※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

28 / 63

【挿絵表示】

【地図・水滸伝艶義】


7話   女名主・監禁陵辱
28  史春、元婚約者の李吉を足蹴にする


「力の弱い女が、力の強い男を一対一で倒す方法は、そう簡単には見つからないわ。じゃあ、どうする? 暗がりで暴漢に抱きすくめられ、服を破られ、下着を剥がされ、身体を押さえつけられ、男の肉棒が股間にねじ込まれそうになったときは?」

 

 史春(ししゅん)は言葉を区切りながら、村の女たち二十人余りに向かって語った。屋敷の中庭に集った女たちは、皆真剣な顔をして彼女を見ている。

 

 定期的に開かれる武術教室だった。今日は女だけの日だ。

 

 史春は女である。

 だが、腕は村でも随一 ──いや、このあたり一帯でも敵う者はいないと評判だった。幼いころから武術の師につき、父の屋敷で鍛え抜かれた。鍛錬を重ね、ようやくここまで来た。強くなった自分ひとりだけが誇らしくても、村の盾にはならない。

 

 だから教えている。

 男も、女も、すべてに武術を教え込んでいる。

 それが、史華村《しかそん》という農村の掟になっていた。

 

 十日に一度、半日を使っての訓練だ。

 名主となった史春の命によるものだった。

 

 この時代、賊徒が各地に群れを成していた。西には、少華山《しょうかざん》という峰があり、そこには岳竜(がんりゅう)と名乗る無法者が三百人以上の盗賊を従えて巣食っている。

 

 守る者がいなければ、村は蹂躙される。

 史春は、父が生きていた頃から村に自警団を組織させ、武術を教え、警戒を怠らせなかった。

 

 その成果があったのか、少華山の賊徒がいまだ史華村には手を出してこない。

 狙うならば、無防備な村を狙うのが賊の習いだ。自警団がいる村は、襲撃に犠牲がかかる。

 賊徒も馬鹿ではないのだ。

 税も然りだった。

 父は、役人の扱いを心得ていた。賂も使えば、隠し畠も作った。村にとって必要なことだった。

 

 その父が、病で死んで三箇月──。

 喪の期間が過ぎ、史春はようやく、ふたたび女たちの前に立った。

 

 父の死は予期されたものだった。

 歳を重ね、医師には余命を告げられていた。

 けれども、実際に失ってみて、ようやく気づいた。

 この世で唯一無二の存在だったと──。

 

 父は五十のときに、ふたり目の妻を迎えた。

 その女が産んだのが史春である。

 

 美しい女だったと、いまでも村人の口にのぼる。

 だが、娘を産んですぐに亡くなった。

 その哀しみが深かったのだろう。父は、それから妻を娶らず、史春ひとりに愛情を注いだ。

 

 望むものは、なんでも与えてくれた。

 学問を求めれば師を呼び、武術を望めば、女であろうと一流の武術家を屋敷に呼び寄せてくれた。

 

 頬に手を当てながら言っていた。

 「お前は母にそっくりだ」と。

 

 その父の死後、史春は村の名主となった。

 名主の任命は形式上、県令の権限による。

 だが、実際には村が推した者が、そのまま任命される。

 

 すでに父が、すべての手続きを済ませていた。

 賂も用意していた。

 

 ──お前が名主になれ。

 

 それが、父の遺志だった。

 

 女が名主になるなどということは、この辺りでは前例のないことだった。だが、史春は違った。

 

 父の死から数日後、役人が屋敷を訪れた。

 巻物に印を押し、淡々とした声で言った。

 

 本日をもって、史春殿を史華村名主と任ずる──。

 

 史春は、父から言われていた通りに、用意してあった包みを役人に渡した。

 それだけで、すべてが動いた。

 

 名主となれば、年ごとの税を取りまとめ、役所に納めねばならない。

 戦や飢饉があれば、兵や物資の提供を求められる。

 だが、それはすべて、村を守るための代償でもあった。

 

