※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

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4話   姦臣たちの密約
13  高廉、徽宗帝に高俅の復権を乞う


「また、余の負けか」

 

 徽宗(きそう)は、唇を歪め、札を卓に放った。

 

「ほほほ。どうやら今宵は、ひとり負けでございますね、陛下」

 

 高廉(こうれん)が、場に積まれていた賭け札を静かにかき集める。仕草に無駄がなかった。

 ここは内宮の奥、皇帝の私室。宮廷の喧騒から隔てられた場所に、札の音だけが小さく響いている。徽宗が熱中する札遊びの夜だった。

 

 相手は三人。若き日の戦で苦楽を共にした老将・童貫(どうかん)。

 宰相・蔡京(さいきょう)。そして、宮廷道師長・高廉。

 徽宗も齢四十を越えた。治世はすでに十年。

 この三人は、その政を支える要とも言える存在だった。

 

「もう一勝負だ、高廉。これで引き下がっては、皇帝家の財を根こそぎ持っていかれる。財務官が青ざめるぞ」

 

「ご冗談を。私の勝ち分など、陛下から頂戴する気はございません。こうして御前に招かれる栄誉だけで、十分でございます。それに、皇帝家の財が一夜の札遊びで傾くなど、ありえましょうか」

 

「甘く見るな、高廉。勝ち負けのけじめこそ、札遊びの肝よ。余が負ければ払う。勝てば払ってもらう──当然だろう。まさか、臆したか?」

 

「ほほほ……。臆するなど、とんでもない」

 

 高廉が微笑む。陶磁の面のように整った顔だ。

 童貫も、蔡京も、その笑みに釣られて頬を緩めた。

 

 童貫は六十を過ぎ、蔡京と徽宗が四十代。

 その中で、高廉は二十代の後半と聞く。だが、見た目は十代にすら見えた。

 徽宗は改めて高廉を見た。

 少女と見紛うほどの白い肌。黒髪はまっすぐ背に流れ、女物の飾りで緩やかに結われている。

 

 ──女のような男。

 

 初めて見る者は、皆そう感じる。

 あまりにも美しい。肌、輪郭、指の先まで、後宮の美女すらかすむほどだった。

 この若さで道師長。その地位も異例だが、それに至る経緯もまた、異例だった。

 かつての道師長が急逝し、候補者五人の中で唯一生き残った者が、高廉だった。

 災厄のように、他の候補たちは死ぬか失脚した。

 

 徽宗は疑った。

 高廉は、女ではないか──と。

 声は細く、姿はゆったりとした袍着に包まれ、手脚は細い。脛に毛はなく、肌も透けるようだった。

 そして、調べさせた。諜者を放って、真偽を確かめた。

 

 ──男だった。

 

 それでも、こうして面と向かえば、やはり女に見えてならない。

 

「どうかされましたか、陛下?」

 

 札を配ろうとする高廉が、微笑んだ。

 凝視しすぎたと気づいた徽宗は、首を振った。

 

「なんでもない。やろう」

 

「かしこまりました」

 

 高廉が親となり、札を切る。音が静かに室内を満たす。

 この札遊びは、配られた五枚の札で点を競う。

 一から十までの数字札。手札と山札の交換は最大二回。

 交換ごとに参加費を支払い、勝者は全賭け札を得る仕組みだった。

 

 次の勝負。童貫が最初に降り、蔡京も交換前に札を伏せた。

 残ったのは徽宗と高廉。

 

「今度こそ、余の勝ちだな」

 

 徽宗が札を開いた。

 五の四枚揃い──勝ちを確信する。

 

「残念でございます」

 

 高廉が札を開く。七の四枚揃い。

 数で上回られた。

 

「また負けだ……やられたわ」

 

 徽宗は、天を仰いだ。

 

「……さて、もう夜も更けましたのう。陛下、そろそろ、お開きにいたしましょうか」

 

 童貫が言った。声には笑みがある。

 

「なにを言う、童貫。これでは余の一人負けだ。勝ち逃げは許さんぞ」

 

「これは困った。陛下が勝つまでやっていたら、何日かかるかわかりませぬな」

 

 童貫が肩をすくめる。蔡京も同じように笑みを浮かべていた。

 

「ならん、ならんぞ──。もう一勝負だ」

 

 徽宗が怒鳴った。笑いながら、三人が顔を見合わせる。

 自分が熱くなっていることは、徽宗自身もわかっている。

 だが、ここで終える気にはなれなかった。

 そのとき、高廉が口を開いた。

 

「……では、こういたしましょう、陛下。もう一勝負。ただし、私と陛下の一騎打ちです」

 

 言いながら、いつもの柔和な笑みは消えていた。

 その表情には、静かな熱があった。

 

「だが、これまでの札遊びでは、私と陛下とでは腕が違います。単純な運試しの勝負にいたしましょう。山札から一枚ずつ引き、数字の大きい方が勝ち。それだけです」

 

「なるほど、技なしの運だけの勝負というわけか?

