プールの入口。
先に着替え終えた奏汰は、一人で美優と ひよりを待っていた。
ヤシの木、砂浜、ビーチパラソル。扉を挟んだ向こう側は、常夏の雰囲気だ。
子連れや、カップル、あるいは友人同士。男性はもちろん、露出の多い水着姿の女性を前に、目のやり場に困らされた俺は、自然と天井を見上げていた。
そう言えば、美優と遠出するのは初めてだったか。
唐突に、ひよりからプールに行こうと誘われた時は、どうしたものかと思っていたけれど。これはこれで、良かったのかも知れない。
美優と付き合うようになったからって、何が変わったわけでもなかった。
放課後、彼女の買い物に付き合ったり。たまの買い食いだって、もっぱらスーパーで売ってるようなお菓子やアイスだ。賑やかな場所も、着飾った食べ物も、俺達には縁遠いまま。
思い返せば、デートと言うには静かな時間が目立つ。
退屈、させただろうか?
とはいえ俺も、美優だって、余り活動的な方ではない。
人波に揉まれるくらいなら、静かな公園だとか、部屋で二人きりでいるほうが良い。
それは、美優も同じだったと思う。
ひよりに誘われたときだって、少し悩む素振りでこっちを見た。奏汰が行きたいっていうなら。同じことを考えた俺達は、自然と目があってしまう。
見つめ合うばかりの俺達に、焦れったくなったんだろう。
机の下。何でもないふりをしながら、ひよりはつま先で俺を突いてきた。
同時に、震えだしたスマホの画面には「美優の水着姿、見たくない?」と、煮えきれない俺の手元に、メッセージを送ってくる
きっと、美優にも似たような文面を送っているはずだ。
俺と同じように、手元に視線を落とした美優は、そのまま固まっていた。
その横顔は赤い。俺の方をチラリと見たかと思えば、慌てて顔を背けてしまう。
何を言ったんだろうな、ひよりは。
一緒に水着買いに行くから、楽しみにしとけって。結局、俺が聞いたのはそれだけだった。
***
プールの当日。
駅前で待ち合わせをした後も、美優はずっと俯いたまま。
たまに話しかけても頷くくらいで、ひよりが来てくれなければ終始無言だった可能性すらある。
一体、どんな水着を選んできたんだろう?
まさか、ビキニとか……。
いや、でもな……。
美優に限って、それはない。控えめな普段の美優と、派手な水着のイメージは、まるで結びつかなかった。でも、ひよりと一緒だとどうだろう?「楽しみにしてなよ?」悪戯に笑う彼女の言葉に、もしかしたらと、つい想像をしてしまう。
ビキニ姿の美優。
ほとんど、下着姿みたいなその格好。
赤とか黒よりも、青とか白みたいな、落ちついた色が似合いそうだ。
ドキッとした。本当に、美優がそんな格好してきたらどうしよう?
同時に、モヤっともする。そんなあられもない格好の美優を、他の人に見られるのは、ちょっとだけ。
「おっまたせー、奏汰♪ パンツ一丁だなんて、大胆じゃーん♪」
「人聞きの悪い言い方するなよ。水着だし、上だって羽織ってるだろ?」
俺がパンツ一丁なら、ひよりだって同じじゃないか。
文句の一つも言いたくなって、視線を向けた途端に、何も言えなくなる。
赤だ。
最初に目に入った色は、そう、赤い色。胸元の白いハートマークが可愛らしい。
競泳用の水着を、そのまま赤くしたようなデザインに、俺は言葉をなくしてしまう。ビキニとか、それこそ ひよりの方が選びそうなのに、彼女が来ているのはワンピース型の水着だった。
水着に浮かび上がる、ひよりの体のライン。
赤い布地に、キュッと締め付けられる白い肌。
胸の膨らみも、柔らかい腰つきも、普段より、ずっと強調されてしまって見えた。
同級生の、クラスメイトの、あるいは友人の。普段、意識していなかった相手の無防備な格好。女の子らしい体つきを前に、視線が泳ぐ。
やましい気持ちも無いではない。慌てて視線を引き剥がそうとすれば、強引にでも、顔ごとそっぽを向くしかなかった。
「奏汰は知らないようだから教えたげるけどね? 可愛いとか、似合ってるって、言葉が浮かばなくても言っとくもんだよ?」
ちょんっと、肩を突かれた。
はよ言えやって、催促するように揺さぶられる。
