※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

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20  宋江、王婆から少女妾を仲人される

 宋江(そうこう)は、いつも通りだった。役所から従僕ひとりを連れ、家路を辿っていた。

 自宅が近くなったときだった。家の前に立つ女の姿が目に入った。

 

 王婆(おうば)。

 町の世話女。宋江が懇意にしている老婆で、小遣いも定期的に渡している。

 陽気で、働き者で、何より使える女だった。

 

 だが、宋江が彼女を手元に置く理由は、情けからだけではない。

 王婆は身寄りのない独り暮らしだ。その暮らしを立てさせてやる代わりに、宋江は彼女にいくつもの雑務を任せていた。

 彼女のような“目”を、宋江は十数人も抱えている。

 

 それは、警尉官としての表の職においても、また──口にできぬ裏の仕事においても、宋江にとっては、かけがえのない協力者だった。

 女たちは、町の隅で拾ってくる情報を、くまなく宋江へと運ぶ。

 

 その王婆の隣に、ひとりの娘がいた。

 若い。華人だった。

 見覚えは──なかった。

 

 その娘が深々と頭を下げる。

 家の前に着く。

 

「お帰りなさいまし、宋江さん。今日は折り入って、いい話を持ってきましたのじゃ」

 

 王婆はにこにこと笑っていた。

 その笑みを見た瞬間、宋江は何を言われるか察した。

 嘆息が、洩れた。

 

 王婆にはひとつ、厄介な癖がある。

 ことあるごとに、宋江へ後妻や妾をあてがおうとするのだ。

 この華人の娘も、どうせその手合いだろう。

 

 だが、宋江にはすでにその気はなかった。

 誰かを娶ろうなどとは、微塵も思っていない。

 王婆の“厚意”には、いつも困らされる。

 しかも、今日に限って、事前の相談もなく、娘本人を連れてくるとは──。

 

 本人の前で断れば、角が立つ。

 宋江は口をつぐみ、まず従者を下がらせることにした。

 

「唐牛(とうぎゅう)、荷物を中に運んだら、今日は戻っていい」

 

 唐牛。それが従者の名だ。

 小狡く、博打も好きな若造だが、自分に従う従者としては可愛げもある。命令に背くこともないし、一応は宋江のことを慕ってもいた。

 

 ──それにしても。

 

 目の前の娘は、可憐だった。

 服は薄桃色。髪に挿した飾りは貝殻の細工。どちらも高価な品ではない。だが、彼女が身につけていると、不思議な気配が漂った。

 

 美しい──それだけではない。

 眼差しに、芯の強さがあった。

 

 宋江は、一瞬、思った。

 ──どこかで見たことがある気がする。

 これほどの娘なら、忘れようはずがない。なのに、どうしても思い出せない。

 

「……あっ、荷は、あたしが中まで運びます」

 

 娘が唐牛の手から荷を奪い取った。

 宋江は制した。

 

「いや、客人にそんなことはさせられん」

 

 荷を取り返そうとすると、王婆が口を挟んできた。

 

「よいではありませんか、宋江さん。この娘(こ)は、葉芍(はしゃく)というのじゃ。宋江さんの下女になりたいと申しております。荷を受け取るのも、下女の務め。葉芍、この若いのが唐牛。役所からつけられている従者じゃ。覚えておくとええ」

 

「よろしくね、唐牛。葉芍よ」

 

 娘はにっこりと笑い、頭を下げた。

 

「……あっ、お前、あの葉芍か?」

 

 声が出た。

 

 思い出した。いや、思い出さざるを得なかった。

 間違いなかった。

 

 ──だが、それにしても。

 

 葉芍は変わっていた。

 たった三日前の娘とは思えないほどに。

 髪は流行りの結い方でまとめられ、服も飾りも、安物とはいえ整えられていた。

 顔立ちだけでなく、立ち居振る舞いまでもが別人のようだった。

 

 宋江はしばし、言葉を失った。

 見つめてしまっていた。

 

「あ……あたしのこと、お忘れだったのですか」

 

 葉芍の声は、少しうなだれていた。

 

「忘れるものか。三日前のことだ。ただな……。磨かれすぎだ。別人に化けたかと思うほどだ。……とにかく、中に入れ」

 

 宋江はそう言って、葉芍と王婆を家の中へと招き入れた。

 

 三人で玄関をくぐる。

 そのとき、唐牛が葉芍に見惚れているのが目に入った。

 

 ──とりあえず、こいつは追い返しておくか。

 

 宋江は無言で従者を帰らせた。

 葉芍と王婆を客間に通す。

 葉芍は、王婆に言われて茶を淹れに台所へ向かった。

 

 勝手がわかるはずはない。

 そう思ったが、葉芍は「大丈夫」と言い残して、軽い足取りで厨房に消えた。

 二人きりになると、王婆が口を開いた。

 

「わしも試しましたがな。あの娘は、意外と家事全般こなせるようじゃ。野草や茸なんかも見分けがつくし、読み書きはできんが、頭の回る娘ですぞ。使ってみてはくれませんかのう」

 

 それを聞き、宋江は声を潜めた。

 

「おい、王婆。お前には、あの葉芍の身の立つよう、世話を頼んだはずだぞ」

 

「わかってますわい。だから連れてきたのじゃ。あの娘は磨けば光ると、最初に見たときから思うとった。だから最初は、どこかのひひ爺の妾にでもと思うたがな……」

 

