乙女と野蛮な冷鱗 作:モニター
翌朝。タマラはベッドの中で静かに天井を見上げている。頭はぼんやりとしている。隣にイグレの姿はない。仕事に行ったのだろう。この部屋に残っているのは静寂とタマラの心音だけだ。昨夜の激しいまぐわい、強姦にも似たそれの余熱なのだろうか。
重たい身体を起こすと、彼女はいつの間にか清潔な寝巻きを着ていることに気がついた。よく見ると、ベッドの藁袋も交換されていて、以前イグレが狩ったという獣の毛皮から作ったかけ布団まで被せられていた。
(乱暴で、自分勝手な蛮族のクセに……)
内心でイグレに毒を吐く。しかし、毛皮の掛け布団を撫でる手はどこかゆったりとしている。
眠たいし身体は怠いが、花屋の仕事に行かなければならない。タマラはベッドから出てあくびをしながら着替え、リビングに行く。
ふと、目に入ったイグレの武具置き場からあの大きなナイフと防具、いくつかの道具がなくなっていることに気がついた。イグレは几帳面にも同じ道具を同じ場所に置いておくので、じっくり見たことなどないタマラもどれを持って出て行ったのかがすぐにわかるようになっていた。
タマラは残された道具の一つに触れてみる。冷たい金属で出来たそれは明らかに高度な加工技術によって形作られていることがわかる。それはイグレが単なる蛮族ではないことの証左なのではないだろうか、そんなことすら考えられる。
(……そんな筈、ないじゃない)
タマラは首を振る。如何に高度な道具を持っていようといきなり家に押しかけ、合意もなく自分をおそってきたリザードマンなのだ。蛮族でなくともモンスターの類と変わらない筈だ。
(そもそも、何で全然喋ってくれないの。無口にも程があるでしょ)
イグレは自分のことも、他人のことも、ほとんど話さない。タマラが聞いたことがあるのは「イグレ・ゴレだ。海を渡ってやってきた」と、最初に押しかけてきた日に聞いた言葉。それ以外は「金だ」「飯は?」そして、「お前は美しい」そのくらいだった。
「!」
タマラは顔が赤くなるのを感じ、イグレの道具を持ち上げて床に叩きつけようとする。しかし寸手のところで止まった。もしも大切な道具を粗末に扱ったりしたら何をされるかわからないし、そうでなくとも他人の物を叩きつけるなど神様が許さないだろう。
努めて冷静になりながら、タマラはイグレの道具を元の場所に戻す。そしてもうそのカルト祭壇のような場所を見ないようにし、簡単に朝食を終えて花屋へと向かう。
◆
花屋は街の中心から少し離れた静かな場所に位置している。店の名前はプレイ・オブ・フラワー。看板は少し色褪せているが、手入れの行き届いた花壇に咲く可憐な花々は訪れる人を優しく迎える。店に入ると、優しい香りが鼻腔をくすぐる。
「おはようございます、ミレイユさん」
「はい。おはようね、タマラちゃん」
タマラは店主であるミレイユに挨拶をする。ミレイユは温和な笑顔が素敵な、少しふくよかな女性だ。母親を知らないタマラにとっては、孤児院の院長に次いで母親像を垣間見ることのできる女性だ。タマラは彼女の優しい眼差しに安心感を覚えることができる。
開店準備をしている時、タマラは思わずあくびをしてしまう。そこをミレイユに見られた。
「あらタマラちゃん。まだ眠気が残っているのかしら?」
「す、すみません。昨夜少し……寝付けなかったので……」
イグレとの昨夜を思い出して赤くなる頬を隠すように、タマラはミレイユから顔を逸らしたら。
「あらそうなの。夜更かしはお肌の大敵だから、なるべく早く寝ないとダメよ? でも……」
ミレイユはタマラの顔、正確には肌をじっくりと観察する。
「タマラ、なんだか最近、一段と綺麗になったんじゃない? お肌の艶もいいし…何かいいことでもあったのかしら?」
「………気のせいですよ。」
ミレイユの言葉にタマラは心臓が止まるかと思うほど驚くが、それを必死に顔に出さないようにした。しかし言い訳を探すように視線は泳いでしまう。イグレとの行為が表面に現れたのだろうか? 誰にも、特にミレイユには知られたくなかったのに。
「そうかしら? でも、本当に綺麗になったわ。まるで、恋をしているみたい」
ミレイユはさらに追い打ちをかけるように言う。タマラは、ますます狼狽する。恋、か。イグレとの関係を、恋と呼べるのだろうか。恐怖と羞恥、そしてほんの少しの好奇心が混ざり合った、複雑な感情。
「ミレイユさん、からかわないでください。私は、ただ花に囲まれて過ごしているだけですよ」
タマラは、必死に弁解する。しかしその声は震えている。ミレイユはそれ以上追求することをやめて優しく微笑む。
「そうね。でも、いつでも相談に乗るわよ。何かあったら、遠慮なく言ってちょうだい」
ミレイユの言葉に、タマラは安堵する。ミレイユは本当に母親のような存在だ。しかし、イグレとの関係を打ち明ける勇気はまだない。
タマラは開店準備を終えると、午後の配達に向けてフラワーバスケットの制作に取り掛かる。花を一輪一輪、丁寧に刺し、まとめ上げていく。その手つきは普段の自信なさげな彼女とは違い、自信と優しさがこもっている。花に触れている間はタマラな心を休めることができる。
(綺麗になったなんて………そんなわけ、ないじゃない………)
しかし、ミレイユの言葉が頭から離れない。綺麗になった、恋をしているみたい。イグレの存在がタマラの心と体に確実に影響を与えている。そんな考えを打ち消すため、フラワーバスケットの作成に没頭する。
注文のバスケットは結婚記念日の贈り物だという、赤いバラをメインにした、華やかな品だ。花言葉は「愛情」「情熱」。タマラは、バラの花びらに触れながら、イグレのことを考える。あのリザードマンは、愛情や情熱といった感情を、持ち合わせているのだろうか。
(ただの欲望よ。私で汚い欲を満たしたいだけなんだわ………)
あえて悪い方向へ考えようとするタマラ。しかし、それとは裏腹に胸の奥は熱くなっていくのを感じる。同時に怒りに似た感情も。何故自分がリザードマンの蛮族のために心を乱されなければならないのか。どうせ体を重ねるならば、もっと普通の相手が良かった。そう、鱗もなく、筋肉もそれほどなくていい。鋭い爪や牙、尻尾だって………。
「タマラちゃん!」
ミレイユの大きな声にハッとなる。しまった、邪念がこもったために酷い出来栄えになってしまったのだろうか? それでミレイユは怒っているのだろうか? タマラは慌てて謝罪を口にしようとする。
「す、すみませんミレイユさん。すぐに作り直しまーーーー」
「凄い、凄いわタマラちゃん! こんなに大胆で情熱的な出来栄えのバスケット、私はじめて見たわ!」
ミレイユは怒るどころか感動していた。改めてフラワーバスケットを見ると、これを自分が作れたのかと思うほどの出来栄えだった。花言葉の「愛情」「情熱」が、圧倒的な表現により顕現している。それほどの出来栄えだった。
「やっぱりタマラちゃん! 貴女、恋をしているのね! 今度紹介してほしいわ! 貴女が見そめた殿方がどんなお方なのか、一目でも見てみたいわ」
子供のようにはしゃぐミレイユに、タマラは愛想笑いで誤魔化すしかできなかった。
あのリザードマンに恋などと、絶対にそんなわけがない。タマラは強く思った。