 三箇月の喪が明けて、久しぶりの武術教室だった。

 

 史春は息を吐いて、娘たちに向き直った。

 汗が額に滲んでいる。だが、目は鋭く、声に力があった。

 

「さあ、答えてごらん。あんたはいま、襲われている。どうやって反撃する?」

 

 史春は、前列にいたひとりの娘を指さした。おそらく、今日が初めての参加だろう。口を開いた娘は、きょとんとしながらも、はきはきと答えた。

 

「はい。ここで武術を学んで、暴漢を退治します」

 

「そうね。でも、技を学ぶには時間がかかるわ。あたしが言っているのは“いま”の話よ。いますぐ、どうするか」

 

 娘は言葉を詰まらせた。

 周囲の娘たちは、半分ふざけたように笑い声を漏らす。

 史春は、声を低くして言った。

 

「男には、誰にも共通の急所がある。睾丸よ。ぶら下がっているあれを、力の限り潰すの。一発でね。中途半端じゃ駄目。反撃されて、殺されるわよ。だから、今日は“睾丸打ち”の稽古をするわ」

 

 家人を呼び、練習用の人形を持たせる。

 藁と革布で作った人形には、ちゃんと肉棒と睾丸にあたる部位も作り込んである。

 

 娘たちが、きゃあきゃあと声をあげた。

 史春は無表情のまま、それを無視した。

 二人の熟練の女を前に出す。

 このふたりは史春の助手として、普段から稽古の補助をしている。

 

「見本を示して」

 

 ひとりが、気合いを込めて叫んだ。

 

「きえええ──」

 

 人形の腰に抱きつき、膝で股間を打ち据える。

 二度、三度、連打。

 最後には、手で睾丸の部位を握り潰した。

 教場の雰囲気が一変した。

 

「次──」

 

 もうひとりの女も、叫びながら人形に跳びかかる。

 喉を掴み、前のめりにさせたところで、膝を突き上げる。

 三発、四発、そして睾丸をひねり潰した。

 

 娘たちは沈黙した。

 史春は声を張った。

 

「ためらうな。手加減するな。敵を殺すつもりで撃ち込むのよ。それができなければ、殺されるだけ。──わかった?」

 

 娘たちの返事が、どっと響いた。

 

 そのときだった。

 史春の視線が、中庭の端にとまった。

 

 李吉(りきつ)がいた。いつもの薄笑いを顔に貼りつけ、腕を組みながら稽古を眺めている。三人の取り巻きを引き連れていた。威を借りて歩くのが常の男で、ひとりで現れることはまずない。

 

 血が引くような感覚が史春の胸を打った。

 さきほどまで稽古の熱で昂ぶっていた気持ちが、氷水を浴びせられたように冷えた。

 

「皆、順に人形で稽古を続けて。今日は睾丸打ちを重点に、構え、踏み込み、打ち込み──すべて見直してもらうわ。二人とも、頼んだわ」

 

 助手に言い残し、史春は李吉の方へと歩き出した。

 李吉は、史春の歩みに気づくと、髪を整えながら優雅に頭を下げた。

 

「やあ、史春。……改めて、お父上のご逝去、お悔やみ申し上げるよ」

 

 涼しげな声音、白い顔。女のように整った容貌。

 史春がかつて心を寄せた男であり、隣村の名主の三男坊。かつては婚約者だった。

 

「話があるんだ。屋敷にあげてもらえないか?」

 

「断るわ」

 

 史春はきっぱりと言い放った。

 

「あたしには、話すことはなにもない。婚約の話はすでに終わった。父が生前に手紙を出し、あんたの家も了承したはずよ。いい加減に付きまとうのはやめて」

 

 娘たちの視線を感じ、史春は李吉を脇へと誘導した。物陰に入ると、李吉が低い声で言った。

 

