「明日。学校一緒にいかない?」
恥ずかしくって言える訳がないと、そう思っていた。けれど、口にしてみれば案外あっさりとしてもいる。肝が座ったと言うか、そんな感じ。
キス、したからかな? 奏汰との関係に、少しだけ自信がついた気がする。
奏汰も慌てるかなって思っていたけど、意外と落ちついていて、ちょっと照れながらも頷いてくれた。
ぴよぴよと、聞こえてくる小鳥のさえずり。
青に変わった信号を見上げた美優は、けれど、その場で足を止めた。
邪魔にならないように、端による。行き交う人波の中に、奏汰の顔を探して視線を泳がせた。
とくんっ、とくんっ……。
いつもより、ちょっとだけ大きい胸の音。
緊張とか、不安とかはもちろんあって、待ち遠しいとか、焦がれるような気持ちも確かにあった。
キス……。しちゃったんだ。
ふいに思い出して、胸の奥が熱くなる。唇に指を当てて、ほっと、息を吐いた。
そこにまだ、奏汰の温もりが残っているような気がした。
今までだって、奏汰を想うことはあったのに、キスの前と後じゃ、鼓動の音が違って聞こえてくる。
もっと、一緒にいたい。
もう一歩進んで、彼の隣を居場所にしたいとさえ思う。
学校まで手を繋いで歩いてみたい。放課後も、どこかに寄り道したり。休みの日にも、待ち合わせをして。また、奏汰の部屋で二人っきりになったら……。
美優のエッチ。私のエッチ。
浮かびかけた妄想を慌てて振り払った。そうだよ、別に、やましいことなんか何にもない。またキスしたいだなんて、そんなの全然考えてるわけがないもの。
「奏汰のバカ…」
つい、思わず、口に出る。変なことを考えてしまうのは、奏汰のことを好きになってしまったせいだ。理不尽な言い訳が、彼の耳に届いてるなんて、夢にも思わない。
「えと、美優? おはよう…。悪い、待たせたか?」
「ひゃっ!? え、あ、奏汰? いつから…」
「ついさっき。信号変わったから…。えっと「バカ」って、聞こえたけど。俺、約束の時間、間違えた?」
違う、間違えてなんかない。むしろ、私が早く来すぎなだけ。待ち合わせまでには、まだ少しの余裕があるくらい。
「何でも、ないから……」
こんな朝っぱらから、奏汰とキスしていた時の事を思い出してました。
なんて、言えるわけもない。あんまりにも会いた過ぎて、悪態までついてしまった。
「なんでもないのに、バカって言われたのか、俺」
「知らない。聞き間違いでしょ?」
納得はしてくれない。けれど、これ以上突いても何も出ないと思ったのか、奏汰は渋々と頷いてくれた。だって、そんなのはもう些細なことだ。悪態をついてる暇があるなら、もっと素直に、奏汰との時間を過ごしたかった。
「じゃあ、その……。行こっか?」
「ああ、うん」
さり気なく、彼の方へ指を近づけた。少しぶっきらぼうに、奏汰は私の手を握ってくれる。胸がドキッとして、口元がニヤけそう。でも、その気恥ずかしさが、今は心地良かった。
****
その日、教室は輝きに包まれた。
お昼休みが始まって、思い思いにグループを作る少年少女たち。
美優も、奏汰も、もちろんそんな例に漏れず、二人で机をくっつけて、お弁当を広げていた。
「はい、奏汰」
ざわりと、教室が波打つ気配にも、二人は気づかない。
美優が取り出したお弁当は二つ。大きいものと、小さいものが一つずつ。
愛妻弁当。誰がどう見たってそうだ。単におかずを分け合うような仲とは、親しさが全然違う。
開かれたお弁当は、まるで宝石箱の様だった。赤、緑、黄色。
遠目に見ても、綺麗に彩られたその中身。一番に目を引くのは、ケチャップで絵の描かれたオムライスだ。蓋の裏に潰されて、絵柄は崩れてしまっているが、その努力の跡がいじらしい。隣には、エビとブロッコリーのサラダが添えられていて、箸休めにも丁度良さそうだ。
