失敗した。
あたしはまた間違えた。
「ごめん」と言いたいだけを、今日までずっと引きずってきた。
いつかはって思いながらも、時間が経つほどに、言う機会は遠のいていくばかり。
今更、謝られても奏汰だって困るよね? もう、昔のことなんだから良いでしょ? 自分の中で、言い訳だけが育っていく。
それが良い。
私にとっては。
でも、奏汰にとってはそうじゃない。苦い記憶は思い出に変わらないまま。
何か、声を届けようにも、言葉をかけようにも、彼の顔色が分からない。
女の子を避けるようになった彼は、特にあたしのことは見てくれないから。
そんな彼に踏み込めないまま、学年が上がって、クラスも変わって、過ぎていく時間は、あたし達の接点を薄くしていった。
勘違いだってする。
時間が解決してくれたんだって、思い込んで、許された気にもなった。
笑顔で美優と話している。露骨に女の子を避ける事も少なくなって、今ならきっと大丈夫。そう、思った。
そうじゃないんだよ。
美優と一緒だから、奏汰は笑っていたんだって。あたしは邪魔をしただけだ。
我慢できなかった。今まで抱え込んできた後悔を、投げ出せるチャンスを見つけて焦ってしまった。また、同じクラスになれた今しかない。次に学年が変わってしまったら、今度こそ、彼と話す機会さえなくなるかもって。
随分勝手じゃないか。
謝られたら「うん」としか言えないのに。絶対に許さない、なんて言い返せる人が、一体どれだけいるんだろう? 謝って、許された気になって、あたしはスッキリ。そんなこと……。このまま一生罪悪感に苛まれているべきだった。奏汰に関わらない、それがせめての贖罪だったのに。
もう、堂々巡りだ。
謝って楽になりたい自分と、それを許さない自分がずっとケンカしてる。
一人で出来るのは頭を抱えるだけ。けれど、こんな事を相談出来る友達は誰もいない。
美優は、どう?
何も言わないんだ?
彼女の手を引いて、中庭にまで来たのは良い。隅っこの木陰に腰を下ろして、そこから先に行き詰まる。何から話せば良いんだろう? こんがらがった頭には、一つの言葉も浮かばなかった。
もぐもぐもぐ……ごっくん。
あたしの隣で、美優は食べかけだったサンドイッチを頬ばっていた。
何ていうか、もっとこう、せっついても良いはずなのに。奏汰の彼女だって言うなら、怒って見せても良いはずだ。なのに、美優は変わらないまま、良くも悪くもマイペース。もっと問い詰められるかと、引っ叩かれる覚悟もしていたのに。
あたしよりサンドイッチに夢中なのかよって、思わずツッコんでしまいそうだ。
ちらり……。
あたしが見ていることに気付いた美優は、少し首を傾げて「食べる?」と、残っていたサンドイッチを差し出してくれた。
「え、あ、ぁぁ……。うん、ありがと、ね?」
違う、そうじゃない。え、なに? 気にしてるのはあたしだけなの?
なんだか焦っていた自分が馬鹿みたい。ゆっくりと流れる美優の時間に、早鐘を打っていた鼓動も、次第に落ち着きを取り戻す。お腹がぐぅっとなり始め、受け取ったサンドイッチに視線を向けたあたしは、小さく口を開いた。
もぐもぐもぐ……ごっくん。
美優と一緒、彼女の真似をして、サンドイッチを飲み込んだ。
お腹、空いてたんだな。小腹が満たされた事で、ようやく空回りしていた自分にも気づけた。ふと、顔を上げれば、芝生の緑と空の青。木陰に腰を下ろしたあたし達の他にも、思い思いに昼休みを過ごす、皆の声が聞こえてくる。
随分と思い詰めていたみたい。
自分が一人ぼっちだと、錯覚してしまうくらいには、周りも見えなくなっていたようだ。
あたしが落ち着くまで、美優は待っていてくれたのかな?
