※この作品はR-18です。

ラブライブ! ~春待つ喫茶店で~   作:彼処舐ノ助嗅過

4 / 10
光蔵の過去に触れることり。自分とは別世界の過去を生きてきたであろう光蔵に、胸を痛める。
それでも、自分にできることはなんだろうと考えるのだった。
一方の光蔵は、ことりに惹かれ始めていた。年齢差を超えた欲求すら抱きはじめてしまうほどに。
純粋な恋心であっても、彼の過去は、彼を諫め続ける。

※シリーズ全体
本作は、作者の解釈と妄想を多分に含みます。原作のキャラクターたちと別の時間を生きる、もう一つの物語としてお楽しみいただければ幸いです。

・本作は、アニメ版『ラブライブ!』をベースにしておりますが、二次創作作品につき、独自の時空・設定を含みます。
・アニメ本編との時間軸・設定のズレや、キャラクター解釈に差異が生じる可能性がございます。
・原作キャラクターに加え、オリジナル男性キャラクターが登場し、主人公となっています。
・男性キャラクターとの恋愛要素を含みますので、苦手な方はご注意ください。
・原作尊重を心がけておりますが、キャラ崩壊・設定改変・解釈違いなどを感じる場合がございます。
・ストーリー後半には、**18歳以上推奨の描写(R-18要素)**が含まれます。閲覧の際はご注意ください。
・本作はフィクションであり、実在の人物・団体・作品とは一切関係ありません。


#4 罪悪感と好意と欲求と

 日は暮れて、商店街の明かりもまばらになった頃。

 喫茶店「春のそよ風」はシャッターを閉め、ことりと光蔵は静かにテーブルを拭いていた。

 蝉の声はいつの間にか消え、代わりに虫の音が聞こえる。

 厨房の方では、今日のまかない用に炊いていたお米の匂いがまだ残っていた。

「今日も、お疲れさまでした」

「うん、ありがとう。暑い中、よく頑張ってくれたね」

 ことりは布巾をたたみながら、少しだけ口を引き結んだ。

 そして、ふと静かに切り出す。

「ねえ、マスターさん」

「……ん?」

「この前の……あの外国の方のこと、ことり、ちょっとだけ聞いてもいいですか?」

 光蔵の動きが、ぴたりと止まった。

 

「……なぜだい?」

「えっと……その、マスターさんの過去を全部知りたいとか、そういうことじゃなくて……。

 でも、あの時のマスターさん、すごく……つらそうだったから。ことり、何も知らないままでいるのが、なんだか……」

 光蔵は少しだけ苦笑して、椅子に腰を下ろした。

 目を閉じて、少し考えるように言葉を探す。

「……ありがとう。そう思ってくれることは、本当に嬉しいよ。でもね、ことりちゃん。君は……“そこ”には来ないでいいんだ」

「え……」

「僕が背負ってるものは……君みたいな子が知っていいものじゃない。

 汚れていて、醜くて……人を守るためとはいえ、僕は……あまりにも多くの命を、自分の手で──」

 言いかけて、言葉を切った。

 

 ことりの表情が、そっと曇っていくのが見える。

「でも……」

「ことりちゃん」

 光蔵の声が、少しだけ鋭さを帯びる。

「君には、笑っていてほしい。君は誰かの過去を癒すためにいるんじゃない。君は、未来を生きる人なんだよ」

「……っ」

「ごめんね。……話を変えようか。明日、ケーキに使うブルーベリーの仕入れがあるんだけど、時間があれば付き合ってくれないかい?」

 光蔵は、穏やかな笑顔に戻っていた。

 でもその笑顔の奥にあるものを、ことりは見逃さなかった。

(マスターさん……あんなに優しいのに、こんなに自分に厳しい)

(守ろうとしてくれてるの、わかる。でも……)

 

(マスターさんは、きっとずっと、ひとりで背負ってきたんだ)

(でも、ことりは知ってしまった。……ほんの少しでも、あの過去の影を)

(それなら、せめて)

(――その手を、誰よりもそばで支えられる人になりたい)

 

 

