※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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私の音で、ここにいる

 翌日の駒王は、ようやく街の底が静かだった。

 

 静かといっても、元から音の多い街だ。車の走る音も、人の話し声も、店先の音楽も消えない。ただ、ここ数日ずっと地面の下に噛んでいた嫌なざらつきが薄い。耳じゃなくて神経の方へ引っかかる、あの噛み合わせの悪さが、今日はだいぶ引いている。

 

「落ち着いてます」

 

 隣を歩く絶花が言った。

 

「そうだな」

 

「後藤さんが、昨日ちゃんと持ったんだと思います」

 

 その言い方は正しい。完全に収まったわけじゃない。けど、勝手に漏れていたものが、一度は持ち主の手を通った。そこは大きい。

 

「一歩はな」

 

 俺は前を見たまま言う。

 

「でも、まだ終わってないです」

 

「ああ。音を出せるようになっただけじゃ足りねえ。次は、その音をどこに置くかだ」

 

 絶花が少しだけこっちを見る。

 

「……王国、ですね」

 

「そうだ」

 

 それ以上は言わなかった。言わなくても、今日やることは決まっている。

 

 スタジオへ着くと、後藤ひとりは昨日と同じ個室にいた。

 

 だが、昨日と同じではないところもある。

 

 ギターケースが、今日はもう開いていた。

 

 膝の前に立てかけるようにはしているが、閉じて逃げてはいない。中のギターも、半分だけじゃなく、ちゃんと見えている。たったそれだけの差だが、こいつにはかなり大きい。

 

 ひとりは俺たちを見るなり、小さく肩をすくめた。

 

「……また来た」

 

「来るって言った」

 

「言ってましたけど……」

 

 言いながらも、前みたいに今すぐケースを閉じようとはしない。視線だけが少し落ち着かない。

 

 絶花がギターを見る。

 

「今日は、閉じてません」

 

 ひとりがそっちへ目を向ける。

 

「……閉じたら、また最初に戻りそうで」

 

「正しいな」

 

 俺が言うと、ひとりは露骨に困った顔をした。

 

「そこで肯定されると逆に困るんですけど」

 

「慣れろ」

 

「無茶言うなあ……」

 

 声に、昨日より少しだけ力がある。

 

 そこへ、細い共鳴が走った。

 

 アンプのランプがちらつく。壁際に立てかけてあった予備のギターの弦が、誰も触っていないのにかすかに鳴る。部屋の空気が薄くざらつく。

 

「残りがいます」

 

 絶花が言った。

 

「ああ」

 

 前まで街へ散っていた異音の残滓だ。量は少ない。だが、持ち主が近くにいるせいで最後にもう一度噛みつこうとしている。

 

 ひとりの顔がこわばる。

 

「……また、私」

 

「違う」

 

 俺はすぐに言う。

 

「“また勝手に鳴る”で終わらせるな」

 

 ひとりが息を止める。

 

「今度はお前が先に出せ」

 

「無理ですって……!」

 

 壁の吸音材が細かく揺れる。低い不快音が、聞こえるか聞こえないかの境目で伸びる。

 

「押し込めるから歪む」

 

「でも、私が触ると余計に変に――」

 

「漏れる前に、お前が先に鳴らせ」

 

 ひとりがギターを見る。怖いんだろう。昨日、街を乱したあとだ。自分の手を伸ばすのが怖くないはずがない。

 

 絶花が静かに言う。

 

「後藤さん」

 

「……はい」

 

「前の単音の方が、後藤さんらしかったです」

 

 ひとりの視線が絶花へ向く。

 

「変な異音より、あっちを聞きたいです」

 

 短い。けど、それで十分だった。

 

 ひとりがゆっくりギターを抱え直す。

 

 俺は言う。

 

「終わらせるなら、お前がやれ」

 

 一拍。

 

 ひとりが息を吸う。

 

「……鳴り響け、不狂和音」

 

 始解は、昨日よりずっと自然だった。

 

 ギター型の斬魄刀が、ひとりの手の中へ静かに収まる。暴れる感じはない。持ち主に戻るべきものが、ようやく定位置へ落ちたみたいな収まり方だった。

 

「昨日より速いです」

 

 絶花が言う。

 

「当たり前だ」

 

 俺が返す。

 

 ひとりは小さく息を呑んで、それから弦を鳴らした。

 

 短いフレーズ。

 

 まっすぐな音が、部屋の隅に残っていたざらつきへ重なる。壁際の低い共鳴がほどけ、アンプのランプのちらつきが止まる。続けてもう一音。今度は少し低く、強い。嫌な残響だけが砕けて、空気が澄んだ。

 

「……これで」

 

 ひとりがもう一度弦を弾く。

 

 最後のざらつきが、糸を切られたみたいにほどけて消えた。

 

「終わりました」

 

 絶花が言った。

 

「ああ」

 

 俺は頷く。

 

 ひとりは不狂和音を抱えたまま、しばらく動かなかった。

 

