※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

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【地図・水滸伝艶義】




9話   悪太郎、参上
44  武松、奥州の北端で「大虎」退治する


 人並み外れた体躯というわけではない。

 それでも、なぜか幼いころから力だけは強かった。喧嘩で負けたことはなかった。

 両親は北州の地方城郭で小さな呉服屋を営んでいた。

 だが、そんな武松(ぶしょう)を持て余していたことは事実だろう。

 

 非道をしているつもりはない。

 それでも、なぜか騒動に巻き込まれるのが常だ。

 城郭の与太者どもとの喧嘩など、日常のことだった。

 

 十四のときだ。

 ある晩、二十人を超える男に囲まれ、いきなり襲われた。

 棒きれを振りかざし、殺気をむき出しにして襲いかかってきた連中の半分を半殺しにした。

 残りも、足か腕の骨は叩き折ってやった。

 数名は死んだ。

 それで、城郭から逃げるしかなかった。

 

 半年が過ぎた。

 ほとぼりが冷めたと思い、ひそかに家へ戻った。

 けんもほろろだった。

 

 「お前のことは勘当した」と母親は冷たく言った。

 役人を呼ばれた。

 あのときの喧嘩で、相手を殺したことが手配の種になっていたらしい。

 親のくせに、子を役人に捕らえさせようとする。

 そんな酷い親もあるものだと、武松は思った。

 なんとか捕らえられずに城郭を抜けた。

 これで、武松の本当の放浪が始まった。

 

 世の中は物騒だ。

 だが、武松ほどの腕っぷしがあれば、食いっぱぐれはない。

 

 用心棒。

 侠客同士の争いごとの助っ人。

 傭兵。

 

 なんでもやった。

 腹が減らない程度に食えればいい。

 いやな役人に頭を下げずにすめば、もっといい。

 だが、どうしても長くはいられない。

 向こう見ずで、喧嘩っ早い性分だ。

 気づけば、争いごとに巻き込まれ、また土地を離れる。

 その繰り返しだ。

 

 今回もそうだった。

 奥州の北部──。

 炭鉱で乱暴者の炭鉱夫どもを仕切っていた。

 だが、つい出来心で、炭鉱を管理していた小役人の女房を寝取った。

 言い寄ってきたのは女のほうだった。

 武松には十も二十も言い分はある。

 だが、小役人の夫が上役に泣きつき、騒ぎは大きくなった。

 結局、また夜逃げ同然の逃亡。

 吹きつける夜風が肌に冷たい。

 

 武松にとって、女は食事と同じだ。

 女がいなければ生きていけない。

 しかし、鉱山には女っ気などほとんどない。

 それなのに、あれほどあからさまに言い寄られたら、手を出さぬ男はいない。

 

 もう女房に手は出さないと約束したのだ。それにも係わらず、妻を強姦されたと役人に訴えるとは、ひどい夫だ。

 強姦どころか、あの女房は自分から武松の股に乗ったのだ。

 まあ、どう言い繕っても、いまさらどうにもならないのは変わらないが……。

 

 とにかく、またもや旅の空だ。

 炭鉱夫たちとは荒くれ者同士、気も合っていた。

 惜しいことだ。

 

 小役人の妻を寝取ったくらいで、追手が本気で来るとも思えない。

 だが、念のためだ。

 しばらくは奥州からも離れようと思った。

 奥州の北辺から南へ向かう街道に武松はいた。

 このまま州境を越えて、北州のどこかに根を下ろすのもいいかもしれない。

 まあ、それまでに、いくつ喧嘩があるかは知らないが……。

 

 もっとも、いまは治安がよくない。

 旅もなかなかの命懸けだ。

 それに、奥州は辺境で城郭の数も少なく、城郭と城郭のあいだは、州知事や地方役人の目が届かない。

 無法地帯のようなものだった。

 当然、ほかの土地で罪を犯した兇徒や盗賊が、奥州へ流れ込み、息を潜める。

 そして、迂闊な旅人が通るのを待ち構えて襲うのだ。

 だから、少しでも陽がかげると、街道といえども人影はひっそりと消えていく。

 

 案の定だった。

 武松の目の前に、五つの人影が道を塞ぐように現れた。

 ぱらぱらと散り、前を阻む。

 

