東方二次創作劇場「月と太陽」 - 月の章 - 作:俄かさん。
空が白み始めるにつれ「望月」が地平線の彼方へと没していく。すなわちそれは「夜の終わり」。
そしてそれと入れ替わるように昇りゆく「太陽」。すなわちそれは「朝の始まり」。
宵闇は眩い陽光にすべからく打ち払われ、それを合図に眠りから覚めた鳥たちが囀りとともに一斉に羽ばたく。
そう、「また」幻想郷に朝が訪れる。
次第に明るくなっていく中でその全貌が露わになるかつて栄華を誇った広大なる永遠亭、その「夢の跡」。
その屋敷も永夜の後には見るも無残に荒れ果て、今はその当時の名残すら生い茂る蔦に覆い隠されようとしていた。
やがてそれなりの歳月が流れてしまえば、そこもまた土に還っていくのだろう。
異変の終息とともに屋敷内に侍らせていた数多のモブ兎たちも夢幻のように掻き消えた今、この屋敷の住人は奇跡的に損壊を免れた離れにある小さな薬局を「改築」することでそこを新たな住まいとしていた。
「……ん」
薬局の待合室のベンチで今の今まで死んだように眠っていた妹紅は、どこかしらから聞こえる衣擦れの音で目を覚ました。
うっすらと目を開ければ、その先に見える長身の女の裸身。その背丈は、妹紅とほぼ同じくらい。
その女は妹紅に背を向けるかたちで、やたらと丈の合わない着衣を脱ぎ捨てている最中であった。
すらりと伸びた手足。まろみを帯びた尻部。ほどよくくびれた腰。均整の取れたその肢体。
そして、腰辺りまで伸ばした青いメッシュの混ざった長い銀の後ろ髪の隙間から覗くその後ろ姿には、まるで太陽にでも焼かれたような見るも無残な火傷の跡が背中のみならず、首やら腰やら手足やら、そこかしこにもくっきりと刻まれている。
ややあって女は傍らに広げた風呂敷からショーツを取り出し、それを履き終えたところで思い出したようにゆっくりと肩越しに妹紅の方へと振り返る。その女と目線が重なった瞬間、「いつのまにかかけられていた」毛布を払いのけ、妹紅は弾かれたように跳ね起きる。
「慧音、おまえ」
「ああ、妹紅。すまない、起こしてしまったようだな。けれど、そのついでといってはアレなんだが、軟膏塗りと包帯巻きをしてくれないか?いつもはてゐにやってもらってるんだが、今日に限っては揺すっても蹴ってもどうにもこうにも起きてくれなくてね」
ひどく手負いの女。それでも治りかけてはいるが、さすがに完治とまでは言い難い。
そんな女の無残なありさまを前にただ呆然とする妹紅に、慧音と呼ばれたその女は困ったような笑みを浮かべながら隅っこの方で小さく丸まって眠っている地兎の少女を指し示す。それからやおらその傍らへと背を向けて腰下ろしがてら、後ろ手に軟膏と包帯を妹紅へと投げ寄こす。
「どうした、早くやってくれんと困るな。いくらわたしでも露出狂の性癖があるわけでもなし、それなりの羞恥だってある。おまけに今日は『平日』だ。これから家に帰って支度をせにゃならん」
「ほれ、どうしたやるのかやらんのか?」と今にもキレそうなその圧に圧され、渋々と妹紅は受け取った軟膏と包帯に手を伸ばす。かくて、その処置が始まる。治りかけとはいえ、それでも未だ軟膏が傷口に沁みるのか、時折慧音は軽く眉を潜めてみせた。
そうしていよいよ包帯巻きに差し掛かろうとしたところで、妹紅はその手を止めて小刻みに肩を震わせ始める。
「……おまえ、どうしてずっと『隠してた』んだよ?」
いつの間にか泣いていた妹紅。その泣き顔を静かに肩越しに眺め、慧音は小さく息をつく。
「それは曲がりなりにもわたしも女だからってところだろう。自分にとっての『いちばんの相手』にこんな格好を見せたくない、そんな羞恥を覚える程度の情念はあるってとこか。まぁ、それより」
「『此れ』はお前のせいじゃないぞ。此れはあのとき、わたしが『勝手に』お前の前に飛び出してできたものだからな」
「あのとき?……まさか」
慧音の告白を聞くと同時に、妹紅は「あの間際」を鮮明に思い出す。
「二人の魔法使い」から放たれる持てる魔力全てを籠めた渾身の「魔閃光」。
その凄まじい奔流に今にも吞まれようとしたその刹那、横合いから目の前へと勢いよく飛び込んできた「小さな影」。
それを目の当たりにしながら不覚にもそこで意識を途絶し、再び目覚めるころには、もうその影の主の姿はどこにも見当たらなかった。
「やはり、あれはおまえだったのか」
「まぁ、そうなる。少し、詳しく話してやろうか」