 深夜。

 静まり返った部屋の中、光蔵はベッドの縁に腰掛けていた。

 古ぼけた木の箱の中から、丁寧に包まれた一枚の写真を取り出す。

 ――若き日の少女が、笑っていた。

 砂埃にまみれた風景の中、それでも目元は穏やかで、どこか誇り高くさえあった。

「……ラナ」

 光蔵はその名を、まるで祈りのように口にした。

 

 ──彼女は、陽だまりのような存在だった

 内戦の真っ只中、瓦礫と銃声の中で暮らしていた少年の彼に、

 ラナは、初めて“希望”というものを教えてくれた。

「コウゾウ、私ね、夢があるの。内戦が終わったら、子どもたちの学校を建てたいんだ」

「……戦争が終わるのか、そんな日が?」

「終わらせるの。私たちが生きてたってこと、未来の子に繋げたいじゃない」

 彼女は年齢に似合わないほど大人びていて、でも、ふとした瞬間にとても子どもらしい笑顔を見せた。

 

 ――そして、ある日。

「ラナ! もう行くなって言っただろ!」

「でも、あの人たちを見捨てられない……!」

 子どもと高齢者を脱出させるため、最後に残った彼女は──敵兵士の銃弾に倒れた。

 

 

 光蔵は、手の中の写真を静かに伏せた。

「僕は……また、誰かに幸せを感じてしまっている」

 ことりの笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。

 あの日、水着姿を見てドキリとした時。

 笑いかけてくれるたび、心の奥で何かが揺れた時。

(だが、僕は誰かを愛してはいけない。

 あの時、僕は“未来”を見せようとしてくれた人を、守れなかったんだ)

 ことりが何かを背負う前に、自分が止まらなければならない。

 その決意を、改めて心に刻むのだった。

 

 

 ある日、午後の喫茶店。

 ことりはカウンター越しに、黙々と掃除をしている光蔵をちらりと見つめた。

(……あれから、マスターさんはいつも通りに振る舞ってくれてる)

(でも、やっぱりどこか、少しだけ遠くなった気がする……)

 

 

 放課後。

 ことりは図書館で、“戦争”や“少年兵”、“内戦”といったキーワードを調べた。

 けれど、読めば読むほど、胸が苦しくなってページを閉じた。

(ことりには……わからないことばかりだ)

 帰り道、小さな花屋の前で足が止まる。

 その時、ふと思った。

(知ることも大事。だけど、“知ったうえで何かできるか”って、それとは別の話……)

(……ことりが、マスターさんのそばにいられる理由って、なんだろう)

 

 

「マスターさん、今日はお弁当作ってきたんです。一緒に、いかがですか?」

「お弁当……手作り?」

「はいっ。ことりにできること、まだ少ないけど……“美味しいね”って笑ってくれたら嬉しいなって思って」

 光蔵は、一瞬だけ驚いたような顔をし、ゆっくりと微笑んだ。

「……ありがとう。いただくよ」

 

(過去を知らなくても、心を寄せることはできる)

(“知ってしまったから”じゃなくて、“知っても、変わらない”って思ってもらえるように、ことりは今日もそばにいたい)

 

 

 午後3時をまわった頃。

 喫茶店「春のそよ風」は、ランチの喧騒を過ぎて穏やかな空気に包まれていた。

 ことりは、カウンターの内側でサンドイッチを仕込んでいる。

 光蔵はカウンター越しに、その様子を黙って眺めていた。

 包丁を持つ手元が、少しだけぎこちない。

 けれど、ひたむきな集中の仕方には、見ていてほっとするものがある。

 

「君がここにいるのも、ずいぶんと“当たり前”になったね」

 ふと漏れた光蔵の言葉に、ことりは手を止めて、ぱっと顔を上げる。

「えっ……マスターさん、今なんて?」

「いや……独り言さ。忘れてくれ」

「……ふふっ、やだ、忘れません♪」

 ことりが笑って、照れくさそうにうつむいた。

 光蔵は、その表情を見ながら、自分の心がほんの少しだけ、緩んでいることに気づく。

 

 

