乙女と野蛮な冷鱗 作:モニター
帰宅したタマラの胸には自信と勇気が満ちていた。届けたフラワーバスケットに客は大喜びし、彼女にかなり多めのチップを渡してくれたのだ。今ならあのリザードマンにも立ち向かえそうな気がする。
「よし!」
タマラはリビングで夕食の準備を整えてから両側の頬を手で挟むように叩き、気合を入れる。今日はイグレに毅然とした態度で接しよう。彼に臆することなく、夜の強引な営みもハッキリといやだと言おう。大成功した仕事が彼女に勇気を与えてくれた。
硬い決意をしてからしばらくした後、遠くの方から重々しい足音が聞こえてくる。
(来た!)
タマラは椅子に座って背筋を伸ばし、まっすぐにドアを見つめる。そしてドアが開き、頭を屈めながらイグレが入ってきた。タマラはいつものように怯えながら「お帰りなさい」とは言わない。背筋を伸ばしてイグレを睨むように見つめる。
イグレは勝手に居座っているにも関わらず、我が物顔で上がり込んでくる。そして無言でテーブルの上に金を置き、武具を外してカルト祭壇めいた置き場に持っていく。
「ん? タマラ……俺の道具に、触ったか?」
タマラは心臓が跳ね上がるのを感じた。今朝、叩きつけようと持ち上げたが完璧に元の位置に戻したはずだ。気づかれるわけがない。
「さ、さあ? 貴方の道具なんて、私指一本触れてないわ」
嘘をついたことに若干の罪悪感が湧く。
「そうか………。仮に掃除とかをする時のために教えておくが、これは岩や壁を吹き飛ばす為の爆弾だ。特定の操作をしないと起爆しないが、気をつけてくれ」
タマラの背筋が凍りつく。もしあの時、怒りに任せて床に叩きつけていたら自分はこの家ごと吹き飛んでいたかもしれない。そして、そんな危ないものを置いておくなと、心の中で叫んだ。
(文句を言ってやる! 文句を言ってやる!)
タマラは立ち上がり、イグレに向かって指を向け、口を開ける。丁度そのタイミングでイグレが振り向いた為、タマラは言葉に詰まってしまう。そして、その巨体がゆっくりと近づいてくる。やはり、怖い。
「じっとしているんだ」
そう言うとイグレの顔が近づいてくる。まさか、今から営みに入ろうと言うのだろうか? 夕食も食べていないのに? 拒否しようとするも、やはり恐怖で言葉が出てこない。心臓が高鳴り、タマラは目を瞑って身を硬くする。
その時、ひやりとした金属の感触がタマラの首周りを撫でた。驚いて目を開けると、目の前にはイグレの顔がある。
「鏡を……見てほしい……」
促されて壁にかけられた鏡を見る。タマラは息を呑んだ。タマラの首元で、金に縁取られたエメラルドが煌めいていた。とても繊細な細工がされており、絶対に平民では手が届かない、貴族しかつけなさそうな高価な物だとわかる。そんな物を身につけるどころか間近で見ることすら夢にも思っていなかった。
タマラは思わず振り向いてイグレを見る。彼は変わらず無表情で、その硬い外皮のために顔色すら変わらない。しかしタマラから気まずそうに視線を逸らして頬を人差し指の爪でかいた。
「お前に………似合うと思った」
イグレは言い慣れない言葉を口にするのが酷く気恥ずかしいらしい。普段の威圧的な喋り方からは想像もつかない、たどたどしい口調。唐突で意外なプレゼントに、タマラは何も言えなくなってしまった。あれほど文句を言ってやろうと思っていたのに。
「こ、これ……とても高かったんじゃ……」
絞り出した言葉にタマラは自分で「なんて無粋な」と思った。するとイグレは真っ直ぐに見つめてきて言う。
「お前のためだ………カネは惜しくない」
澱みない言葉にタマラは後ずさりそうになる。エメラルドの飾りを両手ですくうように持ち上げる。その指は少し震えていた。
「……ありがとう、ございます」
口から自然と出た言葉はそれだった。イグレはタマラから顔を逸らして大柄な自分用に作った椅子に腰掛ける。彼が人間だったのならば、おそらく顔が赤くなっていることだろう。
タマラは立ち尽くしたまま、手の中のエメラルドに目を落とす。イグレの肌のような緑色の輝きが、彼女の心を照らしてくれているような気がした。
「あの……イグレさん」
意を決して声をかける。
「ネックレス……とても綺麗です。大切にします」
イグレはタマラの方を向き、一瞬だけ目を合わせる。そして小さく、かすかに頷いた。
「気に入ったなら……それでいい」
イグレはそう言って顔をテーブルに向ける。タマラはそこで彼が腹を空かせているだろう事を思い出し、急いで夕食を皿に盛り付けて彼に渡した。
(物に釣られたみたい……そうじゃないから……)
誰に向けたわけでもない、言い訳じみた呟きを胸の内でした。ただ、胸の中には言い訳があるわけではない。優しい温もりが、じんわりと咲いて来たのだ。