はっきりと当時の状況を思い出した様子の妹紅を横目に眺めつつ、緩やかに腕を組む慧音。
「……あのとき、わたしは不覚にも出遅れていてな。現場にようやく着くころには、もうお前があの二人とやり合ってる最中だった」
それからそれなりの沈黙の後、慧音は軽い瞬きを繰り返しながらその当時の状況を補足するように語り始める。
その話の内容が詳しくなるにつれ、妹紅の頭の中でバラバラのままだったピースがここでようやくきれいに纏まっていく。
慧音は続ける。
「そこからどう切り込んでいいか分からずに狼狽えてたところで、いつものお前のなりふり構わない無茶苦茶な闘いっぷりを見ていたら、この上なくたまらなくなってな。それで、どうも『夜』のわたしは『昼』のわたしと違って、人としての知性が働くよりも先に、その場その場の感情の振れ幅だけで身体が勝手に動いてしまうようでな、それで結果的にこうなっただけだ。……したがって、此れはわたしのそんな『悪癖』が招いた相応の『結果』。だから妹紅、お前のせいではない」
その話の括りにぴっと人差し指を一つ立ててニッと笑う慧音。それからまた「さっさとやれ」と妹紅をけしかける。そこから再開される処置。包帯もしっかりと巻き付かれるころには、慧音もようやく普段通りの落ち着きを取り戻していた。
ただ、妹紅に限っては未だそれでも納得いかず、涙をそれ以上見せないまでもその表情は複雑そのものといった感じだろう。
そんな妹紅の心象を察してか、「そうだな」と一呼吸を置いてからまた語り始める。
「妹紅、お前が『薬師のおこぼれ』でそんな身体になった経緯については悪いが、それほど興味はない。どうせお前のことだ、その場の軽い気持ちでそいつを飲んじまったんだろ。まあ、それもどうでもいい。問題なのはそれ以降のお前の『素行』。狂気かつ狂楽じみたお前の凶行をいやでも見て居なくてはならない、その場にいた者の心象というのをお前は少しばかり考えたことはあったのか?」
「……ああ、そいつは」
「ないよな。でなきゃ、『何やっても死なない』ことをいいことに、ほぼ日常的に服毒・焼身・入水・リストカットを繰り返し、挙句の果てにいざ闘いの場においては嬉々としたる被弾上等のノーガード戦法。そんなのしょっちゅう目の当たりにしてたら、いくらわたしでも平静ではいられん」
そこから立ち上がり、慧音はいつもの『仕事着』に袖を通していく。
きっちり身なりを整えたところで、改めて妹紅へと向き直り、腰を屈めてその細顎をしゃくり上げる。
「こんなわたしのありさまを見て、そんなお前でももしほんのちょっぴりでも『自省』の念が湧くのならもう少し『自愛』してくれ。でなきゃ、他の誰よりもお前のことを『いちばん』だと思い、その傍らに末永く居たいと願う、そんなわたしの思いすら無駄になってしまう」
「わたしはお前と違って『不死ではない』んだ。そんなわたしの気持ちを踏みにじらないでくれ」
「お、あ、……け、慧音?」
そんな思い切っての告白ついでにそのまま甘いキスにでも雪崩れ込んでいくかと思いきや、「ビシッ」と慧音は容赦なく妹紅の額にデコピンをお見舞いする。たまらず悶絶する妹紅。「ハハッざまあないな」と悪女の笑みをする照れ顔の慧音。
「さて、可愛い可愛い教え子どもも待ってるころだし、そろそろ行かないとな。ああ、妹紅はそのまま休んでろ。……それに『今回の案件』、お前の双肩ひとつにまるまる全部背負いこませるつもりはない」
「いや、おまえの方こそ、ここ最近はまともに寝てないだろ?むしろおまえの方が……」
「なんども言わせるな。それに対してどう対処すべきかの一計は案じてある、ただ」
出入り口に向かいがてら、慧音は壁のフックにかけてあった教帽を手に取りつつ重い嘆息を漏らす。
「博麗の巫女はアテにはならん。あの夜で確信した。故に、この案件に関わるのはわたしとそれ以外の面子ということになる。ただ、誰よりも平穏を望む輝夜や永琳は除外してな」
「なら、アタシも」
「おまえは『ここに居ろ』。そしてこの永遠亭のやつらを護ってやれ。ここもまかり間違って『二度目の戦場』になるやもしれんしな」
「だからといって無茶な真似はするなよ?」と釘を刺しがてら、じゃあ行って来ると軽く手を振り慧音はそのまま外へと出ていく。
遠ざかる彼女の後ろ姿を目の当たりにしながら、妹紅はただ悔しげに壁をその拳で殴りつける。
そんな二人のやり取りをこっそりと片耳を立てて聞いていたてゐは、片目だけを開けて「やれやれ」とまたその目を閉じるのだった。