「好きですっ。あたしと付き合って下さいっ!!」
夕日の差し込む教室に、少女の告白が響く。
不器用で、真っすぐで、でもちょっとだけ空回り。体をくの字に折り曲げたひよりは、勢いよく奏汰に右手を差し出した。
「えっと……?」
けれど、予想していた言葉とはあんまりに違いすぎて、奏汰は困惑を隠せない。
たぶん、昼休みに美優と話をしたんだろう。昔の事は、あまり知られたくなかったな。教室から逃げ出した後に気づいても、もう遅かった。
少しだけ、美優に会うのも怖かった。
もし、彼女がひよりの味方をして、俺を責めるような事があったなら。
内心の不安をよそに、美優はただ「ひよりちゃんと話をしてあげて欲しい」と言うだけだった。いや、だけでもないか。「お願い」と、言われてしまっては断りきれない。
分かってる。
ひよりが悪いんじゃない。
決定的に拗れてしまったあの日だって、何故か、周りが盛り上がってしまっただけ。彼女が俺に、何をしたわけじゃないんだ。あの頃の俺には、受け止める余裕はなかったけれど。今、振り返ってみれば、ひよりに悪気なんか無かった。
そりゃ、鬱陶しかったなって、今でも思うけど、彼女の気遣いまで否定するほどじゃない。
むしろ、謝らないといけないのは俺の方かも知れない。
あの日からずっと、ひよりが俺と話したそうにしているのには気づいていた。
それでも、女子を避ける振りをしながら、一番に彼女から遠ざかりたかった。
顔を見る度、思い出してしまう。大勢に囲まれた時の不安と、一方的に責められる恐怖。手を、払った時の彼女の顔。驚いていた、今にも泣き出しそうで、すごく悲しそうに。
「ごめん」その言葉を言うまもなく、周りの女子たちに囲まれた俺はもう、何も言わせてもらえない。ひよりとの間に壁を作られて、それっきり。
もう良いじゃないか。
昔の話だ。放っておいて欲しい。お互いに忘れてしまえば、何も残らない。
それで良い。その筈なのに。ひよりはずっと、俺のことを気にかけたまま。
クラス名簿に、彼女の名前を見つけたときが、潮時だったのかもしれない。
ごめんなさい。
もし、ひよりが俺に謝ってくるようなら。俺も素直に謝ろうと思う。
今まで避けていて悪かった。気まずい思いを抱えさせ続けてごめんなさい。
美優に背中を押されて教室に入ると、ひよりが一人で待っていた。
「やっほ♪」軽い挨拶と、陽気な笑顔。それは、いつも遠目に見ていた彼女の姿に間違いはなかったけれど。どうしてか、拭いきれない違和感を覚える。
誰もいない教室で、一人佇むひより。
それが、どうしたというわけじゃない。ただ、なんとなく、そう思ってしまった。
いつも誰かと笑っている ひよりが、今は一人きり。笑顔ではいるけど、何処か寂しそうに。ああ、そうか。影のある笑顔は、いつか窓ガラスに映っていた俺の顔にも良く似ていた。彼女にとってもきっと、あの日はトラウマになっているのか。
誰とでも仲良くしているようで、でも、内心はずっとひとりぼっちのまま。
お互い向かい合ったきり、会話は弾まない。
言いたいことは、あるはずなのに、いざ目の前になると、どう伝えたら良いのかがわからなくなる。もしかしたら、恥ずかしかっただけなのかも。時間をかけすぎた分だけ「ごめんなさい」というのが照れくさくて。
静かな教室に、動くものは何もない。
音楽室から聞こえる、ちぐはぐな吹奏楽の音色。熱心な運動部の掛け声が、校庭から響いてくる。一緒に教室に入ってきた美優は、何をするでもなく、そこにいるだけ。少し離れた場所から、俺達のことを見守っていた。
そんな時だった。
すっとんきょうな告白の言葉が聞こえてきたのは。
半ば自棄っぱち。ええい、ままよと、見切り発車の気配すらあった。
突然に告白されるとは、あんまりに予想外で、思わず俺は、美優の方を見てしまう。そう言う話だったの? 視線で問いかけて、けれど美優は、私も知らないと、大げさに首を振るばかり。
ひよりの告白に、一度大きく波を打った教室の空気は、時間が経つにつれて、静けさを取り戻す。
頭を下げたひよりの顔色は分からない。その身体は、教室の陰にすっかりと飲まれてしまって、差し出された手だけが、夕陽に照らされている。
だから、余計に気づいてしまう。その細い指先が、僅かに震えていた。
好きな人に告白をする。
それは、どれだけ勇気がいることなんだろう。
