「……ということだ。ヤウダから戻ったばかりだというのにまた出立せねばならぬ」
ワグナスを破り、ヤウダを安定させてアバロンへと戻った矢先、大氷原に魔物が集結し始めている、という報告を受けたバレンヌ帝国皇帝ラインハルトは四人の仲間を集めて、言った。
「七英雄を六人まで倒した今、最後の一人は彼らの本体がある場所へ向かうはず。恐らく大氷原に本体があり、それを死守するために魔物を集めているのでしょう。一刻も早く叩くべきかと。」
「あたしたちが負けるはずないし! とっとと倒しに行こうよ!」
ホーリーオーダーのベネディクトと忍者のナズナが声を上げ、
「あたしも賛成!」
「私も異存はありません。」
帝国鍛冶職人のレギンと踊り子のユリシスも相槌を打つ。皇帝は仲間を見回し微笑んだ。
「皆……ありがとう。だが数日はしっかり休んでくれ。出立はそれからだ」
「「はーい!」」
「「わかりました」」
仲間四人は皇帝の言葉に頷き、その場は解散になった。
*
最終決戦までの短い休暇の中、ラインハルトはふと城内である噂を耳にする。何でも夜になると若い男の亡霊が現れるというのだ。ラインハルトは幾つかの証言により、夜中に目撃情報が最も多い、自身の私室の反対側の部屋へと赴くと、果たして亡霊は居た。
「……ありがとう」
亡霊の要望で無人の訓練所で手合わせした後、故ヴィクトール皇子だと思われる亡霊はラインハルトに礼を言い、消えていった。遠い約束を果たしたような不思議な安堵に心が満たされるのを感じながらラインハルトは自室に戻るため、踵を返そうとした。
「……陛下?」
そのとき、訓練所の入り口に見慣れた人影を見つけ、ラインハルトは立ち止まった。
「ベネディクト。どうしたんだ? こんな時間に」
だだっ広い夜の城で見知った顔に会ってほっとするのと同時に彼の『陛下』という他人行儀な呼び方に些か落胆する。
皇帝に即位する前、十代の頃にラインハルトは交換留学生としてカンバーランドに滞在していたことがあり、その時の彼の世話役がベネディクトだった。ともに屈託なく笑い合った、兄のような親友。そして……初恋の人。ラインハルトの脳裏に当時の光景が浮かぶが、秒でその幻想を振り払った。
――昔のことだ。
最初から三か月と決められていた留学だった。どうにもならなかった。留学を終えてアバロンに帰る日、ダグラスの港に見送りに来てくれたベネディクトに気持ちを伝えるか迷ったが結局、伝えることはしなかった。それきり……心の奥の引き出しに思い出としてひっそりとしまっていたのだが。
――まさか思いがけず自身が最終皇帝に選ばれて、ホーリーオーダー代表として彼がアバロンにやってくるとは思ってもいなかった。
そして再会を果たしてからずっと、パーティーメンバーとして共に戦っているものの、彼は主従の礼節を僅かたりとも崩さなかった。
「その言葉、そっくりそのまま貴方にお返しします」
ベネディクトはそう言って階段を下り、皇帝の傍へとやってくる。もっともな言い分にラインハルトは肩を竦め、亡霊騒ぎの一件をかいつまんで彼に説明した。
「なるほど。そんなことが……私は母の形見のアミュレットを訓練所に置き忘れたことに気付き、慌てて探しに来た次第です。」
「形見だと? 置いた場所はどこなんだ?」
「確かこの辺りに……」
ベネディクトが出入口の脇、よく帝国軽装歩兵が立っている場所にあるグリーンプラントの縁を確認すると、果たしてアミュレットはあった。
「鍛錬の最中、紛失しないように外して置いたのですが、鍛錬を終えた後回収するのを忘れていたのです。あってよかった」
「よかったな。なら私はもう休むよ。おやすみ」
ラインハルトは就寝の挨拶をしてその場を去ろうとしたが。
「お待ち下さい」
ベネディクトの硬い声が彼の歩みを止めた。
「微かに血の匂いがします。亡霊との一戦でお怪我を?」
「あ、ああ、まあ……だが掠り傷だ。放っておいても自然に治る」
「駄目です。きちんと手当しなくては」
ベネディクトは主君が今、強力な攻撃魔法や補助魔法ばかりで治癒魔法を習得していないことを、ラインハルトはラインハルトで、こんなとき聖騎士が決して折れないことを知っていた。
「……わかった。ではともに来てくれ」
「はい」
皇帝は内心嘆息しながらも聖騎士に言い、二人は連れ立って皇帝の私室へと向かった。
皇帝の私室は常夜灯である燭台が幾つか灯されていて仄明るい。室内に入るとラインハルトは寝台に腰掛け、ベネディクトはベッドの足元にある椅子の一つを持ってくると主君の向かいに座った。ラインハルトがマントや装具を外し、上を脱ぐと二の腕に走った赤い線から血が滲んでいた。
「大した怪我でなくてよかった」
傷を確かめたベネディクトが安堵した声で言い、即座に生命の水で癒す。
「だから言ったではないか。掠り傷だと」
