※この作品はR-18です。

深見さん家の ふたりごと   作:霧里

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適当の距離感

 

案の定。二人が学校にたどり着いた頃には、入学式ももう終盤だった。

二人で、後ろからこっそりと体育館の中を覗き込む。「君たち?」近くにいた教員に声を掛けられ、ひゃっと、驚いた猫のように背筋が伸びた。

 

最後まで見ていても良かったが、残りはほとんど事務的な連絡事項だけのようだ。

一般参加に対する連絡を聞いていても仕方がない。一足早く教室に向かった二人は、偶然にも同じ教室の前で足を止めていた。

 

1-A。

 

教室に掲げられた名札を見上げ、美優と奏汰は顔を見合わせる。

出席番号順に並ぶ名前を目で追いかけ、二人一緒に教室に入ると、また、同じ席で足が止まってしまう。正確には隣同士だったけど。

 

「ふふっ…」

 

何の偶然だったのか。とうとう耐え切れなくなった美優は、小さく笑みを零す。

 

「もしかして。君って、深見くん?」

「ああ、うん。そっか…同じ名字なんだ…」

 

張り出された名簿で見つけたのだろう。自分の名前のすぐ隣に、同じ「深見」の文字があった。五十音順に決められた出席番号と、それに倣った席順。そこに偶然があるとすれば、彼女と、自分が、同じ名字だったという一点だけ。

 

「奏汰(そうた)で、良いの?」

「うん、あってる。えっと…」

 

何だか気恥ずかしい。女の子に名前を呼ばれて、女の子の名前を呼ぶ。

名字で、ならまだしも。下の名前となると変に意識してしまって、奏汰は口を上手く動かせない。

 

「美優(みう)で良いよ? 私も奏汰って呼んで良い?」

「…うん」

 

他意はない、それは分かるけど。「深見さん」が「深見さん」を「深見さん」って呼んで、それもなんだか紛らわしい。ただ名前で呼ぶだけなのに、変に意識している自分が悪い。

 

もっと、距離を取りたかった。

 

美優に嫌味は感じなくても、今までの自分が許してくれない。

どうしたって警戒が先に立ってしまい、彼女の顔色を伺わずにいられなかった。

 

***

 

なんとなく、そんな予感もあった。

 

安易に決められた日直の当番は、同じ出席番号で男女のペアだった。

黒板の隅に書かれた当番の名前は、深見と深見。誰が最初に言い出したのか「夫婦かよ」ってさ。やいのやいのと騒ぐ男の子たちに、奏汰も何だかうんざりしているようだった。

 

「なんか、ごめんね?」

「なんで美優が謝るんだよ? アイツらが騒ぎすぎなんだって、男子と女子で同じ名字なんて、他にもいるだろ? ちょっと日直が被っただけでさ?」

「奏汰は、イヤじゃない? その、私と一緒とか…」

「なんでさ? 美優は俺と一緒はイヤなのか?」

「そうじゃないけど…」

 

放課後の教室。無駄に駄弁っていた女の子たちももう帰ってしまって、残っていたのは私と、奏汰だけ。さっさと仕事を片付けていく彼を横目に、私は黒板の掃除一つにも、まごついてしまっていた。

 

「そんなの、適当でいいって」

「あ、でも…」

 

黒板消しを手に、奏汰はさっさと残っていた文字を消してしまう。

深見と深見。黒板の端っこ書かれていた二人の名前と、悪戯に描かれたハートマークが消されて、明日の当番の名前が書き加えられていく。

 

適当って言われても…。

 

その加減が分からない。さっさと、それこそ適当に片付ける奏汰の方が正しいのは分かる。でも私は、黒板に残った汚れが気になって たまらなかった。

 

「じゃあ、後は…。私が日誌書いて鍵と一緒に持っていくから。奏汰は先に帰ってて大丈夫だよ?」

「そうか? じゃあ、先に帰るな」

「うん、お疲れ様」

 

奏汰を見送った美優は、日誌にペンを走らせる。

日付、天気、時間割。授業の様子に先生へのコメント…。真面目に書く人なんてどれくらいいるのだろうと思いつつも、余白の全部を使い切れた事に満足する。

 

「ふぅ…」

 

一息入れて時計を見上げると、下校時刻までは余裕があった。

それならとバケツに水を汲み、まだあまり使われていない雑巾をぎゅっと絞る。

 

