憂鬱だ。
溜息が一つ。
頬杖をついていた腕は いよいよと崩れて、美優は机に寝そべった。
「どうしたの、美優?」
「んー……。次、体育だなぁって」
少し、だらけすぎちゃった。
心配そうに声を掛けてくれた奏汰に顔を向けた私は、曖昧にでも笑顔を作る。
体育は苦手。
ただ走ってればいい長距離走くらいなら、なんとでもなるけれど。
球技なんて、目まぐるしく状況が変わるスポーツは特に。それがチームプレイともなると、さらに気が重い。
「女子は、バレーだっけ?」
「男子はサッカー?」
「うん。まぁ、俺は……置物かな」
私の憂鬱が奏汰に移ったのか、彼も少し苦笑い。
運動が苦手どころか。元々の体力が低い彼には、サッカーなんて余計に辛いだろう。
せめて、奏汰と一緒のチームだったら良かったのに。
気持ちを入れ替えるように息を吐き切った私は「じゃあ、着替えてくるね?」
奏汰に、声を掛けて席をたった。
***
「あちゃーっ。とぅー! てぇりゃぁぁっ!!」
元気だなぁ。
狭いコートの中をぴょんぴょんと、ひよりちゃんは まるでウサギみたいに跳ね回っていた。決して上手いわけじゃない。体力に物を言わせている感じ。
運動部の子達と比べたら、その動きはあんまりに無駄が多かった。
でも、楽しそうだな。
額に汗を浮かべながらも、ニコニコと笑顔は崩さない。
俯いてばかりの私とは大違い。ちょっとやそっと失敗したって、ひよりちゃんの笑顔にはそれを流せるだけの魅力があった。
「みゅーっ! ボールっ。そっちいったよっ!」
見惚れてた訳じゃない。
彼女の笑顔が眩しくって、目を逸らしてしまっただけ。
せめてコートの端に居れば、邪魔にはならないだろうって。
ひよりちゃんの呼びかけに、はっとなった私は慌てて顔を上げる。
その瞬間、丸いボールの影が私の顔に重なった。両手を構える暇なんかなくて、顔を庇うのが精一杯。ドンっと私を蹴りつけたボールが、明後日の方へと跳ねていく。
「ちょっ!? 大丈夫っ、みゅー……」
心配してくれたのは、ひよりちゃんくらい。
後は「鈍臭いな」って、口にはしなくても、いつも私に向けられる視線が大半だ。
「ごめんね、ひよりちゃん。邪魔しちゃって……」
「邪魔なんかじゃないけどさぁ……」
でも今回は、ぼぅっとしていた私が悪い。
身構えていたからって、何が出来た訳でもないけれど。早く授業終わらないかなって、気がそれていた。もっと言えば、奏汰と離れている時間がイヤだっただけ。
なんか、ダメになっちゃってるな。
いつからだろう? 考えるまでもない。
奏汰を好きになってからだ。今までは迷惑かけないようにって、せめて気を張ってはいたのに。最近はずっとそう。奏汰が一緒にいてくれたらなって、つい考えて、甘えちゃって。
さっきだってさ。
あんな風に溜息なんかついたら、奏汰は絶対気にするのに。
気にして欲しかった。気に掛けて貰えて嬉しかった。そんなつもりがあった訳じゃないけれど。振り返ってみたら、自分の下心に気づいてしまう。
「怪我とかない?」
「うん、平気。ごめんね、心配かけて」
なんとか、笑顔は返せただろうか?
ひよりちゃんにまで、迷惑をかけたくはない。
先生に休んでなさいと言われて、コートから出されたのは正直助かった。
体育館の窓辺に座った私は、運動場の方へと視線を移す。
お日様の下で、元気に走り回る男の子たち。その中に、彼の背中を見つけられはしないかと、つい視線が泳いでしまう。
嫌な子だな、私。
心配してくれる ひよりちゃんの顔すら、まともに見ていない。
「……早く、終わらないかな」
それよりも、見上げた時計の針が恨めしかった。
奏汰と一緒ならすぐに過ぎる時間も、一人で待つには長すぎた。
***
このままじゃ、ダメだと思う。
しっかりしないと。私があんまり頼りないと、奏汰にも無理をさせてしまう。
また、体調悪いのに誤魔化されたらたまらない。私の知らない所で、倒れたりなんかしたら……。大げさな想像かもしれないけれど、不安は拭いきれなかった。
「あのね、奏汰……」
放課後。ホームルームも終わって、クラスが帰り支度を始める中、私は彼に声を掛ける。「今日は先に帰って」そう言おうとしただけで、胸が苦しい。
一人で居残りなんて、いつもやっていたことなのに、こんなに心細かったかったんだ。
もう、昔の自分に戻れない。一人は嫌だ。
奏汰を好きになればなるほど、一緒に過ごす時間が増えるほど、もしもの想像が怖くなって仕方がない。
だから、ダメ。
いつもの自分にもどろ? 美優……。
まずはバレーの練習でもしてさ。せめて、ひよりちゃんの邪魔にはならない程度にはしておきたかった。
***
「ちょっと、やることがあって」
そう言った美優の姿には覚えがあった。
遠慮がちに一歩引いて、曖昧に笑顔を浮かべる。
納得なんかしていない。自分を誤魔化すために飲み込んだ何かが、胸の内から溢れて吐息に混ざっていた。
「手伝おうか?」
いつものように差し伸べた俺の手を、けれど彼女は取らなかった。
小さく首を振って「一人で大丈夫だから」と、そればかり。
たまには、そんな日もあるだろう。
美優だって、俺に言えないことの一つや二つはあるはずだ。
頷いても良かった。あんまりしつこくされても、心苦しくなる気持ちも分かる。
けれど、そうするにはやっぱり美優の様子が気がかりだ。
ちょうど、体育の授業の後からか。
戻ってきた美優は、明らかに落ち込んでみえる。
なんて声を掛けよう。どうやって励ましたら良いんだろう。悩んでいる俺に、声を掛けてきたのは ひよりだった。
「奏汰、ちょっといい?」肩をちょいっと突かれ、手招きされる。
内緒話だと言わんばかりの声音だ。俺は首を傾げながらも、彼女と一緒に教室の隅へと場所を変えていた。
「どうしたんだ?」
「うん、ちょっとね。さっき、みゅーにボールが当たっちゃって」
「怪我でもしたの?」
「ううん、尻もちついてたくらい。あ、お尻にアザくらいは出来てるかもだけど?」
こっそりと、耳打ちをされた。一瞬、想像しそうになった美優の後ろ姿を振り払う。悪戯に笑うひよりを、あえて指摘はしない。からかいたいだけだったか。
ニヤニヤと笑うひよりに「ありがとう」と、出かかった感謝の言葉も引っ込んでしまって、そのまま彼女に背中を向けた。
「あぁっ、まってまってっ! ごめん、ごめんて。からかいたかっただけじゃないんだよ」
やっぱり、からかいたくはあったんだ。
呆れて離れようとした俺を、ひよりは慌てて引き止める。
「みゅーね、授業中ずっと心ここにあらずって感じでさ。ボールに当たってからは特に。奏汰の事考えてるだけだったら良いんだけど。少し、気にしてあげて?」
「頼んだよ」バトンでも渡すように、俺の肩を叩いたひよりは、そんな内緒話なんか無かったかのようだ。落ち込む美優に後ろから抱きつくと、きゃっきゃっと戯れ始めていた。