※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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釣り糸の先に猫と影

川の音が耳に気持ちいい。

 

朝の霧がまだ残っている。森の中を流れるこの川は、ジューマンワールド側の水だ。透き通っていて、底の石が一つ一つ数えられるほど澄んでいる。

 

俺は川岸の岩に腰を下ろして、釣り糸を垂らしていた。

 

釣り竿は現地調達だ。細い枝に糸を結びつけ、針にはユキカゼが森で拾った虫を付けている。原始的だ。だが原始的でいい。ジューマンワールドの魚は人間の世界のものより大きいし、何より引きが強い。

 

「太郎さん、釣れましたか」

 

後ろからユキカゼが顔を出す。狐耳がピコピコと動いている。朝の光に照らされた銀髪がきらきらと光る。

 

「まだだ。静かにしてろ。魚が逃げる」

 

「でもお腹が空いたでござる」

 

「さっき朝粥食べただろ」

 

「あの量では足りないでござる。育ち盛りでござるから」

 

「お前、何歳だよ」

 

「秘密でござる」

 

「なぜ秘密なんだ」

 

「乙女の年齢は秘密でござる」

 

「狐に乙女も何もないだろ」

 

「あるでござる!」

 

ユキカゼが膨れた。尻尾がぷりぷりと揺れている。

 

俺はため息をついた。まあいい。騒がしいが、この騒がしさがキャンプだ。

 

*  *  *

 

釣り糸が揺れた。

 

来た。

 

糸がピクリと引かれる。待て。まだだ。魚が餌をくわえたばかりだ。もう少し。もう少し深く飲み込ませる。

 

(…今)

 

「引いたでござる!」

 

「うるさい! 声出すな!」

 

「あっ、すみませんでござる」

 

ユキカゼが口を両手で押さえた。遅い。だが魚はまだ食いついている。

 

糸が引かれた。強い。重い。腕に伝わる引きが、ジューマンワールドの魚の力だ。人間の世界の魚とは引きが違う。暴れる。暴れる。糸がきしむ。

 

「来い」

 

俺は糸を巻き始めた。腕が痛い。昨日の分身斬りの反動がまだ残っている。だが引く。魚が水面で跳ねた。銀色の鱗が朝の光に煌めく。

 

デカい。

 

人間の世界の尺くらいある。いやそれ以上だ。ジューマンワールドの川魚は、サイズが桁違いだ。

 

「太郎さん、デカいでござる!」

 

「分かってる。手伝え」

 

「はいでござる!」

 

ユキカゼが岩場から降りて、水面の魚に手を伸ばす。狐ジューマンの反射神経が魚の動きを追う。パシャッと水が跳ね、ユキカゼの手が魚の腹を掴んだ。

 

「捕まえたでござる!」

 

「よし」

 

俺は糸を緩める。ユキカゼが魚を岸に引き上げた。銀色の大魚が岩の上で跳ねる。

 

「でかいな。これなら昼飯に十分だ」

 

「今夜は塩焼きでござるね」

 

「ああ。ユキカゼの塩焼きは上手いからな」

 

「ふふん。当然でござる。狐の料理の腕は伊達じゃないでござるよ」

 

尻尾が得意げに揺れる。まあ認める。ユキカゼの料理は上手い。あの夏も、こいつが作る飯が一番まともだった。

 

*  *  *

 

釣りを続けた。

 

ユキカゼは魚を一匹持ってテントの方へ戻っていった。「下ごしらえをしてくるでござる」と言って尻尾を振りながら去っていく。助かる。

 

俺は一人で川岸に残った。

 

静かだ。

 

川の音。風の音。鳥の声。ジューマンワールドの朝は、人間の世界より音が多い。だが不思議と煩くない。全部が自然の音だからだ。

 

釣り糸をもう一度垂らす。

 

ぼんやりと水面を見ていた時だ。

 

視線を感じた。

 

何かが見ている。

 

俺はゆっくりと顔を上げた。川の対岸。木陰の中。

 

そこに、いた。

 

黒猫だ。

 

小さい。子猫くらいのサイズ。いや、もう少し大きいか。漆黒の毛並み。黄色い目。じっと、俺を見ている。

 

「…猫?」

 

俺は眉をひそめた。

 

ジューマンワールドに猫はいるのか。いたとして、普通の猫だろうか。いや、ここはジューマンワールドだ。猫ジューマンという可能性もある。だが、こいつは猫のままの姿をしている。ジューマンなら獣の特徴を持った人間の姿のはずだ。

 

(野良猫か? いや、ここは異世界だ。野良猫がいるのか?)

