※この作品はR-18です。

水滸伝艶義   作:ドン・ドナシアン

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9   晁蓋の三人妻、亡夫の「遺志」を継ぐ

「三里まで近づいてきたわ。ただ、急に行軍の速度を落としたそうよ、公子」

 

 斥候を預けている劉唐姫(りゅうとうき)が、その斥候からの情報を伝えてきた。

 丘の上で五十人を率いて待ち伏せしている晁公子(ちょうこうし)は、劉唐姫に視線を向ける。

 

「速度を落とした? 待ち伏せに気づかれたの?」

 

 まだ、晁公子も劉唐姫も布で顔を隠していない。

 真っ赤な髪の劉唐姫の引き締まった美貌には、焦りのような色はなかった。

 どうやら切羽詰まった状況ではないらしい。

 晁公子はほっとした。

 

「そういう感じではないようよ。行軍の隊形には変化はないらしいわ。ただ山道に入って遅くなった。それだけじゃない」

 

「山道に入ったから遅くしたですって? なぜよ? わざわざ狙われやすいように?」

 

 晁公子は軽口を言った。

 劉唐姫は肩をすくめる。

 

「知らないわね。州軍の輸送隊の指揮官は白文天という阿呆よ。いいところのお坊ちゃんだから、きっと馬車が揺れるのが嫌なんじゃない」

 

 劉唐姫が白い歯を見せた。

 豪胆だが情報通の風来の女──劉唐姫と知り合って五年になる。

 どこから、どうやって仕入れてくるのかわからないが、晁公子はこの女の情報が正確で頼りになると知っていた。

「三里まで近づいてきたわ。ただ、急に行軍の速度を落としたそうよ、公子」

 

 斥候を預けている劉唐姫(りゅうとうき)が、伝令からの報告をもたらした。

 丘の上で待機する五十人の一団の前で、晁公子(ちょうこうし)が振り返る。

 

「速度を落とした? 待ち伏せに気づいたのか?」

 

 まだ顔を布で覆っていない。

 紅い髪の劉唐姫の表情に、焦りはない。

 晁公子は、息を吐いた。

 

「そういう感じではないわ。隊形も変わっていない。ただ、山道に入って遅くなっただけ。でも──それだけじゃない」

 

「山道に入ったからって、どうして遅くする? わざわざ狙いやすくするため?」

 

 軽口のように聞こえたが、晁公子の目は鋭い。

 劉唐姫が肩をすくめる。

 

「知らないわよ。州軍の指揮官は白(はく)文天(ぶんてん)っていう世間知らずのお坊ちゃん。馬車が揺れるのが嫌なんでしょうね」

 

 白い歯を見せて笑う。

 晁公子は、五年前からこの女を知っている。

 風来の女。豪胆で、情報に精通している。

 東平の税が州都に運ばれるという情報を、真っ先に晁公子に持ち込んだのも、彼女だった。

 

 兵は百。騎兵が三十、残りの歩兵も幌のない馬車に分乗。

 荷駄は五輌。そのうち二輌が銀貨を積む。

 指揮官は白文天──高官の後ろ盾で軍籍を得た無能の三十男。

 副官は若く、経験も浅い。

 

 その情報を得て、晁公子は決断した。

 五十人の仲間を率い、官軍を襲う。

 彼らは皆、東渓村(とうけいそん)の若者だ。

 晁公子の語る「世直し」に賛同した者たち。

 

 腐りきったこの世を糺し、民の国を作る──

 それが夢想でしかなくとも、命を懸けるに値すると、彼らは信じていた。

 

 税に苦しみ、娘や妹を売らねば生きられぬ現実。

 役人に搾取され、官軍に略奪される農村。

 賄賂をばらまき、私腹を肥やす富者たち。

 

 そうした世の中で、晁公子の叛乱は「希望」だった。

 武器を持って立てば、きっと民が集まる。

 それを信じて、晁公子は動いている。

 

 いまは、選び抜いた百の同志だけ。

 だが、本気を出せば、幾百、幾千とも増やせる自信がある。

 

 ──まだ、早い。

 

 増やしすぎれば、いずれ官軍の目に留まる。

 そうなれば、東渓村(とうけいそん)は焼き払われ、皆が死ぬ。

 

 夫、晁蓋(ちょうがい)のように……。

 

 彼が語った「理想」は、晁公子にとっても他人事ではなかった。

 十年前、若くして村を継いだ女名主の前に、ふらりと現れた旅人が晁蓋だった。

 同じ姓──それだけで打ち解け、互いに惹かれ合った。

 

 そして、晁公子は晁蓋と契りを交わした。

 誰にも言わず、寝台の上で交わした誓い。

 夫婦であることを隠すよう求めたのは、晁蓋の方だった。

 

 理由は「戦い」だった。

 叛乱に身を投じる。成功すれば、世を変えられる。

 失敗すれば、死ぬだけだ──。

 