ましてや、きっと、ひよりにだって分かっているはずだ。差し出された手を、俺は握り返せない。
美優の事が好きだ。
不器用で、変に真面目で、でも優しい女の子。こんな俺の事も、ずっと気にかけてくれて、今日まで助けられっぱなしだった。彼女の優しさに、トラウマを思い出す事も少なくなって。でも、たまに怖くなる。もし、美優がいなかったら、俺は今も俯いたまま、一人で……。
顔を上げて、まっすぐに ひよりの顔を見た。
いつまでも、俯いていられない。美優に、勇気までもらったんだ。
これからも、彼女の隣にいたいなら、ここで踏み出さない訳にはいかない。
「ごめんなさい」
他の言葉は必要なかった。真っ直ぐに気持ちを伝えてくれたひよりに、今度は俺も、真っ直ぐに気持ちを返せた。
「あははっ。そりゃそっか。ていうか、順番も違うよね? 先に謝れよって話だし。何、告ってんだコイツってさ」
「謝るって言うなら、俺の方こそ。椎名がずっと、そうしたいの気づいてて。
でも、なんか、顔を合わせるのも怖くて、ずっと避けてたんだよ」
「当然じゃん? それだけのことをあたしはしたんだし」
「違う。椎名はただ、俺に気を使ってくれただけで……。あんな騒ぎ、起こしたかった訳ないだろ?」
「でも、あの頃のあたし、ウザかったっしょ?」
「それは……うん、少し」
「あははっ、素直かよっ♪ そういうとこ美優とそっくりじゃん」
「美優は、関係ないだろ……」
分かっていた答えに、ひよりの胸は潰れてしまいそうだった。
泣きそうな自分を誤魔化すために、わざと奏汰を茶化してみたりして。
またウザいって思われるかも知れなかったけど。奏汰は少し顔を赤くしただけで、あたしを遠ざけようとはしなかった。
もし、なにかが、違っていたら。
あの時、やめてって、彼を責める皆の前に立てていたら、あたしは今も奏汰の隣にいられたのかな。そんな未練があったせいだろう。
「大アリだっての。告白断ったのだって、美優がいるからでしょ?」
当たり前の事を、でも、聞かずにいられない。
「そうだけど。けど、違うだろ? だって、俺達さ……」
「あぁ……うん、そうだよね。そう、だね」
夕日が影を広げて、あたしと奏汰の間に横たわる。
最後まで口にはしなくても、分かってしまう。だって、あたしたちが共有する思い出は、たった一つ、あの日のトラウマだけだ。
空気が重たくなる。
長く伸びた影は二人を飲み込んで、いつかの教室に引きずり戻していくみたい。
美優には、それが見ていられなかった。
それは、ダメ。
やっと二人が顔を合わせられたのに、また後悔で俯いてしまうのは。
二人とも悪くない。ちょっとすれ違ってしまっただけで、今からでもちゃんと仲良く出来るはずだ。このまま「さよなら」で終ってしまえば、もう話すこともなくなって、悲しいだけの思い出になってしまう。それは、あんまりだ。
「ね、ひよりちゃん? 私、告るとかって聞いてないんだけど?」
「え? いや、あっと……ちがくて、ね? 奏汰?」
「は? なんで俺?」
「奏汰もっ、ダメだからねっ、絶対!」
「いやっ、違うって、美優……」
むすっと、わざとらしく頬を膨らませて、奏汰の腕を取る。
やってやった。本気で怒って見せてるわけじゃない。どうにかして、落ち込んだ空気を振り払おうとしただけ。ここでヤキモチをやいて見せれば、二人共、それどころではなくなるだろうと思って。
「違わない。なんか、二人の世界に入ってた」
「入ってないしっ」「入ってないからっ」
案の定。慌てた二人は、おなじ調子で声を上げる。タイミングもぴったりだ。
それが、おかしい。くすっと、私が笑みをこぼすと、二人は顔を見合わせた。
よかった。
わだかまりが溶けていく。
くすっと、くすくすと。次第に笑い声は大きくなる。
ひよりちゃんは、瞳に涙を溜めながらも、スッキリしたように。奏汰は、顔を赤くしながら、ちょっと困ったようだった。
****
教室で二人と別れ、校門をくぐった ひよりは、そこでやっと力を抜いた。
「たっはーっ♪ 振られたわー」
なのに、清々しい。風通しの良くなった胸の内を晒して、駆け回りたい気分。
いきなり告るとかさ、また奏汰に迷惑かけちゃった。振られるのが分かっているのに、勝手すぎると思う。
久しぶりに見た奏汰の顔は、男の子になっていた。美優のお陰かな?