「今日は、僕が作った。まかないにしてはちょっと凝りすぎたかもしれないけど」

 光蔵が出したのは、夏野菜のラタトゥイユと、冷たい桃のスープ。

 ことりは目を丸くして、ナプキンを膝にかけた。

「おしゃれすぎますっ! えへへ、いただきますっ♪」

 一口食べて、ことりの顔がパッと明るくなる。

「マスターさん、すっごく優しい味……ことり、こういうの大好きです」

「それはよかった」

 言葉は簡素でも、光蔵の胸には、ほんの少し、誇らしさが灯っていた。

 

 

 片付けも終わり、ことりがエプロンを畳んでいる時。

 ふと、彼女が声をかけた。

「マスターさん」

「うん?」

「……いつも、お店で過ごす時間。ことり、大好きです。たまに、マスターさんが黙ってると、ちょっと寂しくなるけど……でも、それも含めて、すごく落ち着くんです」

 光蔵は不意を突かれたように目を瞬いた。

 

 ことりは続ける。

「ことりは、マスターさんの全部を知りたいとは言いません。

 でも、マスターさんが笑ってくれるなら、それでいいなって、思ってます」

 その言葉に、胸が軽く痛む。

(この子は、僕を“救おう”としているんじゃない。ただ、“そばにいること”を選ぼうとしてくれている)

 そのことが、今は、何より重かった。

 

 

 夜。

 ベッドに横たわりながら、光蔵はふと天井を見上げる。

(ラナ……)

(君がいたら、今の僕を見て何と言うかな?)

 光蔵は目を閉じて、静かに息を吐いた。

(少しだけ……もう少しだけ、そばにいてもらっても、いいだろうか)

 

 

 ある晩夏の午後。

 喫茶店の窓際では、ことりがメニュー表のデザインを描いていた。

 指先にペンを走らせながら、時折こちらを見て微笑んでくれる。

(……この時間が、ずっと続けばいいと……思ってしまう)

 光蔵は手を止めて、そっとことりの姿を見つめた。

 エプロンの紐を結び直しながら、何気ない会話を交わす彼女。

 少しだけ髪を束ねて、首元がすっきり見えるようにしたのは、きっと厨房で暑いからだろう。

 細やかに気を配るその仕草も、いつの間にか彼の心のなかに“日常”として根を下ろしていた。

 

(朝、彼女が店に来てくれるのを楽しみにしている自分がいる)

(仕事終わりに「今日のまかないも美味しかったです」って笑ってくれるのを、

 なんだか……自分の小さな報酬みたいに感じている)

(――だが)

 その幸福の兆しに、必ずといっていいほど自制の声が上がる。

(彼女には、未来がある。もっと広くて明るくて、自由な世界が)

(その時間を、歳を重ねた自分が“足止めして”いいのだろうか)

 

 夕暮れ時、店の前でことりが看板を片付けている姿を見ていた時。

 光蔵の心に、ある映像がふと重なった。

 ――ラナも、こんな風に笑っていた。

 未来を信じて、目の前の子どもたちのために動いていた彼女の横顔。

(ことりちゃんも、同じだ)

(光を持ってる。人を動かせる。人を救える)

 光蔵は目を閉じ、静かに思った。

(……それでも、彼女がこの店に来てくれるのなら。

 せめて、自分は“安らぎ”であろう)

(一歩でも踏み込んではいけない。だけど、背中を預けてくれるなら……そっと支えていたい)

 

 

 ある日、ことりは黒木紗枝と商店街ですれ違った。

「ことりちゃん、こんにちは。最近マスターさん、なんだか優しい顔することが多くなった気がするわ」

「えへへ……そうですか?」

 軽く話した後、ふと聞いてみた。

「あの……マスターさんって、お誕生日いつなんですか?」

「えっ? ああ……才川さんの? たしか……8月の終わりの方だったと思うわ。詳しくは本人に聞いたほうがいいかも」

「ありがとうございますっ!」

 その夜、ことりはベッドの上でごろごろしながら考えていた。

 

(マスターさんの誕生日……なにかしたいな)

(でも、大げさじゃなくて、びっくりさせちゃわないくらいの、さりげない何か)

 翌日、ことりは花陽とこっそり話していた。

「ことりちゃん、サプライズプレゼント?」

「うん。でもすっごく小さなやつでいいの。マスターさん、ああいうの苦手そうだから……」

「なら、ケーキ作ろうよ! 一緒に! あとは、ことりちゃんからメッセージカードとか……」

「いいかも……! ことり、描いてみるね」

 

