※この作品はR-18です。

読まれる日常   作:昼間寝音

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【第6頁:もう、ひとりじゃない】

——どこから、始まったのだろう。

 

最初に感じたのは、湿った温もりだった。

胸元にしがみつく、柔らかな何か。

その震えが、確かな現実として、私の意識を引き戻していた。

 

瞼をゆるく開ける。

視界の上半分は、くしゃくしゃに歪んだ紫陽花色の髪で埋め尽くされていた。

泣きじゃくる声が、喉の奥から、止めどなく漏れていた。

 

「……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

わんわんと、声を上げて泣いていた。

あの古明地さとりが——

かつて誰よりも静謐で、誰よりも孤高だったはずの彼女が。

 

私は、何も言えなかった。

けれど、言葉は必要なかった。

私は、ゆっくりと両腕を伸ばして、彼女の華奢な背を、ぎゅっと抱きしめた。

 

その瞬間、さとりの嗚咽が、一層大きくなった。

指先が、私の衣を掴んで離さない。

まるで、もう二度と失いたくないとでもいうように。

その痛々しい執着が、胸の奥に直接差し込んでくる。

 

「ひとりにして……ごめんなさい……

あなたが、どれほど怖かったかも……苦しかったかも……

何も……何も、読めなかった……!」

 

私は、その髪に顔を埋めた。

声を上げる代わりに、鼓動だけが彼女を包んでいた。

 

傍らで、くすくすと笑い声が響いた。

 

「……あ、お目覚めだ」

 

視線を向けると、そこには、どこかで見たことのある少女が座っていた。

スカートの裾を揺らし、胸元に閉じた“目”をぶら下げて。

まるで初夏の昼下がりに野原で遊んでいたかのような、無邪気な笑顔だった。

 

「やっほ、おはよう」

 

そう言って、彼女——古明地こいしは、軽く手を振った。

 

「びっくりしたよ。お姉ちゃんがあんなふうに泣くの、初めて見たもん」

 

私は何か言いかけたが、その前に、こいしが続けた。

 

「ねえ、“あのとき”、わたしが言ったこと、覚えてる?」

 

——あのとき?

 

心の奥に、何かがひとつ、ふと浮かび上がる。

 

こいしは、笑みをほんの少しだけやわらげた。

まるで、誰にも見せない秘密を打ち明けるように。

 

「言ったのは、たったひとことだけだったんだよ。

“お姉ちゃんが、待ってるよ”って」

 

——その言葉が。

 

何よりも深く、

何よりも温かく、

暗闇の中に光を灯した。

 

こいしは立ち上がると、ぽん、と私の足元を軽く叩いた。

 

「それだけで、ちゃんと帰ってこられた。すごいでしょ、あなたの心」

 

彼女の目は笑っていた。

けれど、その奥には、どこか誇らしげな光があった。

 

私は再び視線を戻す。

さとりは、まだ私にすがったまま、泣き止んでいなかった。

けれど、もうその涙は、絶望の涙ではなかった。

 

私は、ゆっくりと額を寄せる。

彼女の耳元で、ただ一言だけ、囁いた。

 

「……もう、ひとりじゃないよ」

 

その声に、さとりの背が小さく震えた。

そして、ようやく——

 

「……ええ……ええ……!」

 

私の胸に顔を埋めたまま、彼女は、

嬉しさと後悔と、安堵と愛情とを、ぐしゃぐしゃに混ぜた声で泣き続けた。

 

どれほどの時間が経ったのか分からない。

 

ただ、確かに——

私たちは、いまこの場所で、生きていた。

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