襲撃、二日目。
五十騎の馬上に、
初日、予定していた十の穀物庫のうち、八までを襲撃していた。
こちらに損耗はない。
そもそも、官軍の兵といっても、集団から外れて穀物庫の警備にまわされるような連中だ。兵としての価値など端から無い。何十人いようとも、脅威にはならなかった。
案の定だった。
黒一色に統一された騎馬の軍装を目にしただけで、守備兵は武器を捨てて逃げ出した。
林冲と
残された大量の穀物を運び出すのは、
税として徴収されたばかりの穀物庫には、うなるような量の穀物が詰まっていた。
李姫たちは、近隣の村からかき集めた荷馬車、人の押す荷車まで動員し、それを少華山へと運ぶ。
それを繰り返した。
ひとつずつ、着実に。
近傍の村では、穀物庫から運び出された穀物を積んだ車列が、群れをなして少華山に向かっていく姿が目撃されていたらしい。
李姫は、朱武美の指示に忠実だった。
穀物庫を襲撃しても、すべてを奪いはしない。
穀物のうち半分以上を残し、それを前にして驚き集まってきた農民たちに、逃げるように持ち去れと告げたという。
最初に手を出したのは、村から追われた棄民たちだった。
凶作に見舞われ、養えぬと見捨てられた者たち。
村から追い出され、道ばたで飢え死にするのを待つしかなかった彼らが、鬼気迫る勢いで穀物に群がった。
そしてその姿を見た近傍の村人たちが、次々と後に続いた。
残された穀物は、まるで蝗の群れが襲ったかのように、あっという間に消えたという。
堂々と山に向かう荷駄の列が噂となり、流れた。
それは、火の粉のように広がった。
次に襲われる穀物庫には、すでに人が集まり始めていた。
李姫が少華山へ運んだ穀物は、最初の三箇所に限られていた。
その後、初日の後半に襲撃した五箇所については、穀物はまるごと民に委ねた。
兵を払うだけの襲撃。
それで、目的は果たされる。
すべては、朱武美の計算だった。
今回の襲撃は、少華山に近い倉庫から始まり、次第に外へと円を描くように広がり、再び山へと戻る軌道を取っていた。
遠方の穀物庫を襲っても、それを運ぶには手がかかる。
李姫たちの負担を避けるためでもあり、同時に、官軍の読みを混乱させる意図があった。
襲撃範囲を広げ、意味をぼやかす。
なんのための襲撃か。
誰が指揮し、どこまでが計画か。
官軍がそれを見極めるには、時間が要る。
──この混乱は、時間を稼ぐ。
棄民や農民たちが穀物を奪っていく。
官軍からすれば、それが賊徒の差し金なのか、自発的な暴動なのか、判断がつかない。
それぞれが結託しているのか、連鎖反応なのか。
単なる賊の掠奪とは違う。
混沌を深めさせるには、十分だった。
朱武美が、もっとも神経を尖らせていたのは、官軍が襲撃部隊ではなく、李姫の穀物輸送隊を狙ってくることだった。
だから、彼女は騎馬隊とともに行動しながらも、常に斥候を散らして、官軍の動きを読んでいた。
もし、官軍が李姫の方に向かう兆しを見せれば──。
その時点で襲撃は中止され、全軍をそちらに転じることになっていた。
だが、それも杞憂に終わる。
すでに初日の襲撃だけで、当初の計画分の穀物はすべて手に入っていた。
今日の襲撃は再び少華山に近づく位置であり、李姫の歩兵隊も近くまで接近し、潜んでいる。
動くかどうかは、状況を見て決めるつもりなのだろう。
いずれにせよ、朱武美の策は当たった。
周辺の民を巻き込んだかたちで、見事に功を奏した。
義賊だ、義賊だと口にしてはいるが、そんな青臭い理屈で終わらせないところが、朱武美の頼りになる点だ。