「史春のお義父さんは、俺のことを誤解していたと思う。誤解を解く前に亡くなってしまったのが、残念でならない……」

 

「言い訳なんて要らない。父は、誤解なんてしていなかった。あたしも同じ。手紙に、全部書いたわ。たくさんの女と、仲良くしていればいいじゃない。あたしのことは、忘れてくれてかまわない。それと、役所はあたしを名主として正式に認めたわ。あんたがあたしと結婚して名主になることなんて、父は望んでいなかった。父が本当に望んでいたのは、娘のあたし自身が名主になることだったのよ」

 

 李吉が苦笑いを浮かべる。

 

「遊びだったんだよ、あれは。ほんの出来心でね。本気じゃない。愛しているのは、君だけだ。……それに、名主なんて重荷を、女に背負わせるのは酷だよ。男のほうが──」

 

 言いかけた李吉の手が、史春の肩に伸びた。

 

「触るな」

 

 冷たく、刃を突きつけるような声。

 李吉の顔が強張った。

 史春は続ける。

 

「誰と付き合おうが勝手よ。でもね──いい噂は聞かないわ。女を騙して妓楼に売り飛ばしているって話もある。もし、あたしの村の娘に手を出したら、村を守る棒が黙っていない。あたしがその棒を持って、あんたの村まで乗り込むわ。その口に叩き込んでやる。──二度と、この村に来ないことね。これは最後通告よ」

 

 李吉は、作り笑いを浮かべて言った。

 

「おい……脅すなよ、史春」

 

「ほ、ん、き、よ」

 

 史春がにやりと笑った。

 李吉の顔から血の気が引いた。

 

 李吉は、しばらく口を噤んだまま、史春の顔を見ていた。だが、その目に浮かんでいた怯えは、次の瞬間、憤りに変わった。

 

「そ、そんな勝手が通ると思ってるのか、史春──。一方的すぎる。俺はお前と婚約して、この村の名主になる予定だった。それが手紙一枚で、すべて終わらせるなんて酷すぎるじゃないか」

 

 史春は一歩踏み出して、李吉に睨みを利かせた。

 

「酷い? 酷いのはどっちよ。あたしと結婚する気もないくせに、女を手当たり次第に漁ってたあんたが? 口先で愛を語っておきながら、やってることは賎しい男と同じ。そういうのは、村の女たちに通じないのよ」

 

 李吉は顔を歪めた。

 

「だったら、せめて……せめて、俺が婚約を当てにして借りた金くらいは──」

 

「ふざけるな」

 

 史春は、傍らに立てかけてあった薪を手に取った。ためらいもせず、その薪で李吉の肩を叩きつけた。

 鈍い音が響いた。

 

「ひがあっ──。な、なにをするんだ、くそっ」

 

 李吉が肩を押さえて蹲った。その悲鳴に反応するように、三人の取り巻きが剣の柄に手をかけた。

 

「手を出したな──」

 

「覚悟しろ──」

 

 次の瞬間、剣が抜かれる音が響いた。最初の一人が踏み込む。

 史春は、剣を避けると同時に、手にした薪を振るった。狙いは一点。剣を持つ右手の手首だ。鋭く打ち込まれた薪の一撃で、男は剣を落とし、そのままうずくまった。

 

 二人目が襲いかかってきた。

 史春は前に踏み込みながら、薪の先を喉に突き入れる。

 突きの衝撃に、男の身体が後方へ吹き飛んだ。地面に落ちた男は、苦悶の声も出さずに動かなくなった。

 

 三人目が横から剣を振るう。

 史春は冷静に距離を詰め、脚を払う。

 男の身体が宙を舞い、無様に地に落ちた。背中を強打したのか、呻き声すら上げられずに身を丸める。

 

 三人とも、戦意を喪失していた。

 史春は、まだ肩を抱えて蹲る李吉に歩み寄った。

 そして、無言のまま、足の裏でその顔面を踏みつけた。

 李吉の頭が地に叩きつけられ、呻きが漏れた。

 

