だが、前を進んだ荷馬車隊が何事もなく通過したということは──やはり、狙われているのは後続のこの一台。銀を積んだこの荷馬車だった。
朱武美の読みが、当たったということだ。
林冲にとっては、むしろ当然とも思えた。
戦と智略において、朱武美の読みは常に鋭く深い。
北辺の騎馬民族と渡り合った頃、彼女は国境軍で“神機軍師”とまで呼ばれていた。
「林冲、もうすぐだよ……」
馭者台にいる李姫の声が、荷馬車の横を並走する林冲に届いた。
「ああ」
林冲は、頷いた。
幌の下に積まれているのは食料──という建前の銀。
三百人の盗賊団であっても、これだけあれば十年は遊んで暮らせるだろう。
先行する隊列を無視して、この一台に狙いを絞ったということは、朱武美の懸念した通り、情報が漏れていたと考えるべきだった。
つまり、隊商の中に内通者がいる。
そう考えておくのが自然だった。
予定通りなら、朱武美はすでに千玄に隊商本隊を任せ、護衛兵三十を率いてこの銀馬車に戻ってきているはずだった。
三百の盗賊相手に三十騎──。
だが、馬と歩兵とでは力が違う。
騎馬の突撃力は、一瞬で戦の趨勢を覆す。
敵は、こちらが兵を割っていることも知っていた。
先手を打って、少人数の先制部隊で油断を誘い、そこに主力を落として囲む。
そういう算段なのだろう。
だが──。
林冲は、道の先にある草むらに、嫌な気配を感じた。
「李姫、荷馬車を停めろ」
「あい」
李姫は即座に荷馬車を止め、そのまま幌の中へ。
手筈通りの動きだ。
茂みの奥には、緊張が走っている。
もっと近づいてから奇襲をかける予定だったのだろう。
だが、先に止まられてしまい、焦りが生まれている。
それに、まさか銀を守っているのがたったひとりとは思うまい。
その意外性が、盗賊の思考を鈍らせている。
「ごろつきども、なにか用か──?」
林冲は、茂みに向けて声を張り上げた。
馬の側に装備していた得物──
鉄の柄に、大鎌の刃。
片手で構え、闘志がそのまま刃先に乗った。
次の瞬間、材木で組んだ馬止めが道を塞いだ。
後退はできない。
賊どもが、わらわらと姿を見せる。二十──いや、それ以上。
得物も、甲冑も、統一されていない。
だが、槍を前列に出して、突撃に備える構えはしている。
それなりの訓練は受けているらしい。
「どうやら、こっちにはお前ひとりしか──」
言葉の終わりまで聞く気はなかった。
林冲の馬が地を蹴り、跳ねるようにして前線に飛び込んだ。
「うわっ」
「ひいっ」
「ひいいい──!」
怒気と殺気に満ちた一騎が、槍の列を乱す。
先頭の賊が退がり、槍の壁が崩れる。
「ば、馬鹿──退がるな──!」
叫んだ男の首が、次の瞬間、林冲の点鋼鎌で吹き飛んだ。
さらに、三人。
一振りごとに、血が舞い、首が落ちる。
その凄まじさに、残った賊どもが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「……他愛のない」
林冲はひとりごちた。
斬った首の数を数えるより早く、逃げ足の速い雑兵たちが森へ消えていった。
「林冲、上──!」
幌の中から、李姫の声。
林冲が顔をあげると、山の斜面に黒い塊が見えた。
三百──か。
敵の本隊が、山道を駆け下りてくる。
──来い。
林冲は、点鋼鎌を構え直した。
だが、敵は途中で足を止めた。
そのまま、林の中に散っていく。
弓矢の構え。
林の影に、射手が潜む。
「ちっ」
舌打ちをした。
こちらの動きを見ていたのだろう。
接近戦では敵わないと見て、矢で削る気だ。
間もなく、無数の矢が林冲に向けて放たれた。
点鋼鎌を振り、飛来する矢をはたき落とす。
地面に突き刺さる矢が十、十五本──。
どうする──?
飛び込むか──?
そのとき、林冲の目に映った。
木陰に、金の甲冑を纏った巨躯の男。
あれが──
「李姫、当たるか──?」
林冲の声が、幌へと届いた。
次の瞬間、銃声が森を裂いた。
巨漢の眉間に、赤い穴が開き、重い音とともに崩れ落ちた。
「当たったよ──」
李姫の得意げな声。
帝国でも滅多に見ない銃を、李姫は自在に使う。
この距離で外すことなど、まずない。
頭を撃ち抜かれた男は、明らかに
賊たちが騒ぎ始める。
矢も止まり、隊に動揺が広がった。
そのとき、山の上から雄叫びが響いた。
上から──斜面を駆け下る騎馬の列。
馬を捨て、斜面を利用して徒士として一気に斬り込んでいく。
不意を突かれた賊徒たちが、慌てて四散する。
構えもない。戦う意思すら消えていた。
林冲は馬を進める。
逃げ惑う敵を、静かに、淡々と斬った。
三人、四人──だが、やがて剣を止めた。
もう、敵は完全に壊走していた。
「林冲、無事ね?」
朱武美の声。
剣に血が滴る。
幾人かはその手で屠ったのだろう。
「他愛もないな……。これじゃあ、運動にもなりやしねえ」
林冲が笑う。
「本当だよ。あたしなんて、一発、撃っただけで終わりだったもん──」
李姫が幌から顔を出す。
肩を竦め、短剣を腰に戻した。
今日は、出番はなかったようだ。
朱武美が手をあげ、護衛隊を集める。
軽傷者はいるが、死者はいない。
一方で、賊の死体は三十を超えていた。
「いやあ、皆さん、お強いですねえ……」
息を切らしながら、
「千玄、なんでここにいるんだ? お前は隊商と一緒に先へ行ったはずだろう」
林冲の問いに、朱武美が代わって答える。
「わたしも言ったんだけど、どうしてもってきかなくてね。銀を積んだ荷馬車が主力だってさ」
「本隊は問題ありません。華陰の城郭まではもう目と鼻の先。賊徒の心配はありません。隊商は山を下りたところで待たせていますよ。それにしても、お見事。こんな短時間で少華山の盗賊を撃退してしまうとは……いやはや、本当にお強い」
千玄が感嘆したように口を継ぐ。
「ならば、華陰まで凱旋といくか。山を下りちまえば、襲ってくる奴はいない。明後日には、屋根の下で、寝台の上で眠れるな」
林冲は笑い、言った。
帝都を出て以来、野宿続き。
慣れているとはいえ、やはり床のぬくもりは違う。
「でも、簡単には寝かさないわよ、林冲」
朱武美が、林冲の腕にしがみつく。
野営の間は、彼女もずっと我慢していたはずだ。
林冲は、その重みを腕に感じながら、ふと笑った。