オリシューとISヒロイン(ry 作:user
「素晴らしい!」
これでいいですか、と渡されたファイルに目を通し、リーシュは感嘆の声を上げた。
控えめに控えめな応えだったので、もしかしたら本当に大雑把なデータが残っているだけなのかも知れない、そうも思っていた。
答えは想像以上だった。
各作業に掛けた実時間は元より、参考にしたテキスト、それらの難易度、現在の作業で詰まっている部分まで、事細かに記されている。
確かに、本人が言うように躓いている部分があるようだが、当の本人がこうまで客観的な所見を出せるとは、リーシュの想像以上の何物でもなかった。
まさに、国家代表候補生の肩書きに相応しい。
「そんなに大したものじゃないと思うんですけど……」
「とんでもない! パーフェクトなレポートだよ、簪さん」
恥ずかしそうに顔を伏せる簪に、リーシュは絶賛の言葉を送っている。
先の依頼から数日。
リーシュの包帯はようやく外れ、同じ場所の同じ時間に簪を訪れていた。
聞けば、当日の夜にはデータをまとめあげ、見せられる形になっていたらしい。
リーシュに連絡をしなかったのは、呼び出していいものかどうか悩んでいたとか。
もっと早くに連絡をすればよかったか、とリーシュは反省しながらレポートに目を落とす。
リーシュが考えるISの最大の特性とは、エネルギーの高効率変換と、直感的な操作を許す操作性だ。
操作性は従来の兵器の追随を許さない。起動したからとりあえず動かしてみろ、で戦闘機は飛ばない。
兵器に利用されるわけだ、と歯噛みするが、今考えるのはそちらではない。
生産コストだ。
各パーツが要求する精度は、可能な限りの最高レベル。ハードにおいては他と極端な差はないだろう。
問題はソフトだ。
簪が如何に秀でていようと、戦闘機を一から組み上げろと言われても無理ではないだろうか。必要とする知識が多すぎる。思いつくだけでも、燃焼・流体・航空などなど。机上だけでは済まされない実験も必要となる。
ISはそれすら許す。
代表するのがPICだ。ISのコアが、慣性の制御に必要な計算をある程度肩代わりする。
簪のレポートを読み進め、完成までに要する時間を計算する。
一人で組み上げていることも考慮すると、やはり相当な短時間で製作者のトレーニングと、ISの組み上げが完了することになるだろう。
ただし、わからない用語も多いので憶測に過ぎない。
PICなどの基礎的な用語はわかっても、その一段奥のものになるとさっぱりわからない。想像もつかない。正確には、想像はできても、それが正解とはかけ離れたものであることが多い。専門用語は異界の言葉なのだ。
いずれにせよ、簪のレポートが期待を越えた素晴らしいものであるには間違いない。
「是非にもお礼をさせて欲しい」
「いえ、そんな……お礼なんて要りません」
簪の本心だった。
空いた時間に作ったこんなレポートで、と卑下する向きもあるが、それ以上に得るものが多かったのだ。
どこで詰まっているのか。どこに時間を掛けてしまったのか。振り返ると、ああすればよかった、こうすればよかった、と思う点が多かった。
現在躓いている部分も、上手く行きそうな気がする。
一点だけを見詰めないで、全体を俯瞰すればこんなにも見えるものが多くなるのか。
もしかして、自分にそれを教えたいがために、こんな依頼をしたのではないか。
簪がそうと邪推するほど、得るものが多かったのだ。
「そういうわけにはいかないよ。お礼をすると言った以上、させて欲しい。簪さんは俺を嘘つきにしたいわけじゃないだろう?」
以前は食事に誘った。だが、このレポートに食事では釣り合わない。
「クルージングはどうかな? 空と海だけを眺めながら時を過ごすのはつまらないようだけど、心洗われるものがあるよ」
その場合、どこにも逃げ場のない海の上で二人きりになる。
「そんな! ダメです!」
脊髄反射の速度で却下された。
リーシュの下心を嗅ぎ取ったわけではなく、自分なんかと、と気後れしてしまったのもあるし、学生なのにクルージングなんて、と引いてしまったのもある。
リーシュに引き下がる様子がないのを察すると、簪はおずおずと提案した。
「リーシュさんの専用機を見せてもらえませんか? この子の参考になるかも知れませんし……」
「うっ……」
「あ! ダメならいいんです。ごめんなさい…………」
呻き、顔色を変えたリーシュに、簪は反射的に謝っていた。
「いや…………、ダメと言うことはないんだ。気を遣わせてしまってすまない。ただ、俺の専用機は手元にないんだ。後日、と言うことになってしまうが構わないかな?」
「あの……、無理しなくて、いいです…………。……あれ? 専用機なのに携帯してないんですか?」
「織斑先生に預けてある。授業やデータ測定の時は返してもらうけどね」
「……………………?」
簪は、リーシュの専用機の仕様を知らない。
