「よろしくお願いします、名主様」
五人の少女が、声を揃えて頭を垂れた。
昨夜、
史春は、夜に挨拶を受けることはしなかった。
彼女たちは“客人”ではない──。それを明確にするためだった。
そして、いま、朝の光の中で五人は中庭に並び、挨拶をしている。
史春は屋敷の縁台に立ったまま、彼女たちを見下ろしていた。
身なりは普段着。化粧もしていない。
それが、答えだ。
「名主じゃないわ」
史春は口を開いた。
「あたしの家の下女として働くのだから、“お館様”とか“史春様”と呼びなさい。言葉遣いも、態度も、けじめをつけること。わからないことがあれば、執事の
五人の目が、一瞬揺れた。だが、すぐに真剣な表情で頷いた。
「言っておくけど──」
史春は声をわずかに低くした。
「あたしは、あなたたちを使用人としてしか見ない。そのつもりで働きなさい」
沈黙が一瞬落ちた。
その静寂の中、五人は深く頭を下げた。
礼に滲んだ緊張と、わずかな怯え──。
それを、史春は見逃さなかった。
だが、それでいい。
それが、始まりだ。
「……もしも、ほかの者に対して驕った態度が垣間見られるようなら、容赦なく追い出すわよ。それが条件ですからね。ただ追い出されるとは思わないこと。追い出す先は、奴隷商よ。それが嫌なら、ほかの者と仲良くしなさい。以前からの下女よりも、余計に働きなさい」
五人の顔色が、目に見えて変わった。
十七から十二まで──年若い少女たちだった。
だが、最初が肝心だ。
情をかけるわけにはいかなかった。
この五人は、いずれも隣村の名主の親族にあたる娘たちである。
生まれたときから、仕える者に囲まれ、なにひとつ不自由のない暮らしをしてきた。
本来ならば、奉公などとは無縁の家柄だった。
だが──、状況が変わった。
隣村は今年、大きな凶作に見舞われた。
しかし、税は待ってくれない。
村は、まるごと借金を背負うことになった。
史春は、それを個人の資産から肩代わりしている。
その借金の“質”が、いま目の前に立っている五人だ。
──来年の収穫で、借金を返す。
返済されれば、五人は村に戻る。
されなければ、奴隷として売る。
それが、条件だった。
国の法では、男の奴隷は認められてない。
正式に“奴隷の首輪”を嵌められ、売買が許されるのは女だけである。
だからこそ、史春は女だけを受け入れた。
女を“質”に出せる家であったからこそ、金を貸した。
恩義でも情けでもない。
そこにあるのは、理と秩序だ。
それが、いま目の前にいる五人の運命だった。
残酷だとは思う。
だが、仕方がない。
すべての者を助けることなど、できはしないのだ。
すべてを救えぬのなら──、現実に対しては、冷酷であるしかない。
その覚悟がなければ、人の上には立てない。
それに、彼女たちの境遇は、まだ恵まれている。
今年の秋──。
史華村を除けば、どこの村も、ひどい有り様だった。
隣村も例外ではない。
収穫は足らず、税を納めるだけの米がなかった。
いや、米だけではない。
周辺の農村は、皆、娘を売った。
税を払うためにだ。奴隷商に──。
隣村の名主も同じだ。
払えぬ家には、娘か、あるいは妻を売るよう命じたという。
自らの家も例外ではなかった。
五人の子のうち、下の二人の娘を奴隷商に売った──。
だから、誰も逆らえない。
名主自身が、そうしているのだ。
だが──。
名主は、実際には自らの“親族”だけは、助けようとした。
隠していたつもりなのだろう。
密かに、史春に話を持ちかけてきた。
断れなかった。
隣村の名主と父は、昵懇の仲だった。
それに、史春のなかにも、どこかで割り切れぬ思いがあった。
親族二軒の借金を、史春が肩代わりした。
その質として、五人の娘が奉公に来た。
それが、今回の背景だ。
「わたしたちは奴隷になるのだと、父に言われました。一年はここで働くが、その後で奴隷商に売られるだろうと……。それを覚悟しろ、と」
最年長の
十七。ほかは十五以下。
口調には、わずかに棘があった。
あどけなさの残る顔に、捨て鉢な色がにじむ。
「確かに、親が借金を返せなければ、奴隷に売る。それが約束よ」
史春は、声を押さえて言った。
「でも、それまでは奴隷じゃない。働いたぶんの給金は、きちんと渡すわ。ただし──。なにもできないあなたたちの給金は、いままでの者よりも最低。だけど、それは働きしだいで上がっていく」
