※この作品はR-18です。

君と紡ぐ永遠のメロディ   作:彼処舐ノ助嗅過

1 / 10
梨子と子犬の出会い~家族になって名前を付けてもらうまで。

※シリーズ全体
・本作品はアニメ版『ラブライブ!サンシャイン!!』を原作とした二次創作です。
・アニメ本編との時間軸のズレや、独自の設定・キャラクター解釈を含んでおります。
・原作を尊重しつつも、キャラクターの性格・関係性に独自解釈が加わる場面がございます。
・アニメ最終話に登場する犬「プレリュード」は本作には登場せず、オリジナルキャラクターの犬が登場・物語の中心となっております。
・人と動物(犬)との恋愛要素を含む内容となっております。苦手な方、抵抗のある方は閲覧をお控えください。
・ストーリー後半には、**18歳以上推奨の描写(R-18相当)**が含まれます。年齢制限・閲覧にご注意ください。
・本作はフィクションです。実在の人物・団体・作品とは一切関係ありません。


#1 運命の出会い

夕陽に染まる帰り道。

潮風に乗って、どこか懐かしい、海の匂いが運ばれてくる。

校門を抜けてしばらく歩いたところで、

ふと視界の端に、何かが見えた。

防波堤の向こう。

ひとり──いや、一匹。

綺麗な子犬が、静かに海を眺めていた。

 

白みがかったクリーム色の毛が、夕陽を浴びて金色に輝いている。

風になびく耳、ふさふさした尻尾。

まだ子犬なのにどこか気品を感じるたたずまい。

けれどその背中には、どこか、寂しさのようなものも滲んでいた。

(……どうしたのかな)

梨子は、自然と足を止めた。

 

犬。

苦手だったはずの、犬。

でも今は、不思議と怖くなかった。

むしろ、胸の奥にちくりとしたものを感じた。

 

──ちょうど一年前の自分を思い出した。

東京から内浦に来たばかりで、ひとり海を眺めていたあの日。

知らない土地。知らない人たち。

期待よりも、不安が大きかったあのとき。

千歌に出会って、救われたこと。

あの日の自分に、重なる気がした。

 

「……こんにちは」

梨子は、ほんの少しだけ震える声で、子犬に声をかけた。

子犬は、ゆっくりと振り返る。

まっすぐな瞳だった。

怖がらせるような気配は、どこにもない。

梨子はそっと膝を曲げて、目線を子犬に合わせた。

指先をすぼめるようにして、ゆっくりと差し出す。

 

子犬は、しばらくじっと梨子を見つめたあと、

一歩、また一歩と近づいてきた。

そして。

梨子の手のひらに、ひんやりとした鼻先をそっと押しつけた。

「……っ」

びくりと体が跳ねる。

けれど、その柔らかい感触に、梨子はすぐに力を抜いた。

鼻先から伝わるのは、体温と、優しさ。

(かわいいなぁ……)

 

「……よしよし」

そっと、頭を撫でる。

子犬は、尻尾を小さく振りながら、気持ちよさそうに目を細めた。

梨子も、微笑んだ。

 

そのまま、ふたり並んで座る。

目の前には、オレンジ色の海が広がっていた。

波が寄せては返し、太陽はゆっくりと沈んでいく。

潮騒と、子犬の小さな鼻息だけが、静かに耳に届いた。

 

(この子も、わたしと同じだったのかな)

梨子は、ふと思った。

名前も、年齢も、どこから来たのかもわからない。

でも今は、ただ一緒にここにいる。

それだけで、なんだか心が落ち着いた。

 

ふと、子犬の首輪がないことに気づいた。

野良犬? それとも迷子?

