サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
男は、戦う気配を見せなかった。
腕を組んで、いや、片手は浴衣の合わせに突っ込んだまま。街灯の光を背にして立っている。重心が後ろ寄りで肩の力は抜けている。いつでも逃げられる、あるいはいつでも踏み込めるどちらにも取れる曖昧な構え。
だが、殺気はない。
ないはずなのに、背中が粟立つのが止まらない。
(何者だ)
金髪の男。浴衣。夜の街角に立つにはあまりにも異質な出で立ち。まるで時代劇から抜け出してきたみたいだ。いや違う。あの男がまとっているのは「異世界の気配」だ。俺にはそれが分かる。ジューマンたちと過ごしたあの一夏、嫌というほど味わった人ならざる者の匂い。
男の視線が、俺の体を上から下へ下から上へと這い回る。
(値踏みしてやがる)
動物園の珍しい動物でも見るような品定めでもするような、そういう目だ。敵意よりも先に好奇心が走っている。それが逆に不気味だ。
「へぇ……」
男の口元が、わずかに緩んだ。
夜風が金髪を揺らす。浴衣の裾がはたはたと鳴った。
「思ったより若いんだな」
声。
低いが軽い。静かな夜にやけに通る声。笑っている。笑っているのに、油断が見えない。声の中に深い闇のようなものが底流しているのを感じる。
そして男は言った。
「お前が、ジュウオウイーグルか?」
その瞬間だった。
心臓が跳ねた。音が聞こえるくらい大きく、肋骨の内側で何かが爆発したように。
(今、何て言った?)
耳の奥で自分の血流がどくどくと音を立てる。さっきまでの冷たい夜風が嘘のように、体の芯から熱いものが噴き出してくる。
ジュウオウイーグル。
その名前は――この世界の誰が知っているはずもない名前だ。
俺が王国の駒を託し、ジューマンたちが変身して戦う戦士の名。その中の一つ。鷹の駒を受け継ぎ鷹のジューマン……いや、正確には俺自身が変身するわけではないがこれは俺たちの戦いの証。過去の一夏の冒険の中でしか、あの世界の中でしか通じないはずの呼び名だ。
なのに、この男は。
「お前……何でそれを……」
声がひび割れた。喉の奥が張り付く。一気に滑り出した冷や汗が、背中を伝い落ちる。
「ユキカゼ」
背後にささやく。
「周囲に誰かいないか?」
「……今のところ、この男以外の気配はないでござる」
ユキカゼの声も硬い。狐耳が完全に伏せられ、警戒を示している。彼女の尻尾はゆっくりとしかし鋭く左右に揺れていた。臨戦態勢を維持しながら、いつでも飛び出せるように後ろ足で地面を踏みしめている。
(ユキカゼも感じ取っている。この男は、只者じゃない)
むしろ、下手に動かない方がいい。あの男の周りには目に見えない何かが渦巻いている気がする。本能が叫んでいる。逃げ出すか、全力で変身するか。それ以外の選択肢がない。
だが、動けない。
動くべきか、動かざるべきか。俺の脳みそがフル回転してる。
男は、そんな俺を見てさらに口元を上げた。
「警戒してるな。いい心がけだ。元気があって何よりだ」
軽い口調。冗談のようにも聞こえるがこの男の言葉は、一言一言が計算されている気がする。どんな返答を引き出すかどんな反応を見るか。会話が始まった瞬間から、俺はこの男の掌の上で転がされているような錯覚に陥る。
「だがまあ、そう固くならなくてもいいさ。今はお前と少し話がしたいだけだ。ジュウオウイーグル」
また、呼んだ。
また、その名前を。
俺の指先に力がこもる。拳を握りしめた手のひらがじっとりと汗ばんでいく。口の中が乾いて、貼り付いた舌を剥がすのに意識を使わなければならない。
「……戦う気は、ないってのか?」
ようやく絞り出した声は、低く震えていた。情けない。王になる男の声じゃない。だが今はこれが精一杯だ。
男は、片方の眉を上げた。値踏みするような面白がるような。そしてゆっくりと首を横に振った。
「見れば分かるだろ? 夜風に当たりに来ただけさ。まあ、ついでにお前がどんな奴か見てやろうとは思ってたけどな」
夜風に当たるためだけに深夜二時にアパートの前で俺を待っている? しかも、俺の正体を知った上で?