義賊の名も、穀物のばら撒きも、すべて計算の上。
評判があがれば、人が集まる。
集まった者が数百を超えれば、地方の官軍は及び腰になる。
そして、討伐もされなくなる。
それでも手が出せぬほど大きくなれば──政府は「招安」に転じる。
賊徒を官軍に取り込み、官職を与えるのだ。
治政を壊す愚策だが、現実はそう動いている。
……とはいえ、林冲自身は、招安など望んでいなかった。
この混迷の時代を、面白おかしく、生き抜ければそれでいい。
ただ、それだけだ。
「林冲、いよいよ九箇所目よ──。本来の穀物庫の守備兵のほかに、近くに五百の城郭軍が展開しているわ。やっと、連中もわたしたちの仕業だと気づいたようね」
朱武美が、指差す。
地図の上、城郭から伸びる細道の先に、赤い小さな点が記されていた。
城郭軍──。
名のとおり、城郭に本部を置く正規の部隊。
穀物庫の守備兵とは違い、れっきとした軍指揮官のもと、訓練された兵が動いている。
「まあ、気づくのが遅すぎたくらいだな。とにかく、九箇所目は予定通りに叩くか」
「そうね……。穀物庫の位置と、城郭軍の展開している場所とのあいだには距離がある。どんなに急いでも、一刻はかかるはずよ」
「それだけあれば十分だ。お釣りがくる」
林冲が呟くと同時に、林の影に潜んでいた騎兵たちに進軍の合図を送った。
九箇所目の穀物庫が視界に入る。
二日目、最初の襲撃目標だった。
守備兵の様子は、これまでとは違った。
昨日の穀物庫を守っていた腰抜けどもと比べれば、わずかだが踏ん張りを見せた。
──持ちこたえれば援軍が来る。
そう知らされていたのだろう。
穀物庫の前には、急造の木柵が築かれていた。
騎兵による襲撃を見越しての防御。
ようやく少華山のやり口が、官軍にも伝わったということだ。
その分だけ、動きは早い。
官軍にしては──上出来だった。
だが、そこまでだ。
朱武美の指示を受けた李姫が、歩兵を率いて側面から現れた。
火を放ち、木柵を焼き払う
煙が上がり、守備兵が浮足立ったのがわかった。
「突撃──」
林冲が騎兵に突撃を命じる。
焼け落ちた柵の隙間を抜けて、馬の列が穀物庫へとなだれ込む。
守備兵は踏み止まる間もなく四散した。
隊形を崩し、散り散りに逃げていく。
「この穀物庫は放置よ、林冲──。例の地方軍が迫っているわ。この先の丘陵に騎馬隊を移動させて」
「わかった」
馬上で頷いた。
李姫隊には、すでに伝令が走っている。
守備兵が逃げ出した穀物庫には手をつけず、最後の十箇所目へと向かわせたらしい。
城郭軍の展開する方角は避けて進ませているはずだ。
接触はない。そう読んでいる。
林冲は騎兵をまとめると、躊躇なく前進させた。
朱武美の指示どおり、城郭軍の接近経路を遮る丘陵の上へ──。
そこで、隊を展開させた。
「来るわよ──」
丘陵の上で、朱武美が短く言った。
斥候を飛ばし続けていた官軍の動きが、ついに見えたというのだ。
林冲と朱武美は、五十騎の騎馬とともに丘の上に並んでいる
身を隠す気はなかった。
官軍もまた、最初の穀物庫が襲撃された時点から、斥候を絶やしてはいないだろう。
ならば、こちらの所在を隠すのは無駄だ。
この丘陵に、穀物庫を襲っていた少華山の騎兵が集まったこと──それはすでに向こうにも伝わっている。
やがて、地を打つような音とともに土煙が近づき、官軍五百が丘陵の下に展開を始めた。
林冲は静かに手をあげた。
黒一色に染めた騎兵が、丘の上から麓に向かってゆっくりと動き出す。
