オリシューとISヒロイン(ry 作:user
リーシュはバスローブ姿で勉強していた。
箒の教育を忘れたわけではないが、誰に憚ることのない一人部屋なのである。人は、他者の目が無ければ際限なく堕落していくものなのだ。
勉強内容は一学期の復習。わざわざ、箒からノートを借りてと言う念の入れよう。
偏差値的な学力で言えば、世界有数の大学卒業程度を持ち合わせているリーシュである。授業内容は全て頭に入っている。にもかかわらず勉強をしているのは、一夏に教えるため、ではない。
織斑先生の無茶振りによるためである。
当然、抗議した。生徒である自分の仕事ではない、と。
織斑先生は淡々と答える。お前は半分生徒ではない、と。それに加え、リーシュをIS学園に受け入れる際、教職員達がどれほど苦労したかと語るのである。
リーシュの入学が決定したのは、入学式より僅かに五日前。その上、世界で五本の指に入る超重要人物である。実務はもとより、心労を想像するのも憚られた。
もちろん、リーシュの責任ではない。
が、表情を凍りつかせ、氷像のように笑う織斑先生へ、そんなことを言えるわけがなかった。
全てウサビッチが悪い。
こうして篠ノ之束は、自らの与り知らぬところで、リーシュからの恨みを重ねるのである。
ドアのノックに、リーシュは首を傾げた。
学園寮に入ってから長い。リーシュの部屋を訪れる者は決まっており、ノックの音で誰が訪れたかを判別できるようになっていた。
今の音は、リーシュの知らない音。
誰か、と考える間も、どうぞ、と応える間もなく、ロックが外されドアが開く。
ドアの向こうには、表情をなくし、白いナイトガウンを羽織ったセシリアが立っていた。
「……ミス……オルコット…………」
リーシュの声に、セシリアは応えない。
無言で室内へ足を踏み入れると、後ろ手にドアを閉め、改めてロックする。
「こんな時間にどうされました?」
やはり、セシリアは応えなかった。
表情を殺し、リーシュへ近付いてくる。
手を伸ばせば届く距離。
リーシュは、セシリアに気圧されるようにして立ち上がった。
ナイトガウンが床に落ちる。
咄嗟に目を反らした。
制止の声を上げる暇もなく、セシリアの柔らかな体がリーシュへぶつかり、首の後ろへ両腕を回され、二人の唇が重なろうとした寸前、
「どうして…………」
か細い声が漏れた。
「どうして……わたくしを………………、受け入れてくれないのですか………?」
か細い声は、皹が入ったかのようだった。
ドアを開き、リーシュの顔を見た瞬間、セシリアは早くも心が挫けそうだった。
リーシュは、眉根を顰めていた。
何故セシリアが、と、疑問に思う表情ではなかった。非難なのか拒否なのか、明らかに快く思っている表情ではなかった。
けれど、足を止めずに室内へ踏み入っていく。
リーシュの言葉は、いつものように紳士的だ。
本音と戯れている時とは違う。心無く、形式に沿っただけの受け答え。
色も味もない、表面だけを取り繕った言葉。
音楽的でさえあるリーシュの声が、心に皹を入れていく。
一歩近付くだけでさえ、セシリアは勇気を振り絞らなければならなかった。
全てをさらけ出し、リーシュへ縋りつき、想いを伝えようとした寸前、阻まれた。
リーシュの手が、セシリアの肩を押さえていた。
リーシュに、拒否された。
心が砕ける覚悟は出来ていた。
覚悟は出来ていても、実際に突きつけられるのでは全く違う。
生きていられるのが不思議なくらい、体が、心が、重い。
「ミスオルコット……、あなたの気持ちはとても嬉しい。だけども――」
「それ以上何も仰らないで…………」
「ミス…………あまり私を困らせないで欲しい」
「リーシュ様こそこれ以上わたくしを苦しめないで!」
セシリアは、表情を殺しきれなかった。悲痛に歪み、本音との約束は守れず涙が溢れた。
血を吐く様な叫びだった。
空気が重い。
リーシュが、セシリアの想いを気付かないわけがない。が、リーシュにはセシリアの想いに応えるつもりはなかった。