(……でも、いい子だな)

梨子は、もう一度子犬を撫でる。

子犬は、まるで安心したように、梨子の膝の上に頭を預けた。

「……ふふっ、かわいい……」

思わず、小さな笑い声が漏れた。

 

こんなふうに、犬に触れることができるなんて。

ほんの少し前までは、考えられなかったこと。

海と夕陽と──ふわふわした温もり。

梨子は、そっと目を閉じた。

ほんのひととき、何も言葉を交わさないまま、

ふたりで、ただ、海を眺めていた。

 

 

梨子はそっとポケットからスマートフォンを取り出した。

画面を開き、カメラアプリを立ち上げる。

「……ねえ、一緒に撮ろうか」

小さく問いかけると、子犬は尻尾をふりふりと振って応えた。

まるで言葉が通じたみたいで、梨子はふっと笑う。

そっと肩を寄せ、スマホを前にかざす。

子犬は少し首を傾げながら、じっとカメラを見つめている。

梨子はシャッターを切った。

 

画面に映るのは、夕陽の海を背景にした、自分と子犬の姿。

並んで、同じ方向を見ているみたいな一枚。

(……撮れた)

胸の奥があたたかくなる。

(これ、千歌ちゃんたちに見せたらびっくりするかな……)

犬に触れただけじゃない。

こうして自然に隣にいられる自分に、梨子自身も驚いていた。

 

「……あの」

ふと、声をかけられた。

梨子は顔を上げる。

三人組の女性が、こちらを見ていた。

年齢は、二十代半ばくらいだろうか。

こぎれいな服装に、にこやかな笑み。

まるでどこにでもいそうな、普通の女の人たち。

 

でも──どこか。

どこか、言葉にできない違和感を、梨子はかすかに覚えた。

(……いや、気のせいかも)

梨子は軽く首を振って、立ち上がる。

犬もそれに合わせて、のそのそと身を起こした。

 

「Aqoursの桜内梨子さんですよね?」

一番手前の女性が、笑顔で言った。

梨子は驚いて、目を瞬かせた。

「はい……そうですけど」

「やっぱり!」

「えー、本物だー!」

「ずっと応援してたんです!」

女性たちは声を弾ませた。

本当に嬉しそうな顔。

それに、梨子は思わず表情を和らげた。

「ありがとうございます。……でも、今は一人で帰る途中で」

少しだけ申し訳なさそうに、梨子は言う。

 

すると、女性の一人が言った。

「すみません。でも、Aqoursのこと、ちょっとだけお話聞きたくて。今度ライブするっていう噂、本当ですか?」

「ちょっとだけでいいので、向こうでお茶でもどうですか?」

三人がそろって、にこにこと微笑みかける。

梨子は迷った。

学校の帰り道。

知らない人について行くなんて、普通ならありえない。

 

けれど──

子犬との出会いで、気持ちが浮き立っていたこと。

こんなふうに声をかけられるのは、内浦では珍しいこと。

それに、彼女たちの柔らかい笑顔。

(大丈夫、だよね……)

梨子は、軽く頷いた。

「……少しだけなら」

「よかった! じゃあ、こっちの車に」

女性たちの一人が、駐車場を指さす。

 

そのときだった。

背後で、高い声が聞こえた。

「……ワン!」

梨子が振り返ると、子犬が低く唸るような声を漏らしていた。

尻尾は下がり、背中の毛がわずかに逆立っている。

「どうしたの?」

梨子は、しゃがんで子犬の頭を撫でた。

子犬は、梨子の手に鼻を寄せながらも、なおも女性たちをじっと見つめている。

(……もしかして、警戒してる?)

少しだけ、梨子は不安になった。

けれど、女性たちはただ微笑んで待っている。

警戒する理由なんて、どこにもないはずだった。

 

「ごめんね。また来るからちょっとここで待ってて。あの人たちとお話してくるから、ね?」

梨子は子犬にそう言って、立ち上がる。

子犬の頭を最後にもう一度撫でて、背を向けた。

女性たちの方へと歩いて行く。

子犬は──

低く一度だけ吠えたあと、梨子の後を追うように、駆け出した。

 

 

その小さな異変に、梨子は気づかなかった。

女性たちはにこやかに、車のドアを開けて待っていた。

シルバーのワゴン車。特に目立たない、どこにでもあるタイプだ。

梨子は小さく頭を下げ、乗り込んだ。

柔らかいシートが、少しだけ身体を包み込む。

「ありがとうございます」

ぺこりとお辞儀をすると、女性たちもにっこり微笑んだ。

エンジンが静かにかかる。

ドアが閉まる音が、やけに大きく耳に残った。

 

車が発進する。

細い道を抜け、町の方へと向かっていく。

何気なく、後部座席の窓から外を見た梨子の目に、あるものが映った。

──さっきの子犬だ。

必死に走っていた。

耳を後ろに倒し、全身で風を切って、車を追いかけている。

 

梨子は目を見開いた。

(どうして……?)

