※シリーズ全体
・本作品はアニメ版『ラブライブ!サンシャイン!!』を原作とした二次創作です。
・アニメ本編との時間軸のズレや、独自の設定・キャラクター解釈を含んでおります。
・原作を尊重しつつも、キャラクターの性格・関係性に独自解釈が加わる場面がございます。
・アニメ最終話に登場する犬「プレリュード」は本作には登場せず、オリジナルキャラクターの犬が登場・物語の中心となっております。
・人と動物(犬)との恋愛要素を含む内容となっております。苦手な方、抵抗のある方は閲覧をお控えください。
・ストーリー後半には、**18歳以上推奨の描写(R-18相当)**が含まれます。年齢制限・閲覧にご注意ください。
・本作はフィクションです。実在の人物・団体・作品とは一切関係ありません。
夕陽に染まる帰り道。
潮風に乗って、どこか懐かしい、海の匂いが運ばれてくる。
校門を抜けてしばらく歩いたところで、
ふと視界の端に、何かが見えた。
防波堤の向こう。
ひとり──いや、一匹。
綺麗な子犬が、静かに海を眺めていた。
白みがかったクリーム色の毛が、夕陽を浴びて金色に輝いている。
風になびく耳、ふさふさした尻尾。
まだ子犬なのにどこか気品を感じるたたずまい。
けれどその背中には、どこか、寂しさのようなものも滲んでいた。
(……どうしたのかな)
梨子は、自然と足を止めた。
犬。
苦手だったはずの、犬。
でも今は、不思議と怖くなかった。
むしろ、胸の奥にちくりとしたものを感じた。
──ちょうど一年前の自分を思い出した。
東京から内浦に来たばかりで、ひとり海を眺めていたあの日。
知らない土地。知らない人たち。
期待よりも、不安が大きかったあのとき。
千歌に出会って、救われたこと。
あの日の自分に、重なる気がした。
「……こんにちは」
梨子は、ほんの少しだけ震える声で、子犬に声をかけた。
子犬は、ゆっくりと振り返る。
まっすぐな瞳だった。
怖がらせるような気配は、どこにもない。
梨子はそっと膝を曲げて、目線を子犬に合わせた。
指先をすぼめるようにして、ゆっくりと差し出す。
子犬は、しばらくじっと梨子を見つめたあと、
一歩、また一歩と近づいてきた。
そして。
梨子の手のひらに、ひんやりとした鼻先をそっと押しつけた。
「……っ」
びくりと体が跳ねる。
けれど、その柔らかい感触に、梨子はすぐに力を抜いた。
鼻先から伝わるのは、体温と、優しさ。
(かわいいなぁ……)
「……よしよし」
そっと、頭を撫でる。
子犬は、尻尾を小さく振りながら、気持ちよさそうに目を細めた。
梨子も、微笑んだ。
そのまま、ふたり並んで座る。
目の前には、オレンジ色の海が広がっていた。
波が寄せては返し、太陽はゆっくりと沈んでいく。
潮騒と、子犬の小さな鼻息だけが、静かに耳に届いた。
(この子も、わたしと同じだったのかな)
梨子は、ふと思った。
名前も、年齢も、どこから来たのかもわからない。
でも今は、ただ一緒にここにいる。
それだけで、なんだか心が落ち着いた。
ふと、子犬の首輪がないことに気づいた。
野良犬? それとも迷子?
