※この作品はR-18です。

読まれる日常   作:昼間寝音

12 / 22
【第12頁:責任の重さは、彼女のぬくもりに】

午後の光が、書斎の窓辺に差し込んでいた。

さとりは、ネコ耳カチューシャを頭につけたまま、黙々と本を読んでいる。

最初は冗談半分のつもりだったのだろう。けれど、朝から今まで、彼女はそれを一度も外そうとしなかった。

 

ページをめくる指先が止まるたび、彼女は右手でそっと耳の角度を直す。

まるで、気にしていないふりをして、気にしている。

その姿が、どうしようもなく——可愛かった。

 

私は、読みかけの本を閉じた。

さとりはちらりとこちらを見ると、特に何も言わず、自分の膝の上に開いた本へ視線を戻す。

私はそのまま、隣にあるソファーの端に腰を下ろした。

 

少しして、さとりが横へ動いた。

その肩が、私の肩にふわりと触れる。

意識しすぎて、肩がぎこちなく強張る。

 

「……なによ、そんなに意識するなんて、失礼ね」

 

そう言いながらも、彼女の身体は微動だにしない。

むしろ、わずかに寄りかかってきたようにも思えた。

 

呼吸が喉の奥でつかえる。

心拍が、隣に伝わってしまいそうで怖い。

 

「……これ」

 

彼女が口を開いた。

頭に乗ったネコ耳に、そっと指を添える。

 

「これ、あなたが作ったんだからね」

 

間が空いた。

私が何か返そうとするよりも早く、彼女は続ける。

 

「……責任、取りなさいよ」

 

その声は、いたって平静だった。

けれど、頬はほんのり染まっていて、第三の目はきゅうっと小さく、縮こまっていた。

 

私は、どう反応すればいいのか分からなかった。

“責任”って、どういう意味だ?本当に?本気で?

 

戸惑う私をよそに、さとりはわずかに笑みを浮かべた。

その笑みは、何もかも見通しているくせに、あえて説明しない、

そういう——少し意地悪で、少し甘い笑みだった。

 

「……そろそろ、慣れてきたでしょ?」

 

そう言いながら、彼女はゆっくりと手を伸ばし、

私の指に、自分の指を重ねてきた。

 

ほんのわずか、重ねただけ。

けれどその“重さ”は、心を読まれるよりもずっと生々しく、

喉の奥に熱をともすには十分だった。

 

私は、動けなかった。

 

「……ねえ」

 

囁き声だった。

息が、耳の近くでふわりと揺れる。

顔を向ければ、きっとほんの数センチで——彼女の睫毛が触れそうなほどの距離。

 

「あなた、いま……何を考えてるの?」

 

第三の目は閉じられたまま。

けれど、問いは鋭い。

私の思考を“読んでいて”、それでも訊くというのは、

もはや——彼女が“答え”ではなく“声”を欲している証だった。

 

「……きれいだ、って……」

 

やっとの思いで言葉を吐き出すと、彼女はふっと笑った。

あの、何もかも見透かすような微笑みではなかった。

目尻が緩んで、唇がわずかに震える——

そんな、恥ずかしさを隠しきれない、少女の顔だった。

 

「……ほんと、あなたって……」

 

彼女は、ゆっくりと身体を傾けてきた。

髪が頬に触れる。

息が混じる。

 

「読まなくても……わかっちゃうんだから……」

 

肩が触れ、胸元がふわりと押し当てられる。

柔らかい。

香りがした。

地霊殿の廊下に漂っていた、あのラベンダーの香りだ。

 

「さとり……」

 

名前を呼んだ瞬間、彼女の手が、そっと私の手を握った。

ちゃんと、絡めるように。

逃がさないように。

 

「……責任、取るって、こういうことよ」

 

囁きとともに、額が、私の肩に預けられた。

 

小さな頭が、そこにある。

今にも震えそうなほど、近い心音が伝わってくる。

 

私は、彼女の背に、腕をまわした。

 

ぎゅ、とまではまだいかない。

けれど、触れることでしか伝わらない温度が、たしかにそこにあった。

 

「……読まれるのもいいけど、こうしてる方が、ずっと……」

 

「うん……わたしも、そう思ってた」

 

彼女の指が、かすかに震えた。

 

それが、どんな感情から来た震えなのかは——

もう、読む必要なんてなかった。

 

彼女の額が、そっと私の肩に触れている。

重さではない。

けれど、重さよりも確かなものがそこにあった。

 

私の腕の中にいる、彼女。

いつも私の心を覗き込んでくるはずの存在が——

今は、そっと身を預けている。

 

「……こんなふうに触れるの、怖かったの」

 

肩越しに、かすれる声が聞こえた。

 

「触れたら壊してしまう気がして……

でも、壊れたのは、きっと……わたしのほうだったのね」

 

私は、そっと顔を上げた。

 

彼女の頬が、私の頬にすれ違う。

呼吸が重なる。

距離は、息一つぶん。

 

彼女の目が、ゆっくりと開いた。

第三の目ではない、

その紫がかった瞳が、まっすぐに私だけを見ていた。

 

「……読まないで」

 

そう囁かれたとき、私はもう、

読む必要がないことを、知っていた。

 

ただ、

惹かれるように。

 

そっと、彼女の頬に手を添えた。

指が触れた瞬間、彼女の瞳が微かに揺れた。

 

けれど、拒まれなかった。

 

いや——

あれはきっと、“許し”だった。

 

唇が、触れた。

 

ほんの一瞬。

けれど、永遠のような静寂が流れた。

 

彼女の手が、私の背をそっと掴む。

それが、「まだ離れないで」という意思だとわかって——

 

私は、もう一度、今度は少しだけ深く、

唇を重ねた。

 

目を閉じる。

何も見えなくてもいい。

この熱と、鼓動と、震えがすべてだった。

 

さとりが、そっと息を吐いた。

その吐息ごと、私は彼女の心を受け取った気がした。

 

——読まれるより、深く。

——読むよりも、確かに。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。