 その夜、ことりは便箋を開いた。

 まだ文字は書かれていない。

 

 だけどそこに書く言葉は、決して“好き”とか“ありがとう”とかだけではない。

 もっと、日常の中にある「一緒にいる幸せ」を伝えたい。

(ことりにできることは少ないけど……それでも、ちゃんと伝えたいな)

 

 

 8月も終盤、夏の名残が店先の風鈴の音に残っていた。

 いつも通り開店準備を終えた光蔵が厨房に入ろうとした時、

 入口の扉がそっと開き、ことりが顔を出す。

「おはようございますっ! マスターさん、今日もよろしくお願いします♪」

「ああ、おはよう、ことりちゃん。今日も暑いから、無理はしないようにね」

 ことりは、にこにこと笑ってカウンターの中に入ってきた。

 が、なにやらいつもと少し違う――目がきらきらしている。

 

「えっと、マスターさん……今日、何の日かご存じですか?」

 問いかけられて、光蔵は少し首を傾げた。

「8月……終盤……?」

 そう口に出した瞬間、ことりがそっと小さな箱を取り出す。

「はいっ! マスターさんのお誕生日です! 紗枝さんにこっそり聞いちゃいました!」

 

 光蔵は目を見開いた。

 受け取った箱は、手のひらにすっぽり収まるくらいのサイズ。

 中を開けると、手編みのカップスリーブと、花をあしらった手書きのメッセージカードが入っていた。

 

 優しい筆跡で、こう綴られていた。

「マスターさんのコーヒー、ことりは世界で一番好きです。

これからも、あったかくて優しい時間を一緒に過ごせたら嬉しいです。

ことりより」

 

「……ありがとう、ことりちゃん。こんな……丁寧なものを、わざわざ……」

 光蔵は、手に持ったカップスリーブをそっとなでた。

 ふわりと漂う香りは、ほんのりラベンダー。

 ことりのイメージそのままの、落ち着く香りだった。

 

「お誕生日、おめでとうございます」

 その笑顔がまぶしくて、光蔵は思わず目を逸らした。

 

 

 その夜、光蔵は静かな店内で、贈り物をじっと見つめていた。

 

 メッセージカードの裏には、

 ことりが描いたらしい小さなイラスト――

 コーヒーカップと、笑顔のメイドが並んでいた。

(……温かい。ああ……本当に、温かいな)

 心が、じわじわと溶かされていくのを感じていた。

 

 だが、その一方で──

(……ダメだ。これは、いけない)

(彼女はまだ十代。人生の可能性に満ちている。夢も、未来もある)

(そんな彼女の“時間”を、もし僕が縛ってしまったら……)

 自分に芽生えつつある感情。

 その正体を、光蔵はもう誤魔化せなかった。

 けれど同時に、それを“抱いてはいけないもの”として、自分に言い聞かせていた。

 

 

 その夜、ことりもまた、自室で静かにスマホを見つめていた。

 光蔵からの返事はとても短くて、でも──

《ありがとう。本当に、君のおかげで今日がいい日になったよ。》

 ことりは、ふわりと笑った。

(マスターさんが喜んでくれた……それだけで、ことりは嬉しいな)

(いつか、ちゃんと伝えられる日が来るまで。

 ことりは、今日みたいに、少しずつ、少しずつ……)

 

 

 夏の終わり、風が秋の香りを帯び始めたころ。

 喫茶店に、海外から一通の封書が届いた。

 見覚えのある筆跡――それは、かつての戦友ハリムが旅立つ前に託したものだった。

 

 夜、閉店後の店内。

 光蔵は、その手紙を手に、ひとりゆっくりと封を切った。

 

《コウゾウへ

この手紙が君に届く頃、僕はもうこの世界にはいないかもしれない。

けれど、君に伝えておきたいことがある。

ラナの最期の言葉を、君に伝えられていなかった。》

 

 光蔵は息を呑んだ。

 

《ラナは撃たれる直前、僕にこう言った。

「コウゾウは、未来に生きて。

私が伝えたかった夢も、愛も、優しさも、全部、彼が誰かと生きる中で伝えてくれるなら、私はそれでいい」

君は、生き残ったんだ。なら、生きて、愛して、笑っていい。》

 視界が滲んだ。

 

 忘れたはずだった、戦場の夜。

 ラナの小さな手。砕けた瓦礫の上に広がる血の跡。

「……ラナ」

 光蔵は震える指で手紙を胸元に当てた。

 そして、そっとことりの笑顔を思い浮かべる。

(僕が笑っていてもいい……?