(……でも、いい子だな)
梨子は、もう一度子犬を撫でる。
子犬は、まるで安心したように、梨子の膝の上に頭を預けた。
「……ふふっ、かわいい……」
思わず、小さな笑い声が漏れた。
こんなふうに、犬に触れることができるなんて。
ほんの少し前までは、考えられなかったこと。
海と夕陽と──ふわふわした温もり。
梨子は、そっと目を閉じた。
ほんのひととき、何も言葉を交わさないまま、
ふたりで、ただ、海を眺めていた。
梨子はそっとポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を開き、カメラアプリを立ち上げる。
「……ねえ、一緒に撮ろうか」
小さく問いかけると、子犬は尻尾をふりふりと振って応えた。
まるで言葉が通じたみたいで、梨子はふっと笑う。
そっと肩を寄せ、スマホを前にかざす。
子犬は少し首を傾げながら、じっとカメラを見つめている。
梨子はシャッターを切った。
画面に映るのは、夕陽の海を背景にした、自分と子犬の姿。
並んで、同じ方向を見ているみたいな一枚。
(……撮れた)
胸の奥があたたかくなる。
(これ、千歌ちゃんたちに見せたらびっくりするかな……)
犬に触れただけじゃない。
こうして自然に隣にいられる自分に、梨子自身も驚いていた。
「……あの」
ふと、声をかけられた。
梨子は顔を上げる。
三人組の女性が、こちらを見ていた。
年齢は、二十代半ばくらいだろうか。
こぎれいな服装に、にこやかな笑み。
まるでどこにでもいそうな、普通の女の人たち。
でも──どこか。
どこか、言葉にできない違和感を、梨子はかすかに覚えた。
(……いや、気のせいかも)
梨子は軽く首を振って、立ち上がる。
犬もそれに合わせて、のそのそと身を起こした。
「Aqoursの桜内梨子さんですよね?」
一番手前の女性が、笑顔で言った。
梨子は驚いて、目を瞬かせた。
「はい……そうですけど」
「やっぱり!」
「えー、本物だー!」
「ずっと応援してたんです!」
女性たちは声を弾ませた。
本当に嬉しそうな顔。
それに、梨子は思わず表情を和らげた。
「ありがとうございます。……でも、今は一人で帰る途中で」
少しだけ申し訳なさそうに、梨子は言う。
すると、女性の一人が言った。
「すみません。でも、Aqoursのこと、ちょっとだけお話聞きたくて。今度ライブするっていう噂、本当ですか?」
「ちょっとだけでいいので、向こうでお茶でもどうですか?」
三人がそろって、にこにこと微笑みかける。
梨子は迷った。
学校の帰り道。
知らない人について行くなんて、普通ならありえない。
けれど──
子犬との出会いで、気持ちが浮き立っていたこと。
こんなふうに声をかけられるのは、内浦では珍しいこと。
それに、彼女たちの柔らかい笑顔。
(大丈夫、だよね……)
梨子は、軽く頷いた。
「……少しだけなら」
「よかった! じゃあ、こっちの車に」
女性たちの一人が、駐車場を指さす。
そのときだった。
背後で、高い声が聞こえた。
「……ワン!」
梨子が振り返ると、子犬が低く唸るような声を漏らしていた。
尻尾は下がり、背中の毛がわずかに逆立っている。
「どうしたの?」
梨子は、しゃがんで子犬の頭を撫でた。
子犬は、梨子の手に鼻を寄せながらも、なおも女性たちをじっと見つめている。
(……もしかして、警戒してる?)
少しだけ、梨子は不安になった。
けれど、女性たちはただ微笑んで待っている。
警戒する理由なんて、どこにもないはずだった。
「ごめんね。また来るからちょっとここで待ってて。あの人たちとお話してくるから、ね?」
梨子は子犬にそう言って、立ち上がる。
子犬の頭を最後にもう一度撫でて、背を向けた。
女性たちの方へと歩いて行く。
子犬は──
低く一度だけ吠えたあと、梨子の後を追うように、駆け出した。
その小さな異変に、梨子は気づかなかった。
女性たちはにこやかに、車のドアを開けて待っていた。
シルバーのワゴン車。特に目立たない、どこにでもあるタイプだ。
梨子は小さく頭を下げ、乗り込んだ。
柔らかいシートが、少しだけ身体を包み込む。
「ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をすると、女性たちもにっこり微笑んだ。
エンジンが静かにかかる。
ドアが閉まる音が、やけに大きく耳に残った。
車が発進する。
細い道を抜け、町の方へと向かっていく。
何気なく、後部座席の窓から外を見た梨子の目に、あるものが映った。
──さっきの子犬だ。
必死に走っていた。
耳を後ろに倒し、全身で風を切って、車を追いかけている。
梨子は目を見開いた。
(どうして……?)