子犬はまるで、置いていかれたくないと言わんばかりだった。

いや──違う。

何かを訴えるような、切迫した瞳だった。

でも、車は子犬の足よりもはるかに速かった。

距離はみるみる開き、やがてカーブの向こうに消えていった。

 

梨子は、なぜか胸が締め付けられるのを感じた。

あの子は──なぜあんなに必死だったんだろう。

「いい子でしたね、さっきのワンちゃん」

助手席の女性が、軽い調子で言った。

「あ、はい……」

梨子は小さく答える。

でも、心のどこかに、もやもやとした違和感が残った。

 

車は町の外れへと向かっていた。

だんだんと民家が減り、人気もない道になる。

「……あの、どこに?」

梨子が尋ねかけたとき、運転していた女性が振り返った。

「ちょっと寄り道。静かな場所で、ゆっくり話しましょう」

にこやかにそう言った顔に、梨子は言い知れない違和感を覚えた。

(──まずいかも)

ふと、スマートフォンを手に取ろうとしたそのときだった。

車が急に曲がり、古びた廃墟の前で止まった。

かつて何かの工場だったのか、鉄骨が剥き出しになった、錆びた建物。

 

「さあ、降りて」

運転席の女性が無理やり梨子の腕をつかむ。

「えっ、ちょっと……!」

梨子は抵抗するが、力では敵わない。

引きずられるようにして、車の外に出された。

冷たい風が頬を打つ。

辺りは静まり返っていた。

「なに、これ──っ!」

梨子は声を上げた。

 

「静かにして」

女性たちは急に顔を変えた。

にこやかだった笑顔は消え、冷たい目をしている。

「大人しくしてれば、痛い思いはしないわ」

その言葉とともに、梨子の手首に硬い紐が巻き付けられた。

結束バンド。手早く、容赦なく。

「やめて……っ!」

必死にもがく梨子。

でも、人数差と力の差は歴然だった。

 

女性たちは、梨子を建物の中へと連れて行く。

冷たいコンクリートの床、打ち捨てられた機械の残骸。

暗く、湿った空気。

(なんで……どうして、こんなことに)

梨子は震えた。

女性たちは、かすかに聞こえる声で話している。

「ねえ、これ、すごく高く売れるんじゃない?」

「Aqoursの子だし、ほかのアイドルなんかより、よっぽど価値があるわ」

そんな会話が、梨子の耳に飛び込んできた。

(売れる……?)

ぞっとする言葉。

(誰か……誰か助けて──)

必死に叫ぼうとしたが、声は震えて出なかった。

 

そのときだった。

──ワンッ!

大きな鳴き声が、建物の外から響いた。

梨子の目が、わずかに見開かれる。

「……え?」

女性たちも、顔をしかめた。

「犬……?」

 

その瞬間だった。

入り口の鉄扉が、ガン、と音を立てた。

その隙間から、梨子が見たもの──

──クリーム色の毛並み。

──まっすぐな瞳。

 

さっきの子犬だった。

息を切らしながら、鋭い目つきでこちらを見ている。

ただの子犬には見えなかった。

まるで──自分を助けに来た、勇者みたいに。

(……どうして)

梨子の心に、温かいものがじんわりと広がった。

 

 

女性たちは戸惑ったように顔を見合わせた。

「なんで犬が……?」

「追いかけてきたの?」

戸口で唸る子犬は、梨子を一瞥すると、次の瞬間──

 

「ワンッ!」

鋭く一声吠え、地を蹴った。

女性の一人の腕めがけて、小さな体で跳びかかる!

