ただし、その周備本人とは、顔を合わせていない。
護衛の依頼を持ち込んできたのは、彼の部下である手代、
往路では奥州産の岩塩を積んでいた荷馬車も、復路では帝都・開封府で仕入れた衣類や薬品、道具、化粧品などで満載だ。
中でも一輌、銀貨を積んだ荷馬車がある──表向きには保存食品を積んでいるように見せているが、実際は岩塩の売却代金を銀に替えたものだ。
その荷馬車が、ちょうど朱武美と林冲の前を進んでいる。
他の荷車が失われても大損ではない。
だが、この銀を積んだ一輌だけは、絶対に守らなければならない。
ふたりが近くを離れない理由も、そこにある。
護衛兵は二十名あまり。
十輌の馬車に前後均等に配置され、いずれも騎馬だ。
荷馬車の操者、商人の下働き、人足ら三十名。
総勢五十を超える隊商だが、規模としては並み。
しかし──積荷の価値は、並ではない。
これだけの騎馬を揃えられるのも、奥州随一の豪商・周備の力というべきか。
帝都で岩塩を売るというのは、想像以上に利のある商売のようだ。
ただし、商いのことは朱武美の専門外だ。
往路で岩塩を売り、復路では商品を積み、残りを銀に替えて帰る──
その手配をつけたのは、同行している手代の千玄である。
四十前後、小肥りで気の回る男。
帝都で走り回るあいだ、朱武美は林冲と宿に残り、飯を食い、酒を飲み、あとは──愛を交わして過ごした。
しかし、朱武美たちの任務は明確だった。
隊商を、盗賊の襲撃から守ること。
往路よりも、銀を積む復路の方が狙われやすいと、最初から朱武美は踏んでいた。
「朱武美、大変だよ」
前方の斥候として送り出していた
李姫の馬術は、ほとんど天才の域にある。
どんな駄馬でも、彼女の手にかかれば駿馬になる。
その李姫が、馬の腹を締めて近づいてきた。
「この先の
「人数は?」
「峠にいたのは二十人くらい。でも山砦の中にはもっといる。そっちは近づけなかった。警戒が強かったから、遠目に見ただけだよ」
「すばしっこいお前が近づけないってのは、相当ってことだな、李姫。なら、賊にしては軍規があるってことか?」
林冲が言葉を挟んだ。
朱武美も、同じことを考えていた。
烏合の衆なら、数がいても怖くはない。
だが、規律ある賊は、少数でも厄介だ。
「ううん……そんな感じじゃない。でも砦が自然の要害にあって、正面の道が一本しかないの。回り込めば近づけたかもしれないけど……早く知らせたほうがいいと思って」
「よくやったわ、李姫」
朱武美は言って、隊商を停止させた。
そして、責任者の千玄を呼び、状況を説明する。
千玄は驚いた顔をしていたが──
「少華山の賊徒といえば、最近勢いを増している無法者どもですな。
さすがに一介の商人とはいえ、これだけの隊商を任されるだけの器量はある。
千玄はすぐに顔を引き締め、冷静に情報を返してきた。
「どうしますか、朱武美殿? 手筈では銀を除く荷馬車隊を先にやって、それを奪わせておいて、銀の積んだ荷馬車だけをその後、通過させるという計画でしたな」
往路とは違い、復路で守るべきは銀だけと、依頼主の
だから、朱武美は護衛隊全体にも、そう説明していた。
朱武美は、
「ねえ、李姫。お前が見た待ち伏せって、何日もやってた気配だった? それとも、準備して間もない感じ?」
朱武美が問いかけると、李姫は即答した。
「準備中だった。道を塞ぐ馬車止めを脇に隠してたし、盾も揃えてた。道の両脇に潜む支度してたよ」
「だったら、都合が良すぎるわね……。偶然かもしれない。でも、峠を通過する日を、あらかじめ知ってたとしたら……」
朱武美の声に、
「いまのは、どういう意味ですか?」
「わたしたちの行動が、事前に読まれていた可能性があるってこと。人足か、護衛兵か。中に内通者がいて、賊徒に動きを知らせてるかもしれない。もしそうなら、手筈通り進んでも、奴らは銀の馬車だけを狙ってくる」
朱武美の言葉に、千玄が驚きの声を漏らす。
「ま、まさか」
「試してみましょう。銀を積んでいない馬車を先に進ませる。予定どおりです。もしそれを襲うようなら、わたしが指揮して蹴散らします」
朱武美は言い切った。
「でも、当初の手筈では、荷は捨て駒。賊徒にそれで満足させて、本命の銀馬車を安全に通すという策でしたよね? あえて、賊を蹴散らすのですか?」
千玄が困惑をあらわにする。
「わたしは最初から、荷をひとつたりとも渡す気はなかったわ。でも、勘が正しければ──賊徒は、最初の馬車群は通すはず。先に手を出せば、警戒して後続が引き返してしまうから。奴らの狙いは、後から来る銀の一台」
「わかったよ、朱武美。後方に残って奴らを迎え撃つのが、俺の仕事ってわけだな?」
その顔には、静かな自信があった。
「お願いするわ、林冲。連中が後方を襲えば、わたしが護衛を引き連れて戻る。それまで持ちこたえられる人数、必要?」
「要らん。邪魔なだけだ。それに、誰が賊の内通者かわからねえ奴らを、背に置く気はない」
「……わかったわ、林冲。それから李姫。あんたも林冲と残りなさい。御者をお願い」
「あい」
李姫がのんきな声で返事した。
「三百人の賊がいるかもしれない側に、たったふたりだけ残るんですか?」
千玄が目を見開いたまま訊く。
「
朱武美は、千玄の質問に答えず、別の問いを投げ返す。
「逞しい大男だと。身の丈は八尺を超えるとか」
「八尺は大げさでも、目立つんでしょうね。それだけ分かれば十分。……李姫、聞いた?」
「それが、あたしの役目?」
李姫が肩を竦めて言った。