後藤ひとりの音は、壊れた異常じゃない。危険ではある。実際、街を傷つけもした。けど、本質はそこじゃない。
自分の中のものを、自分の手で持てていないだけだ。
だったら次にやることは一つだ。
異音を止めるんじゃない。あいつ自身に、自分の音を鳴らさせる。
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