子犬はまるで、置いていかれたくないと言わんばかりだった。
いや──違う。
何かを訴えるような、切迫した瞳だった。
でも、車は子犬の足よりもはるかに速かった。
距離はみるみる開き、やがてカーブの向こうに消えていった。
梨子は、なぜか胸が締め付けられるのを感じた。
あの子は──なぜあんなに必死だったんだろう。
「いい子でしたね、さっきのワンちゃん」
助手席の女性が、軽い調子で言った。
「あ、はい……」
梨子は小さく答える。
でも、心のどこかに、もやもやとした違和感が残った。
車は町の外れへと向かっていた。
だんだんと民家が減り、人気もない道になる。
「……あの、どこに?」
梨子が尋ねかけたとき、運転していた女性が振り返った。
「ちょっと寄り道。静かな場所で、ゆっくり話しましょう」
にこやかにそう言った顔に、梨子は言い知れない違和感を覚えた。
(──まずいかも)
ふと、スマートフォンを手に取ろうとしたそのときだった。
車が急に曲がり、古びた廃墟の前で止まった。
かつて何かの工場だったのか、鉄骨が剥き出しになった、錆びた建物。
「さあ、降りて」
運転席の女性が無理やり梨子の腕をつかむ。
「えっ、ちょっと……!」
梨子は抵抗するが、力では敵わない。
引きずられるようにして、車の外に出された。
冷たい風が頬を打つ。
辺りは静まり返っていた。
「なに、これ──っ!」
梨子は声を上げた。
「静かにして」
女性たちは急に顔を変えた。
にこやかだった笑顔は消え、冷たい目をしている。
「大人しくしてれば、痛い思いはしないわ」
その言葉とともに、梨子の手首に硬い紐が巻き付けられた。
結束バンド。手早く、容赦なく。
「やめて……っ!」
必死にもがく梨子。
でも、人数差と力の差は歴然だった。
女性たちは、梨子を建物の中へと連れて行く。
冷たいコンクリートの床、打ち捨てられた機械の残骸。
暗く、湿った空気。
(なんで……どうして、こんなことに)
梨子は震えた。
女性たちは、かすかに聞こえる声で話している。
「ねえ、これ、すごく高く売れるんじゃない?」
「Aqoursの子だし、ほかのアイドルなんかより、よっぽど価値があるわ」
そんな会話が、梨子の耳に飛び込んできた。
(売れる……?)
ぞっとする言葉。
(誰か……誰か助けて──)
必死に叫ぼうとしたが、声は震えて出なかった。
そのときだった。
──ワンッ!
大きな鳴き声が、建物の外から響いた。
梨子の目が、わずかに見開かれる。
「……え?」
女性たちも、顔をしかめた。
「犬……?」
その瞬間だった。
入り口の鉄扉が、ガン、と音を立てた。
その隙間から、梨子が見たもの──
──クリーム色の毛並み。
──まっすぐな瞳。
さっきの子犬だった。
息を切らしながら、鋭い目つきでこちらを見ている。
ただの子犬には見えなかった。
まるで──自分を助けに来た、勇者みたいに。
(……どうして)
梨子の心に、温かいものがじんわりと広がった。
女性たちは戸惑ったように顔を見合わせた。
「なんで犬が……?」
「追いかけてきたの?」
戸口で唸る子犬は、梨子を一瞥すると、次の瞬間──
「ワンッ!」
鋭く一声吠え、地を蹴った。
女性の一人の腕めがけて、小さな体で跳びかかる!