「きゃっ!」

バランスを崩した女性が、梨子を脅そうと手にしていた刃物を落とした。

鋭い音を立てて、刃が床を跳ねる。

子犬は梨子の前に立ち、低く、唸り声をあげる。

梨子を守るように、間に割って入る形だ。

 

「このっ!」

もう一人が怒鳴り、足で子犬を蹴ろうとした。

けれど、子犬は素早く身を翻し、かわす。

(すごい……)

震えながらも、梨子はその姿に目を奪われていた。

それは、まるで小さなヒーローだった。

 

──そのとき。

建物の外から、怒鳴り声が聞こえた。

「警察だ! そこを動くな!」

数人の警察官が、懐中電灯の光を掲げて、建物内に突入してきた。

「なっ……なんで警察が……!」

「そんな! まだバレるはずは……!?」

女性たちは一斉に顔色を変えた。

逃げようとするが、すぐに取り押さえられる。

子犬は、梨子の横にぴたりと寄り添い、静かにその様子を見ていた。

梨子は、まだ拘束されたまま、ただ呆然とその光景を見つめていた。

 

一人の警察官が、素早く梨子に近寄り、結束バンドを切ってくれる。

「大丈夫ですか? けがは?」

「は、はい……っ」

梨子は、震える声で答えた。

自由になった手で、子犬の頭にそっと触れる。

温かい。

子犬は梨子を見上げ、尻尾を一度だけ、ふり、と振った。

 

警察官の一人が、にこやかに梨子に向かって言った。

「この子犬、駐在所まで来て、すごい勢いで吠えてたんですよ。最初は何事かと思ったんですが、どうも様子がおかしくて。それでこの子に案内されるままについてきたら……」

そう言って、目を細める。

「……お宅のワンちゃんですか? いやぁ、本当に偉い子ですね」

梨子は首を横に振った。

「違うんです。……さっき、出会ったばかりで……」

 

自分でも信じられない思いだった。

だけど、子犬は確かに、梨子のためにここまで来てくれた。

何も言わない。

ただ、そっと寄り添ってくれるこの温もり。

梨子は、子犬の頭を撫でながら、そっと呟いた。

「ありがとう。……本当に、ありがとう」

子犬は、うれしそうに梨子の手に鼻先をすり寄せた。

 

──そして、夜空を見上げた。

星が、ひとつふたつ、瞬いている。

まるで、ふたりの新しい絆を祝福するかのように──。

 

 

警察の手際よい捜査が進み、女性たちはパトカーへと連行されていった。

あたりは再び静寂を取り戻していた。

梨子は、そっと地面にしゃがみこんだ。

彼──子犬もまた、梨子の隣にぴたりと座っていた。

 

「……ほんとに、すごい子だね」

子犬は梨子の声に応えるように、小さく鼻を鳴らした。

頭を撫でると、柔らかい毛並みが指先に心地よかった。

撫でるたび、子犬は目を細めて、梨子の手に顔をすり寄せた。

 

梨子はスマートフォンを取り出し、さっき撮った写真を開いた。

そこには、夕陽を背に、寄り添う自分とこの子の姿。

「……一年前の、わたしみたいだね」

ぽつりとつぶやく。

知らない場所で、ひとりきりだった。

不安で、でも、どこかで誰かに救われることを待っていた。

そんな自分に、千歌が声をかけてくれた。

あの日から、すべてが変わった。

 

「今度は、わたしが……」

梨子はそっと子犬を見つめた。

暗がりの中でも、子犬の瞳はまっすぐだった。

どこか人間めいた、深い意思を感じるその目。

梨子は小さく息をのんだ。

 

(──この子は)

ただの偶然だろうか。

でも、偶然にしては、あまりにもできすぎている。

 

今日この道を選んだこと。

海辺で、子犬と出会ったこと。

子犬が梨子を守ってくれたこと。

一つでも欠けていたら、今ごろどうなっていたか──。

梨子はそっと、子犬の顔に両手を添えた。

 

「……ありがとう」

小さな声。

それでも、子犬にはしっかり届いたようだった。

静かに尻尾を振る。

梨子はふっと目を細める。

やさしい気持ちが、胸の奥から溢れてきた。

 

(この子は、運命だったのかもしれない)

ふいに、そんな思いがよぎった。

それはどこか、海辺で千歌に出会ったときの感覚に似ていた。

 

なにか、大きな流れに導かれるように。

それとも、ずっと前から決まっていたかのように。

 

「……ねえ。あなた、うちに来る?」

梨子はそっと尋ねた。

 

子犬は、梨子の顔をじっと見たあと──

まるで答えるように、梨子の膝に顔を乗せた。

「ふふっ」

梨子は小さく笑った。

その笑みには、もう迷いはなかった。

 