 誰かの傍にいても、いいのか……?)

 

 

「マスターさん、今度のお休み、どこか一緒に行きませんか?」

 数日後の夕暮れ、ことりはカウンター越しに尋ねた。

「どこかって……?」

「実は、ことり、お気に入りのガラス工房があるんです。

 すっごく綺麗な小物があって、マスターさんにも見せてみたくって!」

「ふむ……」

 光蔵は苦笑しつつも、その真っ直ぐな瞳を見て、断ることができなかった。

「……いいね。じゃあ、行こうか。次の休みに」

当日、ガラス工房にて

 陽の光を受けてキラキラと輝くガラス細工の中、ことりは楽しそうに作品を眺めていた。

 

「見てくださいっ、このハリネズミ! つぶらな瞳が可愛くて……あ、マスターさんはこういうのどうですか?」

「これは……繊細だね。壊れそうで、抱えるのが怖いくらいだ」

「ふふ、でも大事に扱えば、ずっと綺麗なままですよ?」

 ことりの笑顔に、光蔵は言葉を返せなかった。

(この子は、“幸せ”を届けるために生まれてきたのかもしれない)

 

 

 帰り道・電車の中。

 窓の外を流れる景色を見ながら、ことりがぽつりと口にする。

「ことり、ずっと夢だったんです。

 誰かの疲れを、そっと癒せるようなカフェで、働いてみたくて……」

「……叶ってるんじゃないか? 今、君はそうしてるよ」

「……そっかぁ。ふふ、それなら、もっともっと頑張らなきゃですねっ」

 

 

 ある昼下がり。

 喫茶店「春のそよ風」はちょうどお客の波が途切れ、穏やかな時間が流れていた。

 カウンターの中で、ことりは小さな紙袋を抱えて、そわそわしている。

(今なら……今なら渡せるかも……)

「マスターさんっ」

「うん?」

「このあいだのお休みのとき、一緒に行ったガラス工房、覚えてますか?」

「ああ、もちろん」

「えへへ……あのあと、こっそり買っておいたんです。マスターさんへのプレゼント!」

 ことりは紙袋を差し出した。

 中には、小さなガラスのハリネズミと、同じく小ぶりなガラスのコーヒーカップのペア。

 

「ことりも、おそろいのを持ってます♪」

「……これは……」

 光蔵はそっとガラス細工を手に取った。

 透き通った小さな命のような輝きに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

「君とおそろいか……それは、光栄だな」

 優しく微笑みながら、光蔵はその言葉にひとつだけ嘘を混ぜた。

(……本当は、胸が熱くて仕方がない)

(この子がくれるものすべてが、どうしようもなく、愛しい)

 

 

 ガラス細工を店の一角に飾った数日後。

 光蔵宛に、海外から一通のメールが届いた。

 差出人は、かつてハリムが所属していたNGOの関係者。

 そこには、こう記されていた。

《才川様

ハリム・サリフ氏は、現地時間で9月3日未明に永眠されました。

最期まで意識ははっきりしており、あなたの名前を何度も呼んでおられました。

手紙は、確かに私たちが託しました。どうか、彼の想いを受け取っていただければ幸いです。》

「ハリム……」

 光蔵は、そのメールを読んだあと、しばらく動けなかった。

 

 

夕暮れ・閉店後の喫茶店

 店内は灯りを落とし、わずかな陽射しが窓の隙間から差し込んでいた。

 カウンターに座り、ハリムの手紙とガラス細工を前に置いた光蔵は、目を閉じる。

(ラナも……ハリムも……僕に“生きろ”と、そう言ってくれた)

(でも……本当に、それでよかったのか?)

