※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

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54  少華山、豊城軍を相手に大暴れする

 襲撃、二日目。

 

 林冲(りんちゅう)は、休息を取っていた騎馬隊に乗馬を命じた。

 五十騎の馬上に、少華山(しょうかざん)の賊徒たちが一斉に跨がった。

 

 初日、予定していた十の穀物庫のうち、八までを襲撃していた。

 こちらに損耗はない。

 そもそも、官軍の兵といっても、集団から外れて穀物庫の警備にまわされるような連中だ。兵としての価値など端から無い。何十人いようとも、脅威にはならなかった。

 

 案の定だった。

 黒一色に統一された騎馬の軍装を目にしただけで、守備兵は武器を捨てて逃げ出した。

 

 林冲と朱武美(しゅぶび)は、ひとつの穀物庫を襲撃し、守備兵を追い払うと、すぐに次へと向かった。

 残された大量の穀物を運び出すのは、李姫(りき)の率いる歩兵の仕事だ。

 

 税として徴収されたばかりの穀物庫には、うなるような量の穀物が詰まっていた。

 李姫たちは、近隣の村からかき集めた荷馬車、人の押す荷車まで動員し、それを少華山へと運ぶ。

 それを繰り返した。

 ひとつずつ、着実に。

 

 近傍の村では、穀物庫から運び出された穀物を積んだ車列が、群れをなして少華山に向かっていく姿が目撃されていたらしい。

 

 李姫は、朱武美の指示に忠実だった。

 穀物庫を襲撃しても、すべてを奪いはしない。

 穀物のうち半分以上を残し、それを前にして驚き集まってきた農民たちに、逃げるように持ち去れと告げたという。

 

 最初に手を出したのは、村から追われた棄民たちだった。

 凶作に見舞われ、養えぬと見捨てられた者たち。

 村から追い出され、道ばたで飢え死にするのを待つしかなかった彼らが、鬼気迫る勢いで穀物に群がった。

 そしてその姿を見た近傍の村人たちが、次々と後に続いた。

 残された穀物は、まるで蝗の群れが襲ったかのように、あっという間に消えたという。

 

 堂々と山に向かう荷駄の列が噂となり、流れた。

 それは、火の粉のように広がった。

 次に襲われる穀物庫には、すでに人が集まり始めていた。

 

 李姫が少華山へ運んだ穀物は、最初の三箇所に限られていた。

 その後、初日の後半に襲撃した五箇所については、穀物はまるごと民に委ねた。

 兵を払うだけの襲撃。

 それで、目的は果たされる。

 

 すべては、朱武美の計算だった。

 

 今回の襲撃は、少華山に近い倉庫から始まり、次第に外へと円を描くように広がり、再び山へと戻る軌道を取っていた。

 遠方の穀物庫を襲っても、それを運ぶには手がかかる。

 李姫たちの負担を避けるためでもあり、同時に、官軍の読みを混乱させる意図があった。

 

 襲撃範囲を広げ、意味をぼやかす。

 なんのための襲撃か。

 誰が指揮し、どこまでが計画か。

 官軍がそれを見極めるには、時間が要る。

 

 ──この混乱は、時間を稼ぐ。

 

 棄民や農民たちが穀物を奪っていく。

 官軍からすれば、それが賊徒の差し金なのか、自発的な暴動なのか、判断がつかない。

 それぞれが結託しているのか、連鎖反応なのか。

 単なる賊の掠奪とは違う。

 混沌を深めさせるには、十分だった。

 

 朱武美が、もっとも神経を尖らせていたのは、官軍が襲撃部隊ではなく、李姫の穀物輸送隊を狙ってくることだった。

 だから、彼女は騎馬隊とともに行動しながらも、常に斥候を散らして、官軍の動きを読んでいた。

 

 もし、官軍が李姫の方に向かう兆しを見せれば──。

 その時点で襲撃は中止され、全軍をそちらに転じることになっていた。

 

 だが、それも杞憂に終わる。

 

 すでに初日の襲撃だけで、当初の計画分の穀物はすべて手に入っていた。

 今日の襲撃は再び少華山に近づく位置であり、李姫の歩兵隊も近くまで接近し、潜んでいる。

 動くかどうかは、状況を見て決めるつもりなのだろう。

 

 いずれにせよ、朱武美の策は当たった。

 周辺の民を巻き込んだかたちで、見事に功を奏した。

 

