53 朱武美、豊城倉庫群の襲撃を企てる
「
ここは
朱武美の描いた地図には、少華山と豊城の城郭、近隣の農村、主要な街道、そして豊城の行政府が管理する二十の穀物庫の位置が、簡潔ながら正確に記されていた。
「ふーん」
気のない返事をしたのは李姫だ。
聞いているのかいないのか、判然としない声だったが、朱武美は気にすることもなく、言葉を継いだ。
「事態は混乱して官軍は対応に惑うわ。結果として、少華山の兵糧は潤うし、義賊としての名声はあがる。ついでに、周辺の民衆の飢えの恐怖も和らぐ……。名付けて、一石二鳥ならず、“一石三鳥作戦”よ」
「ついでに、やっと暴れられることで俺の鬱憤も発散できる。一石四鳥だな。先日、奥州軍の軍牧から軍馬を根こそぎ奪ったときは、連中は戦わずして逃げやがったからな。今度こそちゃんと抵抗して欲しいものだ」
林冲が腕を組み、薄く笑った。
朱武美は静かに微笑む。
秋の収穫を終えた穀物は、税として徴収されたのち、帝都へと送られるまでのあいだ、いったん倉庫に保管される。
だが、その半分は地方の手元に残され、上から下まで賄賂の通り道となり、高官どもが私腹を肥やすための手段と化していた。
地図に描かれた二十の穀物庫のうち、十に朱武美の印が記されていた。
それらはすべて、明日から明後日にかけて、少華山の賊徒が連続で襲撃する予定の地点である。
山に近いものから順に狙い、二日間で十箇所を叩きながら転戦し、再び山へ戻る。
そういう作戦だった。
穀物庫の最大のものの四個は豊城の城郭内にあるが、それには印はない。
城郭を襲撃する勢力は少華山にはないし、あくまでも、これはいずれ行われるであろう少華山に対する官軍の攻撃に際して、籠城に必要な兵糧を得るための行動だ。
全部の穀物を奪わなくてもいいし、難しい場所を襲撃する必要はない。
義賊としての名声を得るのも、そのために奪った穀物をばらまくのも、今回の策のついでのようなものだ。だから、無理をする意味はまったくない。
「林冲はわたしと一緒に穀物庫を襲撃する隊の指揮よ。林冲には、鍛えた騎馬隊を指揮してもらうわ」
「わかった」
林冲が首の赤い布を巻き直しながらうなずいた。
林冲は上から下まで黒い具足を身に着けている。林冲に限らず、林冲が“
いまのこの少華山の勢力は、五百というところだ。
五百人の勢力のうち、もっとも屈強な五十人を林冲は騎兵として育てあげていた。
その騎兵に与えているのが黒一色の具足だ。
ただの賊徒にすぎなかった男たちをこうやって、「軍」として鍛えあげたのは林冲の力だろう。朱武美から見ても、いまや少華山の賊徒は、一人前の軍として通用する状態になっている。
賊徒たちをここまで鍛えあげるとともに、「軍規」を引き締めるために、林冲は二十人を追い出し、十人近い者の首を斬っている。
軍規を破って近傍の農村などで乱暴を働いた者を斬首、または、追放したのだ。
そういう行為は、近傍の農村が少華山の評判を見直すきっかけになっているようだ。
その結果、少華山の賊徒は、半年余りで当初の倍の勢力に拡大した。
つまり、少華山の賊徒については、
それを助長したのが今年の凶作だ。
凶作だったことにも関わらず、役人が乱暴な税の取り立てをしたために、それが新たな賊徒の発生を産んだのだ。
岳竜がいた頃は、少華山の賊徒といえば、暴力的で乱暴な集団と知られていたから、そのような状況でも大きな勢力の増加はなかったようだが、林冲や朱武美が少華山に入ってからは、一応は“義賊”だと称している。
近傍の農村に迷惑をかけないという宣言が、過酷な税の搾取により行き場をなくした逃散農民の受け皿に少華山がなったようだし、実際に馬をはじめ、武器を集めるために、すでに奥州側には数回出撃して大量の武器を集めている。
奥州軍は、北州と異なり官軍の規模も小さく、まだ討伐の動きもないが、そんな実績もあるので、どんどんと賊徒数も増えていくというわけだ。
「ところで、凶作というけど、史春のところは問題なさそうだったね。税だって苦労せずに納めていたみたいだし、少華山に具足なんて贈る余裕もあるんだものね……。なんでそんなに違うのかなあ?」
李姫が口を挟んだ。李姫は、史春と少華山が知り合うきっかけとなった猟師小屋の事件のあと、しばらく史春の護衛として史華村に滞在していた。だから、村の事情に通じていた。
「史春のところは、それだけうまくやっているのさ。役人との付き合いもうまいし、米が凶作でも大丈夫なように麦も植えさせている。また、実は隠し畠もいっぱいあるようだ。ただ、いずれにしても、史華村だって例年の倍は税をとられたようだな。それでも、農民が逃散したり、税を払うために家族を奴隷に売ったりしなくて済むのは、それだけ史春が大した女なのさ」
林冲が言った。
その通りなのだ。だが、林冲がほかの女を褒めるのは、どうにも朱武美の心にはひっかかるものがあった。
無論、その背後にいる天文明を糾弾する目論見もあった。
だが、それは──史春の偽者として村に入り込んでいた蘭という女の自死、というかたちで、唐突に終わってしまっていた。