「うん……。まぁ、似合ってるんじゃないか?」
どうしても、照れが隠し切れない。ぶっきらぼうな物言いにもなってしまった。
でも、お世辞じゃない。現に、通りかかる男子の何人かは、チラチラとひよりの方に視線を向けている。俺だって、その一人になってるだけだ。
「それを、ちゃんと美優にも言ってあげるんだぞ?」
にこり。満足げに笑ったひよりは、横にずれて、一歩下がる。
流れるような動き。上機嫌に足を踊らせる。美優の背後に回り込んだひよりは、その小さな背中をぐいっと押し出した。
「ひゃっ!? あ、まって、ひよりちゃんっ、私っ、まだ……ぁっ」
気づいてはいた。よっぽど恥ずかしかったんだろうとも思う。
ひよりと話す傍らで、美優はずっと、その背中に隠れていた。たまに、俺の方を覗き込んできたかと思えば、すぐに頭を引っ込める。仲の良い友人同士というよりも、姉に甘える妹のような有り様だ。
似合ってる。
そう言うべき。今なら、そのための予行演習だったのも分かる。
けど、口が動かなかった。
胸元を飾る、白いフリルがふわりと揺れた。その中心で結ばれたオレンジ色のリボンが、美優の愛らしさを引き立てる。たしかに、無邪気さはある。
子供っぽいと言えばそうかも知れない。でもそこには、控えめな彼女のちょっとした背伸びがあった。いつもとは違う大胆な水着姿に、どうしようもなくドキドキさせられた。
トップの可憐なデザインも、スカートのひらひらした裾も、まだ見慣れた彼女の延長にある。けれど、大胆に開いたそのお腹。美優の精一杯のアピールに、俺の視線は、まんまと引き寄せられる。
可愛いと、思う。ずっと、見ていたい。
口にしようとして、声が出ない。
何か変なことを言って、嫌な思いをさせないだろうか?
ああ、だからか。似合ってるとか、可愛いにしとけって、ひよりが言ってくれたのは。きっと、俺が何も言えなくなるだろうから、それを見越して……。
「可愛い。すっごく似合ってる……」
大きく深呼吸をして、美優の可愛さで埋まる胸の内に余裕を作る。
まっすぐに彼女を見た俺は、なんとかそれだけを口にした。
これで、もっと褒めてなんて言われたら、もう何て言って良いか分からない。
「……ほんと?」
「うん」
「そっか……えへへ。そう、なんだ……」
小さく笑みを零した美優は、はにかんだ後、すぐに俯いて赤くなった顔を隠してしまった。もう、耳まで真っ赤。スカートの裾をぎゅっと握りしめ、幽かに震える小さな声で。
「……ありがと」
その呟きが、俺の胸に深く突き刺さった。
***
よしっ。
まだ向かい合って、恥ずかしがってる二人を前に、ひよりは内心でガッツポーズを決めていた。
これだけ人がいるっていうのに。あたしだって目の前にいるっていうのに。
もうすっかり、二人の世界入っちゃって。少し悔しいと、思わないでもないけれど、それでいい。
せっかく頑張って選んだんだもの、そのくらいの反応はしてくれないと困る。
スカートと、胸のフリルじゃ足りなかった。なんなら、Tシャツを着てまで肌を隠そうとした美優の、ギリッギリの妥協点が、あのへそ出しだ。
あたしからすればまだ地味すぎる。けど、奏汰にとっては刺激的すぎたのか、目論見通り、そこが気になってしょうがないようだった。
でも、だって……。
水着を選ぶ最中、美優は何回それを口にしただろうか?
その度にあたしは、可愛いから、似合うからって、彼女を励ました。
一番最初に、一番大胆なビキニの水着を持っていく。
恥ずかしがった美優は「絶対やだっ」て、体に当ててみるのですら嫌がっていた。
それでいい。「じゃあ、これで」なんて言うとは思ってないし。言われた方が困る。「さっきのよりマシでしょ?」そう言いながら、少しずつ布面積を増やしていって、なんとかおヘソは確保した。
伝わらないかなぁ、この努力。
照れ合ってる二人を見ると、報われたとは思うけど、しかし……。
温度差ぁ……。
美優を前にした途端、奏汰はもうガチガチに固まって「可愛い」と言うのがやっと。
分かってはいる。でも、もう少しくらい、自分も褒めて欲しかったと思う ひよりだった。