「ミスオルコット。あなたがとても素晴らしい女性だと言うことは、よく知っております。オルコット家の当主として勤めを果たし、その上、イギリスの代表候補とまでなられた。なによりも、あなたほど美しい女性を知らない。ですが…………」
「聞きたくありません!」
「あなたは私にとって、一人の女性である以前に大切な顧客なんです。どうか私を、顧客と関係を持つ不名誉な男にしないで欲しい」
ぬらり、と。
セシリアは笑った。
リーシュが背筋を粟立てるほど、暗い笑いだった。
「……やはり…………、そう……だったのですね………………」
全ては需要と供給だ。
性の売買は、人類で最も古い商売の一つ。リーシュはそれを否定しないし、コールガールを呼んだこともある。
相手次第では、自分が買われてもいいとさえ思っている。
が、それはそれ、これはこれだ。
リーシュの本業は投資家だ。
広くマネーを集め、適切に投資していく。
自身の仕事に自負がある。体を売って本業の顧客を集めるなど、そんなことをするくらいなら破滅したほうがましだとさえ思っている。
セシリアは、オルコット家は、リーシュにとって大口の顧客なのだ。
かつては父の銀行を経由して資金を提供され、今ではリーシュの会社へ直接投資されている。
顔も名前も知らない同士ならば良かった。
セシリアは、リーシュですら滅多にお目にかかれない豪奢な美人だ。むしろ、積極的にお近付きになりたい女性である。
しかし、互いに互いの立場を知っている。
セシリアと関係を持ち、関係を続けられないなら資金を引き上げると言われたら。
もちろん、セシリアがそんなことをする女性ではないと知っている。仮に引き上げられたところで、会社にはなんの痛みもない。
ただ、リーシュが自身へ敷いたルールへ引っかかるのだ。
何の痛痒もない小さな傷でも、いつかは膿み、肉を腐らせる。
人間は、心は、精神は、それほどまでに脆いのだから。
セシリアは、のろのろとリーシュから離れ、床に落としたガウンを拾った。
暗く笑っている。
声を掛けるべきか、止めるべきか。
何を止めるのか。
セシリアは、何をしようとしているのか。
リーシュは、嫌な予感が振り払えなかった。
セシリアは、ガウンのポケットから汎用の携帯端末を取り出した。
通話を始めとした、各種の機能を持ち合わせる情報端末。
リーシュに背を向け、操作をすると、再び向き直った。
セシリアは笑っていた。
暗く儚く、怯えた笑いだった。
「リーシュ様が……いけないんです。わたくしを、こんなにまで追い詰めるから…………」
「一体何を……?」
「チェルシーに…………、オルコット家の使用人に命じました。オルコット家の、資産を………………全て処分するように」
リーシュは椅子へ座り込んだ。
唖然、という他ない。
「馬鹿な事を…………」
「でも、これで、わたくしは、リーシュ様の………………」
言葉にならなかった。
言葉にならないほど、セシリアは震えていた。
母と、父と、オルコット家の歴史を手放すのだ。
自分がしてしまったことが、もうわからなかった。
それほどまでにリーシュが欲しいのか。
どうして決断してしまったのか。
答えは見えない。
ただただ、涙が溢れた。
リーシュは、ふぅと息を吐き、バングルを起動して本社へ繋いだ。
「俺だ。オルコット家の動きを注視し、不審があったら止めろ。今、御当主が傍にいる。どうやら気分が優れないようだ。急げ」
リーシュの言葉を、セシリアは呆と聞いていた。
信じたくなかった。
全てを捨てて尚、リーシュに届かないなど、信じたくなかった。
全身から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
声を上げることすら出来ず、ただ、涙だけが流れていく。
通話を終えたリーシュが、セシリアへと目を向ける。
セシリアは顔を伏せた。
リーシュに見られたくなかった。