どうだろう? たんにお腹が空いていただけ。あるいは、彼女なりのヤケ食いだった可能性もある。それは、それでも構わない。
穏やかなままの彼女の様子に、あたしは心底ほっとしていた。
「ごめん、美優。あたし、邪魔しちゃった」
「うん」
「あははっ♪ 頷くんだ?」
「そりゃ、そうでしょ? 奏汰、逃げちゃったもん」
やっぱりヤケ食いだったのかも知れない。あたしを見た美優の頬が、少し膨らんで見えた。
「大丈夫だよ」「ひよりちゃんは、悪くない」ありきたりな慰めを、言われるかと思っていたのに。臆面もなく頷いた美優の態度に、なんだか、気が抜けてしまった。美優ならきっと、あたしの味方をしないだろう。それは、とっても良い。
「月曜日にしなかったのは、気を使ってくれたから? なんか、こっち見てたよね?」
「まぁ、そんな感じ。近づきがたいってのもあったけどさ」
「そんなに?」
「当たり前じゃん。こっちはそのうち「あーん♥」とかやりださないかってさ、見てらんないっての」
「……」
「そのうちねって、顔するじゃん」
「してない……」
「いーや、したね、今してたねっ、絶対。恋する乙女の顔だった」
何気ない恋バナに、ますます気が解れてくる。
さっきまで、言葉選びにも窮していたのに、今は不思議と、いつも通りに美優と話せている。顔を赤くしてしまった美優を、一頻り突っついた後、あたしは大きく息を吐きだした。
「奏汰から、どこまで聞いてるの?」
首を振られる。女の子が苦手なくらいは分かるけど、それ以上は、と……。
「気になんない?」
「なるけど。最近は、そうでもないし。トラウマ? そんなの、忘れてくれるなら、それが一番かなって」
「うん、そだね……」
分かってるのかな。忘れさせたのは、美優なのに。
あたしは、トラウマを思い出させただけ。美優にそのつもりはないんだろうけど、責められたような気がして気持ちが沈む。
「ねぇ、ひよりちゃん? 奏汰の事、好き?」
「ひゃっ!? へ? あ、いや……それは、その」
好きは、好き。だけど、それはもう、そんな事はもう……良くて。
「あげないよ? それは絶対。私も譲らないから」
「いや、いらないっていうか。あたしの入り込む場所ないじゃん」
「うん」
「またうんっていうし……」
強いな、コイツ。
そういう、冗談も言えるんだ。いや、冗談ではないのだろうけど。
これが、愛されてる自覚ってやつか。引っ込み思案な印象が強かったけど、意外と良い性格をしている。図星をつかれて慌てるあたしを横目に、美優はくすくすと、いたずらっぽく笑っていた。
「まぁ、なに? 好きっていうか、好きだったっていうか……」
小学生の時の話だ。あたしがそれに気づいたのは、奏汰に嫌われた時。
あの頃の奏汰は、今より体が弱くて、学校も休みがちだった。男の子たちに混ざって走り回るのも出来なくて、少し浮いてしまっていた。
ちょっと元気づけてやろうかなって。今の二人みたいに、仲良く出来たらなって、良く彼に絡んでたんだ。
「美優はどう? 自分が体調悪いときに、隣ではしゃがれたらさ?」
「まぁ、ちょっと……。ては、思うかな」
「だよね? ウザかったと思うよ、自分でも」
景気よく話しかけて、彼の事引っ張り回して。あたしは、それで良いんだって思ってた。元気づけてるつもりになってた。
先生も、周りの皆も。ひよりちゃんは偉いねって、言ってくれてたし。
得意になってたのもあると思う。あたしが奏汰の面倒みなきゃ、みたいな使命感? 勝手に燃え上がってさ。失敗したって気づいた時にはもう、手遅れ。
その日も、いつもみたいに、朝から奏汰に声を掛けた。「おっはー♪」って、元気を押し付けるみたいに肩を叩いて。仲の良い友達同士なら、それも許されたんだろうけど。そう思ってたのはあたしだけ。
肩に置いた手を払われた時に見えた奏汰の顔が、頭から離れない。
泣きそうっていうか、悔しそうっていうか。なんだろうね。
あたしの手を払ったのにも驚いていて、気まずそうでもあった。