 

黒猫は動かない。座って、俺を見ている。ただそれだけ。だが何かが引っかかる。

 

(自然に近づいてくる動物は、餌を求めているか、人に慣れているか。どっちだ)

 

黒猫の目が、俺をじっと見ている。黄色い瞳。大きくて、澄んでいる。まるで知性を持った目だ。野良猫の目じゃない。

 

「お前、何者だ」

 

声をかけた。黒猫は瞬きをした。一度。ゆっくりと。

 

そして、立ち上がった。

 

のんびりと、背筋を伸ばす。あくびをする。猫の仕草だ。だがその仕撃の一つ一つが妙に人間的で、俺は首を傾げた。

 

(気のせいか。いや、気のせいじゃない気がする)

 

黒猫は、のんびりと歩き始めた。川岸に沿って、上流の方へ。何度も振り返りながら。まるで「ついて来い」と言っているように。

 

「おい、どこへ行く」

 

黒猫は答えない。当たり前だ。猫だ。いや、猫だよな?

 

俺は釣り竿を置いた。釣り糸を巻く余裕はない。あの猫が気になる。なぜか。分からない。だが王の勘が働いている。放っておいてはいけない気がする。

 

黒猫について歩いた。

 

川沿いの小道を上流へ。木々の間を抜ける。苔の生えた岩を越える。黒猫は軽快に歩く。だが速くない。俺の歩速に合わせているようだ。

 

(待てよ。猫が人間の歩速に合わせるか?)

 

普通は合わせない。猫は猫の速度で歩く。だがこいつは、わざわざ遅く歩いている。

 

「おい」

 

黒猫が止まった。振り返る。黄色い目が俺を見た。

 

それから、消えた。

 

「え?」

 

消えた。いや、消えたんじゃない。岩の陰に入っただけだ。見えなくなっただけだ。

 

俺は岩のそばまで歩いた。

 

「どこへ行った」

 

岩の陰を覗き込もうとして、気づいた。

 

岩の向こう側に、誰かいる。

 

*  *  *

 

黒い着物。

 

それが最初に目に入った。

 

黒い着物を着た女が、川岸の岩に腰を下ろしている。長い黒髪が肩から背中へ流れている。肌が白い。着物の黒に映える白さだ。

 

美人だった。

 

いや、美人という言葉じゃ足りない。艶がある。危険な艶。目が大きい。黄色い目。猫の目だ。

 

(黄色い目)

 

俺は一瞬止まった。

 

(さっきの猫と同じ目だ)

 

黒猫の黄色い目と、この女の黄色い目が、同じ色をしている。同じ光をしている。

 

(まさか、ジューマンか?)

 

ジューマンなら、獣の特徴を持った人間の姿をしている。この女の頭に耳があるかどうかは分からない。着物で隠れているかもしれない。だが、黄色い目。そして、さっきの黒猫。

 

(黒猫が、人間の姿になったのか?)

 

俺は立ち止まったまま、女を見た。

 

女も俺を見ていた。

 

黄色い瞳が、静かに俺を捉えている。表情は薄い。だが敵意はない。ただ、見ている。観察するように。

 

「…お前、さっきの」

 

俺が口を開くと、女が微かに首を傾げた。

 

黒髪が揺れる。着物の袖が水風に靡く。

 

何も言わない。ただ見ている。

 

(ジューマンか? いや、ジューマンの気配じゃない。王国の駒が反応していない)

 

ジューマンなら王国の駒が反応するはずだ。だが駒は動いていない。ということは、こいつはジューマンじゃない。

 

(じゃあ何だ。人間か? いや、普通の人間が黒猫から変化するか?)

 

分からない。正体が分からない。だが敵意はない。少なくとも今のところは。

 

「お前、何者だ」

 

もう一度聞いた。

 

女は、微かに笑った。

 

「釣れたね」

 

声が、した。

 

低く、少し掠れた声。猫が喋るような、喉の奥で鳴るような響き。

 

俺は釣り竿を見た。手に持っていない。ああ、さっき岩のところに置いたままだ。

 

「魚」

 

女が俺の後ろを指差した。振り返る。岩の陰に、釣り竿がかけてある。糸が張っている。引かれている。

 

「まだ釣り糸を垂らしたままだったよ。魚がかかってる」

 

女の声が後ろから聞こえた。

 

俺は釣り竿を拾い、糸を巻いた。重い。魚がかかっている。さっきと同じサイズの銀色の魚だ。

 

「…釣れたな」

 

「釣れたね」

 

女が隣にいた。いつの間にか。音もなく。

 

俺は魚を引き上げ、岩の上に置いた。銀色の鱗が朝の光に光る。

 

「お前、さっきの猫だろ」

 

「猫? 何のことかしら」

 

女はとぼけた。にっこりと笑う。黄色い目が細くなる。

 

「とぼけるな。黒猫が俺をここまで案内した。その猫の目とお前の目が同じだ」

 

「偶然ね」

 

「偶然じゃない」

 

「偶然よ」

 

「何でそう言い切れる」

 

「だって、猫と人間は違うもの」

 

「お前はどっちなんだ」

 

「…ふふ」

 

女は笑った。答えない。ただ笑った。

 

俺は眉をひそめた。

 

正体が分からない。ジューマンじゃない。人間かどうかも分からない。だが敵意はない。少なくとも今のところは。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
  • エミリア
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