 夢だった。

 だが、晁公子は心を奪われた。

 あの夜、晁蓋の夢は、彼女の夢にもなった。

 

 彼は去った。資金を渡して、再び旅に出た。

 妻として送り出した。

 その奇妙な夫婦関係は、五年続いた。

 

 ──終わりは突然だった。

 

 晁蓋が捕らえられた。

 場所は北州の北京(ほくけい)。

 知らせが届いたのは、捕縛の十日後。

 晁公子は馬を飛ばした。

 間に合ったのは、処刑の日だった。

 

 晁蓋は兵に囲まれた広場の真ん中に磔にされて晒されていた。

 拷問を受けたのだろう。

 晁蓋の全身は、惨たらしい傷でいっぱいだった。

 どうすることもできなかった。

 厳重に警戒されている処刑場から晁蓋を救い出す方法はなかった。話しかけることさえできなかった。

 晁公子にできたのは、ただ茫然と晁蓋の最期を集まった民衆に混じって見ることだけだった。

 

 そして、翌日、処刑が始まった。

 最初に腰布を剥がされて、完全な素裸にされるとまずは男の性器を切り落とされた。

 次は耳。

 そして、指。

 鼻──。

 その都度、道術で止血の治療を受けながら、身体を寸刻みで切断されていったのだ。

 

 酷い処刑だった。

 身体を刻む処刑は朝から始まり、夕方になっても続いた。

 最後には、晁蓋は耳も鼻も目もない顔が手足のない胴体に繋がっているだけの状態になり、その状態でさらに治療を受け、生きながら胴体を縛られて広場に吊るされることになった。

 息をしなくなるまで、放置して晒すためにだ。

 

 晁公子はそれを民衆とともに、無言で見守り続けた。

 陽が沈み、夜になっても晁公子は、その場を離れなかった。

 その翌日も広場に作られた臨時の柵の外に立ち、晒されている晁蓋の姿を無言で見続けた。その酷い姿を脳裏に刻みつけた。

 

 その翌日も……。

 

 処刑は、見世物だった。

 晒され、痛めつけられ、なおも生かされた。

 死んだのは三日目。

 それでも、晁公子は広場に立ち続けた。

 

 晁蓋は、何も語らなかった。

 拷問にも耐え、仲間の名を口にしなかったという。

 

 それが、彼を英雄にした。

 だが──実のところ、彼には「仲間」などいなかったのだ。

 

 処刑場で出会った二人の女がいた。

 

 劉唐姫(りゅうとうき)、美玉(びぎょく)。

 

 三人とも、晁蓋の「妻」だと名乗った。

 そして、半年後に、もう一度北京で三人で会い、「真実」を知ることになった。

 実は、叛乱など、晁蓋のまったくのでまかせだったのだ。

 

 晁蓋の叛乱の夢など、実態のない浮き言葉にすぎず、あの男には本当に世直しの戦いをする気などまったくなかったのだ。

 つまりは、そう女に説いて、あちこちに「妻」を作っては、それを旅をしながら渡り歩いていただけだったのだ。

 連座を避けるために妻でいることを隠しておけと言って、あちらこちらに「現地妻」と「金づる」を作っておく。

 そして、その女たちのところを回り、身体を抱いて路銀を提供させ、次の女のところに行く。

 そこでも、また、別の妻の身体を抱き、路銀をもらう。

 女との寝物語で、嘘八百の世直しの理想を語る……。

 晁蓋が繰り返していたのは、それだけだったのだ。

 

 北京の現地妻は、女豪商の美玉(びぎょく)──。

 

 梁山湖のほとりにある東渓村(とうけいそん)の現地妻は、女名主で独身でもあった富豪の晁公子(ちょうこうし)──。

 

 劉唐姫(りゅうとうき)は旅の女であり、賭場で晁蓋と知り合って夫婦の契りをしたばかりだと言っていた。

 

 もしかしたら、調子に乗った晁蓋が、この北京で、美玉のほかに新しい女を作ろうとして、寝物語で世直しの叛乱でも説いたのかもしれない。

 とにかく、晁蓋は、この北都で叛乱を企てた者として、官軍に捕縛されて処刑されたということだ。

 やってもいない叛乱に対する見せしめとして……。

 

 叛徒の首領だと信じていた夫が、単なる女たらしにすぎなかったというのは笑いたくなるような事実だったが、その後も何度か三人で会っては、お互いの調査の結果を突き合わせたが、その結論にしか辿り着かなかった。

 

 また、これも後で調べてわかったことだが、晁蓋は叛乱の巣がどこにあるかを拷問で質問され、最後まで口を割らなかったということになっていた。

 そのことが見せしめ的な残酷な処刑にもなったのだ。

 だが、皮肉なことに、まさにそのことが、晁蓋を英雄にした。

 