初めてだった。彼のあんな顔。そもそも、そんなになるまで、ちゃんと見ていなかった事に、今更気づかされる。奏汰はいつも、曖昧に笑ってたから。遠慮してるだけだなって、勝手に思い込んで。
違うよね。ずっと困ってたんだ。
あたしに悪気がないから、あんまり強くも断れなかっただけ。
本当に体調が悪かった日もあったかもしれない。そのせいで悪化したことだって、きっと。そういう小さなイライラが、積み重なっていく内に、つい態度に出てしまった。
「あたしの手を払ったときに、奏汰の指先が、目元、掠っちゃったの」
ほんとうにそれだけ。ただの事故。いっつもケンカしてる男の子たちに比べたら、全然可愛いもんだった。けれど、タイミングが悪かった。それを他の女の子に見られてた。
「その子いきなり、深見くんひどーいっ! て、言い出すんだもん」
「それは……」
「何も知らないでって思うよね? ていうかお前誰だよって、感じでさ」
その後はもう、大惨事。一人が声を上げたら、皆集まってきて収集がつかなくなった。なんで関係ない子たちがこんなに騒いでるの。意味がわからない。
驚いたあたしは、声も出せなくて、何より奏汰に嫌われちゃったって、それが、悲しかった。
泣けてきたよ。
あたしは、今まで何やってたんだろうって。
ごめんなさい。違うんだって。真っ先に言うべきだった。あの場で奏汰をかばえるのは、あたしだけだったのに。泣けば泣くほど、あたしが庇われて。奏汰は責められた。それでも、何も言えなかった。奏汰のことを取り囲む子達の剣幕が、あんまりに怖くて。今度は、自分にそれが向くんじゃないかって思うと、何も言い出せなかった。
「ずるい女なんだよ、あたしは。今だって、美優に引っ叩かれたら楽になるかもって思って、こんなこと話してんの」
いつも元気で、明るい女の子。奏汰が女の子を避けるようになったのと同時に、あたしはそれを強く演じるようになった。相手の顔色を伺うのにもなれて、穏便に事を済ませるのが上手くなる。
誰かと深く関わるのが怖くなっていた。
また、知らない内に傷つけたりしてないか、それが怖い。
最初は失敗することも多かったけど、今じゃクラスの人気者。友達こそは増えたけど、そんなあたしの内心を知ってる人は、多分いない。人を遠ざけるようになったって意味では、あたしも奏汰と同じだった。
「ん……えっと」
一通り、話し終えた後、あたしの隣で美優は神妙な顔をしていた。
困らせちゃったか。そりゃそうだ。勝手な独白に付き合わせたようなものだし。
あまつさえ、引っ叩いてくれだなんて。それで気が楽になるのは、あたしだけだっていうのに、つい。小さく頷きながら、最後まで話しを聞いてくれた美優に、甘えたくなってしまった。
「私、叩いた方が、いいの?」
「え? あぁ、うん。よし、こいっ!」
覚悟は出来てる。それも本望だ。ぎゅっと目をつぶったあたしは__。
だけど、いつまで経っても、頬を打つ感触は訪れない。
その代わり、固く握った拳が、美優の手のひらに温かく包みこまれる。
「ひよりちゃん。奏汰とお話、したい?」
「あっ…」
胸が、詰まる。
何だよ、こいつ、天使じゃん。冗談でもない本音だ。
「ひよりちゃんは悪くない」あたしの味方をするでもなければ「奏汰が悪いよね」って、彼を悪者にもしない。
言いたくて、言い出せなかったこと。
美優が、手を差し伸べてくれた。
「美優……。ありがと」
「うん」
ぎゅっと、抱きついていた。ぶわぁっと、涙が溢れてくる。
胸の支えが取れた気がした。今まで誰にも言えなかった胸の内を全部吐き出して、受け止めて貰えた。否定するでも、肯定するでもない。ただ「うん」て、頷いて抱きしめてもらえる。
これは、うん、分かる。奏汰が好きになるのも分かってしまう。
あたしが男の子だったら、絶対に放っておかないもん。誰よりも不器用だから、誰よりも優しいんだ、美優は。
その優しさに甘えて、一頻り泣き腫らしたあたしは「お願い」と、今度は間違わないように、涙を言葉に変えた。