自分は、ただの馬鹿な女だった。
リーシュを夫に、と思ったのが、遠い日の夢のようだ。自分にそんな資格はない。
最早、傍にいることも出来ない。
IS学園を退学し、代表候補も辞退し、イギリスに帰ろう。
イギリスに帰って、誰にも会わずに暮らそう。
リーシュがふうと息を吐く音が聞こえ、セシリアは打たれたように震えた。
「まったく…………。あなたは今も昔も全く変わらない、怖い女性だな」
声には、微かな笑いが込められていた。
セシリアが顔を上げると、リーシュが笑っている。
軽蔑も、嘲笑の色もない。
「そんな風に…………思ってらしたんですの………………?」
「当たり前だ。挨拶をしたらいきなり睨まれたんだぞ。怖くて怖くて、俺は兄さんに泣きついたんだからな」
「……嘘ばっかり………………」
「さて、どうだったかな?」
セシリアも笑った。
リーシュがセシリアの傍に屈みこみ、頬に手を添えると、セシリアはリーシュに縋りつき、声を上げて泣いた。
子供のように泣きじゃくった。
リーシュの完敗だった。
自身に敷いたルールと言えど、元をただせば単なる意地だ。
男の意地と少女の涙。どちらをとるか、悩ましい問題である。
それを、セシリアの覚悟が傾けた。
オルコット家を捨ててまで、リーシュへの想いをとったのだ。
小さな女の子が、涙を堪えて必死に守っていたのを良く覚えている。自身の生涯と秤に掛けて、尚重いオルコット家を捨てようとしたのだ。
ひどく、重い。
重いが、そこまで強く想われて、男として嬉しくないわけがない。
それにこれ以上思い詰められて、ジュリエットよろしく毒を仰がれたら溜まったものではない。
セシリアが内に激しいものを秘めているのは知っていたが、まさかここまで思い詰めていたとは想像もできなかった。
女は怖い。
それに尽きる。
セシリアは泣き止み、泣き腫らした瞳を閉じて、リーシュに顔を近づけた。
リーシュの目は冷たい。
期待に応えず、セシリアの唇に人差し指を当てた。
セシリアは、目を見開いた。
リーシュに自分を、受け入れてもらえると思った。
自分の勘違いだったのか、それとも焦らされているのか。
リーシュの目を見て、心が粟立ち、恐怖が忍び寄る。
青ざめていくセシリアへ、リーシュは告げた。
「先ずチェルシーさんへ連絡しろ。今頃、向こうでは大変なことになってるぞ」
言われ、セシリアはより青ざめていく。
自分が何を命令したのか、思い出してしまった。
「す、少しお待ちになってください!」
「あぁ。幾らでも待つよ」
セシリアは床に落とした端末を拾い、リーシュに背を向けてイギリスのオルコット家へ繋いだ。
こんな恥ずかしいところをリーシュには見せられない。
けども、リーシュから離れることも出来ない。
背を向けることが精一杯だった。
セシリアはリーシュに背を向けず、リーシュの様子を窺いながら通話をするべきだった。
「セシリアです。先ほどの指示ですが、なかった――ひゃうっ!?」
脊椎を得も言われぬ感触が走り、声が出た。
犯人はリーシュに決まっている。
リーシュは、セシリアの艶かしい背筋を、指先でなぞっていた。
「リーシュ様!? いったい――!?」
振り返り、リーシュへ抗議しようとしたところ、肩と手首を掴まれ、端末を奪われた。
セシリアは見た。
リーシュの唇が、邪悪に歪んでいるのを。
「セシリア……。お前は俺を脅したんだ。覚悟は出来ているんだろうな?」
「そんな!」
セシリアは、高く美しい声で、嬌声を上げた。
リーシュがセシリアと距離を置いていた理由は単純極まりない。
セシリアと関係を持つつもりはなかったが、二人きりの時間が長ければ自制が出来ないと判断したからだ。
金髪碧眼の絵に描いたような美少女であり、肉体も均整が取れ、食指を誘う。その上、自分を想ってくれているのだから、どうにかならないわけがなかった。
ナイトガウンを羽織ったセシリアを見て眉根を顰めたのは、しまった、やられた、詰まれた、と思ったからである。