蘭は、史春の偽者として、天文明から「変身の道術具」を渡され、史華村に入り込んでいた女だった。
だが、朱武美が送った手紙によって露見し、さらわれていた本物の史春が戻る前に、家人たちの手で蘭は捕らえられた。
史春は、蘭に自白させ、背後にいたはずの天文明を公に糾弾するつもりだった。だが、それは果たされなかった。
蘭が史春が村に戻る前に毒を仰いで死んでいたのだ。
実際のところ、それが自死だったのか、あるいは天文明と通じる者が村内に紛れ込み、口封じのために毒を盛ったのか、その真相は明らかではない。
いずれにしても、天文明との一件を、これ以上どうにもできないと知った史春は、明らかに落胆していた。
天文明の身柄については、少華山でも追跡を続けている。だが、いまのところ、彼はどこかに身を潜めていて、尻尾すら掴ませていない。
林冲は、見つけ次第、二度と生まれてきたいと思わぬほどの仕打ちをしてやると息巻いているが、今はまだ、気配すらない。
ともかく──。
あの一件以来、少華山と史春の間には、ささやかながら信義が結ばれた。
朱武美たち三人が史華村を訪れることもあれば、逆に史春を少華山の砦に招いたこともあった。
李姫が口にした“贈り物”とは、その縁の証ともいえる。
史春が少華山を救援してくれた礼として贈ったものであり、いま林冲が身につけている黒の具足がそれだった。
黒具足──百組。
それは、史春が自らの名義で、村の女たちを動員して揃えさせたものだった。
だが──。
実は、朱武美はそれが気に入らない。
ただの直観にすぎない。けれど、史春が林冲を見る視線には、女が男を見る色が混じっているように思えるのだ。
そんなことを言えば、林冲は馬鹿馬鹿しいと一蹴するだろう。それでも、朱武美には確信があった。
女の勘というやつだ。絶対にそうだ。
──あの黒具足のことも、三人で史華村を訪れた際に、史春が林冲の好きな色を訊いたのがきっかけだった。
それだけではない。
史春の言動には、ときおり、林冲に媚びるようなものが垣間見える。
無論、朱武美に対する友情は確かなものだと信じている。
だが──それはそれとして、女としての本能が、史春の中に眠っているのではないか。
おそらく、史春自身がそのことに気づいていない。
だからこそ、たちが悪い。
問題の根は深い、と朱武美は思う。
──いずれにせよ、林冲は、黒一色の具足群に大喜びだった。
そして、それを自らが鍛え上げた騎兵たちの正式な軍装に定めた。
統一された軍装というのは、それだけで兵に威容を与える。外から見ても強そうに映るし、内から見ても誇りが生まれる。
強そうに見える軍は、それだけで他を圧することができる。
──それは、たしかに正論だった。
だからこそ、朱武美も口答えはできなかった。
史春が贈ってきた黒具足を、林冲の騎兵たちが身に着けるのを、黙って許すしかなかった。
ただし、具足のなかには首に巻く布もあったのだが、朱武美は林冲の首巻だけは、自ら贈った真っ赤な布に変えさせていた。
その赤は、朱武美の好む色だった。
林冲には、全員が黒一色では指揮官を部下が見分けられないからだと説明していたが、実のところ、すべてが史春の具足というのが面白くなかった。
それだけの理由で、赤を選ばせたのだ。
「李姫、あんたの役目は歩兵を率いて、解放した穀物庫から穀物を奪い、少華山に運び入れることよ。大切な任務よ。しっかり頼むわね」
「あい、朱武美。ちゃんと言われたことはやるよ。余分には奪わない。どの穀物庫からも、少なくとも半分は残しておいて、近隣の農民が持っていけるようにする。そして、移動には史華村は通過しない。これでいいんでしょう?」
「そのとおりよ。まあ、もっとも、史春もほかの村と同じ程度だったら、村を通過してもいいと言っているわ。これだけ大規模な襲撃になると、どの村も少なからず少華山が通過することになるわ。その状況で、まったく史華村だけ回避するのも、逆に怪しいからね」
朱武美がそう言った。
「史春にも、今回の策については伝えてあるのか?」
林冲の問いだった。
「詳しくは教えていないけど、ある程度はね……。一応は仁義だし。友達だし……」
朱武美は、白い歯を見せて、林冲に微笑んだ。
「だが、そうはいっても、うまい具合に史華村を避けるような感じになっているな」
林冲が地図に描かれた襲撃対象の印を指でなぞった。
線で結ぶと、襲撃順がそのまま、史華村を中心に円を描いて少華山へ戻るような形になっていた。
「史春との約束だしね。それに、あなたにも言ったでしょう。史華村を通過しなくてすむような策を考えてあげるって」
「そうだったかな? まあいいか……。李姫、史華村の史春は、これからもなにかと世話になるはずだ。彼女に迷惑にならないように、うまくやってくれ」
「あい、林冲」
李姫が元気よく応じた。
朱武美は、そのやりとりを黙って見ていた。
また林冲が、史春に気を使った。
──やっぱり、ちょっと面白くない。