「きゃっ!」
バランスを崩した女性が、梨子を脅そうと手にしていた刃物を落とした。
鋭い音を立てて、刃が床を跳ねる。
子犬は梨子の前に立ち、低く、唸り声をあげる。
梨子を守るように、間に割って入る形だ。
「このっ!」
もう一人が怒鳴り、足で子犬を蹴ろうとした。
けれど、子犬は素早く身を翻し、かわす。
(すごい……)
震えながらも、梨子はその姿に目を奪われていた。
それは、まるで小さなヒーローだった。
──そのとき。
建物の外から、怒鳴り声が聞こえた。
「警察だ! そこを動くな!」
数人の警察官が、懐中電灯の光を掲げて、建物内に突入してきた。
「なっ……なんで警察が……!」
「そんな! まだバレるはずは……!?」
女性たちは一斉に顔色を変えた。
逃げようとするが、すぐに取り押さえられる。
子犬は、梨子の横にぴたりと寄り添い、静かにその様子を見ていた。
梨子は、まだ拘束されたまま、ただ呆然とその光景を見つめていた。
一人の警察官が、素早く梨子に近寄り、結束バンドを切ってくれる。
「大丈夫ですか? けがは?」
「は、はい……っ」
梨子は、震える声で答えた。
自由になった手で、子犬の頭にそっと触れる。
温かい。
子犬は梨子を見上げ、尻尾を一度だけ、ふり、と振った。
警察官の一人が、にこやかに梨子に向かって言った。
「この子犬、駐在所まで来て、すごい勢いで吠えてたんですよ。最初は何事かと思ったんですが、どうも様子がおかしくて。それでこの子に案内されるままについてきたら……」
そう言って、目を細める。
「……お宅のワンちゃんですか? いやぁ、本当に偉い子ですね」
梨子は首を横に振った。
「違うんです。……さっき、出会ったばかりで……」
自分でも信じられない思いだった。
だけど、子犬は確かに、梨子のためにここまで来てくれた。
何も言わない。
ただ、そっと寄り添ってくれるこの温もり。
梨子は、子犬の頭を撫でながら、そっと呟いた。
「ありがとう。……本当に、ありがとう」
子犬は、うれしそうに梨子の手に鼻先をすり寄せた。
──そして、夜空を見上げた。
星が、ひとつふたつ、瞬いている。
まるで、ふたりの新しい絆を祝福するかのように──。
警察の手際よい捜査が進み、女性たちはパトカーへと連行されていった。
あたりは再び静寂を取り戻していた。
梨子は、そっと地面にしゃがみこんだ。
彼──子犬もまた、梨子の隣にぴたりと座っていた。
「……ほんとに、すごい子だね」
子犬は梨子の声に応えるように、小さく鼻を鳴らした。
頭を撫でると、柔らかい毛並みが指先に心地よかった。
撫でるたび、子犬は目を細めて、梨子の手に顔をすり寄せた。
梨子はスマートフォンを取り出し、さっき撮った写真を開いた。
そこには、夕陽を背に、寄り添う自分とこの子の姿。
「……一年前の、わたしみたいだね」
ぽつりとつぶやく。
知らない場所で、ひとりきりだった。
不安で、でも、どこかで誰かに救われることを待っていた。
そんな自分に、千歌が声をかけてくれた。
あの日から、すべてが変わった。
「今度は、わたしが……」
梨子はそっと子犬を見つめた。
暗がりの中でも、子犬の瞳はまっすぐだった。
どこか人間めいた、深い意思を感じるその目。
梨子は小さく息をのんだ。
(──この子は)
ただの偶然だろうか。
でも、偶然にしては、あまりにもできすぎている。
今日この道を選んだこと。
海辺で、子犬と出会ったこと。
子犬が梨子を守ってくれたこと。
一つでも欠けていたら、今ごろどうなっていたか──。
梨子はそっと、子犬の顔に両手を添えた。
「……ありがとう」
小さな声。
それでも、子犬にはしっかり届いたようだった。
静かに尻尾を振る。
梨子はふっと目を細める。
やさしい気持ちが、胸の奥から溢れてきた。
(この子は、運命だったのかもしれない)
ふいに、そんな思いがよぎった。
それはどこか、海辺で千歌に出会ったときの感覚に似ていた。
なにか、大きな流れに導かれるように。
それとも、ずっと前から決まっていたかのように。