あたしの顔を見ても、視線を逸らさないで。それどころか「ごめんなさい」って、あたしの期待通り、ちゃんと振ってくれるんだ。
彼のこと、なんで好きだったんだろうな、あたし。
きっと、見ていたのは今の奏汰じゃないはずだ。
振り返ってみれば、残っていたのは初恋の幻と、やりきれない後悔だけ。
やっと初恋、終われたな。
なんて、いかにも青春らしいことを口にしそうになって、顔が熱くなる。
「ひゃーっ!!」
はっずっ!
頬にこぼれた涙の跡を乾かすように、熱くなった頬を冷ますように、ひよりは声を上げながら、勢いよく駆け出した。
****
夕暮れの通学路を、美優と奏汰は一緒に歩いていた。
日直の日よりも、遅い時間になってしまった。けれど、いつもよりゆっくりと、もう少しだけ、二人でいたいという気持ちが歩幅に変わる。
「美優」
「?」
優しく、けれどハッキリと名前を呼ばれて、足を止めた美優は、奏汰に振り返った。
「好きだ」
「え?」
唐突な告白に驚いた私は、どんな顔をしていいか分からず固まってしまう。
「さっき、なんか怒ってるみたいだったし……。だから、それで」
「そう、見えた?」
「うん」
違うよ、奏汰。そう見えたんだとしたら、それはヤキモチなんかじゃない。
不安だったんだ。教室で、同じように慌てだす奏汰と ひより。「二人で日直なんだから」と、同じ言葉も掛けてくれた。案外、相性はよかったのかもしれない。
なのに、ちょっと間違えただけで、こんなに拗れてしまった。それが悲しくて、少し怖くなって、奏汰の腕を掴む手に、力が入ってしまっただけ。
もしかしたら、私と奏汰も、こうなってしまう可能性はある。
ケンカしたまま仲直りできなくて、そのまますれ違う。そう考えれば、今まで仲良く出来ていたのだって奇跡みたいだ。
「それにほら。俺、ちゃんと言ってなかったし。不安にさせてたら嫌だなって」
「それは……。ひよりちゃんの真似?」
「……そうだよ。今更って、思うかもしれないけど。告白って、すごく勇気いるんだなって。あいつの手、震えてた」
「そう、だったね。すごいよね、ひよりちゃん。振られるの分かってた筈なのに」
「だから、俺も。その、ちゃんとしなきゃって、それで……」
「そっか……」
それに比べて私は、私達は。
先にキスをしてしまったせいか。それだけで、安心してしまっていた。
言葉にするのは恥ずかしいから。なんとなく、これで良いんだって、曖昧なまま納得してたのは、単に告白する勇気がなかったのだと思い知らされる。
それじゃあ、不安になるのも仕方がない。
ちゃんと、彼の手を握っていなかった私が悪い。
「奏汰。私も、好きだよ」
たった一言、口にしただけで胸が温かくなった。
その気持ちを届けるように、彼の肩に手をおいて、少し顔を持ち上げる。
目を閉じた美優の唇に、奏汰の温かさが、そっと重なった。
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