二の腕の傷が塞がったのを見て、どうせ寝るのだからとたった今脱いだ服ではなく、ベッドの上に置いたままだった寝間着の上衣を取って着ながら、ラインハルトがブツブツと小声で呟く。
「それでも。放っておいてよい傷ではありません」
「君の言う通りだ。……君があの場に居合わせてくれて助かったよ」
棒読みになっているのを自覚しつつ、彼の言うことを否定せずに感謝することで会話を終え、早く去って欲しいがためにラインハルトは言った。夜中に二人きりで、しかもつい先程まで半裸の姿を見られていたことを思うと恥ずかしさで顔が熱くなってくる。
――過去の些細な思い出に過ぎぬのに。
何度言い聞かせたかわからない言葉をまた自身に言い聞かせる。それでも今のような――ふとした折に彼を意識してしまう自分が居た。
「……陛下」
ラインハルトの望みに反して、ベネディクトは腰を上げようとはせず、どこか思いつめたような声で、言った。
「うん?」
「私たちは数日後、七英雄との戦いに終止符を打つため出立します」
「ああ」
「無論、必ずや勝利して戻るつもりではいますが……」
そこでベネディクトは言うべきかどうか逡巡する様子を見せ――意を決して顔を上げた。
「……もしも今が貴方と話す最後の機会であるなら、ここで伝えなければ、どうにも悔いが残りそうなことがあります」
「何だ? 話せ」
こんな真剣なベネディクトは見たことがない。彼が話そうとしていることは余程の事かと思われた。ラインハルトも真剣な貌で促す。
そして彼の口から出た言葉は皇帝が全く予想だにしないものだった。
「……私は、貴方をお慕いしております」
「……」
――………………えっ!?
ラインハルトが息を呑む。ベネディクトの深い暗緑色の双眸には決意が滲み、ラインハルトだけを映していた。聖騎士が続ける。
「陛下。私は貴方が我が国に留学に来て……初めてお会いした日から貴方と過ごしたすべての日々が幸せで宝物で、どんな言葉もこの気持ちを表すには足りない気がします。今この時、陛下の傍に在ることを許され、貴方を助けられることが誇りで最高の喜びです。それ故に……明日死んでも構わないとさえ思いながらも言わずにはおられなかった」
「ベ、ベネディクト……」
やっと彼の名を口にしたものの、片想いだと思い込んでいた相手から告白されてラインハルトの胸はいっぱいになり、頭が真っ白になった。そしてその時、今も彼が好きだと自覚する。ラインハルトの中で何が起こっているのか知る由もなく、ベネディクトは自嘲気味に笑い立ち上がった。
「……貴方に何かを望んでいるわけではありません。ただ伝えたかっただけです。……私はもう行きますね。良い夢を……“ライ”」
――ライ。
それは留学中にベネディクトが呼んでいたラインハルトの愛称だった。突如、当時の愛称を慈愛の眼差しとともに呼ばれた衝撃が皇帝を我に返らせ、咄嗟に聖騎士の手首を捉え立ち上がった。
「陛下?」
「ベン。私――…」
同じく“ベン”というのは留学していたときに呼んでいたベネディクトの愛称だった。危うく『私“も”』と続けようとして急に冷水を浴びせられたようにはっとし、思い止まった。
――好き、と告げてどうする? 数日後には命を懸けた最終決戦へ向かわなければならぬというのに。
もしもここでラインハルト自身も告白して互いが想い合う仲になってしまったら。
――きっと命が惜しくなる。
絶望的に思う。結局のところ、ラインハルトは帝国に命を捧げているのだ。
――ダメだ。告げては。
そう思い、鋼の意思で恋情を押さえ込もうとした――が。たった今自分に告白してくれた想い人が目の前にいて、律儀にも自身の言葉の続きをじっと待ってくれているという事実にひどく遣る瀬無い気持ちになる。
――ここで彼の告白をただ聞いただけで今までと何も変わらないまま過ごすというのか? それこそ決戦から生きて帰れる保証などありはしないのに。
ラインハルトはそこまで考えて心の中である決意をし、掴んでいた手を放すとベネディクトを真っすぐに見据え、できるだけ必死に見えないように努めながら口を開いた。
「ベン。君が今ここで私に好意を打ち明けてくれたのは、とても嬉しかった」
ラインハルトはまず、好意を嬉しく思っていることを伝えた。ベネディクトは皇帝をじっと見つめながら、静かに主君の言葉を聞いている。
「君は私にとって大事な親友で、君が私に友情以上の気持ちがあるなら……どうだろう、“便宜的な友”にならないか?」
ラインハルトがそんな提案をしたのは想い人の好意を知りながら、彼に触れることも能わずに死んでしまうかもしれないことに虚しさを覚えたからだった。
――この提案をベネディクトが受け入れてくれれば、彼と口づけを交わすことも、その温もりを感じることも、できる。
ラインハルトは平静を装いながらも、心の中では固唾を呑んで騎士の反応を見守った。
ジャンル・カプのマイナーさだけでなくこういう話自体、需要があるかどうか心配です…(・・;