 死んだ者たちに背中を押されながらも、なお、彼は“生きること”に罪を感じていた。

 

 ふと、扉の方で軽い足音がした。

「マスターさん、明日の仕入れのことですけど……」

 ことりだった。

「……ごめんね。少しだけ、静かにしてくれるかい」

 ことりは彼の横顔を見て、何も言わず、ただそっと頷いた。

 そのままカウンターに並んで座り、静かに寄り添うように、その時間を共有する。

 

(……こんな僕のそばに、君がいてくれる)

(それを、彼らが見たら──きっと、こう言うんだろう)

「それでいい。今度こそ、幸せになってくれ」

(……でも、僕にはまだその資格があるのかどうか……)

 

 

 ある午後。

 昼の賑わいが過ぎ去り、店内に柔らかな静寂が流れていた。

 

 ことりはいつものように、カウンターの中でケーキ皿を並べていた。

 光蔵は、洗い物を終えた手をふきながら、彼女の後ろ姿を見つめていた。

(静かに傍にいてくれる、というのは……こんなにも、ありがたいことだったのか)

「……ことりちゃん」

「はいっ?」

 ことりが振り返る。光蔵は、少しだけ目を伏せて、言葉を紡いだ。

「ありがとう。あの日、何も聞かずに、ただ隣にいてくれたこと。……とても、救われたんだ」

「……マスターさん……」

 

「言葉は要らないって、そういう気遣いができる人は……なかなかいない。僕は、感謝しているよ」

 ことりは、はにかんだように頬を染め、小さくうなずいた。

「ことり、マスターさんのそばにいられるだけで……嬉しいんです。だから、こちらこそ……ありがとうございます」

 

 

 その夜、閉店後。

 ふたりでまかないのコーヒーを飲んでいた時、ことりがふと語り出した。

「マスターさん。……ことり、小さな夢があるんです」

「夢?」

「うん。将来、ことりがもしもっと大人になって……本当にお店を開くってなったら、“ガラス細工とスイーツのお店”にしたいなって」

 

「ガラス細工と……?」

「お茶を出すだけじゃなくて、ことりが作った小物も飾って、お客さんにふふって笑ってもらえるような……そんな場所。

 のんびりした空気が流れてて、来るとちょっと元気になれる……そんなお店を作ってみたいんです」

 光蔵は、その夢の語り口に微笑みながら、うなずいた。

「君なら、きっとできる。……それはとても、素敵な夢だよ」

 ことりは少し驚いたように、目を丸くする。

「ほんとに……そう思います?」

「思うとも。……あのとき、ガラス工房で君が見せてくれた表情が、忘れられないんだ。光を見つけた人の、目だったよ」

 

「……えへへ」

 ことりは両手でマグカップを包み込み、にっこりと微笑んだ。

「ことり、その時は……マスターさんにもぜひ、一番乗りのお客さんになってもらいたいな」

「それは……楽しみだね。ぜひ、特等席を用意してくれよ」

 

 

 9月の初め、季節がほんのりと秋の匂いを帯び始めた頃。

 朝から喫茶店に入ったことりは、少しだけ顔色が優れなかった。

「おはようございます……」

「……? ことりちゃん、声が少し……」

 光蔵は、すぐに異変に気付いた。

「もしかして、風邪かい?」

「ううん、大丈夫ですっ。昨日ちょっと夜更かししちゃって……えへへ……」

 笑ってはいるけれど、少しだけ赤らんだ頬と、かすれ気味の声が心配だった。

「無理はしないように。今日は軽めに働いて、終わったらすぐ帰るように」

「うん……マスターさん、やさしいなぁ」

 

 

 店の中が一段落したタイミングで、光蔵がことりのために軽食を用意した。

 あたたかいスープと、カモミールのハーブティー。

 スプーンの音がコツリと鳴るたび、ことりはゆっくりと口を動かした。

「……はぁ……なんか、じわーって元気になります」

「昔から、風邪のときはこれを出すのが僕の癖でね」

「マスターさん、誰か看病してあげたことあるんですか?」

「……昔、ね。妹みたいだった子に。君と……少し似てるところがあった」

「そっかぁ……ふふ、ことり、マスターさんに甘えてばっかりかも」

 ことりは、照れたように笑った。

「……ことりちゃんは、よく頑張ってるよ。少しぐらい甘えてくれたほうが……こっちも救われる」

「……えへへ」

 ことりの頬が、ほんのり熱を帯びて赤くなる。

 風邪のせいだけじゃ、きっとない。

 