 義賊だ、義賊だと口にしてはいるが、そんな青臭い理屈で終わらせないところが、朱武美の頼りになる点だ。

 義賊の名も、穀物のばら撒きも、すべて計算の上。

 評判があがれば、人が集まる。

 集まった者が数百を超えれば、地方の官軍は及び腰になる。

 そして、討伐もされなくなる。

 

 それでも手が出せぬほど大きくなれば──政府は「招安」に転じる。

 賊徒を官軍に取り込み、官職を与えるのだ。

 治政を壊す愚策だが、現実はそう動いている。

 

 ……とはいえ、林冲自身は、招安など望んでいなかった。

 この混迷の時代を、面白おかしく、生き抜ければそれでいい。

 ただ、それだけだ。

 

「林冲、いよいよ九箇所目よ──。本来の穀物庫の守備兵のほかに、近くに五百の城郭軍が展開しているわ。やっと、連中もわたしたちの仕業だと気づいたようね」

 

 朱武美が、指差す。

 地図の上、城郭から伸びる細道の先に、赤い小さな点が記されていた。

 

 城郭軍──。

 名のとおり、城郭に本部を置く正規の部隊。

 穀物庫の守備兵とは違い、れっきとした軍指揮官のもと、訓練された兵が動いている。

 

「まあ、気づくのが遅すぎたくらいだな。とにかく、九箇所目は予定通りに叩くか」

 

「そうね……。穀物庫の位置と、城郭軍の展開している場所とのあいだには距離がある。どんなに急いでも、一刻はかかるはずよ」

 

「それだけあれば十分だ。お釣りがくる」

 

 林冲が呟くと同時に、林の影に潜んでいた騎兵たちに進軍の合図を送った。

 

 九箇所目の穀物庫が視界に入る。

 二日目、最初の襲撃目標だった。

 守備兵の様子は、これまでとは違った。

 昨日の穀物庫を守っていた腰抜けどもと比べれば、わずかだが踏ん張りを見せた。

 

 ──持ちこたえれば援軍が来る。

 

 そう知らされていたのだろう。

 穀物庫の前には、急造の木柵が築かれていた。

 騎兵による襲撃を見越しての防御。

 ようやく少華山のやり口が、官軍にも伝わったということだ。

 

 その分だけ、動きは早い。

 官軍にしては──上出来だった。

 

 だが、そこまでだ。

 

 朱武美の指示を受けた李姫が、歩兵を率いて側面から現れた。

 火を放ち、木柵を焼き払う

 煙が上がり、守備兵が浮足立ったのがわかった。

 

「突撃──」

 

 林冲が騎兵に突撃を命じる。

 焼け落ちた柵の隙間を抜けて、馬の列が穀物庫へとなだれ込む。

 守備兵は踏み止まる間もなく四散した。

 隊形を崩し、散り散りに逃げていく。

 

「この穀物庫は放置よ、林冲──。例の地方軍が迫っているわ。この先の丘陵に騎馬隊を移動させて」

 

「わかった」

 

 馬上で頷いた。

 李姫隊には、すでに伝令が走っている。

 守備兵が逃げ出した穀物庫には手をつけず、最後の十箇所目へと向かわせたらしい。

 城郭軍の展開する方角は避けて進ませているはずだ。

 接触はない。そう読んでいる。

 

 林冲は騎兵をまとめると、躊躇なく前進させた。

 朱武美の指示どおり、城郭軍の接近経路を遮る丘陵の上へ──。

 そこで、隊を展開させた。

 

「来るわよ──」

 

 丘陵の上で、朱武美が短く言った。

 斥候を飛ばし続けていた官軍の動きが、ついに見えたというのだ。

 林冲と朱武美は、五十騎の騎馬とともに丘の上に並んでいる

 身を隠す気はなかった。

 官軍もまた、最初の穀物庫が襲撃された時点から、斥候を絶やしてはいないだろう。

 ならば、こちらの所在を隠すのは無駄だ。

 この丘陵に、穀物庫を襲っていた少華山の騎兵が集まったこと──それはすでに向こうにも伝わっている。

 

 やがて、地を打つような音とともに土煙が近づき、官軍五百が丘陵の下に展開を始めた。

 林冲は静かに手をあげた。

 

 黒一色に染めた騎兵が、丘の上から麓に向かってゆっくりと動き出す。

 くだりながら、隊は次第に締まっていく。

 五十の騎馬が一塊となり、統一された陣形を組む。

 