その後のキスを止められたのは、セシリアが飛び込んできたからだ。鈴音との格闘訓練が活きた、と言っていいのだろうか。
奇しくも虚が、リーシュに迫られたら拒めない、と言ったように、セシリアに迫られて拒める男がいるわけがなかった。
リーシュはその例外どころか、真っ先に引っかかる口なのだから。
バラ色のバイオリンのように、色めいた音を奏でたセシリアは、床に転がる端末を見た。
リーシュは、セシリアから取り上げただけで何の操作もしていない。
こちらの様子を察して、あちら側から通話を切ってくれていれば、今の声は伝わらなかったはずなのだ。
半ば祈る気持ちのセシリアへ、容赦のない現実が突きつけられた。
『こっちがどれほど気を揉んだか知らないで…………、随分とお楽しみのようですね!』
先方はクラシックな電話機を使っていたらしい。
ガチャリ、と乱暴な音を立てて、通話が終わった。
「あ…………ああ……………………」
聞かれてしまった。
幼馴染に聞かれてしまった。
お楽しみ、と言っていた。
今の声が一体何を意味していたのか、知られてしまった。
恨めしそうにリーシュを睨むと、リーシュは唖然と口を開いていた。それが更に、セシリアの羞恥を煽った。
リーシュは、技術を尽くしてセシリアに悪戯したわけではない。
乳房にも腰にも触れていない。
耳元で囁いたとき、傍にあった耳たぶを甘噛みしただけだ。
それであの反応。
セシリアは、敏感すぎた。
夢にまで見たリーシュと、触れているのだ。
比喩ではなく、夢に見た。
目覚めたとき、粗相をしたかのように、股間とシーツを濡らした事が何度もあった。
IS学園に入学してからは、リーシュとの行為に備えてイメージトレーニングにも励んでいた。
どうやらトレーニングは、十全以上の効果を発揮していたらしい。
あまりの羞恥に涙ぐみ、落ち込むセシリアを見て、ようやくリーシュは口を閉じた。
意地の悪い、サディスティックな笑みを浮かべる。
セシリアの羞恥を更に煽ろうとしたとき、リーシュへと通信が入った。
リーシュのバングルは、当然ながら受信機能も備えている。
滅多に受信しないのは、リーシュの邪魔をしないよう、あちらが緊急時以外での通信を控えているためだ。
『オルコット家と急ぎ、連絡を取りました。事情は、全て、把握しました』
どういう訳か、全て、を強調する。
セシリアは、先の通話で嬌声を上げただけではなかった。はっきりと、リーシュの名を上げていた。
『…………………………女の敵。……一回死ねばいいのに』
通信が終わった。
沈黙が降りた。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
「…………リーシュ様……」
「…………なにかな?」
「二人で、どこかへ逃げませんこと?」
「……どこへ?」
「暖かい……南の島などいかがでしょう?」
「それは……、いいね。とても魅力的な提案だ」
答えを聞くや否や、セシリアはリーシュを突き飛ばし、ベッドへ押し倒した。
リーシュの腹に馬乗りになり、リーシュの頬を両手で包む。
逃がさない、と。
離さない、と。
強く、柔らかく、愛おしく、狂おしく、包み込む。
リーシュに逃げ場はなかった。逃げるつもりもなかった。
「リーシュ様…………お慕いしております…………」
「四年前から、知ってるよ」
「ずるい人…………わたくしをこんなにも泣かせて…………悪い人…………」
「嫌われたかな?」
「いいえ。わたくしの心は変わりません。…………永遠に」
セシリアの髪が、リーシュの頬に掛かる。
「わたくしの全てを捧げます。受け取ってくださいますか?」
「もちろん。喜んで受け取るよ」
セシリアの涙が、リーシュの頬に落ちる。
セシリアは、リーシュの唇へ、自身の唇を落とした。
窓の外では雨が上がり、月が姿を現していた。
本話に出てきた「死ねばいいのに」は前話に付けられた評価のコメントから引用