「……ほんとに、自分でやった……」

 

「そうだな」

 

「勝手に、じゃなくて」

 

「お前が鳴らした」

 

 ひとりの目が、ゆっくりとギターへ落ちる。そこにあるのは、数日前までみたいな“怖いもの”を見る目じゃなかった。まだ怯えは残っている。けど、その奥に、ようやく自分の手の中のものとして見る色が混じっている。

 

 スタジオの裏手のベンチへ移ると、夕方の風が少し冷たかった。

 

 ひとりは不狂和音を消したあとも、手のひらを何度か見ていた。音がもう勝手には漏れていないことを、指先で確かめるみたいに。

 

「……一人だと、また押し込める気がします」

 

 ぽつりと、ひとりが言った。

 

「だろうな」

 

 俺が返すと、ひとりが少し口を尖らせる。

 

「そこ、否定してほしかったんですけど」

 

「嘘ついても意味ねえ」

 

「ですよね……」

 

 苦い笑い方だった。けど、昨日までの自嘲だけの笑いじゃない。少しだけ、他人に言葉を返す余裕がある。

 

「この音、ちゃんと持ちたいんです」

 

 それは、かなりはっきりした声だった。

 

「逃げるためじゃなくて。ただ閉じこもるためじゃなくて。……ちゃんと、自分の音として」

 

 絶花が静かに頷く。

 

「はい」

 

「でも、一人だと無理そうで……」

 

 そこまで言って、ひとりは小さく息を吐いた。弱音というより、現状確認に近い声だった。

 

 なら、言うことは一つだ。

 

「後藤」

 

「あっ、はい」

 

「その音を、お前のまま腐らせる気がないなら、うちへ来い」

 

 ひとりが顔を上げる。

 

「……うち」

 

「王国だ」

 

「そんなあっさり言います……?」

 

「お前の力は、一人で抱えるには広い」

 

 ひとりは黙ったまま聞いている。

 

「前に出て斬るもんじゃない。後ろから場を狂わせ、整え、支える。そういう兵士だ」

 

「兵士……」

 

「役割を持て」

 

 俺は言う。

 

「音を逃げ場じゃなく、力として置くなら、場所が要る」

 

 ひとりの目が揺れた。

 

 たぶん、それを待っていたわけじゃない。けど、拒みきれない言葉だったはずだ。必要とされることに慣れていないやつほど、こういう言葉に弱い。

 

 そこで絶花が口を開く。

 

「後藤さん」

 

「……はい」

 

「私は、後藤さんの音が嫌いじゃないです」

 

 ひとりが完全に止まった。

 

「……そういうの、急に言うのほんとやめてほしいんですけど……」

 

「本当なので」

 

「年下にそういう真っ直ぐなやつされると、かなり来るんですけど……」

 

「でも、そう思いました」

 

 ひとりが苦く笑う。

 

 けど、その笑いはもう逃げだけの笑いじゃない。

 

「……ほんと、ずるい」

 

「何が」

 

 俺が言うと、ひとりは不狂和音が消えた自分の手を見る。

 

「太郎さんも、宮本さんも。こっちが断りにくい言い方ばっかりする」

 

「断るなら断ればいい」

 

「そういうとこなんですよ……」

 

 少しの沈黙。

 

 路地の向こうで、車の音がした。駒王の夕方らしい音だ。けど、前みたいなざらつきはもう底にない。

 

 ひとりが、ゆっくり息を吸う。

 

「でも、断らないです」

 

 小さい声なのに、思ったより真っ直ぐだった。

 

「この音、逃げるためじゃなくて、ここにいるために持ちたいので」

 

 それで十分だ。

 

 俺は王国の駒を差し出した。

 

「来い、後藤ひとり」

 

 ひとりの目が、駒へ落ちる。

 

「お前の音を、うちの兵士として使え」

 

 差し出されたままの駒を、ひとりはしばらく見ていた。怖いんだろう。居場所を持つのも、役割を持つのも、こいつにとってはたぶん音と同じくらい怖い。

 

 それでも、手は伸びた。

 

 指先が駒に触れる。

 

 光が走る。派手じゃない。静かで、でも芯のある光だ。不狂和音が、それに応じるみたいにかすかに鳴る。今度は歪みじゃない。短い余韻だけを残す、ちゃんとした音だった。

 

 絶花が頭を下げる。

 

「……よろしくお願いします」

 

 ひとりが少しだけ目を丸くして、それから小さく頷いた。

 

「……はい。よろしく、お願いします」

 

 帰り道、駒王の夜はいつも通り音が多かった。

 

 けどもう、その下に嫌なざらつきはなかった。

 

 後藤ひとりの音は、最初は街を傷つける異音だった。押し込めたものが歪み、持ち手を失って漏れていた。

 

 だが今は違う。

 

 あいつは自分で鳴らした。自分で持つと決めた。だったら、あれはもう異音じゃない。

 

 後藤ひとりの音だ。

 

 うちの兵士の音だ。

 

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
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