 

「送っていこうか? 夜風が冷えるといけないから」

「……ううん、大丈夫。マスターさんが優しすぎるから、なんか余計に元気になっちゃいました」

「それはそれで、嬉しいけどね」

 ことりは少し立ち止まり、何か思い出したように振り返る。

「……マスターさん、あのね。ことりね、“もしも風邪をひいたとき、誰かがそばで温かくしてくれたら嬉しいな”って、ずっと思ってたんです。だから、今日みたいな日は、なんだか夢が叶ったみたい」

 光蔵は、それを聞いてからほんの一拍、言葉を探すようにして――

「夢を見せられたのは、こっちのほうかもしれないね」

 ことりは、少し驚いたような表情を浮かべてから、すぐに笑った。

「……じゃあ、また明日、“このお店”で」

「気をつけて。風邪薬、飲むんだよ」

 

その夜、光蔵はことりの使ったティーカップを、丁寧に洗いながら思った。

(……誰かの体調を気にするだけで、こんなに心が揺れるなんて。

 僕は、もう……だいぶ、彼女に、甘えているのかもしれない)

 

 翌日、風邪から回復したことりは、すっかり元気な姿で喫茶店に戻ってきた。

「マスターさんっ! ご心配おかけしましたぁ!」

「元気そうで何より。今日はもう、顔色から違うね」

 光蔵が微笑むと、ことりは頬を少しだけ染めながら、カバンの中をゴソゴソと探り出した。

「これ……お礼です!」

 

 差し出されたのは、ことりが自作したというメッセージ付きのブレンドティー。

 パッケージには「ことり特製・あったか癒しブレンド」と、手描きの文字が並んでいた。

「ことりなりに、癒し返しです♪」

「ふふ……癒しの交換か。君らしいね。ありがとう、大事にいただくよ」

 

 

 閉店間際。

 店内を掃除し終えたことりは、カウンターの椅子に腰掛けていた。

 足をぷらぷらと揺らしながら、「あ~、今日も疲れたぁ」と小さく伸びをする。

 その仕草に、光蔵の視線が不意に奪われる。

(……あぁ、無防備だ)

 首元からのぞく鎖骨。

 無意識のうちに揺れる柔らかな髪。

 お疲れさまでした、と笑った彼女の目尻。

 すべてが、美しくて――

 

(今、触れてしまったら……もう、戻れなくなる)

 胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。

 理性が引き止める中で、腕がほんの少しだけ動きかけた――その時。

「……マスターさん?」

「っ……いや、なんでもないよ」

 光蔵は、ごまかすように笑った。

 

(駄目だ……僕が、彼女を抱きしめたいなんて――)

(それは、きっと越えてはならない一線だ)

 でも、それでも。

 その背中に、言葉にならない“温もり”を求めてしまう自分がいることに、

 光蔵は気づいてしまっていた。

 

 

 深夜。

 寝台の上に腰を下ろした光蔵は、胸元に手を当てて静かに目を閉じていた。

 ――ことりの、柔らかな髪。

 ――くるくると変わる表情。

 ――「ご主人様」なんて、冗談めかして微笑んだあの瞳。

(駄目だ)

 ひとつ、深く息を吐く。

(彼女は子どもだ。僕とは、三十以上も離れている)

(未来がある。夢がある。仲間がいて、応援してくれる人たちがいて……)

(そんな彼女に対して……こんな想いを抱くなんて)

 唇を噛みしめる。

 

(――浅ましい)

 けれど、心の奥に芽生えてしまった“感情”は、否定しきれなかった。

(彼女が笑ってくれると、息がしやすくなる)

(彼女が風邪をひけば、心配で仕事が手につかなくなる)

(そして……彼女に触れたいと思ってしまう自分が、確かにいる)

 

「……ラナ、僕は……どうすればいい?」

 夜の静けさの中、光蔵は答えの出ない問いを繰り返しながら、

 目の奥に浮かぶ少女の笑顔を、どうしても追い払えなかった。

 

 

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