東方二次創作劇場「月と太陽」 - 月の章 - 作:俄かさん。
「……そう、それは一大事ね。だとしたら、一刻も争う。今すぐにでも出かけないとね」
社務所にある狭い寝室。
昼間とはうって変わり、床一面に散りばめられていた書物やそれまで敷かれていた布団さえも整然と片付けられたそこで、行燈の揺らめく朧げな灯りの中で霊夢は寝間着姿そのままに座布団の上に正座をしたまま、神妙な面持ちで一同を前に告げる。
息を切らして博麗神社に駆け込んできた「餡蜜堂」の丁稚から告げられた事案は、普段ものぐさな霊夢すらそう即座に決断をさせるほどに可及的速やかな対応を迫られる内容であった。
「おハナちゃん、だっけ?どうしてその子はよりにもよって、一人でほいほい『迷いの竹林』に行っちゃったのぜ?」
「ああ、魔理沙。それはね、きっと、わたしのせいね。いいえ、絶対に、そう」
行儀よく正座を保つ霊夢とは対照的に、行儀悪く座布団の上で胡坐を掻く魔理沙はそんな素朴な疑問を口にする。それに対し、霊夢はほんの少しばかり表情を曇らせながらしおらしげに答える。
「あ、おまえのせい?……いったい、何をやらかしたのぜ?」
そこからの更なる追及に霊夢は力なく項垂れ、幾何かの躊躇いの後で静かに訥々とまた語りだす。
その様子は、普段の博麗の巫女とはまるで別人かと疑いたくなるものだ。
「ハナちゃんのおかあさん、あのお店の若旦那の奥さんだけど、ここ最近ずっと床に臥せててあんまり具合がよくないの」
「お、おう、今のおまえみたいな感じか?そりゃ、大変そうだぜ」
「わたしなんかより重症よ。四六時中咳き込んで普通に立って歩くのも辛いくらい。おまけにお医者さんに診てもらっても皆目見当つかずでしまいには匙を投げられる始末よ」
「そうなのぜ?……あ、あァ、だからか」
魔理沙はここでさっきまで散らかってた数多の書物を思い出す。
そういえば、それらの書物のタイトルもやたらと「薬」の字が並んでたような気がしないでもない。
漢書は専門外の魔理沙でも、その一文字が意味するものが何なのかはそれとなく承知していた。
それから魔理沙は、精も根も尽き果てた男童を甲斐甲斐しく膝枕をする紫と、それに寄り添うにして座する霖之助をちらりと一瞥し、居直り気味に腕を組みながら改めて依然としおれっぱなしの霊夢へと向き直る。
「おまえ、その流れでまさかとは思うが、あそこの『薬師』のコトを口にしたんじゃないだろうな。……だとしたら、迂闊だぜ」
魔理沙のその一言でわずかながらその場の雰囲気が凍り付く。
霊夢はその問いかけに答える代わり、伏目がちにただ小さく頷いた。
「迷いの竹林」の奥深くに構える「永遠亭」。
そしてそこに住まう「月からの姫君」とその姫君に仕える「億の齢を重ねし薬師」。
そんな彼らが引き起こした「永夜異変」。
それはこれまでの異変とは違い、危うく月と幻想郷の全面戦争に発展しかねないほどの重大事案でもあった。
そしてその異変は収束こそはしたものの、その面々とは和解すら成立せず、今尚も予断を許せぬ状況が続いている。
「……ええ、だから尚更、行かなくちゃいけない。自分で出したツケは自分で払わないと」
「だけど、キミの方は大丈夫なのかい?……まだ良くはないんだろ?魔理沙に代わりに行ってもらった方が」
一様に押し黙る一同を横目に、霊夢は心持ちよろけるようにしながらも静かに立ち上がる。
そんな霊夢の様子を見かねた霖之助の提案を、霊夢は頑なに首を左右に振った。