食事の終わりに、小さなタッパーから、耳の短くなったリンゴのウサギが顔を覗かせる。その時にはもう、教室の空気が甘ったるくて仕方がなくなった。
「ちょっと、はりきっちゃった……」
はにかんで笑う美優の背中に、後光すら差して見える。
「ありがとう、美優。食べていい?」
「うん。召し上がれ。なんて、えへへ……」
いただきます。二人一緒に手を合わせる。けれど、美味しそうに食べ始めた奏汰を、美優は眺めるばかりで、箸がまるで進んでない。奏汰に促されて、ようやく自分のお弁当を食べ始めていた。
眩しい。あまりに眩しい。
彼女の手作りのお弁当。そこに憧れる男子は少なくない。
ステレオタイプな恋愛観。今どき古いという声もあるけれど、一度はやってみたいと思う女子もまた多い。
夫婦じゃん。そう、からかっていた自分たちが、まるで子どものようだ。
実際にそれを目の当たりにすると、何も言えない。羨ましくってしょうがない。
ちくしょう、ちくしょう。項垂れる男子連中を、苦笑いで慰める女の子たち。
その日、クラスがちょっとだけ仲良くなった。
****
項垂れる男の子たちと、お弁当のおかずを交換しながらも、ひよりの視線は二人を追っていた。仲いいんだ……。うちのパパやママ達よりも、ずっとそう見える。
照れくささはまだ少し。それでも、微笑み合う二人からは、自然とお互いを想い合えているのが伝わってきた。
よかったね、奏汰。
そう、思うべき。それで、終り。
どう考えても、あたしは二人の邪魔だ。
それでもさ? あんなに穏やかに笑っている奏汰を見ると、居ても立っても居られなくなった。胸が苦しい。なにも横から奪いたいわけじゃない。
ずっと、言えなかったことがある。
奏汰が女の子を避けるようになってから、ずっと、ずっと「ごめんなさい」が言えないまま。今日まで来てしまった。今なら奏汰と話が出来るんじゃないか。
勝手な思い込み、ただのワガママ。そういう自分の声も聞こえていたはずなのに、焦った私は、自分で耳を塞いでいるのにも気づかない。
週が明けての月曜日。決まって美優は、愛妻弁当を抱えていた。
手作りのお弁当を囲んで、イチャイチャする二人の邪魔をする勇気までは出ない。
そんなの、クラスの誰だってそう。その内に「あーん♥」とか、やりだしそうで、戦々恐々と盗み見るので精一杯だ。
だから、それ以外の日。それぞれのお弁当を広げた美優たちに、あたしは声を掛けた。
「やっほー、みゅー♪ たまには、あたしとも食べようぜ?」
飛び切り明るく、陽気な声で。内心の不安を押し隠す為には、最初の一歩は大きい方がいい。ただ、友達をお昼に誘うだけ、一見すればおかしな事はない。美優の日直を手伝ったのだって、こういう時の為でもある。
「あ、ひよりちゃん。私は良いけど、奏汰は?」
一度、頷いた美優は、声のトーンを落として、奏汰の方を気に掛ける。
あくまで、さり気なく。無理はしないでと、言葉にしなくても、きっと奏汰には伝わったはず。
「あ、えと……。ごめん、美優。俺、ちょっと気分悪くって。弁当は二人で食べてなよ。俺は、その、保健室で休んでくる。授業までには戻るから、心配しないで」
「え、あ、奏汰?」
席を立った奏汰は、美優が止める間もなく出て行ってしまった。
その間、こっちを見たのは一度きり。少し驚いた顔をして、視線を逸らしてしまった奏汰は、あたしが知っているいつもの彼に戻っていた。
体調不良なんて嘘。そんなの、あたし以上に美優の方が分かるだろう。
「ひよりちゃん?」
奏汰が教室から出ていった後、美優の視線が、あたしに向けられる。
「奏汰となにかあったの?」彼女には当然聞く権利があって、何も言わずに立ち去るなんて、あたしには出来なかった。
「場所、変えよっか?」
気づけば、クラスの視線が集まっていた。
その事に、怖くなったあたしは、美優の手を引いて、逃げるように教室を後にした。