さっと、黒板を拭いただけで、濡れた雑巾は粉まみれになった。それを洗って、絞って、また拭いて。チョーク置き場の削りカスを落として、また拭いて、チョーク入れをひっくり返して、また拭いて…。不意に巻き上がったチョークの粉に、くしゃみが飛び出る。

 

終わらない。

 

分かってても、止められない。むしろ、掃除をする手には熱が入る一方だ。

奏汰に感じていた もやもやとした気持ちさえ、とっくに忘れてしまっていた。

 

熱心に、丁寧に。

 

必ずしも、褒められた事ではないと分かってはいても。

適当にやって、怒られている男の子を見た。それなのに、私がちゃんとやろうとしたらしたで、今度は私が怒られる。もういいやって、その時に投げ出せばよかったんだ。でも、加減の分からなくなった私は、いい加減になんか出来なくなってて。

 

「美優?」

「へ、あれ? 奏汰…どう、して?」

「いや、どうって…忘れ物。宿題置きっぱなしだったなって。それで、美優の靴、まだあってさ。なにしてるの? 日誌書いたら帰るって、美優?」

「ああ、あー、うん、えっと。もう、終わるから大丈夫」

 

どれだけ時間が経っていたのか。名前を呼ばれた私は、はっと顔を上げる。

教室の入口に立っていた奏汰が、怪訝そうな顔をしていた。

 

バツが悪い。

 

先に帰ってもらったのに、自分はまだ掃除の続き。

まるで追い出してしまったみたいで、気まずさがこみ上げる。

 

「もうって…。雑巾絞りながらさぁ…」

 

奏汰の目に飛び込んできたのは、綺麗に磨かれた黒板だった。

 

下駄箱で美優の靴を見つけ、まさかと思って教室へ戻ると案の定。まさか、俺が帰った後まで、掃除の続きをしてるなんて思いもしない。雑巾を何度も絞ったのだろう、美優の手は赤く染まって見えた。

 

「適当でいいって言ったろ? そんなの…」

「だから、奏汰はいいって。私が気になるだけだから、先に帰ってって、言ったもん」

「なっ、あ…」

 

少し拗ねた様なその口調。意外と強情なその態度に、何か、言い返そうとして、言葉が詰まってしまう。女の子を泣かせたって、良いことなんか一つもない。

涙なんか流された日には、俺の方こそどうして良いか分からなくなる。

 

揉めることを嫌うなら、回れ右が正しい。

 

いや、それなら今度は、俺がサボったことにされるかも知れない。疑心暗鬼に陥りそうだった。入学式のあの日。俺を助けてくれた美優の優しさを疑いたくなんかないけれど。

 

でも…。

 

大きく深呼吸をして、パニックになりそうだった心を落ち着ける。

美優に助けてもらっただろ? 俺はまだ、彼女の優しさに何一つ返せてもいないじゃないか。

 

時計を見上げて、奏汰は息を吐く。

 

二人でやれば終わるだろうか? 美優の納得が何処にあるか分からない以上は、どこまでも付き合う覚悟が必要だった。

 

「雑巾、貸して? 残りは何処拭いたら良いんだ? 机は? 全部? 窓は拭いたの? 後で床も掃き直さないとな…」

「あ、でも…ちょっと。奏汰、まって、そんないっぺんに言われても」

 

私が混乱している内に、絞りかけの雑巾が、するりと奪われる。

 

ぎゅって、たったの一回。

 

水気を切るだけで、私は何度も絞り直してたのに、やっぱり男の子なんだって思ってしまう。

 

それからしばらく。私は、奏汰の後を追いかける見たいに掃除をしていた。

彼が私の手伝いをしてくれていた筈だったのに、気づけば私が彼の手伝いをしているみたい。その事に首を傾げながらも、ただ黙々と、私は奏汰の後を追いかける。

 

「ふぅ…。ま、こんなもんか。美優は、どう? まだ気になる?」

「ううん。良いと、思う」

「そっか」

 

奏汰が一息つく頃には、教室の隅々まで、驚くほど綺麗になっていた。

もう、ピカピカだ。下校時刻まで掛かるかと思っていたのに、時間にも まだまだ余裕がある。

 

「…ありがと」

 

なんだか気まずい。私のワガママに奏汰を巻き込んでしまったみたい。

きっと、入学式の日のせいだ。助けてもらった引け目があるから、私を無視できなかったんだろう。「ごめんね?」そう言おうとして、言えなかった。

 

奏汰の顔が、やり切ったみたいに晴れ晴れとしていたから。

そこには、面倒くさいだとか、早く帰りたいだとか、暗い面影は一つもなければ、私を邪険に扱う様子もない。

 