 

「さようでございます。もし、私が負ければ、今夜の勝ち分は頂きません。ですが、私が勝ったなら──ひとつだけ、お願いを聞いていただきたいのです。なお、勝ち分はどちらにしても辞退いたします」

 

「願いとは?」

 

 徽宗が眉を動かす。

 高廉が、深々と頭を下げた。

 

「私の弟──高俅(こうきゅう)のことです。どうか、名誉の回復をお許しください。陛下の御慈悲に、すがりたいのです」

 

「高俅?」

 

 徽宗は小さく首を傾げた。

 その名には、覚えがなかった。そもそも、この高廉に弟がいたのが記憶にない。

 視線が自然に蔡京へ向かう。

 

「……高俅は、もとより国軍の将校でありましたが、先日、王進(おうしん)という武術師範と諍いを起こし、帝都追放の沙汰となりました」

 

 蔡京が応じる。

 

「どんな事件だ?」

 

 徽宗の問いに、蔡京は高廉を一瞥してから続けた。

 

「私闘でございます。高廉殿の弟君の方から仕掛けたため、高俅のみが罪を問われました。王進に訓練中こっぴどく打たれたのを恨み、刃傷に及んだというのが、表向きの理由でございます」

 

「高俅も、そのことについては深く反省しております。陛下、なにとぞ」

 

 頭を下げる高廉。

 普段は冷静沈着なこの男の、必死な姿は珍しかった。

 徽宗は、ふと笑みを漏らした。

 

「武術師範が、将校にも訓練を課すと言い出したのが発端でございましてな」

 

 童貫が続ける。

 

「王進は、若くして堅物でございます。兵卒だけでなく、将校にも武術を──と唱え、全員に訓練を課しました。もっとも、将校にとっては心外だったのでしょうな。高俅が反発したのも、無理はありません」

 

 蔡京と童貫がそろって擁護するのを見て、徽宗は思った。

 高廉が事前に手を回していたに違いない。

 

「なるほど、くだらぬことだ。余の一声でどうとでもなる……。よかろう、蔡京。明朝、恩赦を下してやれ。高俅を軍に復帰させよ」

 

「承知いたしました……。高廉殿、よかったな」

 

 蔡京が言う。

 

「かたじけのうございます、陛下。そして、蔡京殿、童貫殿にも御礼申し上げます。この高廉、犬馬の労も惜しみませぬ」

 

 高廉が、深く頭を垂れた。

 

「それくらいで、大袈裟なことを言うな」

 

 徽宗は苦笑した。

 

「しかし、これで賭けの対象がなくなってしまったな。高廉の弟の赦免は、もはや勝負とは関係なく行うことにしたのだから」

 

 そう言いながら、徽宗は軽く卓を叩いた。

 

「ならば、弟の件は代償にいたしませぬ。勝ち分も頂戴いたしません」

 

 高廉が、静かに答えた。

 

「そうか。それでは──こうしよう。お前の弟の赦免を許す代わりに、ひとつ賭けをさせてもらう。余とお前との一騎打ちだ。余が勝てば、お前の裸を一度見せよ」

 

 言いながら、徽宗はにやりと笑った。

 心中では、この機を逃すまいと思っていた。

 ずっと燻っていた疑念と好奇心。それを払拭する好機だった。

 高廉は、わずかに目を細めた。

 

「承知いたしました。ただし、陛下おひとりに。近習も、護衛も、誰ひとり入れてはなりません。それが条件でございます」

 

 あまりにもあっさりと受け入れた。

 徽宗は、一瞬、気を削がれたような気がした。

 ──やはり男か。女であれば、こうも素直には受けるまい。

 

 ともかくも、賭けは成立した。

 

 勝負は一回きり。

 山札から一枚ずつ取り、数字の高い方が勝ち。

 一が最高札。それ以外は数字の大小が勝敗を決める。

 同じ数字が出た場合は、引き直し。

 

 高廉が、札束を崩し、山のように広げた。

 中から好きな一枚を選ぶ形式だった。

 

 徽宗が先に手を出した。札を一枚、伏せたまま取る。

 続いて、高廉も札を取った。

 

 徽宗が、その札を裏返した。

 

 三──。

 

 唇が歪んだ。

 これでは、勝つ可能性はきわめて低い。残りの札の中で、三より小さいのは二しかない。

 

 高廉が、札をめくった。

 

 二──。

 

 徽宗は、顔をあげた。

 

「余の勝ちだ」

 

 短く、そう言った。

 唇の端が上がった。




■ 徽宗(きそう)
 梁山王朝の皇帝。芸術を偏愛し、政は側近に委ねていた。
 無責任な放任と耽美な趣味が朝政を腐らせ、帝国を衰退へ導く。
 外面は穏やかだが、執着と疑念を奥底に秘めた風雅の君主
 ※原典:徽宗。梁山泊を一時的に登用した宋の皇帝

■ 童貫(どうかん)
 禁軍を束ねる老宦官。若き日に徽宗と共に軍旅を経験した功臣。
 四姦臣の一人として宮廷内に絶大な権勢を誇る。
 軍事と政治を同時に操る老獪さで、梁山泊の掃討戦にも深く関与。
 齢を重ねてもなお、朝廷に睨みを利かす巨魁
 ※原典:童貫。四姦臣のひとり。梁山泊掃討を指揮

■ 蔡京(さいけい)
 朝廷の実権を掌握する大宰相。奸智と策略をもって政敵を退ける。
 徽宗の寵臣として地位を極め、梁山泊討伐を画策する策謀家
 忠義を装いながら、私利と保身に生きる冷徹な官僚
 その微笑は、常に計算に裏打ちされている。
 ※原典:蔡京。四姦臣の筆頭。梁山泊の敵役として描かれる。

■ 高廉(こうれん)
 高俅の義兄。若くして宮廷道術師長に抜擢された妖術の使い手。
 中性的な容貌と性別不詳の肉体を持ち、政敵を次々と屠る冷徹な寵臣
 昇進の背後には多くの失脚劇と政略が積み重ねられている。
 その本性は謎に包まれたまま、朝廷の深部に根を張る。
 ※原典:高廉。高唐州の知府で妖術使い。宋江らと交戦
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