長い長い滑り台の上。勢いよく滑走するゴムボート。
バーンっと、水しぶきが高く舞い上がると同時に、悲鳴のような歓声が響く。
「次の方、どうぞ」
そう、言われても。
美優は、ゴムボートの前で固まってしまっていた。
恐る恐る、覗き込んだ滑り台の出口。随分と小さくなった ひよりちゃんが、私に向かって手を振っている。目立つ赤い水着でもなければ、ちょっと誰だか分からなかったかも。
まるで、ジェットコースター。
それより怖いかも知れない。
不安定に揺れる水の上を、くるくる回りながら、あんな勢いで滑り落ちるなんて、どうしたって足がすくんでしまう。
「美優? やっぱりやめとくか?」
「ううん。平気……じゃないけど。奏汰も一緒……だよね?」
「うん」
最後の確認。一人で行けと言われたら、絶対にイヤ。
「奏汰と一緒に乗れば平気でしょ?」そんな、ひよりちゃん の口車に乗せられてしまった。水着を見せて、おしまいじゃ味気ない。せっかくプールまで来たのだから、奏汰と何かしたいとは思うけど。
定番。といえば自然と、こういうアトラクションになってしまった。
「一度乗ってみたかったんだよねっ」はしゃぐひよりちゃんに、半ば引きずられるように。何かで一番だとか、私もテレビのCMで見たことはある。
「じゃあ彼女さんの事、しっかり掴まえてて下さいね」
彼女……だって。係の人の言葉に、ちょっとだけ嬉しくなった。
ちゃんと、そう見えてるのかな? そうだと良いな。
もう、一緒にいるのが当たり前。彼氏とか彼女とか、恋人だとか。普段はあま
り意識もしないで、ふと思い出しては恥ずかしくなる。
「夫婦みたい」だと、からかわれていた頃とは違う。奏汰に気兼ねするような心苦しさはない。もっと胸が温かくなる感じ。幸せといえば大げさかもしれないけれど、多分そう。
ゴムボートが沈み込む。
肩越しに振り返ると、座り込んだ奏汰が、私に手を伸ばしてきた。
胸の下に彼の両手が回される。このまま、抱きしめられちゃうのかな?
ドキッとした。やっぱり恥ずかしい……けど。奏汰が掴みやすい様に、少しだけ私は両手を持ち上げた。
「美優、もうちょっとこっちにこれる?」
「あ、うん」
一瞬、何か躊躇ったみたい。
奏汰の手は下へとズレて、お腹に両手が回された。
ドキドキした。だって、そこを隠すのは何もない。
胸の下からスカートまで、大きく開いた私のお腹。おヘソだって丸見えだ。
触れ合うっていうだけなら、手を繋いでいるのと何も違わないのに。
キスをしたときより、ドキドキしてるかもしれない。
人前だから? 水着姿のせい? それとも……。
ちょっとだけ、変な事も考えてしまう。
いつも、繋いでいる手の温もりがお腹を撫でた。
身を任せるように体を預けると、奏汰の両手に抱き寄せられる。
「ぁっ」と、小さく声が漏れてしまう。
お腹が押されて反射的に。恥ずかしかったのだって、きっとある。
奏汰に抱きしめられてる。こんな下着姿みたいな格好で、私。お腹だけじゃない、背中も。素肌と素肌が重なって、奏汰の体に包まれるみたい。
「ちゃんと掴まってて?」
「あ、うんっ」
耳元で、奏汰の声がする。
吐息に髪が揺れて、耳がくすぐったい。
促されるまま、彼の腕を掴み直す。
すっかりと、彼の胸元に収まった私は、子供みたいに縮こまった。
手、やっぱり大きいな。腕も、ちょっと太くって。重ねて見ると、良く分かる。
ドキドキしているのは、私の音?
少し乱れた胸の音は、緊張が混ざり込んだみたいだ。
奏汰は今、どんな顔してるんだろう?