「……ねえ。あなた、うちに来る?」
梨子はそっと尋ねた。
子犬は、梨子の顔をじっと見たあと──
まるで答えるように、梨子の膝に顔を乗せた。
「ふふっ」
梨子は小さく笑った。
その笑みには、もう迷いはなかった。
警察による簡単な事情聴取を終え、梨子はスマートフォンを手に取った。
画面に映る「母さん」の文字を見て、少しだけ指が震えた。
深呼吸して、発信ボタンを押す。
──プルル、プルル。
「はい、梨子? どうしたの、こんな時間に」
母の優しい声が耳に届いた途端、
緊張していた心がふっとほどける。
「……あのね、ちょっと、お願いがあって」
梨子はできるだけ落ち着いて話そうとした。
「今日、帰り道で、子犬に出会ったの。
それで──ちょっとした事件に巻き込まれちゃって……」
電話の向こうで、母が息を呑むのがわかった。
「でもね、この子が……ワンちゃんが助けてくれたの。駐在所に走って行って、警察を呼んできてくれたんだって。警察の人がそう言ってた。本当に、わたし、この子がいなかったら……」
梨子の声が少し震えた。
しばらく、母は何も言わなかった。
ただ、梨子の話を静かに聞いていた。
「それでね」
梨子は続けた。
「この子、首輪も何もつけてなかったの。迷子かもしれないけど、今のところ飼い主も見つかってないって。お願い……一晩だけでもいいから、うちに連れて帰ってもいい?」
耳を澄ませた。
母の小さなため息が聞こえた。
「……いいわ」
静かな答え。
「ほんと?」
「うん。梨子がそこまで言うなら。それに──命を助けてもらったんだものね。その子にも、お礼を言わなくちゃ」
梨子は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ありがとう、母さん」
「気をつけて帰ってきなさいね。そのワンちゃんと一緒に」
「うん!」
通話を終え、梨子は子犬の頭を撫でた。
「さあ、行こう」
子犬は、まるで意味を理解したかのように、立ち上がった。
ゆったりとした足取りで、梨子の隣を歩く。
──
家に着くと、玄関先で母が待っていた。
梨子が子犬を連れてくるのを見て、少しだけ驚いた表情を浮かべる。
「……ゴールデンレトリバーの子犬、かしら? かわいらしい子ね」
「うん。すごくお利口さんだよ。それにすごく勇敢なの」
梨子が微笑むと、母もふっと笑った。
子犬は梨子のそばに座り、静かに母を見上げている。
「本当に、あなたを助けてくれたのね」
母はそう言って、そっと子犬に手を伸ばした。
子犬は警戒する素振りも見せず、母の手のひらに鼻を寄せた。
「いい子ね……ありがとう。梨子を守ってくれて」
母の声は、どこか震えていた。
「……とりあえず、家に入りましょ。話はそれからね」
──
リビングに入り、梨子はこれまでの経緯を改めて説明した。
警察官の話。
子犬が駐在所まで走っていって警察を呼んできたこと。
何も指示されるわけでもなく、まるで梨子を救うために行動したこと。
母は、静かに、時に目を細めながら聞いていた。
話し終えると、母は子犬を見つめた。
「……この子は、うちに来る運命だったのかもしれないわね」
その言葉に、梨子は目を丸くした。
「え?」
「大切な娘の命を助けてくれて、今こうして家に来て。何か、縁みたいなものを感じるもの」
母は優しく微笑んだ。
「梨子、どうする? この子、うちの家族に迎えたいと思う?」
梨子は迷わず、力強く頷いた。
「うん。……わたし、この子と一緒にいたい」
母はうなずき、子犬の頭を撫でた。
「じゃあ、今日から……桜内家の一員ね」
子犬は、まるでそれを理解したかのように、嬉しそうに尻尾を振った。
梨子は、胸がいっぱいになりながら、その様子を見ていた。
新しい家族。
新しい絆。
(──やっぱり、この子は運命だったんだ)
心の中で、もう一度、そう思った。
──翌日。
土曜の昼下がり。
空はよく晴れ、海からの風も心地いい。
桜内家のインターホンが鳴った。
「はーい!」