リーシュの専用機がデータ収集に特化していることは既に述べた。
血圧・脈拍・体温などのバイタルサインは他のISも測定している。搭乗者の視界や、コアネットワークを通した通信のログなども他と同様だ。
リーシュの専用機は更に先がある。
搭乗者の視界の記録と同時に、搭乗者の眼球の運動をトレースする。
血圧・脈拍、更に血流を測定し、どの部分へどれだけの血が流れているかを把握する。
肌表面の電位差測定はISの操作に必要となるが、こちらは体内の神経線維を流れる微弱な電流すら測定する。
呼気・吸気すら感知し、それらの酸素濃度、酸素消費量を算出する。
更には脳内のどの分野が活発になっているかまで測定してしまう。
それらをまとめると。
わかる人が見てしまうと。
リーシュが何を見て、何に注目して、体がどう反応し、どのようなことを考えたかまでが、一定以上の精度で推測出来てしまうのだ。
加えて性質が悪いことに、待機形態が金色のリングだ。
銀色のリーシュに映えるよう、金であるらしい。
どういうわけか、左手の薬指にしか嵌らない。他の指に嵌めても抜けてしまったり、そもそも入らなかったり。起動することも出来ない。
一度嵌めたら二度と抜けないのでは、とリーシュは真剣に悩んだが、その苦悩を共有してくれる者は一人もいなかった。
更にその上、リングの内側にコード化されたメッセージを見つけた時、反射的に海に投げ捨てようとして周囲から必死で止められた。
こんな狂気的な代物が、ISの起動実験から数日で用意出来るわけがない。
誰の仕業か考えるまでもなかった。
「専用機を見せるのは全く構わないよ。けれど、残念ながら俺のISはデータ収集専門で、武装が一つもないんだ。簪さんの開発には、先ず役に立たないと思う。だから、他に何かないかな?」
「いえ、そんな…………」
「そんな、はこちらのセリフだよ。簪さんが欲しいと思ってる水準を明らかに満たせていないんだ。そんなのを対価にしたら、俺は詐欺師になってしまうよ」
価値が見合うかどうかは人が決める。等価交換などこの世に存在しない。価値は人が決めるのだ。
だが、対価として支払うものが、相手の要求を明らかに満たせない場合は別だ。
それは詐欺であり、唾棄すべき悪徳だ。
たとえ一時は栄えても、長い目で見れば必ず駆逐される。
そして、悪徳は甘いのだ。美徳を麻痺させる麻薬を孕んでいる。
ビジネスマンとして、商人として、人間として、リーシュは絶対に手を出すわけにいかなかった。
「それじゃあ、……ですね」
リーシュの言葉が伝わったのか、簪はちらちらとリーシュの顔を見て言いよどむ。
床と、リーシュの顔とで視線を往復させ、繰り返すたびに頬が染まっていく。
姉と同じく、簪の肌も白い。
赤くなっていくのがよくわかってしまう。
「キス、してくれませんか?」
本気で言っているわけではなく、悪戯心だった。誰への悪戯かはわからない。
先日から今日までの間、姉と話す機会があった。
リーシュと会ったことは匂わせず、それとなく名前を出してみた。
『あの男に近づいちゃダメ。簪ちゃんは近づいちゃダメ。絶対に近づいちゃダメ』
よほど大事なことなのか、三回も繰り返された。
従者は、優しい人、と言っていた。
きっと、姉も、従者も、好きな人。
スイスまで追いかけるほど好きな人。
困らせてやろうと思った。誰を困らせたいのかはわからない。
でも、簪の悪戯心はそこまでだった。
すぐに、冗談です、と言おうとしたところ、リーシュは簪の前に片膝を突き、恭しく簪の手をとった。
頭を伏せ、そっと手の甲に口付けする。
「いかがでしょう、プリンセス?」
「………………」
簪と、簪の前で跪くリーシュ。
見下ろす簪と、見上げるリーシュの目が合った。
簪は、リーシュの手を振り払うように、自分の手を胸に抱いた。
簪は見た目に違わず、文学少女然とした一面がある。アニメを始めとした物語の世界へ憧れがある。
物語の騎士が、お姫様へ敬愛のキスをする。まさに、それそのもののシーン。
リーシュのキスは、簪の乙女心を大いに満たし、女心をチクリと刺した。
今のはキスはキスでも、キスと言うのはキスなのだ。
簪が言ったキスとは、つまりキスなのだから。
「…………わたしとキスなんて、……イヤですよね………………」
「それこそまさか、だよ。簪さんみたいに可愛らしい女の子からキスをねだられるなんて、男として最上の喜びの一つだね」
抱いて、と言われれば、喜んで、と返すリーシュだ。キスで戸惑うわけがない。
リーシュは立ち上がり、簪の肩に手を置いた。
いいの、とも、するよ、とも言わない。
目を閉じて、とだけ言った。
簪は、痛いほどきつく目を閉じた。
言ってしまった、やってしまった、流されてしまった、勢いで言っちゃった。
心中を怒涛の如く何かが荒れ狂い、唇に何かが触れた、ような気がした。