こうまで来ると腐れ縁である魔理沙ですら、そしてここに居る誰も彼も彼女を止めることはできない。
迂闊だったのはこっちだったか、と結果論ではあるが間接的に霊夢を追い詰めてしまった魔理沙は、膝の上の三角帽子をぎゅっときつく握り締めた。
「なぁ、霊夢。せめてあたしも一緒に行かせておくれよ。今のおまえを見てるとどうしても放っておけねぇ」
「気持ちはありがたいけど、二人して『空でも飛んで』永遠亭に行くつもり?あの異変のときだって、どこからともなくわいてきた白い霧に巻き込まれて落っことされたでしょ?」
「あ、ああ、そうだったな。……あの時はほんと災難だったぜ。だけど、だけどなのぜ」
「それに今回に限っては、こういった最悪の事態に備えてちゃんと対策もしてある。だから、わたし一人でも大丈夫よ。と、いうより、むしろその方が都合がいい」
「へ、へぇ?それはいつも行き当たりばったりのおまえにしちゃ、ずいぶんとえらく準備がいい。だ、だけど」
それでも引くに引けず尚も食い下がる魔理沙の頭を、霊夢はぽんぽんと優しく撫で上げる。
それから一同がここに集う辺りから、ずっと不自然に指一本くらい開いた襖の隙間からこちらを覗き込んでいた鬼へと一瞥を投げかけた。
「萃香。ご飯は炊けてるでしょ?すぐにおにぎり三つとたくあん三切れ包んで頂戴?それと水筒も用意して!」
「お、応、承知っ!」
それまでのしおらしい様子から一変して普段通り博麗の巫女の強い言圧に圧された萃香は、ぴしゃんっと襖を閉めてから慌ててドタバタと炊事場の方へと駆け出していく。
かくいうこの萃香もかつて「三日置き百鬼夜行」を引き起こした元凶、つまりは「前科持ち」だ。
その異変の折に博麗の巫女にこっびどく懲らしめられて以来、なんだかんだでこの神社にそのまま居ついてるのだ。
そんな今や『博麗の巫女のパシリ』に成り下がった鬼の慌ただしい足音が遠ざかっていくのを耳にしながら、霊夢は寝間着の帯を解こうとして、はたと未だにこの場に留まり続ける面々の存在に気付き、思わずぼっと顔を赤くさせた。
「ちょ、ちょっと。いくらなんでも人前で着替える趣味はないわよっ。いい加減察して!!」
その叫びに一同ははっと我に返り、いそいそと立ち上がる。
これには空気の読めるはずの霖之助でさえ、「あぁ、しまった」と額に手をあてさせる始末だ。
「てか、霖之助や紫はともかく、あたしは『おまえの裸なんて見慣れてる』だろ。なにせいっしょにお風呂に……」
「……っ、魔理沙(ジロッ)」
「お、おう、そんな汚物を見るような目で睨みつけてくんなよ、分かった、分かったのぜ」
「あらあら、魔理沙ちゃんと霊夢は相変わらず仲睦まじいのね。……お風呂のことについてちょっと詳しく話を聞かせてもらってもいいかしらぁ?(耳ぎゅむっ)」
「あいだだだっ、紫、ゆかりっ!そんなに強く耳っ!引っ張るんじゃないのぜっ、耳伸びて兎耳になっちまうっ!!」
紫の膝枕のおかげでいくらか回復した男童を伴い、騒々しく襖を開けて寝室から出て行こうとする一同。
その間際にゆっくりと霖之助は振り返る。
「……霊夢。キミ一人で行くのは構わないけど、せめて見送りだけはさせてほしい。それと、キミの帰りをみんなで待ってるから」
「ありがとう、霖之助。大丈夫、ちゃんとハナちゃんを連れてここに帰ってくるから」
「うん、分かった。じゃあ、外でみんなと待ってるよ」