梨子がドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべた千歌が立っていた。
「梨子ちゃん、来たよー!」
「千歌ちゃん……どうしたの、急に?」
「聞いたよ! ワンちゃん拾ったんだって?」
後ろから、曜とルビィ、花丸、善子もひょっこり顔をのぞかせる。
「梨子ちゃんが子犬を拾ったって聞いて、みんなで見に来ちゃった!」
曜がにかっと笑い、
「ワンちゃんさん、どこどこ?」
とルビィが目を輝かせる。
「うちの子になったばっかりだから、あんまり驚かせないでね」
梨子が困ったように笑いながらリビングに案内すると──
そこには、静かに座って待っていた、例の子犬がいた。
「わぁぁ……!」
ルビィが小さく歓声を上げ、花丸が目を細める。
「かわいいずら~! もう少ししたらおっきくなるよ~」
善子は少し距離を取りながらも、
「リリーを救った魔界の使い、ってわけね」
などとポーズを決める。
千歌が子犬の前にしゃがみ込んで、目をキラキラさせながら覗き込んだ。
「ねえねえ、名前、もう決めたの?」
「ううん、まだ。シンフォニーか……コンチェルト……う~ん、フォルテ……とかどうかなぁって、悩んでるんだけど……」
千歌の言葉に梨子が候補の名前を挙げていく。
「う~ん、ないかな」
……が、みんなの反応は芳しくない。
少しすると千歌は勢いよく手を打った。
「じゃあさ! まつたけってどう!?」
「──ぅえ?」
梨子が間抜けな声を出してしまった。
「しいたけの次は、まつたけ! 秋の味覚シリーズ! しいたけと姉弟みたいで、いいじゃん!」
「いやいやいやいや、安直すぎない!?」
梨子は思わず突っ込んだ。
「それ、しいたけちゃんの影響受けすぎだってば!」
けれど、曜が腕を組んで頷く。
「まつたけかぁ……なんか、縁起よさそう!」
「たしかに。マツタケって、昔から高級食材って言われてるずら」
花丸もにっこり。
ルビィも手を叩いて、「かわいい名前だと思うなぁ」と言う。
「ふふん、でしょでしょ~! やっぱりわたしのネーミングセンスってば、最強だね!」
千歌は得意満面。
梨子は頭を抱えた。
(えぇ……そんな即興で……でも……)
ふと、子犬──いや、「まつたけ」を見た。
彼は、尻尾を振って嬉しそうに千歌を見ている。
(……まつたけ)
口の中で呟いてみる。
不思議と、違和感はなかった。
むしろ、親しみやすくて、なんだか温かい響き。
「まつたけ、かぁ……」
梨子がそう言うと、まつたけは嬉しそうにワン、と一声鳴いた。
そこへ、さらにドアベルが鳴る。
「あ、もしかして──」
善子が言いかけたところで、玄関に走った千歌が戻ってくる。
「ダイヤさんたちも来たよ!」
「オヒサシブゥリデスネ!」
ダイヤ、鞠莉、果南──卒業した3年生たちが揃っていた。
「まあまあ、これが新しい家族?」
ダイヤが上品な微笑みを浮かべ、
鞠莉が目を輝かせ、果南が「へぇ、小さくて可愛いね」と言う。
「名前、まつたけって言うんだって!」
千歌が得意げに紹介する。
「「いや、千歌ちゃんがノリで付けたんでしょ!?」」
梨子と曜が、ほぼ同時に声を揃えてツッコむ。
「まつたけ? ふふっ、いいじゃない。しいたけちゃんとおそろいみたいで、かわいいわ」
鞠莉がすぐに受け入れ、果南も「うん、すごく似合ってると思うよ」と微笑んだ。
ダイヤも目を細める。
「まつたけ。立派な名前ですわね」
梨子は、ぽかんとした。
あっという間に、全員が「まつたけ」と呼び始めている。
(……もう、抵抗しても無理かも)
ため息まじりに、もう一度彼を見た。
──まつたけは、嬉しそうに尻尾をふっていた。
「……まつたけ」
梨子が小さく呼ぶと、彼はぴたりと梨子を見上げた。
その瞳は、やっぱりまっすぐだった。
梨子は、ようやく笑った。
「うん。……これから、よろしくね。まつたけ」
ワンッ!
まつたけが、嬉しそうに吠えた。
笑い声が、リビングに広がった。
こうして、まつたけは──桜内家の、そして梨子たちの新しい家族になった。