それから休暇はあっという間に終わりに近づき……いよいよ出立を明日に控えた夜。ベネディクトはいつものようにラインハルトの私室へと向かっていた。彼に告白した夜以来、もはや毎日の日課になってしまった行為。今夜も当然そのつもりだったのだが……
「……陛下?」
私室のドアをノックしても返事がない。人の気配もなかった。ふと辺りを見回すと通路の先、城のバルコニーに通じる扉が開け放たれ、そこから明るい月光が差し込んでいた。ベネディクトは確信めいた予感でもってそちらへと足を踏み出す。
果たして、皇帝ラインハルトはそこにいた。
「やあ、ベン。少し話さないか?」
皇帝はベネディクトに気づくと振り向いて言い、ベネディクトが無言で彼の隣りに立つとバルコニーから見えるアバロンの街に目を戻した。
「……実は」
暫しの沈黙の後、皇帝が口を開いた。
「最終決戦に、君ではなくハンニバルを連れて行こうと思っている」
「……………え?」
「彼の方が君より火力が高い。君はここアバロンで私たちの帰りを待っていてくれないか?」
と何処か儚げな微笑を浮かべながらラインハルトがベネディクトの方を見た。たった今皇帝が宣った言葉が信じられず、聖騎士は一瞬、今自分が見ているものすべてが夢ではないのかと思ったが、当然の如く覚めることはない。ベネディクトは努めて冷静に口を開いた。
「………陛、下。私は貴方が即位して以来、ずっと貴方の傍で、貴方と共に剣を振るってきました。何故今になってそんなことを仰るのですか?」
主君の言葉を理解することを拒否しようとしている自分自身を無視してベネディクトはやっとの思いで問いを投げかける。――が、返って来た言葉はあまりにも残酷だった。
「今言っただろう? 『彼の方が君より火力が高い』と」
「……」
皇帝の言ったことは、事実だった。火力はベネディクトよりもハンニバルの方が高いだろう。だがそれでも。
「……到底、納得できません。私は火力で彼に劣るかもしれませんが、それでも十二分な働きをしてみせます」
声が震え、何度か痞えながらも訴える。ラインハルトは身体ごと振り向き、やんちゃな子供でも相手にしているかのように困った顔をした。
「わかってくれ、ベン。勝算は高ければ高いほどいいんだ」
皇帝の諭すような穏やかな物言いにも、絶望に目の前が暗くなったベネディクトにとっては憤りを増すだけだった。そして――
「……貴方にとって私は、所詮その程度の存在か」
氷のような、酷く冷たい声が出た。
「朝晩、性欲処理をするための――」
「ベン! 違う、そんなつもりは……!」
「私は、国に還らせていただく」
「え!? ベ、ベン!? 待ってくれ!」
マントを翻し、城の中へと大股に歩きだした聖騎士の背にラインハルトが叫ぶが、彼の歩みは止まらない。だが次の瞬間。
「君を愛しているんだ!」
悲痛な愛の告白に聖騎士が驚いて振り返ると、降るような星空を背景に哀しげな双眸でラインハルトが見つめていた。彼は俯き、震える声で話し出す。
「すまないベネディクト。私は君に本心を隠していた。私も君が好きだ。だが君に告白された時は伝えることができなかった。私が弱い人間だからだ。長年想ってきた君と恋人同士になったら、使命も目的も何もかも捨てて、二人で逃げてしまおうとしたかもしれない。遠い昔、人魚と恋に落ちた皇帝のように。……それでも、死ぬかもしれない最終決戦を前に、君に触れたかった。君と思い出を作りたかった……! だが君と過ごすうちに……ますます愛しさが募って……君だけでも安全な処にいてほしいと、だから……」
ラインハルトの頬にツ、と涙が伝う。
『ほら、相思相愛の相手がいたら命を懸けた最終決戦に向かう決意も揺らいじゃうでしょ?』
ふいにベネディクトの耳にナズナの言葉が蘇る。
「陛下……」
ベネディクトは思わずラインハルトに駆け寄り抱き締めた。
「前にも言いましたが……私は今この時、陛下の傍に在ることを許され、貴方を助けられることが誇りで最高の喜びなのです。だからどうか――」
「ベネディクト……わかった。共に行こう」
ラインハルトは聖騎士の肩に囁いた。
◇
「皇帝陛下はどうなったの?」
詩人が物語を唱い終えた後、男の子が聞いた。
「陛下はアバロンに戻ると自ら退位して、帝国は共和国に変わったんだ」
「きょうわこく?」
「もう少し大きくなればわかるよ」
詩人が微笑み立ち上がる。男の子も立ち上がり店を出ようとして、ふとカウンターに座っているマントを羽織った銀髪の客が一瞬気になった。だがもう閉店時間で他の客たちもドアに向かい始めたため、そのまま踵を返す。
「もうおしまいですよ」
「あ、いいんだ。先に帰っていいよ」