目を開けると、リーシュは簪から一歩離れている。
唇に手の平を当てて、じっとリーシュを見る。
心なしか、視線が厳しい。
「……………………今の。本当にキスしたんですか?」
当たり前のことだが、キスにレモンの味があるわけではない。効果音が鳴ることもなく、天使が降りて祝福のラッパを吹くこともない。
強く押し当てるなら別だが、触れるか触れないか程度の軽いキスなら、目を閉じていれば唇か指かを判断出来ない。
吐息が掛かるようなこともなかったことだし。
女心をどうこう言う以前に、なんだか疑わしいキスだった。
「うーん……、簪さんが思うようなキスっていうのはもしかして…………」
リーシュはそこで言葉を区切り、簪が引くつもりがないのを確認して言葉を続けた。
「俺の舌が簪さんの舌に触れたり、絡ませたり。俺の唾を簪さんに飲ませたり、逆に簪さんの唾を俺が飲み込んだり。唇からこぼれた唾液が、顎に伝って滴り落ちるようなキス、って言うことかな?」
簪の顔が、ポン、と染まった。
頬はもちろん、僅かに覗く耳まで真っ赤になっている。
「そ、……そそ…………!」
そこまでは、と続くと予測したリーシュは裏切られた。
「そう、です…………」
言い切った。
俯き、逆上せ、頭から湯気が出そうなほど赤くなり、言い切った。
引くに引けない女の意地があった。
簪は、女の意地すら固いようだった。
キスをしてしまっても問題ない。
むしろ引いてしまえば、簪のプライドを傷つける。
それを好しとするリーシュではない。
が。
意地の土台が見えていた。
固い意地であっても、支える土台が柔らかければ、脆くも崩れてしまう。
どうすべきかと考え、リーシュはふうと息を吐いた。
そして、言った。
「もし簪さんが楯無さんへの――」
「お姉ちゃんは関係ありません!!」
言葉を遮り、反射的に言い返していた。
朱を差していた頬からは血の気が引き、叫ぶように撥ね付けた。
簪は、言ってしまった、と思った。
見透かされた、と思った。
つまらない意地を張っている惨めな自分を見られた、と思った。
惨めで、情けなかった。
所詮自分は、だから自分は。
自分は、姉では、ない。
「もちろん楯無さんは関係ないよ。ここにいるのは、簪さんと俺なんだから」
リーシュは、簪の言葉をあっさりと肯定した。
簪が姉の楯無へ思うところがあるのはわかっていた。
高みにいる姉へ憧れ、爪先立って手を伸ばす。簪の向上心へ多くのエネルギーを注いでいる。
それと同時に、優秀な姉が蓋になっている。ガラスの天井となり、そこより先に上れない。
馬鹿馬鹿しい。
そんなつまらない事で才能の成長が遅れるなんて、リーシュには許せない。
荒療治になってしまうかも知れないが、可能な限り取り除くべきだ。
「姉と妹だから二人ともよく似てる。でもね、二人を間違えるほど俺の目は悪くないよ」
こんな目でも視力はいいんだ、と、気障に交互にウインクして見せた。
簪は、リーシュの言葉を半ば聞いていなかった。
姉は関係ない。
姉と自分を間違えたりしない。
当たり前のことだった。
姉と比べられてきた。劣っていると言われてきた。
自分は、姉ではない。姉ではない。
心の中で叫んできた。
当たり前のように、姉は関係ないと言った。
当たり前のように、姉と自分を間違えないと言った。
嬉しかったし、自分を見てくれるのが嬉しかったし。
自分の欲しかった言葉が、そんな当たり前すぎることだったのに気付いて、なんだかとても可笑しくなった。
簪は眼鏡を拭く振りをして、そっと目元を拭った。
気障なリーシュは、レポートに目を落としている。
「こんな素晴らしいレポートをもらったんだから、是非にもお礼をさせて欲しい。キスをねだられるのは嬉しいけど、楯無さんへの意地が入っていると、男としてちょっと寂しいんだよ。だから――」
「いえ」
もう何度目か。
簪はまたもリーシュの言葉を遮った。
「お姉ちゃんは関係ありません。わたしが、リーシュさんにキスして欲しいんです」
悪戯心があった。
姉の好きな人をとって、姉を困らせてやろうと思った。
いつも余裕綽々でいるあの姉が、慌てふためいている姿を見てやろうと、悪戯心が芽生えた。
自分は素敵な人と、好きになってしまいそうな人とキスが出来るし、キスをねだられるのは嬉しいと言ってくれたし、可愛らしいと言ってくれたし。
簪の頬は赤く染まっている。
不安も緊張も怯えもない。
目を潤ませて、じっとリーシュを見詰めている。
「…………映画で見るような激しい大人のキスを?」
「…………はい」
「……愛し合う恋人同士が互いを求め合うキスを?」
「……はい」
「君が欲しいと、訴えるようなキスを?」
「はい。……して欲しいです」
リーシュは簪の頬を両手で包み、上を向かせた。
「光栄だよ、簪さん」
リーシュは、ゆっくりと簪の顔へ近づいた。
簪は、今度は目を閉じなかった。