 

警察による簡単な事情聴取を終え、梨子はスマートフォンを手に取った。

画面に映る「母さん」の文字を見て、少しだけ指が震えた。

深呼吸して、発信ボタンを押す。

──プルル、プルル。

「はい、梨子? どうしたの、こんな時間に」

母の優しい声が耳に届いた途端、

緊張していた心がふっとほどける。

「……あのね、ちょっと、お願いがあって」

 

梨子はできるだけ落ち着いて話そうとした。

「今日、帰り道で、子犬に出会ったの。

 それで──ちょっとした事件に巻き込まれちゃって……」

電話の向こうで、母が息を呑むのがわかった。

「でもね、この子が……ワンちゃんが助けてくれたの。駐在所に走って行って、警察を呼んできてくれたんだって。警察の人がそう言ってた。本当に、わたし、この子がいなかったら……」

梨子の声が少し震えた。

しばらく、母は何も言わなかった。

ただ、梨子の話を静かに聞いていた。

 

「それでね」

梨子は続けた。

「この子、首輪も何もつけてなかったの。迷子かもしれないけど、今のところ飼い主も見つかってないって。お願い……一晩だけでもいいから、うちに連れて帰ってもいい?」

耳を澄ませた。

母の小さなため息が聞こえた。

「……いいわ」

静かな答え。

「ほんと?」

「うん。梨子がそこまで言うなら。それに──命を助けてもらったんだものね。その子にも、お礼を言わなくちゃ」

 

梨子は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

「ありがとう、母さん」

「気をつけて帰ってきなさいね。そのワンちゃんと一緒に」

「うん!」

通話を終え、梨子は子犬の頭を撫でた。

「さあ、行こう」

子犬は、まるで意味を理解したかのように、立ち上がった。

ゆったりとした足取りで、梨子の隣を歩く。

──

 

家に着くと、玄関先で母が待っていた。

梨子が子犬を連れてくるのを見て、少しだけ驚いた表情を浮かべる。

「……ゴールデンレトリバーの子犬、かしら? かわいらしい子ね」

「うん。すごくお利口さんだよ。それにすごく勇敢なの」

梨子が微笑むと、母もふっと笑った。

子犬は梨子のそばに座り、静かに母を見上げている。

 

「本当に、あなたを助けてくれたのね」

母はそう言って、そっと子犬に手を伸ばした。

子犬は警戒する素振りも見せず、母の手のひらに鼻を寄せた。

「いい子ね……ありがとう。梨子を守ってくれて」

母の声は、どこか震えていた。

「……とりあえず、家に入りましょ。話はそれからね」

 

──

リビングに入り、梨子はこれまでの経緯を改めて説明した。

警察官の話。

子犬が駐在所まで走っていって警察を呼んできたこと。

何も指示されるわけでもなく、まるで梨子を救うために行動したこと。

 

母は、静かに、時に目を細めながら聞いていた。

話し終えると、母は子犬を見つめた。

「……この子は、うちに来る運命だったのかもしれないわね」

その言葉に、梨子は目を丸くした。

「え?」

「大切な娘の命を助けてくれて、今こうして家に来て。何か、縁みたいなものを感じるもの」

母は優しく微笑んだ。

 

「梨子、どうする? この子、うちの家族に迎えたいと思う?」

梨子は迷わず、力強く頷いた。

「うん。……わたし、この子と一緒にいたい」

母はうなずき、子犬の頭を撫でた。

「じゃあ、今日から……桜内家の一員ね」

子犬は、まるでそれを理解したかのように、嬉しそうに尻尾を振った。

 

梨子は、胸がいっぱいになりながら、その様子を見ていた。

新しい家族。

新しい絆。

(──やっぱり、この子は運命だったんだ)

心の中で、もう一度、そう思った。

 

 

──翌日。

土曜の昼下がり。

空はよく晴れ、海からの風も心地いい。

桜内家のインターホンが鳴った。

「はーい!」

 

梨子がドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべた千歌が立っていた。

「梨子ちゃん、来たよー!」

「千歌ちゃん……どうしたの、急に?」

「聞いたよ! ワンちゃん拾ったんだって?」

後ろから、曜とルビィ、花丸、善子もひょっこり顔をのぞかせる。

「梨子ちゃんが子犬を拾ったって聞いて、みんなで見に来ちゃった!」

曜がにかっと笑い、

「ワンちゃんさん、どこどこ?」

とルビィが目を輝かせる。

 