 叛乱を企て、その拠点や仲間を洩らさずに処刑された叛徒の首魁……。

 

 いまでも、晁蓋の叛徒の拠点がどこかにあると信じている民衆は少なくない。

 しかし、実際には、白状したくても白状のしようがなかったのだ。叛乱などどこにもなかったのだから……。

 

 しかし、晁公子は、晁蓋の処刑をきっかけに、劉唐姫と美玉に出逢った。

 晁蓋の言葉は、都合よく女たちを操るための「嘘」だったが、晁蓋が語った夢は、三人の女たちにとって「真実」になった。

 

 晁公子は、劉唐姫、美玉とともに、晁蓋の「遺志」を受け継ぎ、世直しの戦いを始めることを誓い合った。

 晁蓋の遺した民衆や妻たちへの「嘘」は、彼が作った三人の現地妻によって「真実」になったのだ。

 

 あの女たらしの晁蓋について、晁公子にはひとつだけ誇りに思うことがある。

 あの晁蓋は、ほかの仲間を吐けという拷問に対しても、晁公子たち「妻」のことを一言も言わなかったことだ。

 

 晁蓋は死んだが、晁蓋の言葉は遺った。

 それぞれの女たちの心の中に……。

 

 ──だが、本当は。

 

 晁蓋が生きて、どこかへ逃げようと言ったなら。

 きっと、叛乱など投げ捨てていた。

 隣に彼がいれば、それでよかった。

 

「残り二里。目標に顕著な動きなしよ、公子──」

 

 報告に、晁公子はうなずく。

 

「手筈通りに──」

 

 顔に白布を巻く。劉唐姫も同じようにした。

 仲間たちも、次々と顔を覆う。

 白い布の一団──白巾賊。

 

 十数回の襲撃を重ねた。

 すべては、金子のためだ。

 

 叛乱は言葉では成り立たない。

 戦には、金が要る。

 

 今回も狙うのは、白文天(はくぶんてん)が運ぶ銀貨。

 奪って、隠し里に運ぶ。

 一部は美玉(びぎょく)に送られる。

 あの女が、金を「洗って」、軍資金として使う。

 

 いまのところ、正体は知られていない。

 白巾賊は、官軍だけを狙う「義賊」として噂されている。

 

 林の向こうに、輸送隊が見えてきた。

 

 先頭は騎兵。

 続いて荷駄馬車。

 中央の二台が、重さで軋んでいる。

 財貨は、あれに違いない。

 

 その後ろを、豪奢な馬車が進む。

 装飾からして、白文天のもの。

 周囲を騎馬兵が囲み、その後方に歩兵を乗せた荷駄馬車。

 

 無様な行軍だ。

 官軍のくせに、無防備きわまりない。

 

 輸送隊が止まった。

 先行の仲間が、岩で道を塞いだのだろう。

 

 すべては、予定通り。

 

「放て──」

 

 晁公子の声が、森に響いた。




■ 晁蓋《ちょうがい》
 北州都で処刑された、伝説の賊徒の首魁。
 各地に妻を持ち、女たちの庇護と金で生き延びていた放浪の策士。
 口先と寝台で理想を語り、信と金を引き寄せる狡猾な扇動者
 その偽りの火種が、三人の女の胸に現実の叛乱を燃え上がらせた。
 ※原典:晁蓋。初代・梁山泊首領。序列決定前に戦死

■ 晁公子《ちょうこうし》
 東渓村の名主にして、晁蓋の遺志を継ぐ女傑。三十五歳。
 若き賊徒たちを率いて白巾賊を組織し、官軍に叛旗を翻す。
 冷徹な采配と、忘れ得ぬ情愛とを胸に併せ持つ。
 表向きは正義の旗を掲げながらも、その根には男への想慕が横たわる。
 ※原典:晁蓋の立場を継ぐ創作人物

■ 劉唐姫《りゅうとうき》
 晁蓋のかつての妻。二十五歳。赤髪の女流浪者。
 白巾賊の情報頭として諜報を担い、戦場にも調略にも長ける。
 剣を抜くことも、嘘を見破ることも、躊躇のない冷静な意志を持つ。
 嘘から始まった夢を、現実へと塗り替えようとする静かなる闘士
 ※原典:劉唐。梁山泊序列第二十一位。「赤髪鬼」。晁蓋に忠を尽くした剛勇の士

■ 美玉《びぎょく》
 北京の女豪商。四十歳。晁蓋の元妻で、白巾賊の経済を担う影の参謀
 常に十八人の美少年従者を侍らせる艶姿と裏腹に、金を武器に世を操る。
 軍資金の調達から蓄財、洗浄までを一手に担い、組織を支配する。
 胸奥には、晁蓋の語った「偽りの理想」を、真実として抱く記憶が残る。
 ※原典:蘆俊義に相当する創作人物。蘆俊義は梁山泊序列第二位。「玉麒麟」
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