陽はそろそろ中天に差し掛かろうとしていた。
このまま進めば、すぐに分かれ道になる。真っ直ぐに進めば、河を越えて、
どちらへ向かうかは、まだ決まっていない。分岐点まで行ってから、
今朝出てきた華陰は、少華山の麓にある城郭だった。
少華山の賊徒との一戦は、すでに噂話として城郭内に拡がっていた。尾ひれがついて、武勇伝として語られ始めていた。
雇い主の
近隣では知らぬ者のいない豪商の饗応だった。食いしん坊の
もちろん、酒もあった。
朱武美は、林冲が酔い潰れないよう、横でしっかりと見張っていた。
久々の宿屋だ。今宵こそは、と決めていた。
賊徒や盗賊が横行するこの世の中、商人はそれなりの備えをしなければならない。周備も今回のような大口取引の際には、護衛のために金を払い、兵を雇い入れていた。
だが、兵は集まっても、信用できる指揮官は得難い。場合によっては、護衛そのものが商人を裏切ることさえあるという。
だからこそ、すでに賊徒退治で力量を証明した
だが、林冲は、あっさりと断った。
風のままに生きる林冲が、商人の護衛頭に収まるような男ではない。
案の定だった。
周備は残念そうだったが、
結局、契約よりも多い礼金を受け取り、ふたりは
「……さて、どっちに向かうの、
城外の分かれ道が見えてきた。
「帝都にもう一度行ってみるか? 隊商で訪ねたときは、やっぱりさすが帝都だと思ったよ。珍しいもんもたくさんあったしな。しばらく逗留したら、
「
「やった──」
李姫が、跳ねるように声をあげた。
この帝国の版図は、帝都を中心とする「畿内」、そして「代州」「北州」「東州」「南州」の四つの地方州からなる。
林冲が言った「青州」は、行政区分ではなく、北州の東部にある「
帝国に組み込まれた多くの旧国の中でも、青州は最後まで激しく抵抗した。
そのため、青州は北州に組み込まれた上で、他よりも重い税を課せられ、遺民の抵抗力を削がれてきた。
その歴史のせいで、青州ではしばしば叛乱が起き、賊徒も多い。
林冲が、次に向かおうとしているのが、そんな青州だという。
それなら、それでいい。
そのときだった。
城郭の方角から、兵を率いた一隊が迫ってくるのが見えた。
騎馬が三騎、歩兵が八十。城郭軍の小隊だった。
だが、その兵たちは三人を囲むように動きを変え、ぐるりと取り巻いてしまった。
「周備殿の隊商に加わっていた三人だな。護衛を引き受け、多額の礼金をもらったそうじゃないか」
騎馬の先頭にいた将校が、やや上から目線で言葉を投げた。
「それがどうした? 仕事をした報酬をもらった。それだけのことだ」
「お前たちが蹴散らしたという
「信じたくないなら、信じなければいい。道を開けろ、通るだけだ」
だが、将校はにやついたまま、まるで聞き入れる素振りを見せなかった。
取り囲んでいた歩兵が、じりじりと間合いを詰めてくる。
「まあまあ、そう荒れるな。俺の目は誤魔化せん。お前たちは実は賊の一味。周備殿から多額の礼金をふんだくるために芝居を打った。……いや、通行料を払うか?」
通行料──。
その言葉で、
この将校は、三人が周備から金を得たと聞きつけ、それを奪おうと部隊を動かしたのだ。
旅人は守る対象ではなく、むしろ搾取する相手。そういう腐った軍だった。
「ふざけるな。どこにそんな通行料がある。あっても、お前らには払わん」
背にしていた
まずい。
ここで城郭軍と斬り合えば、例え無事に逃げおおせたとしても、手配書が出回る。名も顔も割れている以上、帝国全土で指名手配となる。
そうなれば、旅はおろか、生き延びる術すら狭まる。
だが──。
「逆らうか? ならば捕えるぞ。女たちは別だ。身体検査と称して、あの林の中で確かめさせてもらう。拒めば、拷問だ。さて、どうする?」
将校のにやついた顔が、完全に殺意を招いた。
林冲の身体が動いた。
もう、止められなかった。
点鋼鎌が一閃する。
将校の首が、にやけた顔のまま宙を舞った。
血が、騎馬の前脚を濡らす。
同時に、李姫が跳ねた。
両腰の短剣が抜かれ、飛び上がるように隣の将校へ。
喉を裂かれた将校が馬上でのけぞり、崩れ落ちた。
もう一人の将校は、林冲の鎌で胴ごと断ち割られ、馬まで斬り伏せられた。
静寂が一瞬だけあった。
それを破ったのは、城郭軍の歩兵たちの逃走だった。
叫び、転び、逃げ散っていく。
残ったのは、三人の将校と二頭の馬の屍だけ。
「なんて連中だ。少華山の賊を討つのがあいつらの役目じゃないか。それを俺たちから金を巻き上げようとして……。挙げ句に、
林冲はまだ憤りのままに呟いた。
「でも、これで帝都行きはなしね……。軍の将校を三人も殺したんだもの。すぐに手配書が出回るわ。顔も名前も知られてるんだもの……」
林冲は、ばつが悪そうな顔をした。
その顔が、なぜか愛おしかった。
思わず、
「……どうするの? また、北の国境越えて、わたしの故郷に戻る? ほとぼりが冷めるまで……」
李姫は騎馬民族の中の一族の姫だった。
かつて、
「だめね。すぐに手配書が出回る。どこに行っても捕まるわ。しばらく山にでも潜るしかない」
「なら、
「あら、今度は賊徒の大将?」
朱武美が笑った。
「退屈凌ぎには悪くないさ」
「……どう思う、
「おいしいものある?」
「あるさ。賊徒は他に楽しみがないぶん、料理だけはうまいぞ」
「じゃあ、いいよ」
李姫が、いつものようにあっけらかんと答えた。
林冲が、山道へと向きを変える。
朱武美と李姫は、その背を追った。
今度は、賊徒の大将か。
それも、悪くはない。
「じゃあ、わたしがまた策を立てて、林冲を頭領にしてあげるわね」
「頼んだぞ、朱武美。それと、
「馬ね……」
朱武美は少し考えた。
軍馬を揃えるとなれば、ただの奪いでは済まない。
牧場からの裏取引や、搬送の手配も必要になる。
軍の目をかいくぐって、少華山まで運び込む算段も──。
面倒ではあるが、それでもいい。
林冲が望むなら、知恵を尽くすのが
「いいわ。拠点を奪ってからになるけど、やってみましょう。馬は集める。その代わり、無敵の騎馬隊、作ってよ」
「おう。任せとけ」
林冲の笑い声が、山の静寂に溶けていった。