体育館の片隅。
体操着に着替えた奏汰は、美優と向かい合ってバレーの練習を始めていた。
いや、バレーと言うかそれ以前。
バレーボールを使って、キャッチボールをしているという方が正しい。
高く上げたボールを両手で受け止める。一息ついた後、また高く投げ返す。
本格的な事は何もない。
俺だって詳しいわけじゃないし。根を詰めたって、美優が混乱してしまうだけ。
ボールを前に固まらなくなれば、怪我をしそうになることも減るだろう。
「ごめんね、奏汰。結局付き合わせちゃって……」
「いいって、このくらい。ていうか、一人で練習ってどうするつもりだったんだ?」
「どうって……。わかんないけど、なんとかしたよ」
「気にして上げて」教室で ひよりに言われた言葉を思い出す。
言われてみれば、様子はおかしい。体調不良という程でもないが、いつもの美優にしては遠慮がちで……。
悪いと思いながらも、先に教室を出ていった美優を追いかけた。
遠巻きに彼女の背中を眺めていると、体育館を覗き込んだ美優は、右往左往とし始める。
「何してんだ?」
「ひゃっ!? え、あ、奏汰……なんで?」
後ろから声を掛けると、驚いた美優はビクッと肩を跳ねさせた。
ぎこちなく振り返った視線が俺を見つけた途端、気まずそうに視線を落とす。
ああ、そうか。
いつもの美優といえば、こっちがそうだ。
まだ、二人で日直をするのにも慣れてなかった頃。友人と言うにも日が浅く、付き合うことになるなんて、そのときはまだ考えてすらいなかった。
あの頃の美優は、ちょうど今みたいに遠慮ばかりして。
可愛く言えば、小動物みたいだったな。でも今は、良く良く甘えてくる子犬みたいだ。どうしたら喜んでくれるかな。俺の顔色を伺っているのは変わらなくても、それは好意からくるものに変わっていた。
いつの間にか、俺の中でも それが当たり前になっていたんだ。
こんな風に遠慮する所なんて、随分久しぶりに思えてしまう。
「なにかあったの? イヤなこと言われただとか?」
「ちがうよ。そうじゃ、なくって……」
首を振った美優は、受け止めたボールを胸の前で抱きしめた。
おずおずと、ためらうように。ボールを抱きしめる手に力が入ったのが、見ていても分かる。急かすなんてしない。迷う彼女に「美優」と、優しく呼びかけるだけ。大丈夫だよと頷いて、彼女が話してくれるのを待った。
「迷惑じゃ、ない?」
「迷惑って……なにが?」
一瞬、言われたことが分からなかった。
言葉の意味よりも、迷惑の紐付く先に思い至らない。
「だから、私のこと」
言われて、更に分からなくなる。
美優を迷惑だと思ったことなんて……。まぁ、まったくなかったと言えば嘘か。
少なくとも最初の頃は、面倒くさい子、鈍臭い子だなって、少しも思わなかった訳がない。けれど、それ以上に助けられることのほうが多かった。
優しくされたから好きになったんだって、言われたらそうなんだけど。
俺だって、美優のことを助けてあげたいと思った気持ちは変わらない。
言い方が悪いんだよ。
穏やかで、慎ましい。そう言い換えればほら、どこかのお嬢様みたいにも聞こえるじゃないか。
ぽーんっと、美優の方から投げ返されたボールを受け止める。
不思議な空間だった。体育館の片隅とはいえ、バレーやバスケ、今も部活に励む生徒たちの声は止まない。地響きのように群がる足音、床に叩きつけられるボールの音。その熱気さえも伝わってきそうな距離なのに、俺達の周りだけは、時間の進みが遅くなったみたいに静かだった。
「思う時もあったよ、そりゃさ。美優だって俺のこと、好きばっかりじゃなかっただろ?」
「まぁ、うん。奏汰、意地っ張りなんだもん。私だって、つい……ね? それに、避けられてるのかなって……たまに」
嘘はつかない。言葉だけで誤魔化したって、きっと美優の気は晴れないだろう。
彼女が今、何に思い悩んでいるのかは分からない。けれど、俺はいつだって美優の味方だと、ボールに想いを乗せて送り返す。
「あははっ……意地っ張りかぁ。だって、カッコ悪いだろ? 好きな子に心配ばかり掛けてたら、嫌われたくないって思うじゃん?」
「嫌わないよ、そんな事で。誤魔化されて、後々辛かったんだって分かるほうが……イヤ。遠慮なんかしないで。奏汰に遠慮されると、ちょっと悲しい」