花芳が、小さく唇を噛んだ。
「それに──」
史春は、言葉を継いだ。
「一年の期限で、もし親が返済できなくても……。お前たちのうち、ひとり、ふたりくらいは、この家に残すかもしれない。奴隷商に売った金より、お前たちを雇った方が、得だと思えばね」
史春の声が冷たくなった。
「とにかく、頑張りなさい。生き残るために」
風が吹いた。
中庭の木の葉がわずかに揺れた。
五人が、それぞれに頭を下げた。
執事の陳二女が、控えていた下女を呼び、五人を連れて行かせる。
史春の屋敷に仕えている女たちは、ほとんどが、放っておけば奴隷になるしかなかった貧農の出身者だ。
奴隷商に売られるよりは──と、史春の父が引き取った者たちだった。
まともな家に育ち、字を読み書きし、算も心得る女など、陳二女くらいのものだ。
あとは、皆、教えなければ、なにもできぬ者ばかり。
うまくやってくれればいいが──。
史春は、静かに息を吐いた。
「史春様。昨夜の夜半、
陳二女が言った。
齢は四十を過ぎている。
嫁いだことはない。
先代名主の時代から、この家に仕え、古くは執事見習いとして屋敷の台所にも出入りしていた。
先代の執事が、父の死にともなって屋敷を去り、親族の待つ奥州へ戻ったとき、史春は陳二女を執事役とした。
少華山の三人と、この家の関係を知っているのも、陳二女ただひとりだった。
ほかの下女には、何度か訪れる三人の素性は伝えていない。
封を開け、手紙に目を落とす。
筆跡は
用件以外、なにもない。
万が一、他人の手に渡ってもいいように、慎重に書かれている。
──五日後、訪れる。
以前から誘っていた戦勝の祝いを、この屋敷で受けたい──。
ただそれだけ。
彼らが訪れるのは、いつも陽が落ちてからだった。
村人に見られることは避けねばならないからだ。
それは、
日が落ちてから来て、泊まり、朝が来る前に戻る。
それが決まりだった。
来客の多い屋敷である。
女たちも、深くは気にしない。
だが、史春には意味がある。
彼らに会える。
そう思った瞬間、胸の奥が熱を帯びた。
気づけば、頬がわずかに緩んでいた。
「嬉しそうですね、史春様……。例の客人がお見えになるのですね」
陳二女が、ふと笑った。
だが、声に棘はなかった。
「な、なにを言っているのよ、陳二女」
史春はわずかに頬を赤らめて言い返した。
「それより、五日後よ。いつものように、ほかの下女たちには彼らの素性が知られないように気を配って。客室の準備も──寝室二部屋の支度を。最上級の部屋を林冲と朱武美に。もう一部屋は、
「承知いたしました」
「それと……前回は肉料理だったでしょう。今度は魚にしようかしら。そうそう、湯場の支度も忘れずにね。うちの名物の湯船を喜んでくださったから、また入っていただきたいの。まずは、湯でくつろいでいただいて、それから料理と酒を」
言いながら、史春の声が少しずつ弾んでいった。
「湯場のあとに着る軽装も用意しておいて。あとは……そうね……」
「わかっております。万事、この陳二女にお任せください」
そして、ひと息おいて、陳二女が言葉を継いだ。
「ところで──。あのお三方のお部屋の件ですが、二部屋でよろしいのですか? 三部屋、準備いたしましょうか?」
「三部屋?」
史春は眉をひそめた。
「はい。林冲様と朱武美様には、別々の部屋を。そして……もしよろしければ、朱武美様と李姫様に、眠り薬を……。それから、史春様が夜這いでもなされば……」
「陳二女───」
史春は、思わず声を荒らげた。
その声に、陳二女が「ひいっ」とわざとらしく悲鳴をあげ、数歩、後ずさる。
肩をすくめ、目をぎょろつかせながら、笑衣をこらえている。
史春もわざとらしく、肩を竦めた。
「……でも、それも、いいわね。お願いしようかしら」
ふと、史春は呟いた。
「えっ?」
今度は、陳二女が目を丸くする。
「馬鹿ねえ……冗談よ───」
史春は笑った。
久しぶりに、声を立てて……。
陳二女が、おかしそうに口元を歪める。
春の陽は、まだ遠い季節だった。
「──二日後です」
史華村に間者として潜り込ませている花芳が言った。
震える声だった。
目の前にいるのは、豊城の警尉官。
その背後に控える三人の部下たちの中に、
変装はしていた。
表に出るのは、久しぶりだった。
だが、やらねばならなかった。