くだりながら、隊は次第に締まっていく。
五十の騎馬が一塊となり、統一された陣形を組む。
本格的な緒戦だった。
この日のために、鍛えに鍛えた。
林冲は後ろを一瞥し、部下の動きを確かめた。
緩みはない。
呼吸は合っている。
これなら──いける。
「うおおおおおおっ」
林冲が雄叫びを放つ。
一瞬で、ばらけかけていた黒騎の隊列がひとつにまとまったのが、はっきりとわかった。
先頭は林冲。
その背に、五十の騎が鋭く連なる。
敵から見れば、多くの騎兵が、突如として一つの影となって迫ってくるように映るはずだ。
官軍の一部に、わずかだが、怯えが走った。
矢が飛ぶ。
殺到するように、乱れ撃ちの矢が前方から林冲を包む。
林冲は、構えていた武器を抜いた。
手元に馴染んだ鋼の刃が唸りを上げる。
すべての矢を武器で払う──。
林冲の背に控える部下たちは、彼の影に守られて進んでいる。
矢の影響は受けない。
敵陣が目前だった。
当たる──。
その瞬間、前列に並んでいた十人近い兵の首が、まとめて飛んだ。
一撃で突破──。
その開いた道を、黒い騎馬隊が一気に雪崩れ込む。
すでに、第二陣が視界に入っている。
こちらも、ほとんど抵抗らしい抵抗を見せず崩れた。
一気に駆け抜けた。
敵の中陣──旗が立っていた。
林冲は、真っ直ぐそこへ向かった。
後続の隊もついてきている。
旗の下で、若い将校が顔を引きつらせて怒鳴っているのが見えた。
「ま、守れ──。守らんか──」
高官の子弟と見える。声が震えていた。
「そこをどけええ──」
そのまわりにいた四、五騎の護衛は、林冲の一喝で怯え、あっさりと散った。
若い将校のまわりから護衛が消えた。
「ひ、ひいいっ」
指揮官が馬首を返して逃げようとした。
だが、遅い。
「遅おおい──」
林冲の騎馬は、一息に敵将の横へ回り込んだ。
鋼の鎌が振り抜かれ──首が胴から外れた。
首のない将を載せた騎が黒い波に呑まれて消えていく。
林冲は、敵陣のすべてを突き抜けたところで馬を止めた。
黒具足に身を包んだ部下たちが次々と追いつき、囲む。
振り返ると、官軍は潰走していた。
指揮官を失い、戦意を喪った兵が、四方に逃げ散っていく。
「追う必要はないわよ、林冲……。十個目の穀物庫に向かうわ。李姫がもう仕掛けてるはずよ」
朱武美の声が、横に響いた。
その背後には、五騎の黒虎隊が寄り添っている。
朱武美を守るためだけに編成された近衛騎。決して彼女の側を離れない。
そのうちの一騎が、さきほど林冲が斬った若い敵将の首を、槍の穂先に突き刺していた。
「わかった……。だが、他愛もなかったな。これじゃあ、運動にもならん──。お前らも、実戦の方が調練より楽だったろう?」
林冲の言葉に、まわりの部下たちが笑った。
どの顔にも、高揚の色が浮かんでいる。
死者は一人もいない。傷を負った者すら見当たらない。
少華山を引き継ぎ、賊徒団を乗っ取ったとき、林冲は言った──これからは、官軍を敵に回すと。
あのとき、兵たちは言葉もなく俯き、その顔に明らかな恐怖の色が浮かんでいた。
役人に恨みを抱く者は多い。
だが、政府そのものと戦うとなれば、話は別だ。
恐怖は──勝利でしか、打ち消せない。
だからこそ、この戦の意味は大きい。
調練と実戦を重ね、迎えた初戦だった。
必要だったのは、ただの勝利ではない。
圧倒的な勝利だ。
この一戦が、新しい少華山の──旗揚げとなる。
「いくぞ──」
林冲が声をあげた。
それに応えるように、黒具足の騎たちが一斉に喊声を返した。