「妾、か」

 

「じゃが、葉芍は違いました。宋江さんが独り身で、身の回りを見てくれる女もおらんと聞いたら、どうしても宋江さんのところで仕えたいと言い張りましてな。わしも二日付き合って、あれは本物の娘だと確信したんですわ」

 

「……俺は、妾は囲わん。前にも言ったと思うが、俺は駄目なのだ。普通の女を相手にはできん。……性癖が、特殊なんだ」

 

 言い切ると、宋江は目を伏せた。

 

「それは、その女に男を見る目がなかっただけじゃ」

 

 王婆は、からからと笑った。

 

「いや……それで最初の妻も、うまくいかんかった。変態だの、異常者だのと罵られてな。最後には、出て行かれた」

 

 宋江は、自嘲気味にかぶりを振る。

 

「昔の話じゃ」

 

「いや、もう、あんな思いはたくさんだ。……俺の欲は、娼館で金さえ払えば事足りる。それで十分なんだ」

 

 性癖について、誰にでも話せることではなかった。

 だが、王婆には、白状したことがあった。

 それ以来、王婆が女をあてがうようなことはしなくなっていた。

 

「……いや、あの娘は妾ではなく、下女にと連れて来たのじゃ。本人も、眼の前で汚されていたところを宋江さんに見られた身じゃ。妾にしてくれるなどとは、思うとらんようじゃ」

 

 王婆は、ことさら言葉を抑えて続けた。

 

「だがなあ……」

 

「まあ、最後まで聞け……。だが、それでも、お前さんの下女にして欲しいと。恩を返したいと、それだけを言うのじゃ。宋江さんも、汚れた女は好かんじゃろうが、下女であれば、置いてやってはどうじゃ? 本当に、慕っておるようじゃぞ」

 

「なにを言うか、王婆──。俺がいつ、葉芍を汚れていると言った──。女というものはな、心が汚れていなければ、身体などいくら穢されても、汚れやしない」

 

 宋江の声音には、怒気がにじんでいた。

 

「おう、だったら話が早いのう──妾にしてやってくれまいか、宋江さん」

 

 王婆が口を滑らせたように言った。

 からかっているようにも見えるが、目は真剣だった。

 

「……実際のところ、あの娘の望みは、そこにあるようじゃ。女としては相手にされまいと思って、下女にと申し出ておるがな」

 

 王婆は、卓の上に手を置いて語気を落とした。

 

「しかし……」

 

「なあ、宋江殿、話をきいてみたが、随分と気の毒な娘でもあるのじゃ。孤児たちが寄り添って生きていた“橋の下の子供たち”──あれの最後の生き残りのようじゃな。なんとかしてやりたいのじゃ」

 

「……あの連中のことは、俺も知っている」

 

 宋江の目に、過去が差し込んだ。

 

「あいつらのことは、気にかけてもいた。張明という少年と、葉芍。最後まで残っていたふたりだ。あの張明が死んで、葉芍は……いまは天涯孤独だ」

 

「ほう、葉芍のことまで知っておったと?」

 

「ああ」

 

 短く返し、しばらく沈黙が落ちた。

 

「……だが、知っていて、なにもできなかった。──あの頃の俺は、まだ力がなかった……。いまなら、守れる。そう思ったときには、子供たちはもう姿を消していた。……橋の下に、もう誰もいなかった」

 

 重い言葉が部屋に沈んだ。

 

「……」

 

「……あんな幼い子供たちが、あれだけ必死に助け合って生きていた。なのに、大人の俺が、なにもできずに見ていた」

 

 拳が震えていた。

 

「なあ、宋江殿。お前さんは、あの娘が大人になっているのを、ちゃんと見ておるのじゃろう? だったら、どうかしてやってくれ」

 

 王婆の声が、鋭く飛んだ。

 

「もちろんだ。だが……」

 

「それとも──やっぱり、他の男の精を受けたような女は、嫌なのか?」

 

 挑むような問いだった。

 宋江は大きく息を吐く。

 

「……女としては、あれほどの華人は、滅多におらんとは思う」

 

 宋江は、顔を伏せたまま呟いた。

 

「なら、問題はなかろう」

 

「だが。これは俺の問題なんだ。性癖の問題だ。いくら葉芍が良い女でも、俺の中では、それで済まされるものじゃない」

 

 声を荒げたわけではないが、苦悩がにじんでいた。

 

 ──そのときだった。

 

 扉が、静かに開く。

 宋江は、慌てて口をつぐんだ。

 葉芍が、茶の入った盆を両手に抱え、部屋へ戻ってきた。

 

「……どの盃を使っていいかわからなかったので、勝手に選びました。問題があれば教えてください。すぐに覚えます」

 

 声は穏やかだった。

 盆には、ふたつの茶盃。自分の分はなかった。

 そして、ふたりの前に盃を置くと、自分はそっと卓の脇に立った。

 下女として仕える。

 それが、彼女の申し出だった。

 主人と同席するのは、分を超えるとでも思っているのだろう。

 宋江は、またも嘆息した。

 

「……いいから、座れ。葉芍」

 

「でも……下女が、主人と同じ卓につくなど……」

 

 葉芍は、頑なに首を横に振った。

 

「だったら、最初に言っておく」

 

 宋江は、静かに、だが、きっぱりと言った。

 

「──俺はお前を、下女にはできん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、葉芍の顔が見る間に蒼ざめた。

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