※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

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16  葉芍、市場で河清の金子をする

 運城(うんじょう)の城郭内で開かれている野天市は、陽を浴びて賑わっていた。

 葉芍(はしゃく)は、人混みを縫うようにして歩いていた。何気ない素振りを装いながらも、意識は前方の六人に向けられている。

 河家の放蕩息子・河清(かせい)と、その取り巻きだった。

 

 昼間から酒が入っているのだろう。顔を赤らめ、肩で風を切りながら人波を押しのけるようにして進んでいく。

 葉芍は、その背後を追っていた。

 連中は、遠慮もなく大声で馬鹿話を続けている。

 隙だらけだった。

 

 だが、前に誰かが立つと、取り巻きが奇声に近い声で怒鳴る。

 関わり合いを避けて、誰もが彼らを避ける。その結果、奴らの前には不自然な空白が生まれていた。

 河清の懐に手を入れるのは、たやすく思えた。

 だが、いまは違う。近づけば、連中以外の目に、葉芍の動きが異様に映る。

 だから、葉芍は、じっと機を待った。

 

 狙いは、河清の懐にある金入れだった。

 中に相当な金がある。それは、昨夜、張明(ちょうめい)が持ってきた情報だ。

 葉芍は、すでにそれが確かであることを、自分で確かめていた。

 

 葉芍は、いま、どこにでもいる町娘のような姿だった。

 野天市で買った野菜を籠に入れ、歩いている。

 前を行く五人と比べれば、葉芍の姿は完全に市の雑踏に溶け込んでいた。

 

「おう、店の姉ちゃんよ。その串焼きよりも、あんたを売ってくれよ。銀貨五両やるぜ。その代わり五人で輪(まわ)すけどな」

 

 河清が、肉焼きの屋台の前で足を止めた。

 肉を焼いていた若い女に、ふざけた言葉を投げた。

 

「冗談じゃないよ、兄さんたち。銀両五枚に見合うほどにやったら、あたしの股が擦り減っちまう。それより、肉を買っておくれ。一本につき銅銭一枚だ」

 

「二本ずつだ」

 

 女の陽気な返しに、河清は機嫌をよくしたようだった。

 懐から金入れを取り出し、銀粒ひとつと銅銭五枚を数えて渡した。

 奴らは、そのまま人混みに溶けていく。

 

 ──いましかない。

 

 葉芍は、河清が金入れを上衣の襟の内側に戻すのを目にしながら、足を速めた。

 

「あっ、ごめんなさい……」

 

 河清の前をすれ違うとき、取り巻きのひとりの足にわざとつまずく。

 身体が前に傾き、河清の胸に倒れ込んだ。

 

「おっ?」

 

 葉芍を思わず支えた河清が顔を上げたときには、すでに葉芍は何食わぬ顔で、前方へと歩き去っていた。

 籠の中に、河清の金入れがある。野菜の下に、さりげなく隠した。

 ずしりと重みがある。

 かなりの稼ぎになったと、葉芍は思った。

 

 反対側から、紙売りの少年が歩いてくる。

 葉芍に比べて、服は薄汚れていた。

 張明(ちょうめい)だ。

 

「紙、要らんかねえ」

 

 売り口上を叫びながら、張明がやって来た。

 紙は、彼が背負う大きな背籠に詰め込まれている。

 役所のまわりなどをうろついていれば、書き損じの紙が捨てられていることがある。それを拾って伸ばし、市で売る。

 大きな金にはならない。

 だが、拾い物を売って得る稼ぎの中では、悪くない部類だった。

 

「貰うわ。二枚。この果物でどう?」

 

 葉芍は他人を装い、張明に声をかけた。

 

「だったら、三枚やるよ」

 

 張明は背籠を下ろし、くず紙を三枚差し出した。

 葉芍は籠から赤い果実を取り出し、張明の背籠に放り込む。

 そのとき、金入れも一緒に移した。

 すばやく紙の下に押し込んで隠す。

 

「明ちゃん、真っ直ぐに隠れ家に来るのよ。また、賭博場に向かったら承知しないからね……」

 

 葉芍は張明の耳元で囁いた。

 張明は人懐っこい笑みを浮かべ、背籠を担ぎ直した。

 そのまま、歩き去っていく。

 

 忠告に従うのか、それとも無視するのか──。

 表情からは、判断できなかった。

 葉芍は、小さく息を吐いた。

 そして、人波を抜け、市場を離れていった。

 

 そのときだった。

 小さな喧騒が、正面から聞こえてきた。

 葉芍は、そちらに目を向けた。

 からかい、嘲るような笑い声。

 通行人たちが、ふたりの少女に浴びせている。

 

 ──奴隷だ。

 

 葉芍は、息をのんだ。

 

 胸と腰だけを布で覆い、臍も腿も露出している。

 年頃は、葉芍と同じくらいだろう。

 顔立ちの似たふたり。おそらく、姉妹。

 ふたりの首には、真紅の首輪があった。

 奴隷の象徴──「奴隷の首輪」。

 隷属の道術で肉体に一体化されたものだった。

 

 昼間の雑踏の中、彼女たちの姿はいやでも目を引いた。

 男たちが群がるのは、その肌を晒した姿のせいだけではない。

 

 姉妹の片方──背の高いほうの腹には、もう一方には腿に、それぞれ「奴隷の紋様」が丸く刻まれていた。

 首の首輪とあわせ、奴隷化の道術によって刻印された証。

 奴隷は、この印と首輪を、いかなるときも隠してはならないと法で定められていた。

 

 さらに、衣類で隠そうとすれば、その部分に火傷のような激痛が走る。

 だから、彼女たちはこうして、人前でも、その姿を晒して歩くしかない。

 奴隷となって間もないのだろう。

 見世物にされていることに、ふたりは泣き出しそうな顔をしていた。

 

 奴隷は、惨めだ。

 首に嵌められた道術の首輪によって、奴隷は、自身の意思とは無関係に、「主人」の命令に従わされる。

 どれほど心が拒んでも、言葉で命じられれば、身体が勝手に動いてしまう。

 それが、この国で定められた奴隷という存在だった。

 

 橋の下団で、互いをかばい合いながら生き延びてこなければ──。

 葉芍も、とうの昔に闇奴隷狩りに捕まり、奴隷にされていたに違いない。

 

 この国では、男が奴隷とされることはない。

 なぜか、法がそう決めている。

 奴隷とは、女に限られていた。

 ゆえに、女であるというだけで、闇奴隷への転落の危険は常につきまとう。

 あの奴隷姉妹の姿は、葉芍のような境遇の女にとって、明日かもしれない姿だった。

 

 葉芍は、ふたりから目をそらした。

 人混みを抜け、静かに市を離れる。

 

 河清たちは、まだ金入れを盗まれたことに気づいていないのか、騒ぎ出す気配もなかった。

 追ってくる者の姿もない。

 

 葉芍は、そのまま家路についた。

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