 本格的な緒戦だった。

 この日のために、鍛えに鍛えた。

 

 林冲は後ろを一瞥し、部下の動きを確かめた。

 緩みはない。

 

 呼吸は合っている。

 これなら──いける。

 

「うおおおおおおっ」

 

 林冲が雄叫びを放つ。

 一瞬で、ばらけかけていた黒騎の隊列がひとつにまとまったのが、はっきりとわかった。

 

 先頭は林冲。

 

 その背に、五十の騎が鋭く連なる。

 

 敵から見れば、多くの騎兵が、突如として一つの影となって迫ってくるように映るはずだ。

 

 官軍の一部に、わずかだが、怯えが走った。

 

 矢が飛ぶ。

 

 殺到するように、乱れ撃ちの矢が前方から林冲を包む。

 

 林冲は、構えていた武器を抜いた。

 点鋼鎌(てんこうれん)──。

 手元に馴染んだ鋼の刃が唸りを上げる。

 

 すべての矢を武器で払う──。

 林冲の背に控える部下たちは、彼の影に守られて進んでいる。

 矢の影響は受けない。

 

 敵陣が目前だった。

 

 当たる──。

 

 その瞬間、前列に並んでいた十人近い兵の首が、まとめて飛んだ。

 一撃で突破──。

 

 その開いた道を、黒い騎馬隊が一気に雪崩れ込む。

 

 すでに、第二陣が視界に入っている。

 

 こちらも、ほとんど抵抗らしい抵抗を見せず崩れた。

 

 一気に駆け抜けた。

 敵の中陣──旗が立っていた。

 

 林冲は、真っ直ぐそこへ向かった。

 

 後続の隊もついてきている。

 旗の下で、若い将校が顔を引きつらせて怒鳴っているのが見えた。

 

「ま、守れ──。守らんか──」

 

 高官の子弟と見える。声が震えていた。

 

「そこをどけええ──」

 

 そのまわりにいた四、五騎の護衛は、林冲の一喝で怯え、あっさりと散った。

若い将校のまわりから護衛が消えた。

 

「ひ、ひいいっ」

 

 指揮官が馬首を返して逃げようとした。

 だが、遅い。

 

「遅おおい──」

 

 林冲の騎馬は、一息に敵将の横へ回り込んだ。

 鋼の鎌が振り抜かれ──首が胴から外れた。

 

 首のない将を載せた騎が黒い波に呑まれて消えていく。

 

 林冲は、敵陣のすべてを突き抜けたところで馬を止めた。

 黒具足に身を包んだ部下たちが次々と追いつき、囲む。

 

 振り返ると、官軍は潰走していた。

 指揮官を失い、戦意を喪った兵が、四方に逃げ散っていく。

 

「追う必要はないわよ、林冲……。十個目の穀物庫に向かうわ。李姫がもう仕掛けてるはずよ」

 

 朱武美の声が、横に響いた。

 その背後には、五騎の黒虎隊が寄り添っている。

 朱武美を守るためだけに編成された近衛騎。決して彼女の側を離れない。

 

 そのうちの一騎が、さきほど林冲が斬った若い敵将の首を、槍の穂先に突き刺していた。

 

「わかった……。だが、他愛もなかったな。これじゃあ、運動にもならん──。お前らも、実戦の方が調練より楽だったろう?」

 

 林冲の言葉に、まわりの部下たちが笑った。

 どの顔にも、高揚の色が浮かんでいる。

 死者は一人もいない。傷を負った者すら見当たらない。

 

 少華山を引き継ぎ、賊徒団を乗っ取ったとき、林冲は言った──これからは、官軍を敵に回すと。

 あのとき、兵たちは言葉もなく俯き、その顔に明らかな恐怖の色が浮かんでいた。

 

 役人に恨みを抱く者は多い。

 だが、政府そのものと戦うとなれば、話は別だ。

 恐怖は──勝利でしか、打ち消せない。

 

 だからこそ、この戦の意味は大きい。

 調練と実戦を重ね、迎えた初戦だった。

 必要だったのは、ただの勝利ではない。

 圧倒的な勝利だ。

 

 この一戦が、新しい少華山の──旗揚げとなる。

 

「いくぞ──」

 

 林冲が声をあげた。

 

 それに応えるように、黒具足の騎たちが一斉に喊声を返した。

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