振り返って、肩越しに。私が彼を盗み見るその前に。
「それじゃあ、行ってらっしゃーい♪」
「へ? あっ……」
まって。言う暇もない。
押し出されたゴムボートは、私と奏汰を乗せて水の上を滑り出す。
すぐに角度が付いて、体が下に引っ張られた。まるで、足首を掴まれたような恐怖に、悲鳴も出てこない。
「ひっ……」
怖い怖い怖い__。
縦に揺れて、横に揺れて、たまに跳ねて、グルグル回る。
急流に流される枯れ葉の気分。もう何処か正面なのかも分からないし、それを確かめる勇気もなかった。ただ、強く目をつぶって、ぎゅっと奏汰の体にしがみつくと、彼が抱き返してくれるのが分かる。
もしかしたら、奏汰も怖かったり?
奏汰の体温と、胸の音にだけ意識を向けていた。
怖いのが和らいでいく。温かくて、安心する。もう少しだけ、こうしてても良いかも?
ザッバーンっ!!
少し気が抜けたその瞬間に、私は頭から水を被っていた。
もう、ずぶ濡れだ。
ゴムボートがプールに落ちると、大量に巻き上げられた水が、頭から振ってきた。
やっと……終わった。
すっかり気の抜けてしまった私は、奏汰にしがみついたまま、起き上がることすら出来ない。
「あはははははっ♪」
同時に、聞こえてくる陽気な笑い声。
プールサイドで、赤い水着の女の子が、お腹を抱えて笑ってる。
ムッとした私は「もう、絶対乗らない」と、頬を膨らませた。
***
プールから上がった後。美優はひよりと一緒に、更衣室で着替えていた。
「いやぁっ、楽しかったねっ♪」
その間も、ひよりちゃんは上機嫌なまま。なんなら、もう一周回ってくるとか言い出しそう。
元気だなぁ。
奏汰と二人。ゴムボートに乗った私達が、流れるプールに流されている間中。
ひよりちゃん は、一人でアトラクションを回っていた。
「一緒に行く?」誘われたのは、私がずぶ濡れになった直後。彼女に大笑いされて、すっかり拗ねてしまっていた私は「いかない」と、誘いをふいにしてしまっていた。
流石に、怖いのはもうこりごりだ。私にはこれくらいが丁度良い。
ひよりちゃんを一人にさせてしまうのは、ちょっと申し訳ないけれど。
気を使ってくれたのかな? もしかしたら、私がそう言うのも見越していたのかも。
波に揺られながら、何をするでもない。
思いつきで、奏汰に水をかけてみたり、ちょっかいだしたりして。ボートの上でじゃれ合っていると、お互いに水着姿なのを思い出して赤くなる。
ほんと、楽しかったな。
波打ち際で追いかけっこ、ではないけれど。
いつもより、ちょっと恋人っぽかったかも。奏汰も、もちろん私も、はしゃいでしまって。日常から離れた高揚が、まだ胸に残っている。
ひよりちゃんの言う通り。
もう一周。とは言わないけれど、やっぱり名残惜しい。
プールから上がった後の倦怠感。水着から着替える手が重たいのは、きっとそれだけじゃない。
「疲れちゃった?」
「……そうじゃないけど。着替えるの、ちょっと勿体ないなって」
小さく吐いた溜息を聞かれたのか、ひよりちゃんは、着替えあぐねている私を覗き込んでくる。
「よかったね、みゅー。奏汰に可愛いって言って貰えて」
「……うん。ひよりちゃん、今日は……その、ごめんね? 一人にしちゃって。気を使ってくれたんだよね?」
「気なんか使ってないって。あたしはあたしで楽しかったもん。一人じゃ、こんなとこ中々こないし。むしろ付き合ってくれて、こっちがありがとうかな?」
にっこり。
微笑んだ彼女は、さっさと着替え終えると、荷物を纏めてロッカーを閉じた。
「それじゃ、あたしは先に帰るね? 奏汰には適当に言っておいて?」
「あ、でもっ。まって、ひよりちゃん。私もすぐに着替えるから……」
慌てて水着を脱ごうとするけど、慣れない着替えに、どうしても手間取ってしまう。
「気を使ってんの。ここはね?」
「う、うん……えと。ひよりちゃんっ、私も今日は楽しかったよっ。だからっ、ありがとう」
「どういたしまして♪」
肩越しに振り返った彼女は、手を振ってくれる。いたずらに笑ったその笑顔は輝いて、ちょっとカッコよかった。
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