※この作品はR-18です。

読まれる日常   作:昼間寝音

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こたえのかたち
【第8頁:猫たちは、見ていた】


地霊殿、食卓。

朝食の湯気がまだ部屋の片隅に漂っていた頃。

対面に座るさとりが、ふと唇だけで微笑んだ。

 

「今日は、庭が明るいわ。紫陽花もきっと、きれいに咲いてる」

 

一瞬、意味を測りかねて視線を上げる。

“庭が明るい”——?

 

「ええ。幻想郷の地底では、天気も季節も……“あるべき形”で、やって来るの。空がなくても、太陽が届かなくても」

 

不思議だった。けれど、それを否定するだけの現実感が、今の私にはもうなかった。

 

「よかったら、一緒に行きましょう。猫たちも、今日は活発みたい」

 

その言葉が胸に落ちたとき、私はすでに、椅子の背に寄りかかっていた上体をそっと起こしていた。

 

——この幻想郷には、私の知らない“日常”が、いくつも息づいている。

それらをひとつずつ拾い上げていくことが、今の私にできる唯一のことのように思えた。

 

 

 

靴音が、しっとりとした石畳に吸い込まれていく。

地霊殿の庭は、空がないというのに不思議な光に満ちていた。

遥か高い岩の天井の向こうから、柔らかな明かりが滲み出している。

それは確かに“朝”だと感じさせる色合いを帯びていた。

 

そんな光を受けて、紫陽花の青とも紫とも形容しがたい花弁が輝いている。

数、密度、気配。どれもが夢のようだった。

まるで朝露を透かした硝子細工のように、儚く、しかしどこまでも強かに咲き誇っていた。

 

その中に、いた。猫たちが。

 

さとりの言葉通り、今日は“活発”らしかった。

それぞれが思い思いの姿勢で、紫陽花の間を歩き、寝転び、あるいはじっと此方を見ていた。

 

——試すような、視線を感じる。

 

鋭い目の猫。

興味を隠そうともしない猫。

茂みの奥から、じっと見つめるだけの猫。

 

動けば逃げそうで、私は中途半端な姿勢のまま立ち尽くした。

 

そのときだった。

 

猫たちの奥、群れの向こうから、足音が近づいてくる。

 

音は軽いのに、気配は大きい。

猫のようで、人のようで、どちらでもない。

 

目を向けると、そこに現れたのはひとりの少女だった。

 

黒いゴスロリ風のワンピース。朱の三つ編み。細い足。猫耳と二又の尾。

——思い出す。さとりが話していた、“猫であり、火車の妖怪”。

名前は、火焔猫燐(かえんびょうりん)。

お燐、と呼ばれている、と。

 

「……ふうん。あんたが、ミオってやつ?」

 

最初にそう言った彼女の声は、明るさと鋭さが同居していた。目は笑っていなかった。

だが、それは敵意ではない。何かを見極めようとする、野生の好奇心の色だった。

 

「さとり様から話は聞いてたよ。名前をもらった人間がいるってさ」

 

彼女は私の間近まで歩み寄り、まっすぐに見つめてくる。

猫のように、目をそらさず。

 

「人間って、ふつうはさとり様のことを怖がるんだけど。

……あんた、なんで平気そうな顔してんの?」

 

紫陽花も、猫たちも、その瞬間だけ息を呑んだようであった。

 

問いに、戸惑いはなかった。

ただ、自然に答えが口をついて出た。

 

「なぜ、怖がる必要があるんですか?」

 

彼女の目が、ぱちくりと瞬いた。

狐につままれたような顔。その中に、確かに、面白がっている気配がある。

 

「……あんた、変わってるね」

 

くるりと踵を返し、二又の尻尾を高く掲げる。

 

「じゃあ、あんたはあたいらの仲間ってことでいいや」

 

彼女は庭全体に向かって呼びかける。

 

「みんなー。怖がらなくていいってさー」

 

次の瞬間、庭の空気がふっと緩んだ。

緊張の糸が解け、猫たちの動きが賑やかに、自由に戻っていく。

一匹、また一匹と、慎重に、それでいて興味深そうに私の周囲へ集まってくる。

 

誰も、警戒していない。

むしろ、まるで遊び場を見つけた子どものような顔つきで、猫たちは身を寄せてくる。

すり寄り、じゃれつき、手のひらをぺろりと舐め、足元でくるくると円を描く。

 

私は、知らないうちに笑っていた。

 

——“仲間”だなんて、いつ以来だっただろう。

 

ふと、私は近くの石へ腰を下ろす。

その膝の上に、ほとんど音もなく、一匹の黒猫が飛び乗ってきた。

 

艶やかな漆黒の毛並み。

深い琥珀色の瞳。

 

背後から、微かな驚きの声が聞こえた。

 

「……えっ?」

 

「うっそ、あいつが……?」

 

振り返ると、さとりとお燐が、並んで立っていた。

二人とも、視線を私の膝元に釘づけにしている。

 

「……あの子、わたしにも懐かなかったのに」

 

「こっちから近づくと、すぐ逃げてたんだよね……」

 

黒猫は何も言わず、ただ静かに、私の上に身を預けていた。

それはまるで、“ここが定位置”だとでも言うように。

 

ゆっくりとその背を撫でる。毛並みは、驚くほど柔らかかった。

 

そのとき、不思議な感覚が心を掠めた。

 

——もう、大丈夫だよ。

 

声ではない。思念でもない。ただ、確かにそう“感じた”。

 

私は、そっと目を細めた。

 

花々のゆれる、地底の庭園の中で。

 

“ここにいていい”という許しを、得た気がした。

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