「おい」

 

 ひとりが鋭い声を放った。

 

「なんだ」

 

 武松は応じる。

 五人とも武器を抜いている。

 三人が剣。ひとりが斧。もうひとりは槍だ。

 着ているものは、どいつもおそろしく汚い。

 だが、そのうちのふたりが女物をまとっていた。それだけは清潔そうだった。

 ひとりは上衣。もうひとりは内衣。

 どちらも上等で、つい最近奪ったのだろう。

 気になった。

 

「四の五の言うな。命が欲しけりゃ、有り金を置いて、服を脱げ。下帯だけは許してやる。ふるちんで街道を歩くのも、つれえだろうからな」

 

 最初に脅した男が言った。

 ほかの四人が、同調するように笑った。

 こいつが首領だろうか?

 女物の上衣を着ている男だ。武器は剣だった。

 

「お前ら、山賊だな」

 

 武松は小さく嘆息した。

 この五人が、武器も持たぬ武松を侮っているのは確かだった。

 どうも見た目だけでは、そう屈強には見えないらしい。

 それが、いつも喧嘩に巻き込まれる理由かもしれなかった。

 

「そうよ。いまごろ気づいたか」

 

 首領が笑った。

 いずれにしても、こんな五人は相手ではない。

 首領が「がはは」と笑い声を上げたときには、武松の身体はもう相手の懐に入っていた。

 

 顔面に、ありったけの力で拳骨を叩き込む。

 首領は後ろへ吹っ飛んだ。

 おかしな感触が武松の拳に残った。

 力を入れすぎたのだ。

 

 首領の首が、あり得ない方向に捻じれ、道端の樹木の幹に、頭から叩きつけられる。

 動かない。

 死んだのは、明白だった。

 

 ちょっと、汚れたか……。

 女物の服が、男の鼻血と泥で汚れたのを、武松は惜しいと思った。

 

「うわっ」

 

「眼の字──」

 

「ひいっ」

 

 賊どもが声をあげた。

 眼の字――?

 さっきの首領の名だろうか。

 

 まあいい……。

 

 そのときには、もう武松は倒れた賊の剣を拾っていた。

 

 一閃。

 

 槍を持った賊の首が落ちた。

 斧の男も、首が転がった。

 

「ひゃああ……」

 

「た、助けてくれ……」

 

 残ったふたりは剣を捨て、尻もちをついた。

 もはや戦う気はないようだ。

 武松は血の付いた剣を、ふたりに向けた。

 

「お前、その女物の服を脱げ」

 

 武松は、内衣をまとった賊に言った。

 

「へ、へいっ」

 

 賊は慌てて内衣を脱ぎ、差し出した。

 武松はそれを受け取った。

 

「死んだ三つの骸を道端に捨てて来い。街道に転がしておくのは、通行の邪魔だ。ただし、女物の服だけは持ってこい。いいな」

 

 武松の声に、ふたりの賊はばね仕掛けの人形のように飛び上がった。

 言われたとおりに、骸を道端へ放り、服を持って戻ってくる。

 

 差し出されたのは、女物の着物と帯紐。

 武松は受け取った。

 

 新しい……。

 

「やっぱり、新しいな……。お前ら、最近女を襲ったな。この服の中身はどこだ。もう殺したか──?」

 

 剣の切っ先を、賊の鼻先に突きつけた。

 

「と、頭領が抱いております……」

 

 ひとりが怯えた声を絞り出した。

 

「頭領? ほかに頭領がいるのか」

 

「へ、へい。大虎(おおとら)親分が……」

 

「大虎……?」

 

 もうひとりが震え声で言った。

 どうやら、最初に殺したのは首領ではなかったらしい。

 首領は、まだ別にいる。

 

「その大虎が街道でさらった女を抱いているのか。それで今日の稼ぎは、お前らに任せたということか?」

 

 武松の問いに、賊どもは小さく頷く。

 

 ふうん……。

 つまり──。

 

「頭領が抱くってことは、その女は妙齢の女か。なかなかの美人か?」

 

 武松は声を低くした。

 

「と、年増ですが……。かなりの美人で……。大虎親分は手放そうとしません。俺たちには、おこぼれもなしで……」

 