「まあ、そうだな。スッキリはするか」

「へ?」

「教室。綺麗になったじゃん」

「あ、うん」

「なんで言わないんだよ? 二人だったら、ほら、終わるだろ?」

 

気づけば、目の奥がじわりと熱くなっていた。

 

だって、いつもなら「お前が遅いから」だとか「邪魔」だとかって、そう言われるだけだったのに。変わらない奏汰の態度に、つい緊張が緩んでしまう。

 

止めたくても止まらない涙に、自分でも驚いていた。「ひっく」と息を呑み、鼻を啜る。とうとうと泣き出した私は「ごめん」「違うの」「まって」ばかり繰り返して、上手く言葉が出てこない。

 

「美優!? あ、おれ…お節介だったか? やっぱり、邪魔だったりした?」

 

ああ、ダメだ。早く泣き止まないと、奏汰を困らせちゃう。なのに、涙が止まってくれない。違うの、そうじゃないのに。何度も首を振って、揺れる視界に映るのは、今にも泣き出しそうな奏汰の顔。

 

どうして?

 

泣いてるのは私なのに、なんで奏汰がそんな顔するの?

私が泣いちゃったから、奏汰も悲しくなってしまったんだろうか?

 

「あのっ、ん…はぁ…。ちがくて、私…初めてだったから。

適当でいいって、みんな、そう言うけど…私、わかんないの。ずっと。

ちゃんとやろうって思えば思うほど、「遅い」とか「邪魔」とか言われて…。

奏汰がそうだったわけじゃないよ? でも、迷惑かけたくなかったから…。

 

んっ…ふぅ…はぁ…だから、違うの。

 

泣いちゃったのは、奏汰のことがイヤだったからじゃなくて。

 

手伝ってもらえたのが、すごく嬉しくて。

 

奏汰が…私のこと、邪魔だって言わなかったのが…。なんか、分かんないけど。

 

ごめん…ごめんなさい…。

 

だから…奏汰が泣く必要なんて、ほんとに、全然…ないんだよ…」

 

 

泣いてる? 俺が?

 

頬に触れても、涙の感触は何処にもない。けれど、思い当たる節が無いでもなかった。チクリと胸に刺さる痛みは、今も抜けないまま。美優の涙に狼狽えた俺は、彼女に掛ける言葉が見つからない。

 

磨き上げた窓ガラスに映る自分を見つめ返し、そっと目を逸らす。

そんな事より今は、泣き止まない彼女の涙を、止めるほうが先だった。

 

「美優」

 

努めて優しく声を掛ける。作り物で良い。とにかく笑顔を作って見せた。

そうでもしないと、美優が泣き止めない。

 

「帰ろうぜ」

「おこって、ない?」

「あれ、そう見えるのか…。えと、難しいな…笑えてないか、俺?」

 

頬や目尻に手を当てて、顔をゆっくり揉みほぐす。円を描くようにぐるぐると、頬が引かれて顔が緩む。それを見ていた美優は、きょとんとして、やがて何かこらえきれないように、くすっと笑みをこぼした。

 

「え? 何笑って」

「ううん、変な顔だなって。ごめん、ちょっとだけ…ふふっ」

「あ、あぁ…うん」

 

まあ、それでも良いや。美優が笑ってくれるなら、変顔の一つくらいは作って良い。一頻り笑って、ようやく涙の止まった美優は、恐る恐ると、声を掛けてくる。

 

「あの、イヤじゃなかったらでいいんだけど。次も、いい…?」

「当たり前だろ? 二人で日直なんだから、一人でしようとするなよな」

「うん。そっか、そうだよね…二人で、うん。えへ…ありがと、奏汰」

 

夕暮れ時、寂しげな赤色に照らされた横顔が、ふにゃりと綻ぶ。

泣き腫らした瞳で、擦り過ぎて赤くなった目元のまま。たとえ、桜の花びらが舞っていなくても、美優の柔らかい笑顔に惹きつけられる。

 

ああ、そうだ。この笑顔が好きなんだ。

 

口元が緩んだのは俺も同じだ。ドキっと、胸が高鳴る。

奏汰は自分でも気づかない内に、自然と美優に手を差し出していた。

 

次の日。

 

「あれ? なんか教室、綺麗になってない?」

 

何処かで誰かが呟く言葉。

 

ちょっと嬉しい。小さな達成感に包まれた二人は、どちらからともなく顔を見合わせて、微笑み合っていた。

 

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