それは、俺だって同じなんだけどな。
頼られて、甘えられて、嬉しくない訳がない。
二人っきりになると特に。人目を気にしなくなった美優は、寄り添うように距離を詰めてくる。くすぐったそうに はにかんで。子供みたいにはしゃいでみたり。
最近は、学校でもだ。
教室に入るまで、手を繋いでいるのは当たり前。トイレに立ったり、少しでも俺が離れようとすると不安そうな顔をする。おちおち体調も崩せない。
保健室で休もうものなら、ひよりに引きずられるまで、教室に戻ろうとすらしなかった。
「美優……俺に、遠慮してる?」
そんな彼女が、先に帰っていてって言うんだ。
なにか余程のことでもあったんだろうか。最近じゃ、クラスの連中だってからかわなくなっているのに。一体、何に気兼ねをしているんだか。
「それは……だって」
バレーボールを受け止めた美優が、その手を止める。気持ちを押し込めるみたいにボールを胸に抱きしめた。
「私、最近ずっと奏汰に甘えちゃってて……。前はもっと、一人でもよかったのに。今は、奏汰がいないだけでなんか……寂しいとか思っちゃう」
「それで迷惑じゃないかって……」
「うん……。それにね? 奏汰に子供っぽいなって思われるのも、ちょっとイヤで……」
頷いた美優は、答えを求めるように俺へボールを投げ返した。
「でも困ったな」ボールを受け止めて、首をかしげる。
「美優が俺に甘えてくれないんじゃ。俺も美優に甘えられなくなる。体調悪い時とかさ、我慢するしかなくなるじゃないか」
「それはダメ」ちょっとした冗談のつもりだったのに、頬を膨らませた美優は不満を隠さない。
「ちゃんと言ってって、いつも。なんで隠そうとするの、奏汰はっ」
笑っちゃいけないんだろうな。
くすっと、緩みかけた頬を何とか抑え込む。
「それ。多分さ、いま美優が思ってる気持ちと、俺の気持ちは同じだと思う」
「そう……なの?」
「頼って欲しくない? 俺に。それとも、迷惑?」
高く放ったボールが、ゆっくりと美優の方へと落ちていく。
「そんなことっ……」
ボールを受け止めた美優は、それを大事に胸にしまい込むと、小さく首を振ってくれた
***
それから少しの間、奏汰とバレーの練習をする日が続いていた。
バレー部の人たちからコツを聞いたりしている内に、ただのキャッチボールも見栄えがするようになっていた。そして、本番とばかりに練習試合の日がやってくる。
「美優っ!」
体育館に響く大きな声に、皆の視線が向かっていた。
もちろん、私も。そこに奏汰の姿を見つけた途端に、憂鬱だった時間が吹き飛んでいく。
奏汰のバカ。
呟きながらも、緩んだ口元が戻らない。
授業、抜け出してきちゃったのかな。先生に怒られるよ、そんなの。
大げさなんだから。
ただの授業で、ただの練習試合。
勝って進む駒も無ければ、負けて悔しいとも思わない。
皆の足を引っ張らなければそれでいい。奏汰と一緒に練習をしたのは、決して勝つためじゃなかった。私にとっての試合なんて、もっと消極的なもののハズだったのに。
「がんばれ」って、奏汰の声が聞こえてくる。
彼を冷やかす女の子達の声なんか、耳にも届かない。
頭の中で何度も繰り返される彼の声に、私は自然と胸の前で拳を握る。
たったそれだけのことで、頑張ろうって思えてしまう自分は、あんまりに単純だった。
「よーしっ、それじゃ勝ちますか?」
コートに上がった ひよりちゃんが、わざとらしく声を上げる。
「頑張ろうね、深見さん」彼女の声に誘われて、チームの子達に肩も叩かれた。
面白半分だ。茶化されているのは分かる。
けど……。
試合が始まり、勢いよく飛んできたボールを受け止めた私は、それを高く弾き返せていた。「え……?」と、驚く周りの声が少し可笑しい。
でも、私にできることはそれだけ。サーブとか、スマッシュとか、カッコいいことは全然。ただ受け止めたボールを奏汰に返す。していたことはそれだけだったから、何も考えないでも体は動くようになっていた。
勝とうって思っても一人じゃダメ、だから。
「ひよりちゃんっ、お願いっ」
「まっかせて!」
ボールの真下へ走った彼女は飛び上がり、大きく腕を振り下ろす。
鳴り響くホイッスル。ボールは相手のコートに突き刺さり、私達は景気よく先制点を取っていた。