少華山の賊どもが、自分の首に賞金を懸けている。
表に顔を出すということは、命を賭けることと同じだった。
それでも、これだけは自分でやらねばならない。
失敗は、許されなかった。
──任せられる者はいない。
信用はあっても、信頼はできぬ。
命を賭けて動かせるだけの部下は、とうにいなくなった。
優秀な者ほど、天文明を見限り、姿を消していった。
だから、今回は自分が動いた。
「間違いないか……?」
警尉官の声が低く響いた。
「は、はい……」
花芳の顔は、蒼白だった。
それでも、答えた。
恐怖を抑え込むように、唇を噛みながら。
ここは、史華村の郊外──。
史春の屋敷からは目と鼻の先だ。
そこで天文明は、手勢を連れていた警尉官とともに、花芳と落ち合っていた。
花芳は、史春の屋敷に潜り込ませた間者だ。
年若い娘として、下女の一人に紛れさせることに成功していた。
それも、ひとりではない。
五人。
すべて、天文明の手配で、史春の屋敷へと送り込まれていた。
秋の凶作は、まさに天の采配だった。
どの村も悲鳴を上げ、税を払うために娘を売った。
分限者といえども、娘や妻を奴隷商に出すしかなかった。
北州全体に課せられた特別税──。
名目なき賦課。
噂では、州知事が宰相の誕生日に贈り物をするための金だという。
真偽はどうでもよい。
事実として、農民たちは家族を売った。
税を払わねば、すべてを失う。
それが、この国の掟だった。
花芳たちの親も、例外ではなかった。
今年の税で、財を失い、家族さえ手放さねばならなくなった。
天文明は、それを利用した。
史華村の隣村の名主が、かつて史春の父と昵懇であったことを思い出した。
そこに工作を仕掛けたのだ。
税を肩代わりする──という名目で、名主に圧力をかけた。
代償は、史春の屋敷に娘たちを送り込むこと。
拒めば、子を奴隷にするしかない。
実際、名主の下の二人の娘は、すでに天文明が押さえている奴隷商に預けさせてある。
この工作が成功すれば、娘は解放される。
だが、失敗すれば、そのまま首輪を嵌められるだけだ。
花芳たち五人の親も、同じだった。
形式上は「一年の奉公」。
史春が税を肩代わりしたという話になっている。
だが、実情は違う。
名主も、その親族たちも、すでに数年前から天文明の貸しの中で首が回らなくなっている。
高利を重ねに重ね、いまや村ひとつが手駒だった。
その借金を帳消しにする代わりに、子供を差し出させた。
史春の屋敷に、女の間者を潜り込ませるために……。
工作は、周到だった。
天文明は、史春の屋敷に少華山の頭領が来訪する可能性があると睨んでいた。
合図の手段も定めていた。
郊外の銀杏の古木。
そこに印を残せ──。
情報があれば、それで知らせろと命じていた。
そして──。
案外早く、機が巡ってきた。
昨日──。
花芳が、銀杏の幹に伝言を残した。
「明日の夕、ここで会いたい」
それだけの言葉が、すべてを意味していた。
天文明は、息のかかった警尉官と部下を連れて、ここに来た。
狙いはただひとつ。
史春と少華山。
その接点を、この手で断つことだ。
「お館様が、二日後に客人が来るので魚を準備するように、という指示をなさいました。それと、客室三部屋……。湯場の支度もです。湯場はあたしが掃除しました。客人は陽が落ちてからやってくるそうです……。あたしらみたいな行き場のない者以外は、当日は非番を命じられています」
花芳の声は、どこか震えていた。
「客が来るのに、非番だと?」
警尉官が眉をひそめた。
花芳は、史春の女執事──陳二女が下女たちに与えた指示を、ひとつひとつ語った。
声はかすれていたが、内容は明確だった。
話によれば、その夜。
屋敷には、ほとんど人が残らないという。
数か月に一度、同じような日があるらしい。
客のための支度は、昼までにすべて終える。
それが済めば、古くから仕えていた下女たちは外出を許される。
実家のある者は村に帰る。
そうでない者は、手渡された小遣いで城郭へ遊びに行く。
「残るのは、あたしたち新参者と、陳二女様くらいです」
花芳がうつむきながら言った。
「妙な話だ……。下女のいない屋敷で、どうやって客をもてなす?」
警尉官の言葉に、花芳が小さく応じる。
「陳二女様が、お世話なさると……。史春様ご自身ももてなすつもりだと……」