(嘘だ)
心の中で決めつける。この男の言葉を真に受けるな。危険だ。ユキカゼの耳が微かに動くのが、俺の隣で分かる。
「お前、一体……何者だ?」
喉の奥から、絞り出すように問いかけた。
街灯の明かりの下で、男の金髪が輝いた。夜風が男の浴衣をふわりと膨らませる。まるで、この夜そのものが男の舞台装置になってるみたいだ。
男は、答えなかった。
ただ、にやりと笑って俺を見つめていた。その視線に、先ほどの好奇心が、さらに強い色を帯びている。
「ジュウオウイーグルだろ」
俺の正体を知る存在がこの世界にいる。その事実だけで、目の前の世界の輪郭がぐにゃりと歪んでいくようだった。
俺の問いかけは、夜風に吸い込まれた。
「お前、一体何者だ?」
その言葉が空中に漂ったまま、男は答えなかった。いや、答えるつもりがないのではない。答える対象が俺じゃなかったのだ。
男の視線が、滑った。
俺の顔から。肩から。腕から。全身を舐めるように動いていたあの値踏みする視線が、ある一点で止まった。
胸元。
「…!」
体が勝手に強張った。男の目が、俺の胸の中心を見ている。正確には、その奥にあるものを。王者の資格と融合した王国の駒。俺の神器が眠る場所だ。
「へえ……」
男の声が変わった。
さっきまでの軽薄な笑みが、別の何かに差し替えられる。口元の緩み方が質を変えた。冗談を言う時の緩みじゃない。もっと原始的な、純粋な何かが顔を出したのだ。
目だ。
男の目が、変わった。
街灯の薄明かりの下で、男の瞳がきらきらと輝いている。そう表現するしかない。子供が目の前で珍しいおもちゃを見つけた時のような、あの輝き。好奇と興奮が混ざり合った、邪気のない光。
(何だ、この目は)
背筋の寒さとは別の何かが、俺の中で警鐘を鳴らす。この男は今、俺を見ていない。俺の奥にある何かを見ている。
「素晴らしい神器だな」
男が言った。
感慨深げに。まるで美術品を評鑑する鑑定士のように。
「いや――素晴らしいじゃ済まないか。あの構成、あの融合の仕方。未知のシステムが既存のフレームワークと完全に噛み合っている。しかも駒という形式を保ったまま特性を変容させているだと? これは……」
男の言葉が加速した。
早口になる。独白に近い。俺に話しかけているのか、それとも自分の思考を外に漏らしているだけなのか、境界が曖昧だ。
「通常の神器の範疇じゃない。かといって人工神器の系統でもない。だが基礎構造はどちらの系譜も感じさせる。このハイブリッド感がたまらない。誰が設計したんだ? いや設計者はともかくとして、この融合プロセスの再現性はあるのか?」
(何を言ってやがる)
俺は呆気にとられていた。
さっきまでの殺気とした張り詰めた空気が、嘘のように消えている。男は今、戦闘員の顔をしていない。目の前に獲物を置いた研究者の顔をしている。俺の胸元に眠る神器を、解剖台の上の標本みたいに眺めているのだ。
「開発者の血が騒ぐなあ」
男が楽しそうに呟いた。浴衣の袖から手を出して、顎に手を当てる。思索する仕草だ。だがその目はまだ俺の胸元に釘付けになっている。
「じ、人工神器…?」
俺の口から、その単語が勝手に転がり出た。
男の視線が、一瞬だけ俺の顔に戻った。
「お、知らないのか? 人工神器。まあ無理もないか。一般の人間が知ってるはずがない用語だしな」
「人工神器ってのは、なんだ」
「言って字の如くだ。人工的に作られた神器のことさ」
男は当然のように言った。天気の話でもするみたいな軽さだ。
(作られるのか、神器が)
神器は人間が生まれ持つ特異能力だと聞いていた。先天的なものであり、後天的に作れるものではない。そう認識していた。だがこの男は「人工的に作る」と言った。それが可能だという前提で話している。
背後でユキカゼが微かに息を呑んだのが分かった。彼女もこの情報の異常さを理解したのだ。
「…お前、神器の研究をしてるのか?」
俺の問いに、男はニカっと笑った。
「研究? まあ、そうだな。趣味みたいなもんだ。いや趣味って言うと軽すぎるか。まあ一生の仕事ってところかな」
楽しそうに。本当に楽しそうに言う。
この男は危険だ。戦闘員としての危険さじゃない。俺の神器を解読しようとしている。俺の力の仕組みを暴こうとしている。それは剣を向けられるのとは別の種類の脅威だ。
(俺の神器が暴かれたら、どうなる?)
王国の駒の仕組み。王者の資格との融合。ジューマンの力を引き出す能力。それらが解明された時、俺たちの優位性は消滅する。ただの弱点の露出になる。
だが男は、奪おうとしている様子はない。むしろ純粋に観察している。標本をルーペで覗き込む昆虫学者みたいに。それが逆に、どう反応していいか分からない。
(こいつ、何者だ)
戦う気はない。だが危険だ。剣よりも筆の方が怖いタイプの人間。俺は今、そういう目の前に立たされている。
男が満足げに頷いた。
「いやあ、本当にいいもんを見せてもらったよ。こんな夜中に外に出てきて正解だった」
まるで散歩で珍しい花を見つけた時みたいな口調だ。
俺の胸元に眠る神器を「いいもん」と呼ぶこの男の特異な性質が、少しずつ輪郭を見せ始めていた。
女王は誰にする?
-
アルファ
-
ララ·サタリン·デビルーク
-
エミリア