「うちの子になったばっかりだから、あんまり驚かせないでね」

梨子が困ったように笑いながらリビングに案内すると──

そこには、静かに座って待っていた、例の子犬がいた。

 

「わぁぁ……!」

ルビィが小さく歓声を上げ、花丸が目を細める。

「かわいいずら~! もう少ししたらおっきくなるよ~」

善子は少し距離を取りながらも、

「リリーを救った魔界の使い、ってわけね」

などとポーズを決める。

 

千歌が子犬の前にしゃがみ込んで、目をキラキラさせながら覗き込んだ。

「ねえねえ、名前、もう決めたの?」

「ううん、まだ。シンフォニーか……コンチェルト……う~ん、フォルテ……とかどうかなぁって、悩んでるんだけど……」

千歌の言葉に梨子が候補の名前を挙げていく。

「う~ん、ないかな」

……が、みんなの反応は芳しくない。

 

少しすると千歌は勢いよく手を打った。

「じゃあさ! まつたけってどう!?」

「──ぅえ?」

梨子が間抜けな声を出してしまった。

「しいたけの次は、まつたけ! 秋の味覚シリーズ! しいたけと姉弟みたいで、いいじゃん!」

「いやいやいやいや、安直すぎない!?」

梨子は思わず突っ込んだ。

「それ、しいたけちゃんの影響受けすぎだってば!」

 

けれど、曜が腕を組んで頷く。

「まつたけかぁ……なんか、縁起よさそう!」

「たしかに。マツタケって、昔から高級食材って言われてるずら」

花丸もにっこり。

ルビィも手を叩いて、「かわいい名前だと思うなぁ」と言う。

 

「ふふん、でしょでしょ~! やっぱりわたしのネーミングセンスってば、最強だね!」

千歌は得意満面。

 

梨子は頭を抱えた。

(えぇ……そんな即興で……でも……)

ふと、子犬──いや、「まつたけ」を見た。

彼は、尻尾を振って嬉しそうに千歌を見ている。

(……まつたけ)

口の中で呟いてみる。

不思議と、違和感はなかった。

むしろ、親しみやすくて、なんだか温かい響き。

 

「まつたけ、かぁ……」

梨子がそう言うと、まつたけは嬉しそうにワン、と一声鳴いた。

そこへ、さらにドアベルが鳴る。

「あ、もしかして──」

善子が言いかけたところで、玄関に走った千歌が戻ってくる。

「ダイヤさんたちも来たよ!」

「オヒサシブゥリデスネ!」

ダイヤ、鞠莉、果南──卒業した3年生たちが揃っていた。

 

「まあまあ、これが新しい家族?」

ダイヤが上品な微笑みを浮かべ、

鞠莉が目を輝かせ、果南が「へぇ、小さくて可愛いね」と言う。

 

「名前、まつたけって言うんだって!」

千歌が得意げに紹介する。

「「いや、千歌ちゃんがノリで付けたんでしょ!?」」

梨子と曜が、ほぼ同時に声を揃えてツッコむ。

 

「まつたけ? ふふっ、いいじゃない。しいたけちゃんとおそろいみたいで、かわいいわ」

鞠莉がすぐに受け入れ、果南も「うん、すごく似合ってると思うよ」と微笑んだ。

ダイヤも目を細める。

「まつたけ。立派な名前ですわね」

 

梨子は、ぽかんとした。

あっという間に、全員が「まつたけ」と呼び始めている。

(……もう、抵抗しても無理かも)

ため息まじりに、もう一度彼を見た。

──まつたけは、嬉しそうに尻尾をふっていた。

 

「……まつたけ」

梨子が小さく呼ぶと、彼はぴたりと梨子を見上げた。

その瞳は、やっぱりまっすぐだった。

梨子は、ようやく笑った。

「うん。……これから、よろしくね。まつたけ」

ワンッ!

まつたけが、嬉しそうに吠えた。

笑い声が、リビングに広がった。

こうして、まつたけは──桜内家の、そして梨子たちの新しい家族になった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。