静かに襖を閉め切って今度こそ遠ざかる一同の足音を耳にし、ようやく一人になった寝室で霊夢は小さく息をつく。
そこから思い直したように霊夢は静かに寝間着を脱ぎ、いつもの衣装へと着替えていった。
……それから。
「それじゃ、行って来るわね。魔理沙はその子をちゃんとお店の方まで送り届けて頂戴?」
「おう、任せろだぜ?それとあの薬師の話術にゃ惑わされんなよ?おまえはバカだからそれだけが心配だ」
「なによ、もう?それこそ大きなお・せ・わ!さ、行った行った!」
「お、おう、それじゃ、な。じゃ、ちょっくら行って来るのぜ!」
愛用の箒に跨り、男童をその後ろに相乗りさせて魔理沙は「魔法使いらしく」ふわりと夜空へと舞い上がって人里の方へと飛んでいく。
その姿を見送ってから、「さてと」と霊夢は改めて紫と霖之助の方へと向き直る。
そんな彼女の出で立ちは普段の衣装に加え、「香霖堂」御用達の赤い肩下げカバンを装備して、ちょっとした遠足に行くような格好になっていた。
その微笑ましい格好にふんわりと笑みつつ、紫は腰をやおら屈めてぽむぽむと霊夢の頭を優しく撫でやる。
「気を付けていくのよ。それとくれぐれも、ドブ池の水を飲んだり道端の雑草なんて食べないでね?……お腹壊すわよ?」
「う、うるさいわね。今回ばかりはそんなヘマはやらかさいわよ。大人しく『おばさん』はお留守番しててっ!」
「お、おばさんっ……(ぴしぃっ)」
「おっと、二人とも。とにもかくも霊夢は気を付けてね。それとさっき話したけれど、キミの帰りを待ってるからね」
「おばさん」という呪いの言葉でピシっと石化した紫を慌てて背後から抱き支えながら、そこですかさずフォローを入れる霖之助。
そんな二人の様子をくすっと小さく笑いながら眺めてから、二人に背を向けてひらひらと左手を振りがてら鳥居を潜り、長い石段をゆっくりと下りていく。
徐々に小さくなる博麗の巫女の後姿を静かに見守っていた二人は、そこで初めて「妙な違和感」に気付いた。
「……やれやれ、これは長引きそうね。流石に私はもう眠いから、奥で眠るわ。何かあったら起こしてね、霖之助さん?」
「ああ、分かった。……そうするよ」
ふわあぁと生欠伸を噛み殺しながらとぼとぼと本殿の方へと歩いていく紫を、神妙な面持ちで見送る霖之助だった。
そして。
「……いいね。今宵は満月。こいつを肴に久々に呑む酒ァ、また格別なモンだぜ」
見事なまでの満月が映える夜の帳の中で、本殿の屋根の上に仰向けに寝転がりながら、萃香は博麗の巫女からようやく返してもらった愛用の瓢箪で月見酒を独り嗜んでいた。
その瓢箪から湧き出る美酒は、枯れることなく彼女が望む時にその喉を潤してくれる。
「しかしま。ニンゲンとは訳が分からんね。どいつもこいつも腹の足しにもなんねぇ『人情』とやらに駆られて右往左往してやがる。そいつに駆られるあまり、おっ死ぬマヌケも居るのになぁ。ま、だからこそ『見てて飽きねぇんだが』」
じゃらりと鈍い鎖の音色を奏でつつ、くぃっと口元を左腕で拭ってからやおら萃香は起き上がり、忌々しそうに下界を睥睨する。
「な。星なんてお空で輝いてるもんだろ?んで、なンで地上に。しかも人里にこんなにその煌めきが集まってんだ?」
気にくわねぇ。……嗚呼、気にくわねぇ。
今尚も煌々と煌めく人里界隈を睨みながら、萃香はただ憎々し気にギリギリと歯ぎしりをしていく。
その形相はまさしく、本来の鬼そのものであった……。