 ひとりが、不満をにじませて吐き出した。

 ますます、いい。

 

「案内しろ」

 

 武松は言った。

 

「へっ? ど、どうなさるんで?」

 

「その大虎を退治して女を助ける。もしも、その大虎が小銭をため込んでいるなら俺が全部もらうが、お前らにも分けてやる。だから、道案内しろ。それともいやか? いやなら死ね」

 

 武松は剣を振りあげた。

 

「と、とんでもねえ──」

 

 ふたりは小さく声を絞り、先に立った。

 武松は、女物の服をひとりに渡し、その背を追う。

 

 途中で剣は捨てた。

 武松の得手は素手の喧嘩だ。

 武器を持てば、一流の下くらい。だが、武器を捨てたときの武松に、敵うものはいない。

 

 やがて、街道から外れて、草の中に入った。

 そのまま草を分けて進んでいくと、急に開けた場所につき、崖面を後ろに接する山小屋があり、山小屋の横には洞窟がある。

 

「虎はどっちだ? 洞窟か、小屋か?」

 

 武松はひとりに言った。

 

「洞窟の奥です」

 

「呼んで来い……。いや、ふたりで洞窟の前で山火事だと叫べ。そうすれば、まぐわいの最中でも出てくるだろう」

 

 武松はそう言って、女物の服を持っていない方に、薪に火をつけさせた。

 山賊たちの食事の痕だろうか。小屋の前にたき火の痕があり、そこに焚き木が集めてあったのだ。

 武松が命じた男が薪のひとつに火をつけ、それを松明のように持っていき、洞窟の入り口に放り込む。

 

「頭領、火事です──。山火事です──」

 

 手筈どおりに、山賊どもが声をあげた。

 しばらくして、肥え太った巨漢が慌てて洞窟から飛び出す。

 武松は洞窟の前に荷を置き、出迎えた。

 横から蹴飛ばしてやった。

 

「うがあっ」

 

 大虎──こいつで間違いない。

 意外にも、巨漢は素早かった。

 蹴りの勢いを自ら横に飛んで殺し、そのまま転がりざまに大刀を薙いだ。

 山賊にしては、武芸の心得がある。

 

「なんだ、お前は?」

 

 大虎が大刀を構え、武松を睨んだ。

 

「通りすがりの正義の味方だ。女をさらったろう? そいつを助けようと思ってな。このまま逃げていけば、命は救ってやるぞ」

 

 武松は、にやりと笑った。

 

「痴れ事を」

 

 大虎が吠えるように突っ込んできた。

 大刀が武松の頭めがけて振り下ろされる。

 しかし、刀が届く寸前で、武松の身体は横に滑っている。

 横から大虎の頭と首を掴んだ。

 

 そのまま捩じる。

 ぼきり、と鈍い音がした。

 大虎は声も出せずに崩れた。

 死んだのがわかった。

 

「お前ら。この頭領の溜めた金子も、洞窟か?」

 

 武松は、案内役のふたりに目を向けた。

 ふたりは地べたに座り込んだまま、顔色を失くしている。

 

「持って来い。それと、女も連れて来い」

 

 武松は言った。

 賊徒は慌てて立ち上がり、洞窟の奥へ入っていく。

 女物の服は取り上げた。

 さっき捨てた荷を拾う。

 

 やがて、ふたりが戻ってきた。

 ひとりは、大きな陶器の甕を抱えている。

 中には、追剥で溜め込んだ金子が詰まっているのだろう。

 もうひとりは、女の下袍や帯を丸めて担いでいた。

 女が脱がされていたものだ。

 

 ふたりの後ろから、女が姿を現した。

 歳は、四十ほどか。

 胸巻きと腰布だけの下着姿。

 白い肌を、両腕でかき抱くようにして隠している。

 

 賊どもが年増と言っていたが、確かに若くはない。

 だが、白く張った肌に、たっぷりとした肉付き。

 色気がある。

 なにより、美しかった。

 武松は、息を呑んだ。

 

 甕に目をやる。

 なるほど、溜め込んでいた。

 武松は片手を突っ込み、銀両と銀粒を無造作に掴んだ。

 