「今度、村に現れたら──そのときは命はないと思いなさい」

 

 そう言って史春は、薪を握ったまま背を向けた。

 

 史春は歩きながら、唇をかすかに噛んでいた。

 

 怒りというよりも、虚しさが胸を満たしていた。顔を踏みつけた感触が足裏に残っている。それが、自分の中の過去──ひとときでも想いを寄せ、身体を許し、将来を夢見た男に対する決着だったことが、骨の奥に冷たく沁みた。

 

 あんな薄っぺらな言葉に、胸をときめかせていた。

 

 優しげな視線。

 ほんの少しだけ浮かべる頬の笑み。

 ちょっと悪ぶったような哀愁──。

 

 それだけで、史春は恋をした。

 

 史春は、自分を笑いたかった。

 

 だが、それは済んだことだ。終わったことだ。

 

 李吉との婚約は、父が決めたものではなかった。最初にのぼせたのは、史春自身だ。だが、婚約が定まったその日から、村の長老や商人たちがこっそりと忠告を寄越すようになった。

 

 ──あの男は信用ならぬ。

 ──女を何人も泣かせている。

 ──手を組んでいる相手は、裏の連中だ。

 

 それでも、最初は信じなかった。

 恋は、目を塞ぐ。

 

 だが──。

 

 村を預かる名主の娘として、そして未来の名主として、盲目では済まされぬ。史春は、自ら確かめた。使いを出し、影をつけ、人の口を拾った。証拠はない。だが、確信は得た。

 

 李吉は、悪党だった。

 

 若い娘を言葉巧みに誑かし、妓楼に売る。

 義賊を気取る裏商人と結び、村を裏切る。

 そんな声が、あちこちで拾われた。

 

 だから、婚約を解消した。

 父に願い出て、手紙をしたためさせた。

 

 父は、すべてを察していた。

 男を見る目がなかったと、史春は悔やんだ。

 

 名主の座を娘に継がせる手続きを終えた直後、父の病は急に重くなった。

 

 ──その心労が、命を削ったのではないか。

 

 その思いだけが、心に残っている。

 

 史春は中庭に戻った。

 

 睾丸打ちの稽古は、まだ続いていた。助手たちの掛け声と、娘たちの打ち込む音が交じる。先ほどよりも気迫がこもっている。さっきの騒ぎが、娘たちの心にも火を点けたのかもしれなかった。

 

 史春は立ち止まり、静かにそれを見ていた。

 

 ──もう、振り返らない。

 ──あたしは、この村の名主だ。

 

 身を守り、生きる力を教えねばならない。

 それが、この土地で女として生きる者の矜持だ。




■史春(ししゅん)
 史華村の女名主。齢わずか二十にして村を率い、自ら武を修めて女たちに自衛を教える。亡父の遺志を継ぎ、賊徒に抗し得る自警団を組織し、村を守る盾となった。過去に李吉との婚約を持つが、真実を知って破棄。村と誇りのために剣を執る覚悟を決めている。
 ※原典:■史進(ししん)。梁山泊序列二十三位。「九紋竜」の渾名を持ち、かつては史華村を守る若き名主であったが、武芸に傾倒し、後に賊徒と誼を通じたことで役人に追われ、梁山泊に身を寄せる。梁山泊では騎兵隊の指揮を任された。方臘征伐戦で戦死

■李吉(りきつ)
 隣村の名主家の三男坊。色男として名は知られるが、裏では女を騙し、売り飛ばすような悪党。史春の元婚約者であったが、素性を見抜かれて破談。なおも付きまとうが、史春により追い払われる。
 ※原典:■李吉(りきつ)。史進の武芸の腕を妬み、彼が山賊と親しいと役人に密告して捕縛させた小悪党。その後、梁山泊勢により報復を受けて処刑される。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。