※この作品はR-18です。

読まれる日常   作:昼間寝音

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ひとりじめのゆくえ
【第17頁:読まれる日常の、傍らで】(火焔猫燐視点)


あたいは、廊下の奥から離れたその足音を、わざと響かせながら歩いていた。

気配を隠さないように。呼吸も整えすぎないように。

誰に向けた配慮というわけでもない。

否定しないという選択。それが、あたいなりの答えだった。

 

部屋に戻ると、無意識に鏡台の前に立ち、髪を解く。

鏡の奥に映る自分の目が、どこか遠くを見ていた。

 

脳裏に焼きついて離れない。

さとりの崩れた髪、息を詰めたような瞳、かすれる声。

ミオの背中の汗。腰の動き。抱くという行為に込められた、どうしようもない“本気”。

 

——全部、見てしまった。

そして、あたいは、全部覚えていた。

 

それをどう扱えばいいのか分からず、結局、いつものように茶化すことしかできなかった。

 

ベッドに突っ伏し、くたりとため息を吐く。

 

「……なに、あれ。ずるいなぁ……」

 

ぽつりと漏れた声に、誰も応えはしない。

 

まだ誰にも読まれていないはずの胸の内が、じんわりと疼く。

けれど、あたいはそれを振り払うように、自分に言い聞かせるように笑った。

 

「はいはい、地霊殿の女王様は今日も絶好調だにゃ」

 

 

 

翌朝。

キッチンに立つあたいの手は、いつも通り皿を拭いていた。

けれどその耳は、食卓の方へ自然と向けられている。

 

さとりとミオが、並んで朝食をとっていた。

特別なことは何ひとつしていない。けれど、その“距離”が、昨日までとはまるで違う。

 

パンをちぎるミオ。それを無言で受け取るさとり。

ナイフを手にしたさとりに、すっとバターを差し出すミオ。

会話はない。けれど、言葉以上に通じ合っているのが見て取れる。

 

「……やるじゃん、あんたら」

 

誰に向けるでもなく、ぽつりと呟いた。

 

布巾を持つ手が、泡立った皿の縁を、無意識に何度も何度もこすっていた。

 

——長いこと、さとり様は、心を閉ざしていた。

こいし様ほどじゃないとしても。

 

読む者としての誇り。さとり妖怪としての威厳。

何百年という孤独。

 

それら全部が、さとり様を“支配者”であらしめていた。

あたいにとっても、それは揺るぎない真実だった。

 

……それが、変わったんだ。

あの人間——ミオと出会ってから。

 

「……すごいなぁ」

 

言葉にしてみたら、なんだか照れくさくて、鼻を鳴らした。

 

そのとき、不意に視線を感じる。

ちらりと顔を上げると、さとりがこちらを見ていた。

 

第三の目じゃない。いつもの、あの瞳。

微笑んだ。柔らかく、何も言わずに。

 

あたいは思わず視線を逸らし、唇を引き結ぶ。

 

「……やれやれ。あんたがいちばん、読ませるじゃんか」

 

苦笑まじりに皿を拭き上げる。

 

もう一度だけ、ちらりとふたりを見る。

パンをちぎり、スープを飲み、何気ない仕草のすべてが、今はやけに眩しかった。

 

「……でもまあ、悪くないよ。こういうのも」

 

心の中でだけ、そう呟いて。

 

その瞬間だった。

 

ぴり、と背中を舐めるような感覚が走った。

それは風でも冷気でもなく、内側から湧き上がる微細な震えだった。

 

「……え?」

 

思わず、首をすくめる。

ぞわぞわと、背筋の奥に何かが這い登ってくるような感覚。

腰のあたりが、じん、と妙に重くなる。

足の指先が、床を掴むように力んでしまう。

 

「うそ……?」

 

喉の奥が乾く。

尻尾の付け根が、むずむずと疼く。

耳の先が熱い。額がじんわりと汗ばんでくる。

 

「ったく、なんてタイミング……」

 

元・猫としての本能。

妖怪化してからは長い間、理性で抑え込んできたもの。

 

——まぎれもない。

“発情期”だった。

 

誰にも聞かれたくないような独り言。

けれど、それを誰かさんに読まれてしまいそうで、口を噤む。

 

そのまま猫のように静かにキッチンを離れた。

足取りは落ち着かない。

身体の奥に、燻るような熱が広がっていた。

 

「……見ちゃったから、かな。あれ」

 

頬が自然に火照っている。

扉の前で、ふと足が止まる。

もう一度、後ろを振り返る。

 

食卓のふたり。

知らないふりで、お互いを“読み合って”いるふたり。

 

あたいは、小さく笑って、ぽつりと呟いた。

 

「……お願い。誰も……今のあたい、読まないでね」

 

その声が誰かに届く前に、彼女はそっと扉を閉じた。

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