※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

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7   林沖、腐れ将校の脅迫に激昂する

 陽はそろそろ中天に差し掛かろうとしていた。

 

 華陰(かいん)の城郭を出立したのは、朝のかなり遅い時間だったから、まだいくらも進んでいない。だが、街道からはすでに建物らしきものは消え、山峰が迫る静かな風景に変わっていた。

 

 このまま進めば、すぐに分かれ道になる。真っ直ぐに進めば、河を越えて、朱武美(しゅぶび)たちが山賊退治をした少華山(しょうかざん)。さらにその先には北州の地がある。北に進めば、奥州の山間へと深く入り、赤竜川に沿って南に下れば、やがて帝都開封府(かいほうふ)へと至る。

 

 どちらへ向かうかは、まだ決まっていない。分岐点まで行ってから、林冲(りんちゅう)が気まぐれに決めるのだろう。

 

 朱武美(しゅぶび)は、林冲(りんちゅう)、李姫(りき)と並んで、街道をゆっくりと進んでいた。

 

 今朝出てきた華陰は、少華山の麓にある城郭だった。

 少華山の賊徒との一戦は、すでに噂話として城郭内に拡がっていた。尾ひれがついて、武勇伝として語られ始めていた。

 雇い主の周備(しゅうび)は上機嫌だ。ふんだんな料理と酒を用意し、護衛隊や隊商に加わった人足たちの労を労ってくれた。

 

 近隣では知らぬ者のいない豪商の饗応だった。食いしん坊の李姫(りき)が喜びのあまり目を丸くした美味が、ずらりと並んでいた。

 もちろん、酒もあった。

 朱武美(しゅぶび)は酒を嗜む程度で、李姫(りき)は酒を飲まない。だが、林冲(りんちゅう)は、酒豪だ。宴の席では、うまそうに杯を重ねていた。

 

 朱武美は、林冲が酔い潰れないよう、横でしっかりと見張っていた。

 久々の宿屋だ。今宵こそは、と決めていた。

 

 周備(しゅうび)が正式な護衛隊長としての雇用を申し出たのは、その宴席のことだった。

 

 賊徒や盗賊が横行するこの世の中、商人はそれなりの備えをしなければならない。周備も今回のような大口取引の際には、護衛のために金を払い、兵を雇い入れていた。

 だが、兵は集まっても、信用できる指揮官は得難い。場合によっては、護衛そのものが商人を裏切ることさえあるという。

 だからこそ、すでに賊徒退治で力量を証明した朱武美(しゅぶび)と林冲(りんちゅう)を、正式に雇いたいというのだ。

 

 だが、林冲は、あっさりと断った。

 風のままに生きる林冲が、商人の護衛頭に収まるような男ではない。

 案の定だった。

 

 周備は残念そうだったが、朱武美(しゅぶび)は、それに従うだけだった。

 

 結局、契約よりも多い礼金を受け取り、ふたりは李姫(りき)とともに、再び三人旅に戻った。

 

「……さて、どっちに向かうの、林冲(りんちゅう)?」

 

 城外の分かれ道が見えてきた。

 

「帝都にもう一度行ってみるか? 隊商で訪ねたときは、やっぱりさすが帝都だと思ったよ。珍しいもんもたくさんあったしな。しばらく逗留したら、青州(せいしゅう)に向かおう。あそこはこっち以上に賊徒が暴れてるらしい。面白くなりそうじゃないか」

 

 林冲(りんちゅう)が、口元を緩めた。

 

「李姫(りき)、次は帝都の開封府よ。その次は青州。きっとまた美味しいものが食べられるわよ」

 

「やった──」

 

 李姫が、跳ねるように声をあげた。

 

 この帝国の版図は、帝都を中心とする「畿内」、そして「代州」「北州」「東州」「南州」の四つの地方州からなる。

 朱武美(しゅぶび)たちがいまいる「奥州(おうしゅう)」は、その最西端にある山岳地方だ。

 林冲が言った「青州」は、行政区分ではなく、北州の東部にある「青州府(せいしゅうふ)」を中心とした俗称である。

 

 帝国に組み込まれた多くの旧国の中でも、青州は最後まで激しく抵抗した。

 そのため、青州は北州に組み込まれた上で、他よりも重い税を課せられ、遺民の抵抗力を削がれてきた。

 

 その歴史のせいで、青州ではしばしば叛乱が起き、賊徒も多い。

 二竜山(にりゅうざん)、桃花山(とうかざん)、清風山(せいふうざん)の三つの山賊集団、さらに湖上の梁山泊(りょうざんぱく)は、官軍の討伐を幾度も退け、いまなお勢威を誇っている。

 

 林冲が、次に向かおうとしているのが、そんな青州だという。

 

 それなら、それでいい。

 朱武美(しゅぶび)は、そう思っていた。

 

 そのときだった。

 

 城郭の方角から、兵を率いた一隊が迫ってくるのが見えた。

 騎馬が三騎、歩兵が八十。城郭軍の小隊だった。

 

 朱武美(しゅぶび)たちは、街道の脇へと退き、通りすぎるのを待とうとした。

 だが、その兵たちは三人を囲むように動きを変え、ぐるりと取り巻いてしまった。

 

「周備殿の隊商に加わっていた三人だな。護衛を引き受け、多額の礼金をもらったそうじゃないか」

 

 騎馬の先頭にいた将校が、やや上から目線で言葉を投げた。

 

「それがどうした? 仕事をした報酬をもらった。それだけのことだ」

 

 林冲(りんちゅう)が低く応じた。

 

「お前たちが蹴散らしたという少華山(しょうかざん)の賊徒……あれは、我ら城郭軍でも苦戦する手合いだ。それをたかが旅人風情が退治した? 俄には信じがたいな」

 