客たちが次々と帰り始める中、座ったままのその客に店員の女性が声を掛けるとマスターがすかさず言い、彼女は軽く会釈すると行ってしまった。
「ありがとうマスター」
その客は礼を言い、マスターが微笑みを返す。
「いかがでしたか陛下?」
先ほどまで帝国史を唱っていた詩人がカウンターの傍にやって来てその客に聞いた。
「君の歌は素晴らしかったよ。だが陛下と呼ぶのはやめてくれ。もう私は皇帝ではない。アバロンの人々にも忘れられた、歌の中だけの存在さ」
その客――元バレンヌ帝国皇帝ラインハルトがスツールに座ったまま振り返り、答える。
「そうでもないと思いますよ」
詩人は最後にそう言って去って行った。詩人を見送りラインハルトがマスターの方を見るとマスターが頷いたので頃合いか、と立ち上がった。
「きっともう、向かわれているはずです」
「ああ。私も向かうことにするよ。……会えてよかった」
「私もです。どうかお元気で」
「君も」
ラインハルトはマスターに別れの挨拶をするとドアへと向かう。するとドアの前に鎧姿の若者の幻影が現れた。歴々の皇帝たちの記憶から彼が古のジェラール皇帝だと知る。彼は微笑みながら『どうぞ』というようにラインハルトを外へと導いた。
外の風は少し冷たく、見上げると数多の星が夜空に瞬いていた。目の前の噴水広場に目を戻したラインハルトは何時ぞや宮殿内で手合わせをしたヴィクトール皇子の幻影を見とめる。彼が身振りをすると夜の街の景色は一変し、陽光が燦燦と降り注ぐ、活気のある昼間のアバロンが現れた。
――これは歴代皇帝の記憶だ。
とラインハルトが理解する。談笑する女声が聞こえてそちらを見ると、左前方から帝国軽装歩兵のライーザと宮廷魔術師のエメラルドが通りを横切って行くところだった。
ラインハルトが歩き続けると、デザートガードのシャールカーン、次いでハンターのハムバとモールのシエロ、サイゴ族のエイリークとサラマンダーのケルート、帝国鍛冶職人のフロスティとヒラガ3世を次々と見かける。
ふいにイーリスのウィンディが中空を横切って行った。かと思えば建物の上から軽やかな身のこなしで忍者のアザミが歩道に降り立つ。
ラインハルトが小路を周って再び噴水広場に戻ると噴水の水の中からネレイドのテティスが顔を出した。
噴水広場から宿屋の方に目を遣ると、宿屋の前の通りを踊り子のリコリスと海女のナタリーが連れ立って歩いて行くのが見えた。
それから宮殿へと続く階段を見上げ、宮廷魔術師のアリエスと帝国猟兵のヘンリーの二人を見る。彼ら二人の間を通り過ぎ、木漏れ日が照らす宮殿へと続く広い石段を上って行く。
門の中に入るとエントランスでフリーファイターのヘクターとアンドロマケーに出会う。その先には武装商船団のエンリケ、格闘家のカール、フリーメイジのレグルスとローズが、そして謁見の間へと通じる扉の処にはインペリアルガードのワレンシュタインとミネルバがいた。
謁見の間に入るとカンバーランドのハロルド王の三人の御子ゲオルグとソフィア、そしてトーマが、続いてイーストガードのセキシュウサイとジュウベエ、アマゾネスのジャンヌと続き、帝国重装歩兵のベア、帝国軽装歩兵のジェイムズ、帝国猟兵のテレーズの後、最後に皇帝レオンが出迎えた。
皆、ラインハルトに微笑んだり、手を振ったり、一礼するなどした次の瞬間には光に溶けて消えていく。レオンが現れ消えていった傍には歴代皇帝が座って来た輝かしい玉座があった。感慨深くラインハルトが前まで歩み寄ると一転、周囲の光景は夜に戻り、玉座は薄闇の中で立ち入り禁止を表すポールの鎖に囲まれていた。それを見てラインハルトは酒場を出てからここに来るまで夢でも見ていたのだろうか、と思う。そして改めて玉座を見て……過去に為すべきことを成したという満足感にラインハルトが一人、微笑んだ時。ふと、扉の方に人の気配を感じて振り返った。
「ベン……」
ホーリーオーダーのベネディクトだった。
「待ち合わせ場所の酒場に向かっていたところ、貴方が宮殿に入って行くのが見えたので……待たせてしまって済まない」
「いや、いいんだ。久しぶりのアバロンだ。旧友たちが引き留めるのもわかるよ。私の方はと言えば、遠い親戚の婚礼でそれほど親しい人もいなかったから、披露宴も早々にお暇した」
連れ立ってエントランスへと歩き出すとベネディクトが親しさと愛情を感じさせる仕草でラインハルトの肩を抱いた。
「船の出航予定に合わせて明日にはソーモンに向けて出発しなければならない。早く宿に戻ろう」
「ああ」
今は伴侶となった聖騎士に寄り添いながら、元皇帝は頷いた。
-Fin-
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