その瞬間、天文明が口を開いた。
「間違いない。少華山の連中が来る。史春は、それを隠すために下女たちを追い出しているのだ。こいつら五人が残るのは、単に借金の質だから返せないだけだ。だが──好都合だな」
天文明の目が、鋭く細められた。
警尉官が、大きく頷いた。
「二日後の夜。兵を出す。史華村は自警団もある。下手に動けば、騒ぎになって奴らが逃げる可能性もある。史春だけ捕らえて、少華山の者を取り逃がしては意味がない」
警尉官が続けた。
「百人の精鋭だけを、村の郊外に伏せる。屋敷に連中が入ったのを確認したら、即座に囲む。屋敷だけを夜陰に紛れて包囲するのだ」
天文明が頷いた。
「それがいい。及ばずながら、この天文明も手を貸そう」
そして、花芳に目を向けた。
「おい、花芳」
「は、はい、天文明様……」
少女が、肩をすくめながら返事をする。
「おまえ、さっき言っていたな。連中は湯場にまず浸かるのが習慣だと」
「……はい」
「ならば、そのときだ。こっそり武器を隠せ。浴場に刀を持って入る馬鹿はいない。いいな? いや、服もだ。素っ裸じゃあ、逃げられまい」
花芳が、こくりと頷いた。
その首の動きには、微かな震えがあった。
湯場というのは、貴人の家にしかない。
裸で湯に入り、身体を清めるための施設だ。
湯船と呼ばれる大きな桶に湯を張り、その中に身を沈める。
農村の屋敷にあることは珍しい。
だが、史春の屋敷にはあった。
あれは、父が名主だったころ、娘の好みを知って造らせたものだという。
いまや、あの家の“自慢”のひとつだ。
なにかにつけて客を湯場に通し、もてなしをしている。
それが、今回の罠に使える。
天文明は、そう読んでいた。
警尉官と花芳を交え、さらに打ち合わせは進んだ。
屋敷に少華山の客が現れたとき、郊外に潜む捕物兵へ合図を送るための方法──。
光による符号──。
距離と位置──。
遮蔽物の有無まで、綿密に確認を済ませた。
すべての段取りが終わったあと、天文明は、花芳に向き直った。
「すべて成功すれば、お前たち五人は元の暮らしに戻れる」
花芳がはっと顔を上げた。
「それだけじゃない。賞金も入る。もっと楽になる。お前も、お前の家族もだ」
その言葉に、怯えていた少女の顔に、かすかな光が差した。
唇がわずかに動き、目元にぬくもりが戻る。
それを確認すると、天文明はうなずいた。
花芳は、何度も頭を下げ、史春の屋敷へ戻っていった。
役人が肩をすくめ、天文明に向き直る。
「天文明。今回のお前の働きには、感謝する。少華山の頭領をこの手で捕らえられたなら──。恩賞も望めるだろう。この俺が、直接口を利いてやる」
天文明は、役人の言葉に無言で一礼した。
風が銀杏の枝を鳴らしていた。
その音が、罠の始まりを告げているように思えた。
口をきいてやる──。
そう言った役人の言葉の意味は、明白だった。
つまり、賄賂を寄越せ、ということだ。
ここまで協力させておいて、さらに金を要求するのか──。
鼻白む思いはあった。
だが、天文明は、それを顔に出さなかった。
代わりに、口にしたのはただ一言。
「そのときは、よろしくお願いします」
それだけだった。
──よく喋る下っ端だ。
だが、使い道はまだある。
いずれにせよ、少華山の頭領たちと一緒に史春が捕まれば、史華村は空白になる。
ならば、新たな名主が必要だ。
それも──天文明が差し出す人間でなければならない。
準備は、すでに終わっていた。
史春の父の“遠縁”だという男。
実際には、なんの血の繋がりもない。
だが、そう書かれた文書はすでに出来ている。
それを審査する役人も、とうに買収済みだった。
史春がいなくなったその翌日──。
その男が、偶然を装って村に姿を現す。
驚いたふりをして、村人の前に立ち、事情を聞き、あっという間に名主に推挙される。
あとは、形式だけだ。
裁可は通る。
通らぬようには、なっていない。
かかった費用はすべて、その村から回収する。
名主となったその男が、天文明の代わりに、村を搾る。
もともと、金を持っている村だ。
回収はたやすい。
少華山の頭領と史春の捕縛──。
この警尉官にやってもらうのは、それだけでいい。
それ以上のことなど求めていない
いや、任せるつもりもない。
二日後──。
少華山の残党どもが、史春の屋敷を訪れる。
その日が、運命の日となる。