「信じたくないなら、信じなければいい。道を開けろ、通るだけだ」

 

 林冲(りんちゅう)が声を荒げる。

 

 だが、将校はにやついたまま、まるで聞き入れる素振りを見せなかった。

 取り囲んでいた歩兵が、じりじりと間合いを詰めてくる。

 

「まあまあ、そう荒れるな。俺の目は誤魔化せん。お前たちは実は賊の一味。周備殿から多額の礼金をふんだくるために芝居を打った。……いや、通行料を払うか?」

 

 通行料──。

 その言葉で、朱武美(しゅぶび)は、すべてを悟った。

 

 この将校は、三人が周備から金を得たと聞きつけ、それを奪おうと部隊を動かしたのだ。

 旅人は守る対象ではなく、むしろ搾取する相手。そういう腐った軍だった。

 

「ふざけるな。どこにそんな通行料がある。あっても、お前らには払わん」

 

 林冲(りんちゅう)の怒気が高まった。

 背にしていた点鋼鎌(てんこうれん)が、音を立てて抜かれる。

 

 まずい。

 朱武美(しゅぶび)は内心で叫んだ。

 

 ここで城郭軍と斬り合えば、例え無事に逃げおおせたとしても、手配書が出回る。名も顔も割れている以上、帝国全土で指名手配となる。

 そうなれば、旅はおろか、生き延びる術すら狭まる。

 

 だが──。

 

「逆らうか? ならば捕えるぞ。女たちは別だ。身体検査と称して、あの林の中で確かめさせてもらう。拒めば、拷問だ。さて、どうする?」

 

 将校のにやついた顔が、完全に殺意を招いた。

 

 林冲の身体が動いた。

 もう、止められなかった。

 

 点鋼鎌が一閃する。

 

 将校の首が、にやけた顔のまま宙を舞った。

 血が、騎馬の前脚を濡らす。

 

 同時に、李姫が跳ねた。

 両腰の短剣が抜かれ、飛び上がるように隣の将校へ。

 

 喉を裂かれた将校が馬上でのけぞり、崩れ落ちた。

 もう一人の将校は、林冲の鎌で胴ごと断ち割られ、馬まで斬り伏せられた。

 

 静寂が一瞬だけあった。

 

 それを破ったのは、城郭軍の歩兵たちの逃走だった。

 叫び、転び、逃げ散っていく。

 

 残ったのは、三人の将校と二頭の馬の屍だけ。

 

「なんて連中だ。少華山の賊を討つのがあいつらの役目じゃないか。それを俺たちから金を巻き上げようとして……。挙げ句に、朱武美(しゅぶび)や李姫(りき)の身体を調べるだと……。なにをする気だったんだ、あの野郎……」

 

 林冲はまだ憤りのままに呟いた。

 

「でも、これで帝都行きはなしね……。軍の将校を三人も殺したんだもの。すぐに手配書が出回るわ。顔も名前も知られてるんだもの……」

 

 朱武美(しゅぶび)がため息をつく。

 

 林冲は、ばつが悪そうな顔をした。

 

 その顔が、なぜか愛おしかった。

 思わず、朱武美(しゅぶび)は林冲の腕に抱きついたくなった。

 

「……どうするの? また、北の国境越えて、わたしの故郷に戻る? ほとぼりが冷めるまで……」

 

 李姫(りき)が言った。

 

 李姫は騎馬民族の中の一族の姫だった。

 代州(だいしゅう)の向こう、国境を越えた騎馬民族たちの土地。

 かつて、朱武美(しゅぶび)と林冲(りんちゅう)が国境軍に加わっていたときに、李姫と出会い、行動をともにするようになった。

 

「だめね。すぐに手配書が出回る。どこに行っても捕まるわ。しばらく山にでも潜るしかない」

 

 朱武美(しゅぶび)は首を竦めた。

 

「なら、少華山(しょうかざん)に行くか……。頭領の岳竜(がくりゅう)は俺が殺した。いまなら烏合の衆になってるだろう。乗っ取ってやるさ。ついでに、城郭軍の奴らにも一泡吹かせてやろうぜ」

 

「あら、今度は賊徒の大将?」

 

 朱武美が笑った。

 

「退屈凌ぎには悪くないさ」

 

「……どう思う、李姫(りき)? 賊徒になるんですって。いいの?」

 

「おいしいものある?」

 

「あるさ。賊徒は他に楽しみがないぶん、料理だけはうまいぞ」

 

「じゃあ、いいよ」

 

 李姫が、いつものようにあっけらかんと答えた。

 

 林冲が、山道へと向きを変える。

 朱武美と李姫は、その背を追った。

 

 今度は、賊徒の大将か。

 

 それも、悪くはない。

 

「じゃあ、わたしがまた策を立てて、林冲を頭領にしてあげるわね」

 

「頼んだぞ、朱武美。それと、少華山(しょうかざん)の頭領になったら、馬が欲しい。華陰や豊城の軍から軍馬を奪ってでも、いい馬を揃えるんだ。騎馬隊を作りてえ」

 

「馬ね……」

 

 朱武美は少し考えた。

 

 軍馬を揃えるとなれば、ただの奪いでは済まない。

 牧場からの裏取引や、搬送の手配も必要になる。

 軍の目をかいくぐって、少華山まで運び込む算段も──。

 

 面倒ではあるが、それでもいい。

 

 林冲が望むなら、知恵を尽くすのが朱武美(しゅぶび)の役目だった。

 

「いいわ。拠点を奪ってからになるけど、やってみましょう。馬は集める。その代わり、無敵の騎馬隊、作ってよ」

 

「おう。任せとけ」

 

 林冲の笑い声が、山の静寂に溶けていった。

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