「お前ら、それを持って、いなくなれ。俺たちは横の山小屋に入るが、次にお前らを見れば、容赦なく首を捻り折る」

 

 女の下袍を取りあげてから、武松は言った。

 賊どもは金を抱えたまま、すっ飛んで逃げていった。

 

「あ、あの……」

 

 山賊たちが消えると、女が声をかけてきた。

 怯えと、不安がないまぜになった表情だった。

 武松は、賊から取りあげた衣類を持ったままだ。

 女の目が、ちらりとそれに向いた。

 

「おう、これは横の山小屋に運んでおいてやる。山小屋の横に谷水が出てるようだ。それで身体を拭いて来い。ほかの男の精がついたままじゃ興醒めだ。洗ってきてくれ」

 

 武松の声は、低く、平らだった。

 

「湧き水?」

 

 女はまだ呆然としているみたいだった。

 武松の示した先に視線を向ける。

 そこには、水が出ている。

 武松は自分の荷から身体を拭く布を出して手渡した。

 

「……そ、そなたが助けてくれたのか……?」

 

 女が言った。

 

「おう、いかにも助けた。これからどこに行くのか知らんが、そこに送り届けてもやる。別に俺は目的のある旅じゃない。どこに行きたかったのだ?」

 

 武松が言うと、やっと女はほっとした顔になった。

 

「ほ、本当か? 助けてくれるのか? わ、わたしは供とはぐれて道に迷っているところを運悪く、あの大虎に捕まってしまったのだ。頼む。わたしを応北(おうほく)の城郭に連れていって欲しい。礼金はいくらでもする」

 

 女がまくしたてた。

 喋り方からすれば、どこかの分限者の家の女なのだろうか。

 これだけ肌がきれいなら、おそらく間違いない。

 

「おう、わかった。応北だな。安心してくれ。必ず、あんたをそこまで送り届ける。心配するな」

 

 武松は請け負った。

 応北は奥州の北側の城郭であり、ここからなら、南に歩いて三日くらいだろう。もともと、向かう予定だった方向だ。

 

 

「か、感謝する……。と、ところで、その衣服を……」

 

 女が手を伸ばした。

 

「おっと、まだ早い」

 

 武松は、それをさっと引いた。

 

「な、なんでじゃ? その服はわたしのものだ。いつまでこんな格好をさせるつもりなのだ。返せ」

 

 女がさらに手を伸ばす。

 だが、武松は手で制した。

 

「小屋に運んでおくと言っただろう。それより、身体を洗って来い。どうせ、脱ぐんだ。着るだけ無駄だ」

 

「どうせ……脱ぐ?」

 

 女が眉をひそめる。

 

「当り前だ。俺はただ働きするつもりはない。ただし、礼金はいらん。礼はあんたの身体でいい。しばらく女とやってない。あんたのようないい女の姿を見て、我慢なんかできるものか。やらせてくれ。そうすれば、応北でもどこでも連れていく」

 

「はああ?」

 

 女が声をあげた。

 

「なあ、いいだろ? やらせてくれよ。なっ、助けてやったんだ。頼むから、やらせてくれ……。このとおりだ」

 

 武松は服を腕に抱え直し、両手を身体の前で合わせ、頭をさげた。

 

「冗談ではない」

 

 女が呆れたように声を漏らした。






■ 武松(ぶしょう)
 各地を渡り歩く無頼の浪客。齢二十五。
 北州の呉服屋に生まれながら、無鉄砲で喧嘩早く、十四で数人を叩き殺し勘当される。
 腕一本で世を渡り、用心棒、炭鉱夫、侠客の助っ人と、己の拳で道を切り拓く。
 女を食事と同じほどに欲する性分で、色事の騒ぎに事欠かず、土地を渡り歩くのが常。
 飢えと孤独に馴れ、悪党には容赦なく、弱き者には命を張る。
 誰の縛りも受けず、野放図に生きる流れ者。だが、人の情だけは裏切れぬ。
 ※原典:武松。梁山泊序列第十四位。渾名「行者」。猛虎を素手で討つほどの怪力と義勇を誇り、酒と正義を愛した剛傑。最期は朝廷への帰順後に右腕を失い、仏門に入って余生を閉じた。
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